3533話
スタンピード。
ワーカーの口から出たのは、間違いなくその言葉だった。
「……本当か?」
「嘘だったらよかったんですがね。ですが、嘘を吐く為にわざわざこんな真夜中に領主の館に来て、しかも領主のダスカー様を叩き起こすなんてことが出来ると思いますか?」
冷静にそう告げるワーカーの言葉に、レイはダスカーを見る。
その視線を受け止めたダスカーの表情は、厳しく引き締まっていた。
それこそが、ワーカーの口にしたスタンピードというのが嘘ではないと示している。
スタンピード、それは簡単に言えばモンスターの暴走だ。
一種類のモンスターによるスタンピードもあれば、数種類……あるいはそれ以上に多くの種類のモンスターによるスタンピードもある。
また、スタンピードの理由も様々だ。
そしてスタンピードを鎮圧する方法も様々だ。
スタンピードを起こしたモンスターの中で最強の存在を倒すという比較的分かりやすいものから、特殊なアイテムを使う、スタンピードした中で特定のモンスターを全滅させる。
他にも多種多様な方法があるが、やはり一番単純なのはスタンピードしたモンスターを全滅させることだろう。
「話は分かった。ワーカーはともかく、ダスカー様がこうしているのを思えば、スタンピードというのが冗談でも何でもないのは分かる。それで、具体的にどういうモンスターのスタンピードなんだ? ギルムからどのくらい離れた場所でだ?」
勢い込んで尋ねるレイだったが、ワーカーはそんなレイに向かって首を横に振る。
「今ここで説明しても、他の人が来てからまた説明することになります。あるいは、説明の途中でやってきて、また最初から説明することになるでしょう。なので、他の人達が来るまでもう少々お待ち下さい」
「むぅ……しょうがないな。分かった」
何度も説明させるのが可哀想だと思ったのか、あるいは自分が何度も同じ説明を聞くのが面倒だと思ったのか。
ともあれ、レイはワーカーにスタンピードに対しての説明を求めるのを止める。
「ダスカー様もこんな時間に起こされて大変ですね」
「そうだな。出来ればこういう説明は朝になってから……いや、朝一番にスタンピードについて聞かされるのも嫌だな。そうなると昼前くらいに聞くのがいいのか? ともあれ、真夜中に聞きたくはなかった。だからといって、立場上それを聞かない訳にもいかないんだが」
ダスカーにしてみれば、領主という立場である以上はギルムに大きな被害を出すかもしれない報告を無視する訳にもいかない。
ましてや、スタンピードはギルムにおける問題の中でも、最悪に近い事態だ。
せめて、今が冬でよかったと……しみじみとそう思うだけだった。
春から秋に掛けては、ギルムの増築工事の為に毎日が忙しい。
それこそ冗談でも何でもなく、睡眠時間以外のほぼ全ては仕事に追われている。
場合によっては、食事すら仕事をしながら食べることになるのだから。
それでも健康を崩していないのは、ダスカーが鍛えられた身体をしているというのもあるし、何よりポーションの類を適切に……時には用量をオーバーするくらいに使っているからだ。
そんな一杯一杯な状況で、スタンピードが起きたら……とてもではないが、対処するのは難しいだろう。
そういう意味では、冬という今の季節にスタンピードが起きたのは幸いだった。
「ちなみに、トラペラがこのスタンピードに関わっているとか、そういうことはあると思いますか?」
「どうだろうな。今のところ判明しているトラペラの性質を考えると、強敵との戦いを好むというのはあるが、スタンピードを誘発するということはない筈だ。……ワーカー、一応こっちで捕らえたトラペラはそっちに運び込まれた筈だな? 何か分かったことがあるか?」
ダスカーに視線を向けられたワーカーだったが、首を横に振る。
「まだ調べ始めたばかりですから。ただ、透明な鱗は相当に頑丈なようですね。並の武器では刃が突き刺さりもしません」
だろうな。
ワーカーの説明に、レイは声に出さずにそう納得する。
何しろ黄昏の槍の一撃でも、鱗を貫き、皮を破り、肉を裂き、骨を砕く……まではいくものの、それで終わってしまう。
普通ならあっさりと貫かれ、黄昏の槍がその後ろにいた別の敵すら貫くかのような……そんな威力を持つというのに。
それを思えば、並大抵の武器でトラペラの胴体を傷つけるのは難しい。
もし攻撃したいのなら、スラム街でグルトスが行ったように、胴体ではなく鱗のない頭部を狙う必要があった。
「鱗か。……マリーナから受け取った鱗はかなり頑丈だったな」
ダスカーの呟きに、レイはそう言えばエグジニスに行く前にトラペラの鱗を何枚かマリーナ経由で渡していたと思い出す。
(エグジニスではトラブルらしいトラブルもなかったし、戻ってくる時も……まぁ、野生の猪に追われてるのを助けたくらいで、それ以外は特に何も問題がなかった。なのに、ギルムに戻ってきた途端にトラペラの一件であったり、それに続いてスタンピード……これ、もしかして俺がトラブル誘引体質だとかじゃなくて、辺境のギルムだからトラブルが大量発生してるんじゃないか?)
そう思ったレイだったが、実際にはギルム以外でもトラブル誘引体質は存分に発揮されている。
また、ギルムで起きるトラブルも、レイが関係しているから大きく、あるいは多発するようになっている一面があるのも事実だった。
自分の状況について考えていたレイだったが、やがて扉がノックされる音が響く。
ダスカーが入れと言うと扉が開き、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、アーラが姿を現す。
ビューネは? と疑問に思ったレイだったが、今の時間帯を考えると、まだ寝かせておいた方がいいと判断したのだろう。
「待たせたわね。……それで、ワーカーが来ているということは、何かあったんでしょう?」
「そうだ。これから説明して貰うから、座ってくれ」
マリーナの言葉にダスカーが座るように言うと、マリーナ達もその言葉に素直に従う。
そうして全員が座ったところで、ワーカーが口を開く。
「余計な言葉はいらないでしょうから、単刀直入に言います。レイさんには言いましたが、スタンピードが起きました」
『っ!?』
スタンピードと言われ、マリーナ達は全員が息を呑む。
この世界に生きる者として、スタンピードが一体どれだけ危険なものなのか、十分すぎる程に知っているのだろう。
特にマリーナは、元ギルドマスターだけに他の者達よりも深刻にその状況を受け止める。
そしてマリーナと裏腹に獰猛な笑みを浮かべているのは、戦闘狂のヴィヘラだ。
辺境のギルムにおけるスタンピード。
そうなれば、当然ながら強敵と戦えるという思いからだろう。
「それで、規模は?」
即座に尋ねるマリーナに、ワーカーは落ち着いた様子で口を開く。
「詳細についてはまだ分かりませんが、最低でも数百匹以上」
「思ったよりも少ないわね」
少ない?
そう思ったレイだったが、マリーナの様子を見ると冗談でも何でもなく本気で言ってるのは間違いない。
それはつまり、マリーナの言うように数百匹規模のスタンピードというのは、数がそう多くはないというのが正しいことを意味していた。
それを示すかのように、ワーカーも頷く。
「数はそうですね」
「……数はそうだということは、質が高いと?」
ワーカーの言葉に疑問を抱いたのか、エレーナがそう尋ね、ワーカーは頷く。
「スタンピードをしているのは、オークです。ただし、ただのオークではなく体毛が白いオークが数百匹です」
「それはつまり、冬特有のモンスターということだろうか?」
「はい。以前にも何度か冬に発見報告のあるスノウオークと呼ばれるモンスターです」
その言葉に、エレーナは微かに眉を顰める。
オークというモンスターは、ギルムでは珍しいものではない。
ギルムで食べられている肉でも、オークの肉はかなり一般的だと考えれば、オークが一体どれだけ多く倒されているのか分かりやすいだろう。
だが、そのような普通のオークではなく、冬特有のモンスター。
それはつまり、普通のオークよりも強いということを意味していた。
「スノウオークか。冬のギルムでそれなりに色々なモンスターと戦ったけど、スノウオークというのは初めてだな。具体的な特徴は?」
レイはこれまで戦ってきた冬特有のモンスターとの戦いを思い出しながら、ワーカーに尋ねる。
基本的に冬特有のモンスターというのは、一般的なモンスターよりも強い。
それこそ場合によってはランクが一つ二つ上がってもおかしくはないくらいには。
そんなレイの予想を裏付けるように、ワーカーはスノウオークについての説明を始める。
「基本的には、オークを全体的に強くした感じだと思って貰えれば問題はありません。注意するのは、白い体毛が斬撃に対して強い耐性を持っていることと、スノウオークの上位種の中にはブレスを使う個体がいるということですね」
「ブレス……? オークがか?」
全体的に能力が高いというのは、レイにとっても予想通りだった。
しかし、ブレスというのは予想外で驚く。
これがドラゴンの類であれば、あるいはドラゴン程ではなくても高ランクモンスターなら、まだ理解は出来ただろう。
だが……スノウオークはそのような高ランクモンスターではない。
「あれ? 一応聞くけど、スノウオークって高ランクモンスターじゃないよな?」
「ええ。普通のオークはランクD。群れている場合はランクが上がってランクCとなりますが、スノウオークは単体でランクC。群れているとランクBという扱いになります」
「丁度一つランクが上がっている形か。……それだけで十分厄介なのは間違いないが、それでもブレスを使えるくらい高ランクモンスターかと言われるとちょっと疑問だな」
「別にブレスは高ランクモンスターだけが使う訳ではないですよ」
ワーカーのその言葉に、そういうものか? と疑問に思う。
とはいえ、ギルドマスターのワーカーがそう言うのであれば、その言葉にそこまで嘘はないのだろうと予想は出来たが。
「ともあれ、ランクC……いや、数百匹という数を考えるとランクBのモンスターがスタンピードを起こしたのか。ギルムの近くと考えてもいいのか?」
「はい。何しろ今は冬ですから。夜に外で活動する冒険者の数は決して多くはありません。その為、見つけた時はかなりギルムの近くでした」
「……だろうな」
元々、モンスターは夜になると活発になる個体も多い。
それでもこれが春から秋に掛けてなら、そのようなモンスターを狙う為、意図的に夜にギルムの外に出る者もそれなりにいる。
当然ながら、そのようなことをすればモンスターを倒したからといって、ギルムの中に入るといったことは出来ず、翌日に門が開くまで門の側で野営をすることになるが。
あるいは、領主やギルドマスターから出る特別な許可証の類でもあれば、話は別だろう。
そのように春から夏に掛けても夜にギルムの外で活動するのは大変だというのに、冬ともなれば……雪や強風、そして寒さによって夜にギルムの外に出る危険さは増す。
もっとも、それでもギルムにいる冒険者の中には酔狂な者もおり、今回のスノウオークのスタンピードが判明したのもそのお陰だった。
「具体的にはどのくらいの距離なの?」
「確認した限りでは、ギルムから一時間かそこら程度という話です」
マリーナの問いに、ワーカーがそう答える。
その言葉に、話を聞いていた者達の表情が厳しく引き締められる。
スタンピードが起こったのはともかく、そこまで間近だとは思わなかったのだろう。
(なるほど、俺を起こす訳だ)
ワーカーの言葉でレイは納得する。
ダスカーはレイの実力を知っている。
火災旋風を始めとする、炎の魔法による広範囲殲滅魔法を得意とし、更には地形操作のスキルも持つ。
乱戦になれば仲間にも被害があるので使えないが、今のようにスタンピードで一塊になってこちらに向かってくる……つまり、敵味方がはっきりと分かれている現状においては、まさにレイの独壇場でもあった。
「つまり、俺の出番な訳ですね」
「そうだ。頼めるか? 勿論、報酬は用意する」
「そうですね。……じゃあ、貴族街だけではなく、ギルム全体でクリスタルドラゴンの取引をする為に俺に接触するのを禁止するというのは出来ますか?」
それは、レイが穢れの一件を解決した後で頼んでおけばよかった、後悔した要望だ。
あの時はこの件について頼めなかったが、今回のスタンピードはある意味で丁度いいのも事実。
「むぅ……それは構わんが、そのように指示をすることは出来るが、間違いなくそれを無視する者もいるぞ?」
「それは構いません。そういう連中はつまり、ダスカー様の指示に逆らっているということなので、こっちも相応の対処を出来ますから」
そう言うと、ダスカーは数分考えた後でレイの提案を受け入れるのだった。