3521話
ギャロップの店から出たレイとゾンダーは、すぐに領主の館に向かう。
途中で寄り道をするといったことはない。
現在領主の館では、マリーナが透明のモンスターを精霊魔法で捕らえている。
少しでも早く精霊魔法を解除出来るようにする為には、少しでも早く領主の館に到着する必要があった。
「いっそ、走った方がいいんじゃないか?」
レイは早歩きをしながら、隣のゾンダーに尋ねる。
だが、ゾンダーは首を横に振る。
「いえ、雪の影響で地面が滑りやすくなっていますし、何より領主の館で働いている私が走ってるのを見られると、何かがあったかもしれないと思われますから。……勿論、本当にどうしようもないのなら、周囲の様子など気にした様子もなく走ったりしてもおかしくはないのですが」
「今はまだそこまでの状況じゃないと?」
レイにしてみれば、それこそ少しでも早く精霊魔法で捕らえている透明のモンスターを檻の中に入れた方がいいだろうと思う。
しかし、ゾンダーはそんなレイの考えを理解した上で、頷く。
「はい。……これでギルムに侵入している透明のモンスターが、襲う相手を選ぶことなく、それこそ冒険者でも何でもない一般人を襲っていたりしたのなら、話は別だったでしょう」
「だろうな」
もしゾンダーの言うようなことになっていれば、それは非常に大きな騒動になっていただろう。
レイもその件については少し考えたことがある。
透明のモンスターに感謝をする……とまではいかないが、それでも分別のある行動に思うところがない訳ではなかった。
「その為、今はそこまで急ぐことはないというのが私の判断です。……いえ、急ぐ必要はありますから、こうして出来るだけ早く歩いているのですが」
競歩って奴か。
ふとレイは日本にいた時……高校で行われた行事を思い出す。
レイの地元には幾つか高校があり、いわゆる進学校と呼ばれている高校では日付が変わる頃にスタートし、昼くらいまで歩くという行事があった。
それこそ年に一度その行事が行われれば、地元の新聞に載ったりするくらいには有名な行事。
レイの通っていた高校は、そこまで長い時間を歩く訳ではないが、二十km程歩くという行事があった。
幸いなことに、レイは家が山の側にあり、小さい頃から山の中で遊んでいたので、そこまで苦痛ではなかったが……レイの友人の中には、それこそ行事の次の日は一日中寝ていたという者もいた。
もっとも、今こうして早歩きで歩いているからといって、レイがそのような筋肉痛になる筈もなかったが。
(あ、でもゾンダーは普段は文官として働いているんだし、身体を動かす機会とかもないだろうから……いや、それでもこの程度で筋肉痛になったりはしないよな)
ゾンダーを見ながら考えるレイだったが、そうして考えている間にも歩き続けており、やがて領主の館に到着する。
当然のように門の前には門番がいたが、領主の館で働いているゾンダーと、顔見知りのレイだ。
特に問題なく通す。
(寒そうだな)
門番が着ているのは、金属鎧だ。
これが春から秋ならともかく、冬の今は金属鎧だけに気温によって非常に冷たくなる。
金属鎧の下には肌着の類を着ているのだろうが、それで完全に鎧の冷たさをどうにか出来るものではない。
(何らかの暖房のマジックアイテム……もしくはカイロとか、そういうのがあれば便利そうだけど)
そう思うレイだったが、カイロの作り方は分からない。
そうなると、それこそマジックアイテムとして同じような物を作るしかないが、値段がどのくらいになるのかはレイにも分からなかった。
これで銅貨数枚……もしくは繰り返し使えるのなら、銀貨数枚でも購入する者はいるかもしれないが、金貨数枚といった値段になると、購入出来る者は一気に減るだろう。
(俺が考えることじゃないか。それに冬に暖かくなるマジックアイテムなんて、普通に作られていてもおかしくない。それを使ってないということは、意図的にそうしてるんだろうし)
そんな風に考えている間にもレイとゾンダーは領主の館の中を進む。
そうしてとある部屋の前に到着した。
この部屋はレイもギャロップの店に行く前にいた場所だ。
ゾンダーがノックをすると、すぐに中から入るように言われる。
レイとゾンダーが中に入ると、そこには先程と同じ面子が揃っていた。
「ゾンダー、レイ、よく戻った。それでどうだった? 檻はあったか?」
「はい、ダスカー様。ギャロップさんが貴族から注文されていたらしく、ちょうど一つありました。レイさんのアイテムボックスに収納して貰っています」
「そうか。……マリーナ」
ゾンダーの説明にダスカーは笑みを浮かべ、マリーナに視線を向ける。
その視線を向けられたマリーナはすぐに頷く。
「そうね。じゃあ、訓練場に行きましょうか。レイ、お願い出来る?」
「ああ。問題ない。すぐに行こう」
レイにしてみれば、ここで勿体ぶったり……ましてや、断ったりといったことをするつもりはない。
そのようなことをしている間にも、ギルムでは透明のモンスターに強者が襲撃される心配があるのだから。
ダスカーを筆頭に、他の面々も訓練場に向かう。
そこには騎士達がいて、マリーナが風の精霊で捕らえた透明のモンスターの周囲を固めていた。
もっとも、透明なだけに風が集まっている光景にしか見えないのだが。
また、こうして周囲を囲んではいるものの、透明のモンスターは空を飛べる。
もし風の束縛から逃げ出したら、それこそ空を飛んでこの場からいなくなるだろう。
とはいえ、それでも何もしないよりはマシということで、こうして風の周囲に騎士達が集まっていたのだが。
「ダスカー様」
そんな騎士達の中の一人がダスカーの存在に気が付き、素早く一礼する。
他の騎士達もダスカーの存在に気が付き、慌てて姿勢を正そうとするが……
「そのままでいい。今は礼儀云々よりも、そのモンスターをどうにかする方が先だからな。ただ……これからレイが檻を出すから、すこしどいてくれ」
ダスカーの言葉に、騎士達はすぐに移動する。
そこに不満を持つような者はいない。
ダスカーに仕える騎士として、レイという存在について詳しく知っている為だ。
そうして開かれた場所に移動したレイは、特に勿体ぶるようなこともなくミスティリングから檻を取り出す。
『おお』
それを見ていた騎士達から、そんな驚きの声が上がる。
ただ、その驚きはそこまで強いものではない。
レイがミスティリングを持っているのは、もう騎士達は全員が知っている。
それでも驚きの声を出したのは、ミスティリングという存在ではなく、そこから出て来た檻を見てのものだろう。
驚くのに十分な大きさを持った檻。
その檻を見ての驚きだった。
「マリーナ、この中に頼む」
「分かったわ」
周囲の驚きを気にした様子もなく、レイはマリーナに言う。
具体的にどうこうといったことを口にはしていないが、それでもマリーナはすぐ行動に移る。
それを見たレイは、檻の扉を開ける。
ギィ、と。
そんな音を立てて開けられる扉。
辺境にいるモンスターを捕らえる為に作られた檻だけに、扉もかなり頑丈に出来ている。
それこそ、少し中で暴れたくらいで扉が壊れたりはしないだろう。
「既に知ってる奴もいると思うけど、透明のモンスターは何らかの遠距離攻撃の手段がある。檻の隙間から、攻撃してくるかもしれないから、くれぐれも注意してくれ」
今は風の戒めによって動くことは出来ないが、檻の中に入れれば当然ながら風の戒めは解除される。
そうなると、檻の中で透明のモンスターは自由に動けることになる。
だからこそ、万が一のことにならないようにレイは騎士達に注意をしたのだ。
騎士達もレイの忠告に素直に頷き、檻から十分に離れる。
(そう言えば、いつまでも透明のモンスターって呼ぶのはどうなんだろうな。呼ぶのが面倒だし、何か適当に名前を付けた方が……っと、今はとにかくこっちに集中だな)
レイは風が檻の扉に近付いてきたのを確認しつつ、次の行動の準備を始める。
透明のモンスターを戒めている風が全て檻の中に入ったら、即座に扉を閉めて閂を下ろし、鍵を掛けるつもりだ。
そうすれば、恐らくだが透明のモンスターが檻から出ることは出来ない……筈だった。
実は生身でも力が強く、檻を破壊して外に出るという行動に出る可能性もある。
その時は、レイにとっても残念だが透明のモンスターは捕らえるのではなく、殺すしかないだろう。
出来ればそうなって欲しくないと思いながら、レイはしっかりと風の動きを見る。
そこまで集中しても、動いていない為、あるいはレイに攻撃をしてこない為だろう。
透明のモンスターがいると、はっきりとは分からない。
風の中心部分に何らかの違和感はある。
あるのだが、それでもそこに透明のモンスターがいるという確信がないのだ。
ただ、それでもレイが動揺しなかったのは、この風はマリーナの精霊魔法によるものだと理解している為だろう。
そうである以上、自分の目よりもマリーナの精霊魔法の技量を信じ……そして風が全て檻の中に入った瞬間、扉を閉め、閂を下ろし、鍵を掛ける。
実際には檻の中に入っても風の束縛は続いているので、ここまで急いで扉を閉める必要はなかったのだが。
それでも万が一を考えたレイは、素早く行動したのだ。
「よし、マリーナ。……いいぞ」
檻から離れつつ、レイがマリーナに声を掛ける。
マリーナはレイの言葉に頷くと、次にダスカーに視線を向ける。
この場の責任者はダスカーである以上、風の束縛を解除するのもダスカーの許可が必要だと判断したのだろう。
なお、エレーナはミラージュを手に檻から十分に離れており、アーラはそんなエレーナに何かあった時はすぐに庇えるようにしている。
「構わん、やってくれ」
「じゃあ、行くわよ。……大丈夫だとは思うけど、一応注意しておいてちょうだい」
後半の言葉は、レイやダスカーではなく騎士達に向けたものだろう。
実際、マリーナのその言葉を聞いた騎士達は一連の行動で切れていた緊張感を再び発揮していた。
何があっても即座に対処出来るようにと。
そんな騎士達を見たマリーナは、大丈夫だと判断したのだろう。
一言二言呟く。
すると次の瞬間、檻の中に存在していた風が消える。
正確には、普通の風に戻って周囲に散っていたのだが。
「これで……モンスターは檻の中に?」
騎士の一人が呟く。
他の者達も、そんな騎士の言葉に同意するように檻を見ている。
何しろ、檻の中にいるだろう透明のモンスターが、全く動かないのだ。
透明なだけに、騎士達には檻の中に本当に透明のモンスターがいるのかどうか分からない。
分からないが、それでも今までの流れから考えると、やはりそこにいるのは間違いないと思えてしまう。
それだけに、本当に檻の中にいるのかどうかを確認しようと思ったのだろう。
騎士の一人が慎重に檻に近付いていく。
すると次の瞬間……
「うおっ!」
がん、と。
そんな音がすると同時に、騎士が吹き飛ぶ。
一体何があったのか、考えるまでもない。
レイが言っていた、何らかの遠距離攻撃をされたのだろうと。
「大丈夫か!」
吹き飛ばされた騎士の側にいた騎士が、慌てて同僚に近付く。
吹き飛ばされた騎士は、同僚の声に軽く手を挙げて大丈夫だと示す。
そのまま起き上がり、騎士は自分の鎧を見る。
そこには貫通まではしていないものの、傷がついていた。
それも斬り裂くような、そんな傷が。
「これは……」
金属鎧にへこませるといったような傷ではなく、斬り裂くような傷。
あるいはもう少し檻に近付いていれば、金属鎧を斬り裂くだけではなく、貫かれる……金属鎧の下にある身体にまで届いた可能性もある。
檻に近付いた騎士は、自分の行動が軽率だったと理解しながら、それでも実際に檻の中にモンスターがいたのを示すことが出来た意味は大きいと、そう思う。
……半ば自分に言い聞かせていたのだが。
「取りあえず……いつまでも透明のモンスターというのは少し呼びにくいので、何か名前をつけませんか?」
そんな騎士達の様子を見ながら、レイは周囲にいる者達の気分を変えようとダスカーに言う。
ダスカーもそんなレイの考え……いや、気遣いを理解したのか、すぐに話に乗る。
「そうだな。いつまでも透明のモンスターという呼び名では問題もあるか。……だが、このモンスターと最初に遭遇したのはレイだろう? なら、レイが名前を決めるといい」
「え? 俺がですか?」
急にそう言われてもレイとしては困る。
困るが、実際最初に見つけた……いや、見つけて生き残っているという表現の方が正しいのかもしれないが、それがレイなのは事実。
どうしたものかとレイは名前に頭を悩ませるのだった。