3528話
「いたわ」
スラム街を歩き回ること、一時間ちょっと。
途中で何度か襲撃があったが、そちらは護衛のグルトスが全て片付けた。
とはいえ、グルトスはそれなりの強さを持っているが、それは結局のところそれなりでしかない。
スラム街の中にいる強者が襲撃してきた者の中に入っていれば、苦戦……あるいは負けるということになってもおかしくはなかった。
そのようなことにならなかったのは、強者がレイやマリーナを見て自分の手には負えないと判断したからだろう。
グルトスより強く、それでいてレイより弱い相手。
……あるいはグルトスよりも弱いが、レイの強さを知っていたり、レイのことを知っている者であったり。
そのような者達は、レイ達を襲撃することなく……精々が、レイ達を襲撃してグルトスに返り討ちにあった者から金や武器、場合によっては命の類も奪ったりはするが、レイ達に危害を加えるようなことはしなかった。
その為、そこまで苦労せずにスラム街を歩きながらマリーナは精霊魔法でトラペラを見つけようとしていたのだが、それが今報われた形だった。
「何匹だ?」
「一匹よ」
「……そうか。そうなると、やっぱりトラペラは基本的に一匹で行動すると考えた方がいいのかもしれないな」
これまで何匹かのトラペラを倒してきたレイだったが、複数のトラペラを同時に相手にしたことはない。
戦う時は、決まって一匹ずつのトラペラだった。
(強者しか襲わないという性質を考えると、武人的な性格……性質? とにかくそんな感じなのかもしれないな。その為、強者を相手にするにも仲間と一緒ではなく、自分だけで攻撃する……といった感じか?)
あくまでもこれはレイの予想だったが、何となく……本当に何となくだが、レイから見た場合、その予想は決して間違っているようには思えなかった。
「なら、さっさと……」
「ちょっと待ってくれ、レイ」
さっさと片付けるか。
そう言おうとしたレイだったが、それに待ったを掛けたのはグルトス。
「どうした?」
このタイミングで声を掛けてきた以上、何となくグルトスが何を言いたいのかは理解しているレイだったが、それでも取りあえずどうしたのかと話の先を促す。
「そのトラペラだったか。今度は俺に倒させてくれないか? レイが倒したのを一度見たが、精霊魔法でろくに動けなかったし、俺でも倒せるかもしれないと思ったから、試してみたい」
「本気で言ってるのか?」
グルトスの口から出たのは、予想通りの言葉だった。
レイは予想通りの展開に納得しつつも、そう尋ねる。
「本気だ。実際に戦ってみないと何とも言えないが、それでも一度戦ってみたい。……相手はろくに身動きが出来ない状態なのだから、俺でも倒せるだろうし」
「……分かった」
グルトスが本気で言ってると理解したレイは、その要望を受け入れる。
マリーナがいいの? と声に出さず視線で尋ねるが、グルトスには護衛として十分に役立って貰っている。
そのくらいの挑戦はさせてもいいだろうと判断したのだ。
「武器はどうする? 一応短剣があるようだが……それは予備の武器だろう?」
スラム街に入ってここまで、襲ってくる者達を相手にグルトスは素手で戦っていた。
もっとも、素手での戦いとはいえヴィヘラのような洗練された戦い方ではなく、熊の獣人としての力を使った戦い方だったが。
ただ、それでも力だけでどうにかした訳ではない。
ギルムの冒険者として、そして何より熊の獣人として素手でも相応の戦い方は身についていた。
しかし、グルトスの本来の武器は棍棒だ。
もっとも棍棒と一口に言っても、ゴブリンが使うような、木の枝を折ってそのまま棍棒として使う……といったものではなく、きちんと専門の職人に作って貰った棍棒で、それこそ下手な金属の長剣よりも威力も頑丈さも上だ。
そんな棍棒を熊の獣人としての身体能力を十分に使って振るうのだから、そのような武器を持ってスラム街で戦えば、死人が出る。
ここはスラム街なので、死人が出ることはそこまで問題ではない。
場合によっては、面子を潰されたといったように組織で襲い掛かってくるかもしれないが。
ただ、それでも圧倒的な力を持つ――スラム街の住人と比較して――グルトスが、武器を持って戦闘をすれば弱い物苛め……どころか、一方的な虐殺にしかならない。
あるいは武器を持っていれば、その迫力によって攻撃をしてこないという可能性も否定は出来なかったが。
ともあれ、グルトスは今回武器を持ってきてはいない。
そのような状況でトラペラを倒すのは、無理……とは言わないが、かなり難しいだろうというのがレイの予想だった。
トラペラの持つ鱗は非常に頑丈で、レイが黄昏の槍で攻撃しても刺さるが、身体を貫くことは出来ないのだから。
熊の獣人のグルトスは、かなりの腕力を持つ。
だが、トラペラにダメージを与えられるかと言えば、微妙なところだろう。
「その短剣が結構な業物であっても、トラペラの鱗を貫くことは出来ないと思う。可能性があるとすれば、鱗のない部位……それこそ眼球とかそういう部位から攻撃することだが、それも結構な難易度だろうし」
透明である以上、どこに頭部があるのかを把握するのが、まず難しい。
また、頭部のある場所が分かっても、眼球となるとどうしても狙う場所は小さくなってしまう。
「すまないが、何か武器を貸して欲しい。その代わり、護衛の報酬はいらないから」
「……そこまですることか? グルトスが納得してるのなら、それはいいけど」
今回グルトスを護衛として雇うのに、ギルドを通してはいない。
何しろスラム街に来るのが急なことだったというのもあって、護衛を雇うのに時間を掛けていられなかったのだ。
マリーナがギルドマスターの時に世話をしたことがあるグルトスと偶然遭遇し、特に酔っ払っている様子もなかったので、その迫力のある外見からもスラム街にいくので護衛としてちょうどいいと声を掛け……そのまま来たのだ。
本来ならギルドを通さない直接の依頼というのは、ギルドにとっても冒険者にとっても好ましいものではない。
場合によっては、依頼を達成した冒険者を報酬が勿体ないと依頼主が殺したりしてもおかしくはない。
ただ、今回は依頼をしたのが元ギルドマスターのマリーナと、深紅の異名を持つレイだ。
そんな心配はいらないだろうと……そしてギルドを通さない突然の依頼ということで、相場よりもかなり高い報酬でグルトスは護衛として雇われたのだ。
その相場よりも高い報酬はいらないから、武器を貸して欲しい。
そう言うグルトスに、レイはどうするか考え……やがて頷く。
レイにしてみれば、報酬そのものは支払ってもそこまで問題はない。
何しろ現在ミスティリングには、人が一生遊んで生きていける……どころか、数回生まれ変わっても遊んで生きていけるだけの金額が入っているのだから。
寧ろレイとしてはミスティリングに入っている武器の方が金貨や銀貨よりも大事だったりするのだが……
「武器、武器か。グルトスが使うような棍棒系の武器はあまりないんだよな。……こういうのはあるけど」
そう言い、レイがミスティリングから取り出したのは、どこで収納したのかも忘れたかのような岩。
一抱え程もあるその岩は、ぶつければ破壊力という点では間違いなく高いだろう。
……問題なのは、そのような岩を透明のモンスターに、それも鱗で守られた身体ではなく、頭部に命中させることが出来るかということだが。
「いや、さすがにそれは……」
グルトスも、岩を見て首を横に振る。
岩の塊程ではないにしろ、建物の破片ということであればその辺を探せばすぐに見つかる。
もしくは、その辺に建っている建物を破壊すれば同じような武器は手に入るだろう。
「だよな」
レイも別に、本気でグルトスがこの岩を使うとは思っていなかった。
もしグルトスがこの岩でもいいと言うのなら、それはそれで素直に貸しただろうが。
「となると……これとかはどうだ?」
レイが取り出したのは、槍。
当然ながらその槍は黄昏の槍ではなく、レイが好んで集めていた、投擲用の半ば壊れている槍でもない。
盗賊狩りをした時、そのアジトで入手した槍の一本だ。
決して上物という訳ではないが、それでも武器として使おうと思えばそれなりに使え、一応その辺の武器屋で売っていてもおかしくはない程度の槍。
「槍か。……この手の武器はあまり好みじゃないんだが。一応聞いておくが、棍棒とかそういうのはないか?」
「斧ならあるな」
「そっちにしてくれ」
獣人としての力を活かすのなら、槍よりも斧の方がいい。
そう言われると、レイも絶対にグルトスに槍を使って欲しい訳ではない以上、素直に斧を取り出す。
この斧もまた、盗賊が好んで使う武器だ。
実際に戦闘で使うとなるとそれなりに技量が必要ではあるが、それでも槍と比べるとまだ斧の方が技量は必要ない。
力任せに振るうことが、相手に大きなダメージを与える一撃となるのだから。
グルトスがレイから斧を受け取ると、それを見ていたマリーナが口を開く。
「準備はいいのよね? グルトスの方で問題がないなら、もうそろそろ地上に落とすわよ。トラペラは空中で待ってるんだから」
「待ってるって表現はどうなんだろうな。……まぁ、とにかくグルトスの準備が整ったのなら、そろそろいいんじゃないか?」
斧を手にしたグルトスに視線を向けると、グルトスは頷く。
斧を握る手にはしっかりと力が入っている。
それでも緊張しすぎて無意味に力が入っているのではなく、しっかりと攻撃出来るようになっていた。
「じゃあ、行くわよ」
マリーナのその言葉と共に、上空から風の精霊に拘束されていたトラペラが地上に落ちてくる。
どん、と。
地面に叩き付けられる音が周囲に響くが、それを見ていたレイは今程度の衝撃ではトラペラにダメージを与えることは出来ないだろうと予想する。
(いや、叩き付けられた衝撃で、鱗とか関係なく体内にダメージが入ったりしたか?)
直接のダメージは無理でも、衝撃によるダメージはありそうだ。
そのようにレイが思っていると、グルトスは斧を手に前に出る。
「マリーナさん、いいか?」
「ええ、問題ないわ。やってちょうだい。もっとも、レイが戦ったのを見ていたら分かったと思うけど、トラペラにはそれなりの距離で攻撃可能な何らかの方法があるから注意してね」
マリーナの忠告に頷き、グルトスは斧を手にトラペラのいるだろう場所に向かって進む。
幸いなことに、トラペラが叩き付けられた場所は地面がへこんでいたり、ひび割れがあったりするので、どこにいるのかを見つけるのは難しい話ではない。
そのまま、一歩、二歩と慎重に進むグルトス。
しかし、その距離がある程度まで近付いたところで……
「うおっ!」
冒険者としての勘か、もしくは獣人としての野生の勘か、あるいは風切り音でも聞こえたのか。
ともあれ、グルトスは半ば反射的に斧を身体の前で横にする。
がん、と。
そんな音が周囲に響き、グルトスは数歩後退る。
「何とか防いだか」
「偶然や幸運のお陰だけどね」
グルトスの奮闘を見ていたレイとマリーナは、そう言葉を交わす。
透明で強力なモンスターを相手にしている以上、グルトスも慎重になるのは仕方がない。
とはいえ、慎重になったからといって、ずっとそのままではいけないというのも事実。
このままではグルトスが一方的に攻撃をされ続けることになる。
そうならないようにする為には、やはり多少ダメージを受けるのは覚悟の上で、一気にトラペラとの間合いを詰めて斧を振るう必要があった。
(とはいえ、あの斧は多分戦闘用の斧じゃないんだよな。盗賊にしてみれば、普通の斧で十分だと思って使ってたんだろうけど)
同じ斧という道具、あるいは武器であっても、樵が使うような斧と戦士が使うような斧では違うところが色々とある。
柄の長さや太さ、刃となっている部分の留め具の具合、そして斧の刃の部分の調整……もっと大きなところでは、それこそ金属の部分が鉄であったり、何らかの合金の類であったりと。
だが、盗賊にはその辺の詳しい知識はないし、あるいは知っていても使えるだけ使って、駄目になったら捨てればいいと思う者もいる。
そのような者達が使っていた斧である以上、グルトスもそのような斧でトラペラの攻撃を盾代わりにして防ぎ続けるというのは難しい。
グルトスもそれが分かっているのか、トラペラの一撃で数歩後退った次の瞬間……
「うおおおおっ!」
雄叫びと共に、斧を振りかぶりながら一気に前に出るのだった。