3520話
扉を開けた瞬間、ゾンダーの額に急激に汗が浮かぶ。
外が真冬だとは思えない……それこそ真夏という表現でも足りず、サウナの中ではないかと思えるくらいの熱気が開けた扉の向こうから流れてきた為だ。
「う……」
呻き声を上げながらも、ゾンダーは部屋の中に入る。
レイもまた、そんなゾンダーの後を追う。
ただし、レイの場合はドラゴンローブがあるので、ゾンダーとは違って暑そうにはしていなかったが。
「ギャロップさん、一体何でこんなに暑く……いえ、熱くしてるんですか? いつもの鍛冶はもう少し、こう……」
ゾンダーは暑さを我慢しながら、鍛冶用の炉の前で何かを見ている知り合いのドワーフに声を掛ける。
ギャロップと呼ばれたドワーフは、そんなゾンダーを一瞥し、そしてゾンダーの隣にいるレイを見て目を見開く。
(あ、これは見抜いたな)
ギャロップの視線がレイの顔……ではなく、その身体を覆っているドラゴンローブに向けられているのを感じ、レイはギャロップがドラゴンローブの持つ隠蔽の効果を破り、本当の意味でドラゴンローブを見たのだろうと理解する。
隠蔽の効果は確かに強力だが、それでも誰にも見抜けない訳ではない。
高性能なマジックアイテムを見抜く目のある者であれば……あるいはそのような目がなくても、それ以外の何か、具体的には直感の類で見抜いたりする者もいる。
(なるほど、ダスカー様が推薦するだけのことはある)
そのように思っていると、ギャロップがレイを見ているのに気が付いたゾンダーが、不思議そうに口を開く。
ゾンダーにしてみれば、鍛冶場に入った途端にギャロップが自分から視線を逸らし、レイをじっと見ていたのだ。
そのようなギャロップに疑問を抱いてもおかしくはない。
ゾンダーの声で我に返ったギャロップは、慌てて取り繕う。
「あ、ああ。そっちの奴のローブが凄くてな。つい目を奪われちまった」
「……え? レイさんのローブが凄い、ですか?」
戸惑った様子のゾンダー。
ギャロップと違い、ゾンダーはレイのドラゴンローブが持つ隠蔽の効果を見抜くことは出来ない。
つまり、レイが着ているのは普通の……それこそ、魔法使いの初心者が着ているようなローブに見えるのだ。
そんなローブが凄いと言われても、ゾンダーとしては戸惑うしかない。
「分からんのならいい。それで何の用だ? こっちは忙しいから、そこまで長い時間話をしてはいられないぞ」
ギャロップは話しながらも、何度も視線を炉に向けている。
レイにはその炉の中がどうなっているのかは分からない。
いや、赤く染まっているのは理解出来るが、分かるのはそれだけだ。
そうなると、この先一体どうなるのかレイには分からない。
レイだけではなく、ゾンダーにも炉の中のことについては分からないのだろう。
それでもギャロップが忙しいのは理解出来るので、ゾンダーは端的に要望を口にする。
「ギャロップさんの工房に檻はありませんか? それも木や鉄の檻といったものではなく、もっと頑丈な……高ランクモンスターが暴れても、耐えられるような檻です」
「……檻? それも頑丈な檻だ? そんな物、何に使うんだ?」
ゾンダーの要望に、ギャロップは顔を顰めて言う。
檻という言葉に何か思うところがあったのか、それとも何にそんなのを使うのか分からなかったのか。
そんなギャロップにレイは少しだけ興味深そうな視線を向けていたが、ゾンダーはそんなレイに構わずに説明を続ける。
「実は、現在ギルムに何匹もの高ランクモンスターが入り込んでいます。しかもその高ランクモンスターは透明で、非常に見つけにくいんですよ。マリーナ様が精霊魔法で一匹捕らえたのですが、それを入れておける檻を探してここに来ました」
レイとは違い。マリーナ様と呼んでいるのは、領主の館で働いているゾンダーにとって、マリーナはそれだけ敬う……あるいは畏怖を抱く存在だということなのだろう。
実際、ダスカーの黒歴史を知っており、何かあればそれを口に出すという行為をしながら、それでもダスカーに苦手に思われつつ、嫌われてはいないというマリーナだ。
ましてや、このギルムにおいてギルドマスターを長く務めただけあるという点でも多くの者達から尊敬を集めている。
ダスカーに仕えているとはいえ、ゾンダーにしてみれば様付けで呼んでもおかしくはない相手なのだろう。
「それは、また……だが、そこまで騒ぎになってるようには思えんが? 鍛冶場に籠もってるから、外の情報を知らないだけかもしれないが。……もしかして、外では多くの者が殺されているのか?」
最後の言葉を口にすると同時に、ギャロップの視線が鋭くなる。
もしかしたら、店の外では悲劇が起きているのではないか。
そう思ったのだろう。
しかし、ゾンダーはそんなギャロップの問いに首を横に振る。
「いえ。幸いにも、その高ランクモンスターは強者だけに攻撃を仕掛けるといった性質を持っているようでして。それなりに怪我人は出ていますが、今のところ死人は確認されておりません。……あくまでも現状は、ですが」
「それはまた……珍しいモンスターもいるものだな。いや、助かったのは事実だが。それで、檻だったか? そういうことなら、構わん。一応普通の鉄ではなく、ドワーフの技術で複数の金属を混ぜた頑丈な檻がある。……ただ、この檻は春になったらギルムに来る貴族が注文したものだ。時間を考えると、同じ檻を春までに用意するのは難しいだろう」
その言葉に、ゾンダーは安堵する。
最悪の場合は、それこそそのような檻などないというものだったのだから。
……もっとも、ゾンダーは檻のある可能性が高いというのは予想していた。
貴族にしろ商会にしろ、辺境に棲息するモンスターに興味を持っている者は多いのだから。
ペットとして飼ったり、新鮮な素材や肉を確保する為であったり、中には繁殖を試すといった目的の為でもある。
文官として貴族や商人と関わることが多いゾンダーは、そのようなことを試す者がそれなりにいるのは知っていた。
それを思えば、ギャロップの鍛冶場に檻がある可能性は高いと思っていたのだ。
「そうですか。その貴族に関しては、後日ダスカー様から連絡が行くと思いますし、補償もされると思います。ギャロップさんから半ば強引に檻を徴収したという証明書も後日渡しますので、その件について何か問題があったら、私に知らせて下さい」
「分かった。なら……ちっ、仕方ねえか。今はこっちを重視している場合じゃねえしな」
一瞬、炉に視線を向けたギャロップだったが、ゾンダーから話を聞いた今では、少しでも早く檻を用意した方がいいと判断したのか、大きく息を吐いてからその場から立ち上がる。
(別にずっと炉を見てないと駄目……って訳でもないと思うんだが。鍛冶については詳しくないから、そうだと言われればそういうことかと思うしかないけど)
レイが持つ鍛冶の知識は、それこそ日本にいた時に漫画やアニメ、ゲーム、TV番組……そんな諸々で知った程度のものでしかない。
それだけに、少し……それこそ数分くらい炉から目を離した程度で駄目になるとは、レイには思えなかった。
もっとも、このエルジィンにおける鍛冶の技術については殆ど知らないので、そういうものだと言われれば、そういうものかと納得するしか出来なかったのだが。
「鍛冶ってのは、やっぱり少しでも炉から目を離すと駄目なのか?」
「さぁ? 私は文官で、鍛冶にはそんなに詳しくないですから。ただ、ギャロップさんの様子を見る限りでは、恐らくそうなんでしょうね」
ゾンダーはレイの問いにそう答える。
その答えにはレイにとって必要な情報は特に含まれていなかったが、それでもなるほどと思うところがない訳でもない。
「その炉で作ってるのは、新しい合金だ。ちょっとした伝手で入手したモンスターの素材と鉄を組み合わせているんだよ。上手くいけば、これまでの鉄よりも一割……場合によってはもう少し頑丈になるかもしれねえな」
レイとゾンダーの会話が聞こえたのか、ギャロップは檻を手に持ちながら、そう言ってくる。
檻はかなりの大きさで、それこそ馬程度なら問題なく入れるだろう。
その檻だけでもかなりの重量になるのは間違いないが、ギャロップは容易に……それこそ特に苦労した様子も見せず、持ってくる。
(さすがドワーフ)
ギャロップの様子に、レイの口からはそんな声が出る。
とはいえ、ギャロップはそんなレイの様子には気が付かず、その檻をゾンダーやレイ達の前に置く。
「その合金が出来れば、色々と使い道がある。予定では熱の伝導率もかなり高くなるから、調理器具には最適な合金になる……予定だ。あくまでも完成すればだがな」
ギャロップにしてみれば、新しい合金の製造は仕事でもあるが、半ば趣味でもある。
そうである以上、ギルムに侵入した高ランクモンスターを捕らえておく為の檻を持ってくるのと新しい合金の製造を試すことのどちらを重要視するのかと言われれば、当然のように檻を選ぶ。
そうして用意された檻だったが……
「それで、この檻をどうやって運ぶ? 俺が運ぶのか? 今のギルムの状況を考えれば、それしかないのならそうするが」
「いえ、大丈夫ですよ。その為にレイさんに来て貰ったんですし。……レイさん、お願いします」
ゾンダーの言葉に頷き、レイは檻に近付く。
「レイ……? そう言えばさっきも……レイ、レイ……もしかして、深紅のレイか!?」
「正解」
ギャロップがようやくレイの正体に気が付いたことに、レイはそう言いながら手を伸ばし……次の瞬間、檻は消える。
一瞬前までそこに檻があったのが嘘のように、そこにあった檻が消えていたのだ。
「お……あ……?」
ギャロップが信じられないといった様子で、そんな声を上げる。
そんなギャロップに、ゾンダーが疑問を口にする。
「どうしました、ギャロップさん。そんなに驚くようなことはないと思うんですけど。……あれ? もしかしてレイさんがアイテムボックスを持ってるのを知りませんでしたか?」
「……噂では聞いていたが……こうして間近で見るとは思わなかった」
ゾンダーに言葉を掛けられてから数秒後、ギャロップはようやく落ち着いたのかそう言う。
ドワーフの……いや、ギャロップにとって、アイテムボックスというのがどういう意味を持つのか、レイは分からない。
ただ、それでもこうして見ると色々と思うところがあるのは間違いない。
「えっと……その、今の檻って他に在庫はあったりしませんよね?」
ゾンダーが話題を逸らすように尋ねる。
とはいえ、その問いには大きな意味があるのも事実。
何しろ透明のモンスターについては、まだ分かっていないことが多すぎるのだ。
現在はマリーナが精霊魔法で一匹捕らえているものの、もっと詳細に情報を欲するのなら、サンプルとなる個体は多い方がいい。
そう思って檻が他にもないのかと尋ねたのだが……
「いや、他にはないな。その檻は結構な高級品だし、材料費だけでそれなりだ。他に何か使い道があるような物でもない。そんなのを多数作っても、邪魔になるだけだからな」
「……そうですか」
ゾンダーにしてみれば、駄目元で尋ねたのだろう。
だがそれでも、こうしてあっさりともうないと言われれば、思うところがあったらしい。
残念そうな様子を見せる。
「ちなみに、あの檻と同じ檻を追加で作るとなると、どのくらい掛かる?」
ゾンダーが可哀想というのもあったが、単純に捕らえた透明のモンスターを出来るだけ多く確保しておいた方がいいだろうと、レイが尋ねるが……
「二十日程度は必要だな」
あっさりとそう言われ、諦める。
これが一日二日程度なら、マリーナの精霊魔法で捕らえておくといったことも出来るだろう。
だが、二十日程も必要となると、さすがにマリーナにそれだけの間、精霊魔法を使い続けていろとは言えない。
……普通に考えれば、一日二日でも精霊魔法を使い続けるのはかなり難しそうなことではあったのだが。
ただ、そのようなことが出来るからこそマリーナの精霊魔法は万能だと他の者達に認識されるのだろう。
「そうなると、難しいな」
「はい、檻の追加は……まぁ、その檻を作るように依頼をしてきた貴族の為に、もう一個は作った方がいいでしょうが」
「そうさせて貰うよ」
「あの檻の料金は、この件が解決したら……いえ、解決しなくてもある程度余裕が出来たら支払いますので」
「それよりも早く行け。今はギルムに多数のモンスターがいるんだろう。支払いの方はこの騒動が終わってからでいい」
そう言うギャロップに、ゾンダーは深く頭を下げ……レイと共に鍛冶場を、そして店を出るのだった。