3534話
レイの提案にダスカーが頷くと、それを見たレイは早速行動に移る。
「この場合、正門から出た方がいいんですか? それとも、この領主の館から直接飛び立った方が?」
「悪いが、正門から行ってくれ。許可証はすぐに用意する」
「……今は少しでも急いだ方がいいんじゃないの?」
「マリーナの言いたい事も分かる。だが、スノウオークのスタンピードともなれば、こっちも相応の対応をする必要がある。……ああ、勿論レイの実力を信じていないという訳ではない。だが、万が一にもレイの攻撃を耐えるなり、あるいは偶然逃れた個体がギルムにやって来る可能性もある」
そう言われると、レイも絶対にそのようなことはないとは断言出来ない。
実際、スノウオークが纏まっているとはいえ、具体的にどのように纏まって行動しているのか、レイには分からないのだから。
その時の為の対処だと言われれば、レイもそういうものかと納得するしかないのも事実。
「それと、この夜中に激しく動き回れば、それによってトラペラの生き残りがまだいた場合、動き出す可能性も否定は出来ん。その時、即座に対処出来るように準備をしておきたい」
なるほど、と。
レイはダスカーの言葉にその件もあったかと思い出す。
スノウオークのスタンピードについて聞かされた為に、そちらだけに意識が集中していた。
だが、そもそもレイ達がこうして領主の館に泊まっているのは、トラペラの件があったからだ。
「えっと、一応聞いておきたいけど……私もレイと一緒に行きたいんだけど、どうかしら?」
不意にそう言ったのは、ヴィヘラ。
とはいえ、レイも含めてヴィヘラと親しい者達は特に驚くようなことはない。
戦闘狂のヴィヘラなのだ。
そのヴィヘラがモンスターのスタンピードが起きたと知れば、黙っている筈がない。
ましてや、今回スタンピードを起こしたのは、スノウオークというそれなりにランクの高いモンスターだ。
冬しか出て来ないというスノウオーク……ある意味、期間限定と評しても決して間違ってはいない敵だ。
そんな敵と戦う絶好の機会を、ヴィヘラが逃す筈がない。
ないのだが……
「今回は俺の流儀で戦うから、多分ヴィヘラがするような戦いにはならないと思うぞ?」
「それでも、レイの魔法から逃げた個体がギルムに行く前に倒せるかもしれないでしょう? ダスカー殿もそう思いませんか?」
「それは……まぁ、助かりますが」
ダスカーにしてみれば、ヴィヘラはかなり扱いにくい存在だった。
既に出奔しているとはいえ、それでもベスティア帝国の皇族であるのは間違いない。
また、それでいながら戦闘狂というのも、組み合わせが悪い。
戦闘により、もしヴィヘラが死んでしまった場合……ダスカーが非難されることになるのは間違いないのだから。
とはいえ、それでもヴィヘラの要望は可能な限り聞く必要がある。
ましてやヴィヘラが言ってるように、レイの魔法を何らかの理由ですり抜ける……あるいは可能性はかなり低いが、レイの魔法を耐えたモンスターがギルムにやって来るよりも前に、倒すことが出来たら、それはギルムにとって非常に助かる話でもあった。
「……分かった。レイに何かあった時の護衛も必要だろうし、ヴィヘラ殿にお任せしよう」
結局ダスカーはヴィヘラの言葉に折れる。
ただ、何かあった時の為にレイの護衛が必要というのは、以前であれば笑い話か、あるいは念の為ということだっただろう。
だが穢れの一件でレイが限界を超えて魔力を絞り出して魔法を使った結果、その場で意識を失い、数日昏睡状態が続いたということがあった。
そのことを思えば、何かあった時の為に誰かが近くにいた方がいいのは間違いのない事実。
エレーナやマリーナも、そんなダスカーの言葉に反対するようなことはせず、それどころか同意するように頷いてすらいた。
(何だか子供扱いされてるような……防御用のゴーレムもあるんだから、何かあっても問題は……ああ、でもスノウオークはランクC、上位種となれば当然ながらそれよりランクが高くなるし、そうなると防御用のゴーレムが展開した障壁を破ることが出来たりするのかもしれないな)
微妙に自分の扱いに納得出来ないレイだったが、だからといって穢れの件が失態だったのは事実。
取りあえずもう少し時間が経てば、ある程度は問題なくなるだろう。
半ば自分にそう言い聞かせ、ヴィヘラに視線を向ける。
「ギルムを出たら、セトに乗って空を飛ぶことになる。そうなると、セト籠を使っているような余裕はないし、直接戦場に行くから邪魔になるから、セトの足に掴まって移動することになるぞ?」
「別に構わないわよ。セト籠を手に入れる前はそうだったじゃない」
そう言われると、レイも反論は出来ない。
実際、セト籠を入手するまでは、レイ以外がセトと共に空を飛ぶ時はセトの足に掴まって移動するというのが一般的だったのだから。
ヴィヘラにしてみれば、セト籠がなくても前の行動に戻っただけでしかない。
「分かった。じゃあ、そういうことで。……ダスカー様、許可証の用意をお願いします。それが出来次第、すぐに出発しますので」
「分かった、すぐに準備しよう。レイ達はここで待っていてくれ」
そう言い、ダスカーは応接室を出ていく。
「実は、ギルドからも人を派遣したかったのですけどね」
ダスカーがいなくなったところで、ワーカーがそう言う。
その言葉に、真っ先にそうでしょうねと頷いたのは、マリーナ。
元ギルドマスターだけに、ワーカーがそのように思うのは理解出来たのだろう。
「人を派遣するのはいいけど、俺達と一緒に行動するのは止めた方がいいと思う。もしそうなったら、それこそスノウオークとの戦いに巻き込まれるだろうし。……ちなみにスノウオークってことは、やっぱり肉は美味いのか?」
レイにとってオークというのは、敵ではあるが、同時に美味い肉という認識も強い。
もっともそのように思うのがレイだけでないのは、ギルムにおいて一般的に食べられている肉の多くがオークの肉だというのが証明していた。
オークはランクDモンスターだが、その肉の美味さはそのランク以上だ。
そうなると、普通のオークよりランクが一つ上のスノウオークは、通常のオークの肉よりも美味いのではないか。
そう期待を込めて尋ねると、何故かワーカーは呆れの視線をレイに向けてくる。
ワーカーにしてみれば、スノウオークという強力なオークが、こうして襲ってきたのだ。
なのにその迎撃を全面的に任されたレイは、危機感を全く抱いた様子はない。
それどころか、スノウオークの肉の味の方を気にしている始末だ。
ワーカーにしてみれば、呆れるしかない。
ただ、それでもさすがギルドマスターと言うべきか、ワーカーはレイの言葉に素直に頷く。
「スノウオークについての出現情報はあまりありませんが、以前出現した時の情報からすると、通常のオークよりも間違いなく上だということです」
「そうか」
ワーカーの説明は、レイにとって非常に嬉しい報告だった。
数百匹のスノウオーク。
その死体の全てをミスティリングに収納すると、それだけのスノウオークの肉を全て自分の物に出来るということを意味している。
そう思っていたのだが、ふと気が付く。
「あ」
「レイ? どうしたの?」
不意に声を上げたレイに、マリーナが尋ねる。
しかし、レイは首を横に振り、何でもないと言う。
だが、そのように言いながらも、レイの中ではスノウオークとの戦いでどうするべきなのかを考える。
(てっきり炎の魔法を使って一網打尽にしようと思ってたんだが……それをやると、スノウオークの肉も全て炭となってしまう)
そう、レイが炎の魔法を使ってスノウオークを殺せば、当然ながらその身体は炭となる。
レイの魔法の威力を考えると、そうなるのは当然だった。
勿論、全てのスノウオークが炭となる訳ではない。
幸運……幸運かどうかは微妙なところだが、とにかくスノウオークの中には炭にならない個体もいるだろう。
だがそれはあくまでも少数で、大半は炭となる筈だ。
それはレイにとって好ましいことではない。
(となると、魔法を使わずに別の方法……それも肉に被害を与えない方法で倒す必要があるのか。地形操作を使えば出来るか?)
今のレイの……より正確にはデスサイズの地形操作は、レベル六だ。
半径二kmの範囲を上下に十m上げたり下げたり出来る。
だが……それでもランクCモンスターともなれば、沈下と隆起を合わせて二十mの高さから落ちてもそう簡単に死ぬとは思えない。
それでも死にはしないだろうが、重傷を負わせることが出来るのではないか。
そうなれば、倒すのも難しくはないだろう。
「ワーカー、スノウオークの体毛は斬撃に耐性があるって話だったけど、落下……いや、打撃の類はどうだ?」
「は? ……いえ、そのような報告はなかったかと。ですよね?」
「ええ、私も見たことはないわ。けど、レイ。その言い方だと魔法で倒さないの?」
元ギルドマスターのマリーナだけに、スノウオークについての情報も知っている。
そのことからすぐにワーカーの問いに答えたが、その質問そのものがレイが魔法を使わないと言ってるようなものだった。
何しろレイの魔法は炎に特化しているのだから。
「スノウオークの素材や魔石、それに肉……討伐証明部位も出来れば欲しいところだけど、こっちは無理にとは言えないだろうし」
討伐証明部位をギルドに提出すれば、その分の報酬を貰える。
これは冒険者にとってそれなりに大きな収入ではあるのだが、金に困っていないレイにしてみれば、討伐証明部位は無理に確保しなくても構わなかった。
……もし他の冒険者がそれを聞いたら、中には怒り狂う者もいただろう。
もっとも、レイにしてみればそう言うのなら自分でスノウオーク数百匹を倒し、その後で数百匹を解体してみろと言うだろうが。
レイの場合はドワイトナイフがあるので解体は楽だが、ドワイトナイフは討伐証明部位には反応しない。
つまり、討伐証明部位だけは自力で解体する必要があるか、あるいはドワイトナイフを使う時に特定の部位を残したいと思いながら使う必要があった。
もっとも、その辺については死体をミスティリングに入れておけば、腐る心配はないので、後々時間が出来た時に……という考え方もあるのだが。
「そう考えると、レイの魔法でというのは難しいでしょうね」
「ああ。だから魔法以外で倒す」
「ちょっと待って欲しい」
レイとマリーナの会話にワーカーが少し厳しい表情でそう言う。
今の会話は、ワーカーにとって聞き逃すことが出来ない内容が含まれていたのだ。
「レイがスタンピードに立ち向かってくれるのは嬉しい。だがそれは、レイが広範囲殲滅魔法を得意としているから、今回レイに話を持っていったのだ。なのに、魔法を使わずにスノウオークの群れを倒すというのは……少し侮っていないか?」
ワーカーにしてみれば、ここでレイを自由に行動させた場合、予定通りにいかない可能性がある。
場合によっては、スノウオークがギルムに到着する可能性すらあるのだ。
それを考えれば、レイの今の言葉は決して受け入れられるものではなかった。
「安心しろ……というのもどうかと思うが、スノウオークの群れを相手にしても対処出来る方法があるから、こうして話してるんだ」
「……それは信じてもいいのか?」
「ああ。けど、そうだな。何の保証もなく信じろと言ってもそれは無理か。なら、最初に攻撃をした時、それでスノウオークの群れに大きなダメージを与えられなかった場合、すぐに魔法を使って対処する。それならどうだ?」
レイの提案……というよりも妥協にワーカーは少し悩むものの、やがて頷く。
ギルムには腕利きが多くいるものの、冬ということで酔っ払っている者も多く、戦力として当てにするのは危険だ。
そんな中、この状況に対処するのに一番相応しい能力を持っているのがレイなのだ。
であれば、ここでレイに頼らないという選択肢はない。
他にもレイがスノウオークと戦うのがギルムからある程度――それでも大分近いが――離れた場所であるというのも、ワーカーが頷いた理由の一つだろう。
多くの者が冬ということで酔っ払い、あるいは時間を考えると眠っているかもしれないが、それでもまだ戦力として数えられる者は多い。
もしレイがスノウオークの群れを殲滅出来なくても、生き残りの数は決して多くない筈だ。
それらくらいの数ならどうとでもなると、そう判断したのだろう。
「出来たぞ。すぐに向かってくれ」
不意に扉が開き、ダスカーが来る。
その手にはレイに渡す許可証があり……それを受け取ったレイは、ヴィヘラと共にセトを迎えにいくのだった。