3522話
名前、名前、名前……
ダスカーに透明のモンスターについて名前を付けろと言われたレイだったが、すぐに思いつくようなものはない。
檻の中の、透明のモンスターがいるだろう場所を見ながら考えるレイだったが、それでもすぐに名前が思い浮かぶようなことはない。
(透明、インビジブル何とかとか、そんなのか? けど、それだと名前が長くなりすぎるだろ。それこそ透明のモンスターという名前の方が短いだろうし。……うーん、どうするべきだ?)
悩むレイだったが、檻の周囲にいる騎士達はそんなレイに気が付かず、慎重に檻の様子を見ている。
檻に近付きすぎると、金属鎧でさえ斬り裂くような、何らかの攻撃をしてくる。
そうならないように、ギリギリの場所を見つけようとしているのだろう。
「レイ、取りあえずこれで大丈夫だとは思うか?」
騎士達の様子を見ながら、ダスカーがレイに尋ねる。
ダスカーにしてみれば、ようやく檻の中に透明のモンスターを入れられたのだから、これで大丈夫なのかどうかレイに尋ねるのは、それだけ冒険者としてのレイに期待をしているのだろう。
……レイにしてみれば、透明のモンスターの名前を考えているところでそのようなことを聞くのは、出来れば遠慮して欲しかったのだが。
「相手が攻撃をしてくるのを前提に行動してますから、大丈夫だと思います。……トランスペアレントだとちょっと長くなるので、トラペラでどうでしょう?」
「トラペラ……それがあのモンスターの名前か? トランスペアレントというのは何だ? 聞いた事がない言葉だが」
「以前師匠から聞いた言葉なんです。どこの言葉かは分かりませんが、透明という意味だったかと。そのままですが……」
困った時の師匠頼り。
実際には存在しない師匠だが、表向きはレイを子供の頃から育てて今のような腕利き……それもただの腕利きではなく、常識外れの腕利きと呼ぶに相応しい存在にしたとされる人物だ。
レイについての詳細を知っているエレーナ達は、そんな師匠が存在しないというのは理解しているので、レイの様子に周囲には知られないように呆れの視線を向けていたが。
「ふむ、なるほど。レイの師匠か」
ダスカーにしてみれば、レイの師匠というのは非常に興味深い存在だ。
レイをここまでの強さに育てたのなら、それこそ可能ならギルムにおいて兵士や騎士の指導役として欲しいと思うくらいには。
もっとも、レイの強さという点では素直に尊敬出来るが、性格……礼儀となれば、それは少しどうかと思っているので、痛し痒しといったところだが。
もしレイの師匠を雇うことが出来て、レイ程ではないにしろ兵士や騎士達が強くなったとして……その性格までもレイと同じようになったら、ダスカーとしては非常に困ったことになる。
「ともあれ、トラペラでいいのね? 今度から透明のモンスターはトラペラと呼ぶわよ?」
「それで構わん」
確認の意味を込めて尋ねてくるマリーナに、ダスカーは頷く。
マリーナにしろ、ダスカーにしろ、モンスターの名前というのはそこまで大きな意味を持たない。
単純に呼び名だと考えているので、それこそ透明一号といった名前であっても本質的には気にしないだろう。
「では、トラペラで。……それでダスカー殿。檻の中にトラペラを入れることが出来た以上、マリーナは精霊魔法でギルムにいる他のトラペラを見つけて、レイが倒すということになるのだろうか? 生憎と私は同行することが出来ないが」
「エレーナ殿の立場を思えば、それは仕方がないだろう。だが、出来ればマリーナの家に戻らず、今はここにいて欲しい。何かあった時、すぐに無事を確認出来るというのは大きいのでな」
「あら、それは私の家だとトラペラに攻撃されるから危険だということ?」
「……別にそのようなことは思っていない。だが、万が一を考えれば、より安全な選択をするのは当然だろう」
マリーナのからかうような言葉に、ダスカーはすぐにそう答える。
もしここで下手に何かを言おうものなら、また自分の黒歴史が披露されると思ったのだろう。
それは絶対に避けたい。
そう思っての素早い発言だった。
そして素早い発言だけではなく、理屈としても間違っていないという点も大きい。
マリーナも、そんなダスカーの言葉に追及を諦め、レイを見る。
「じゃあ、レイ。行きましょうか。私とレイがいれば、トラペラを見つけて倒すのは難しくないでしょう? ただ……素材はこちらで貰うわよ?」
「それは構わん。今は少しでも早くトラペラを街中から駆除する必要がある。……とはいえ、今回トラペラを駆除しても、それでどうなるかだな」
深刻そうに呟くダスカー。
頭が痛い……いや、頭痛が痛いといった様子のダスカーにしてみれば、気配の類も感じるのが難しいといったところだろう。
「結界を張るのは難しいのよね?」
「そうだな。結界の為の道具は、予備の物を含めてもそこまで余裕はない。ましてや、今ここで結界を張っても、春には増築工事が始まる以上、解除する必要がある。それに……」
マリーナの言葉に答えていたダスカーだったが、途中で言葉を止めてレイに視線を向ける。
え? 俺?
ダスカーに視線を向けられたレイは何故そこでダスカーが自分を見たのか分からなかった。
だが、結界ということですぐにセトを思い浮かべる。
現在、レイはセトに乗って空から自由にギルムに降りることが出来ている。
降りる先はマリーナの家と領主の館の二つだけだが、それでも直接その二つに降りられるというのは、レイにとって非常に大きな意味を持つ。
何しろセトが一緒にいれば、例え隠蔽の効果を持つドラゴンローブを着ていても、それがレイだとすぐに分かってしまうのだから。
セトと一緒にいる、ローブを着た男というだけで、それをレイだと認識するのは難しい話ではない。
そしてレイと認識すれば、クリスタルドラゴンの件で……あるいはそれ以外にも、今はギガントタートルの件で接触してくる相手はかなりいて、レイが毎回その相手をしなければならなくなる。
今はセトに乗って直接マリーナの家や領主の館に降りているので、そのような者達の相手をするのは殆どない。
だが、結界は張られてしまえばそのような相手とのやり取りをしなければならなくなる。
それはレイにとって非常に煩わしいことだった
「すいません……」
「気にするな。レイのお陰で色々と助かっているのは事実だ。それにマリーナに言ったように、結界を張るというのはそう簡単に出来るものではないからな。レイの件が……いや、セトの件があってもなくても、結果としては変わらんだろう」
そう言われると、レイもありがたく思う。
とはいえ、レイがありがたがったからといって、それでどうにかなる話ではない。
「でも結界がないと、結局このトラペラがギルムに侵入する可能性は残ったままでしょう? そっちはどうするの?」
「……マリーナの精霊魔法でどうにかならないか?」
「無理を言わないでちょうだい。ギルムが一体どれだけの広さを持ってると思ってるの? 私一人でどうにか出来る訳が……ああ、でもそうね。私一人じゃなくて他の精霊魔法の使い手がいれば、もしかしたらどうにかなるかもしれないわ」
ふと、思いついたように言うマリーナ。
自分だけで無理なら、他の精霊魔法使いを用意するという発想そのものは、そこまで珍しいものではない。
だが……ダスカーは難しい表情を浮かべる。
「マリーナ程ではないにしろ、精霊魔法を使える者。それもギルム全体にトラペラが入ってきた時に対処出来る、最悪でも侵入を知ることが出来る程となると……何人くらい必要だ?」
元々魔法使いというのは少数だ。
そもそも魔法を使えるのなら冒険者にならずとも、もっと待遇の良い勤め先は幾らでもある。
そんな中で一攫千金が狙えるものの、命の危険のある冒険者として活動する魔法使いというのは、限定的だろう。
とはいえ、それでもギルムは辺境ということもあって多くの冒険者が集まっているので、他よりも魔法使いの割合は高いのだが。
しかし、魔法使いと一口に言っても多種多様な者達がいる。
そんな中で精霊魔法使いとなると……マリーナ以外にいないという訳ではないだろうが、それでもどうしても数は少なくなってしまうだろう。
実際、レイも以前ランクアップ試験の時に一緒になったエルフが精霊魔法を使えると聞いたことがある。
もしくは、ギルムではなくベスティア帝国で行われた武闘大会で精霊魔法を使うエルフと遭遇した。……後者はその後の内乱にも参加したらしいが、今どうしているのかは分からない。
「精霊魔法を使える者がどれだけいるのか分からないが、ギルム全体に対処出来るだけの数がいるのか?」
「そうね。ギルドに行って詳細を調べないと分からないけど、多分大丈夫だと思うわよ。対処するのは上空限定だし」
「分かった。……なら、頼む」
「ええ。ただ言っておくけど、ギルムの上空全体となるとトラペラを含めて侵入を阻止するといったことは出来ないわよ? あくまでも侵入したのを察知するくらいになるけど」
「それでも十分だ」
ダスカーとしては、やはり侵入を阻止して貰った方が助かる。
助かるが、それが無理なら侵入したのを教えて貰えるだけで十分に助かるのも事実だった。
「そう。じゃあ、まずはレイと一緒にギルムに侵入したトラペラに対処してくるわね。……ギルドの方にはダスカーから人をやって話を通しておいてくれる? トラペラの件が一段落したら、ギルドに顔を出すから」
「分かった。そちらはこちらに任せて欲しい。……それにしても、マリーナなら一人でどうとでも出来ると思っていたんだがな」
「無理を言わないでちょうだい。私が精霊魔法を得意にしているのは間違いないけど、だからといって何でも出来る訳じゃないんだから」
その言葉には、ダスカー以外の者達……それこそ檻に入ったトラペラの攻撃範囲を調べていた騎士達までもが驚きの視線を向け……
「うおっ!」
そのタイミングでトラペラの攻撃が行われ、騎士の一人の口から驚きの声が上がる。
幸いなことに、本当に攻撃範囲の限界に近い場所であった為、最初に攻撃された者のように鎧を傷つけられるといったことはなかったが。
それでもダメージを受けた騎士は受けた衝撃で吹き飛ばされる。
「えっと……大丈夫?」
吹き飛んだ騎士に、マリーナがそう声を掛ける。
自分が会話をしている中でのいきなりの行動だったこともあり、少し気になったのだろう。
吹き飛ばされた騎士は、マリーナの言葉に慌てて立ち上がる。
「は、はい。問題ないです。鎧も無事ですし」
「そう。トラペラの相手をするのも大変だろうけど、怪我をしないように気を付けてね」
そう言うマリーナに、騎士は何度も頷くのだった。
近い距離からマリーナの顔を見た騎士は、その美貌に……そしてマリーナが何気なく漏らしている女の艶により、顔を赤く染めている。
騎士も妻がいる身だ。
女慣れしていない訳ではないのだが、それでもマリーナの美貌には思うところがあったのだろう。
もっとも、そんな夫の姿を妻が見たらどう思うのかは、また別の話だったが。
「さて、じゃあ行きましょうか。ダスカー、トラペラが近付かないようにするのは、後で考えましょう。今はまず、ギルムに入り込んだトラペラを倒すのを優先するべきでしょう?」
「そうだな。分かった。精霊魔法使いの件についてはこちらからギルドに連絡をして情報を集めておく。まずマリーナはレイと共にトラペラの対処を頼む。それに捕らえたトラペラの生態を確認するのも、ギルドにやって貰った方がいいだろうしな」
ギルドはモンスターについて深い知識を持っている。
今回の件でも、捕らえたトラペラがどのような生態をしているのかを調べる上で、最も適しているのは間違いない。
レイとマリーナもダスカーの意見に不満はなかったので、素直に頷く。
「エレーナ、可能性は低いと思うけど、もしまた領主の館にトラペラが襲ってきた場合、狙うのは恐らくエレーナよ」
マリーナが一応という様子でエレーナに注意をしておく。
レイとマリーナがいなくなれば、この領主の館で一番強いのは、間違いなくエレーナだ。
ダスカーも相応の強さを持ってはいるが、それでも姫将軍の異名を持つエレーナには及ばない。
他にも何人も相応の強者が領主の館にはいるが、そのような者達であってもエレーナに勝てるかと言われれば、微妙なところだろう。
「大丈夫だ。もし新たなトラペラが襲ってきても、私が倒す。マリーナとレイは、街中のトラペラを頼む」
エレーナの言葉にレイとマリーナはそれぞれ頷くのだった。