3519話
マリーナの言葉で我に返ったレイとダスカーだったが、透明のモンスターの扱いについてはやはりすぐには決められない。
透明のモンスターの大きさは、狼と同じくらいなのは明らかだ。
そうなると、生け捕りにしたモンスターを閉じ込めておく場所……あるいは檻というのは、それなりに用意はしやすい。
勿論、ただの檻では透明のモンスターによって破壊される恐れがあるので、頑丈な……それこそ透明のモンスターが暴れても特に問題がないような、そんな檻を用意する必要があったのだが……
「ギャロップのところに行ってみたらどうかしら? 確か春までに頑丈な檻を作るようにと依頼されていた筈よ。それが出来ていればそれを借りるなり購入するなりすればいいでしょうし、もしまだでも試作品くらいならあるかも」
マリーナの言葉に、ダスカーが食いつく。
「それは本当か!? ……というか、それを知っていたのならもっと早く言ってくれればここまで面倒なことにはならなかったものを!」
「あのねぇ、さっきも言ったでしょ? 今思い出したのよ。全くダスカーはそういうところが駄目なのよ? 小さい時も短剣の鞘を……」
「うわあああああっ! 止めろ! 俺が悪かった! だからそれについては秘密で頼む!」
マリーナの言葉を遮るように叫ぶダスカー。
その話を聞いていた面々……レイも含めて部屋にいる者達は一体それがどういうことなのかがかなり気になった。
あのダスカーがここまで露骨に騒いでマリーナの言葉を遮ったのだから。
とはいえ、それがダスカーにとって忘れたい思い出……いわゆる黒歴史であるのは、皆が想像出来た為に、マリーナに話の先を促す者はいなかったが。
「……それで、ギャロップだったか」
先程のやり取りをなかったことにして話すダスカーに、マリーナが頷く。
話を聞いていたレイも、ギャロップという人物については、直接会ったことはないがどういう人物なのかを噂では知っている。
腕の立つ鍛冶師だが、色々と癖の多い性格のドワーフだと。
何しろドワーフで鍛冶師であるにも関わらず、武器や防具を打つことはなく、道具の類だけを作っているらしい。
勿論ドワーフである以上、鍛冶の腕は決して悪くはなく、ギャロップが作った鍋やフライパンの類は非常に高性能だとか。
焦げ付くことはなく、油汚れも水で洗えば即座に落ちるらしい。
(ちょっと欲しいかも)
レイは基本的に料理はしない。
だが、それでも時々は作ることがある。
そんな時、そこまで料理が上手くないレイであっても、極上の食材と高性能な調理器具があれば、それなりの料理は出来る。
……もっとも、本当に気紛れでそのようなこともあるだけで、基本的には店で買った料理を収納していたミスティリングから出してそれを食べるのだが。
ただ、春には迷宮都市に行くのだ。
ダンジョンの中で料理をすることになる可能性は十分にあったし、何よりミスティリングに収納しておけばいつでも使える。
また、多少高価であってもレイの場合は金が有り余っている。
(うん、ならギャロップの作った調理器具とか、買ってもいいかもしれないな)
レイが調理器具について考えている間に話は進み、結局ギャロップの工房に行ってみるということになる。
これが普通なら、わざわざ領主の使いが行くのではなく、ギャロップを呼び出すだろう。
だが透明のモンスターの危険性を考えれば、少しでも早く頑丈な檻を確保する必要があり……
「あ、じゃあ俺も一緒に行きます」
レイはそう口に出す。
レイの言葉は意外だったらしく、ダスカーが驚いたようにレイを見て口を開く。
「いいのか?」
「はい。少しでも急ぐんですよね? なら、檻があったとして、運ぶのはミスティリングに収納して運んできた方が手っ取り早いでしょうし」
「いいのか? そうしてくれると助かるが」
「はい。それにギャロップというドワーフについては、前にちょっと聞いたことがありますから、会ってみたいと思っていたんですよ」
「そうか。……なら、レイに任せる。話を通せるように一人こちらから人を出す。ギャロップと顔見知りだから、俺の使いだとすぐに分かるだろう」
「分かりました。じゃあ、すぐに出発しますね。……マリーナ、そんな訳で俺が戻ってくるまで透明のモンスターの確保を頼む」
「分かったわよ。ただ、他に被害が出るようなら、捕らえている透明のモンスターは殺してそっちに向かうから、そのつもりでいてね」
マリーナの言葉に頷き、レイは部屋を出るのだった。
「よろしくお願いします。ゾンダーと申します」
ダスカーから派遣されたのは、騎士……ではなく、役人らしき男だった。
二十代程の、いかにも有能といった雰囲気を持つ若い男。
「ああ、よろしく。じゃあ、早速行くか。現在の状況については聞いてるんだよな?」
「はい。……その、透明のモンスターがいるとか。それでギャロップさんのところに行くんですよね?」
「そうだ。そんな訳で、出来るだけ急いでいきたい。……それこそ、本来ならセトに乗って移動したいくらいだ」
実際、レイはそう提案もしてみた。
だが、セトが街中で走っているのを見れば、何があったのかを疑問に思う者もいるだろう。
ましてや、セトはレイの象徴の一つでもある。
クリスタルドラゴンの一件で注目を集めているレイがセトに乗って走れば、それだけで多くの者の注意を引いてしまう。
不幸中の幸いと言うべきか、透明のモンスターが襲撃するのは強者だけだ。
そして今のところ、怪我人は出ているが死人はまだいない。
だからこそ、今は急ぎつつも目立たないようにしながら行動するということになる。
「それで、ギャロップの鍛冶場はどこにあるんだ?」
「少し離れた場所です。急ぎましょう」
「……馬車を用意した方がいいんじゃないか? 別にダスカー様の家紋が彫られている馬車以外に、普通の馬車もあるんだろう?」
「そうですね。ですが、ギャロップさんの鍛冶場は入り組んだ場所にありますから、馬車だと寧ろ身動きが取りにくいと思います」
二人は歩きながら会話を交わす。
レイはギャロップの鍛冶場がどこにあるのか分からない以上、それを知っているゾンダーの後ろを追うしかない。
早足で街中を歩く。
もっとも、文官のゾンダーにしてみればかなりの早足なのだろうが、冒険者のレイにしてみれば、この程度の速度で歩くのは全く問題にならない。
それこそ感覚的には普通に歩いているのと変わらない。
(雪掻きとかしてるのが結構いるな。俺がエグジニスに行ってる間に、こっちではそれなりに雪が降ったらしい。……あ、そう言えば防御用のゴーレムはともかく、掃除用のゴーレムはまだミスティリングに収納したままだな。この件が終わってマリーナの家に戻ったら、出しておかないと)
ギルムに戻ってきたら、即座に透明のモンスターの件に巻き込まれたので、ゴーレムはまだ収納されたままだった。
防御用のゴーレムもそれは同様だったが、こちらはダンジョンや護衛依頼といった時に使うので、まだ出さなくても問題はない。
勿論、この件が終わったらどういうゴーレムを受け取ってきたのかを見せる為に、一時的に出したりはするだろうが。
(あ)
領主の館から離れ、周囲には色々な店が見えてきた。
その中の一つ、パン屋から漂ってくる香ばしく食欲を刺激する匂いに食欲を刺激されたレイだったが、まさか今の状況で少しパン屋に寄りたいなどと言える筈もない。
(この匂いからして、恐らく丁度パンが焼き上がったばかりなんだろうけど……透明のモンスターが片付いたら、寄ってみるか)
そうなると焼きたてのパンは食べられないだろうが、それでも本職の焼いたパンというのは美味い。
少しだけ残念に思いながらも、レイはゾンダーと共に街中を進み……やがて裏通りに入る。
「こっちでいいのか?」
「はい。先程言ったように、馬車で来るのには向いていないというのは分かって貰えたと思います」
「だろうな」
実際、裏通りの道は基本的に人が通るには十分だが、馬車が通るのは……不可能ではないにしろ、かなり厳しい。
それこそ馬車が通っていれば、人とすれ違うことは難しいと思えるような細さの道だ。
……もっとも、馬車が一台通れるだけでも裏通りとしては広い方なのかもしれないが。
(ギャロップというのが鍛冶師なら、インゴットとかそういうのを仕入れている筈だよな? そういうのって基本的には馬車で運ぶんじゃないか? いやまぁ、冒険者なら普通に持ち運ぶことが出来たりするかもしれないけど)
レイが欲している鍋やフライパンといった調理器具を作るにも、当然ながら金属は必要になる。
だが、それを運ぶのはかなりの重量となるので、それを用意するのは馬車も使わないのなら大変だろうと、そう思う。
実際、今回レイ達が欲しているのも、頑丈な……それこそ高ランクモンスターが暴れても壊れないような、そんな檻だ。
そのような檻を作るには、それこそ相応の金属が必要になる筈だった。
「あ、ここです」
やがてゾンダーが足を止め、そう言う。
その視線の先にあるのは、普通の……本当にどこにでもあるような鍛冶屋だった。
「一応聞いておくけど、本当にあそこか? 見た感じそこまで大きくはないし、そこまで腕の立つドワーフがやっているとは思えないぞ?」
「そうでしょうね。以前聞いたことがありますが、意図的にそのような感じにしているらしいですから」
自信を持って言うその様子から見ると、レイもそういうものかと納得する。
(マリーナの家みたいなものか)
マリーナの住んでいる家は小さい。
勿論それは貴族街にある他の貴族の屋敷と比べての話で、一般人が暮らしている家と比べると、明らかに大きいのだが。
ともあれ、マリーナの家は貴族街にある屋敷の中では一番小さいだろう。
もしマリーナがその気になれば、それこそもっと大きな屋敷を建てることも不可能ではない。
にも関わらず、あのくらいの家なのはマリーナがそれで十分だと判断しているからだ。
……あるいは、精霊魔法についての効果範囲の問題もあるのかもしれないが。
とにかく、ギャロップというドワーフの鍛冶屋がそこまで広くないのは、本人にきちんとそういう狙いがあるからなのだろう。
であれば、レイがどうこう言っても意味はない。
「鍛冶場もそこまで広くなくていいのか。……とにかく、話は分かった。じゃあ、早速だけど行ってみるか」
「はい。出来ればダスカー様が欲しているという檻の類があればいいんですけどね」
「俺もそう祈ってるよ。こうしている間にも、透明のモンスターによる襲撃は起きてるかもしれないんだし」
そうして言葉を交わし、レイとゾンダーはギャロップの鍛冶屋に向かう。
建物はやはりそこまで大きくはない。
そんな建物の扉をゾンダーが開けて……
「ギャロップさん、いますか? ゾンダーです。ダスカー様からの使いで参りました」
そんな声が建物の中に響く。
「おう、ゾンダーか。悪いが今ちょっと手が離せねえんだ。こっちに来てくれ」
ゾンダーの声が聞こえたのか、奥の方……建物の中に入ったばかりでは見ることが出来ない奥の方からそんな声が聞こえてくる。
「行きましょう」
「いいのか? いや、ゾンダーはこの店に何度か来てるからいいのかもしれないけど、初めて来る俺がそっちに行くのは……向こうが嫌がるんじゃないか?」
「ギャロップさんは、そういうのを気にする人じゃないです。その辺の心配はいりませんよ」
ギャロップについて知っているゾンダーがそう言うのであればと、レイはゾンダーと共に建物の奥に向かう。
奥には扉が一つあり、レイ達が入ってきた建物との間を遮っていた。
「うわ、相変わらず暑いですね。冬とは思えません。レイさんは……あれ?」
扉があってもそちらから発せられる熱気に、汗を掻きながらゾンダーが言う。
冬で外が寒かっただけに、余計にそう感じるのだろう。
だが、そんなゾンダーはレイに声を掛けるも、レイは全く暑そうにしていないのを見て、疑問を抱く。
「えっと、レイさん? 暑くないんですか?」
「ああ、俺はマジックアイテムの効果でそういうのは問題ない」
「……羨ましいですね」
ゾンダーはしみじみとそう言う。
普通に暮らしている者にしてみれば、このような暑さの中で痩せ我慢でも何でもなく、本当に何の問題もないと言えるレイが非常に羨ましかった。
実際、ドラゴンローブの持つ簡易エアコン機能を付与した服でもあれば、多くの者が購入するだろう。
だが問題なのは、レイのドラゴンローブはゼパイル一門に所属する伝説上の錬金術師、エスタ・ノールの技術を最大限に活かして作った物で、今となっては再現するのは不可能……とまではいかないが、桁外れのコストや非常に希少な素材、超のつく一流……いや、それ以上の技術を持つ錬金術師が必要だということだろう。
レイはそれを誤魔化して適当に話をし……そしてゾンダーは扉を開けるのだった。