3516話
アーラの口から出た言葉は、レイを驚かせるのに十分だった。
すぐに状況の深刻さを理解し、行動に出る。
幸いにも、レイはエグジニスから戻ってきたばかりで、外に出るのに改めて準備をしなくてもいい。
アーラと共にマリーナの家から出て、すぐに叫ぶ。
「セト!」
「グルルルゥ!」
少し離れた場所でセトが鳴き声を上げると、すぐにレイのいる場所までやってくる。
「アーラ、案内してくれ。事情は走りながらで頼む。もし本当に俺が倒した透明なモンスターの同種だった場合、セトならそのモンスターの存在を感じ取れる」
「分かりました。では、行きましょう」
アーラがそう言い、レイを先導するように動き出す。
しかし、その移動は走っているのではなく早歩きといった程度だ。
「急がなくてもいいのか?」
「この透明なモンスターの件は、まだ大々的に公表されていません」
「……だろうな」
アーラの説明に、レイは数秒沈黙した後で納得する。
実際、透明なモンスターが街中に入り込んでいるというのは非常に危険な状況だ。
だがもしその件について大々的に公表したらどうなるか。
間違いなく一般人はパニックになるだろう。
そうしてパニックになった者達が一体どのような騒動を起こすのかは、考えるまでもなく明らかだ。
そうなると、寧ろ透明なモンスターによる被害よりも、パニックになった一般人による被害の方が大きくなるだろう。
あるいは、そのパニックに乗じて何か良からぬことを考える者が出てもおかしくはない。
ダスカーも恐らくその辺のバランスを考え、大々的に公表せず、限られた者達にだけ公表する方が総合的な被害は少ないと判断したのだろう。
この辺の判断は分かれるところだが、レイとしては間違っていないと思う。
「大々的に公表されていないということは、あの透明なモンスターはまだ一般人には被害を出してないのか?」
「そのようです。どうやら領主の屋敷に併設されている訓練用の広場で騎士団が訓練をしているところに現れたようで」
「……領主の館に? 何でわざわざそんな強い相手のいる場所に現れるんだ? それこそ、もっと獲物は大量にいるだろうに」
「分かりません。ですが、その後にも何匹か出没の報告がありますが、基本的に強者だけでした」
「それは……つまり偶然じゃなくて、狙ってか? いやまぁ、俺とセトにもそれぞれ一匹ずつで襲ってきたことを考えると、そういう習性を持つモンスターなのかもしれないが」
「そうですね。実際、今のところはまだ死人は出ていないものの、重傷を負った者は数人います」
「……だろうな」
レイであっても気配を感じさせず、空を飛んでいるのに翼や羽根の音は聞こえず、黄昏の槍による投擲でも身体に突き刺さるが貫通はしない防御力。
レイが知っているだけでも、それだけの能力を秘めているのだ。
それ以外にも何らかの手段で中距離から遠距離に攻撃をすることが出来る攻撃方法もある。
そんな諸々について考えると、ギルムにいる腕の立つ冒険者でも不意打ちを受けるなり、あるいは不意打ちではなくても、冬越えで仕事がないので休んでいる時にいきなりいつも通りに戦うのは難しい。
そのような状況でいきなり透明なモンスターに襲撃されれば、対処出来ない者がいても当然だろう。
それでもアーラが言うように死人が出ていないのは、強者であるということの証か。
「それにしても……問題なのは、具体的にどのくらいの数がギルムに侵入したのか分からないことだな」
「そうですね。現在判明している数を倒しても、透明である以上は全てを完全に殺したという証明は難しいですし」
これが透明ではなく、姿が見えるモンスターであれば、ここまでの騒動にはなっていないだろう。
モンスターを見つけたら、すぐに倒せばいいのだから。
高い防御力を誇るモンスターだが、ギルムにいる腕利きの冒険者なら、そのような相手も倒せない訳ではない。
しかし、透明。
それも音もなく飛んでおり、レイですら気配を完全には察知出来ない。
そんな能力を持つ存在が敵なのだ。
「せめてもの救いは、一般人とかには攻撃をしないで強者だけを襲撃してることだろうな。……一体何でそういう習性を持ったのかは分からないが」
「そうですね。もしこれで、それこそ手当たり次第に襲うといった習性を持っていたら、ダスカー様としても……そしてギルムとしても非常に厄介なことになっていたと思います」
「それは俺も否定しない。そういう意味では幸運だったんだろうな。……襲われた方にしてみれば、とてもではないが幸運ではないけど」
そうして会話をしている間にもレイとアーラ、そしてセトは貴族街を歩き続け、そこから出る。
するとそこには、騎士が数人待っていた。
「これは?」
「レイ殿が戻ってきて、貴族街から出たら接触しようとする者がいますから。その対処の為の人員です」
「なら、この騎士達もマリーナの家まで来てもよかったんじゃないか?」
「透明なモンスターが強者に攻撃をするという習性を持っている以上、この騎士達が貴族街に入ったところで、襲われる可能性は否定出来ませんから」
「……ああ、なるほど」
アーラの説明は、レイにも十分に納得出来るものだった。
貴族街で大きな騒動が起きるのは、ダスカーとしても好ましくないのだろう。
「ん? あれ、じゃあ貴族街にいる強者達はどうしてる?」
貴族街にいる貴族達は見回りとして冒険者を雇う者もいるし、冒険者ではなくてもギルムに来る時に子飼いの護衛を連れてくることもある。
そのような状況を考えれば、騎士達が貴族街に入らなくても透明なモンスターが貴族街に現れる可能性は十分にあった。
「一応そちらについては貴族街には透明なモンスターの情報についての情報を流しているので、何かあっても対処は出来ると思います」
「だといいんだけどな」
貴族街に住んでいるのは、当然ながら貴族だ。
そのような貴族の場合、前もって説明があっても被害を受ければダスカーに不満を言うといったことをしてもおかしくはない。
もっとも、これはあくまでもレイが貴族に対して抱いている印象が強いのであって、実際にはどうなるのかは分からないが。
「ともあれ、領主の館に行く……でいいんだよな?」
「はい。エレーナ様達も現在領主の館に集まっていますので」
その言葉にレイはだろうなと頷く。
確かに透明なモンスターは厄介な存在だ。
だが、そこにいると認識してしまえば、エレーナ達なら決して勝てない相手ではない。
しかし、問題なのはやはりそこにいると認識することだろう。
ギルムが広い……それこそ増築工事前であっても準都市と呼ぶべき規模だったのが、この場合は裏目に出ていた。
エレーナ達が街中で透明なモンスターを見つけようとしても、ギルムの広さを考えるとそう簡単に見つけられないのだ。
その為、何かあったらすぐに情報が集まる領主の館にいるというのは、レイにも納得出来ることだった。
同時に、エレーナのような重要人物の護衛をするためという理由もそこにはあるのだろうが。
「そして騒動が起きたと聞けば……ヴィヘラ辺りが突っ込むのか?」
「そうなりそうです」
レイの言葉に、アーラが笑みを浮かべて言う。
アーラも何だかんだとヴィヘラとの付き合いは長く、その性格については十分に知っている。
そうである以上、今回のような場合にヴィヘラがどう動くのかを予想するのは難しい話ではない。
「マリーナの精霊魔法で敵を見つけることは出来ないのか?」
「現在、それを試しているところです。……とはいえ、さすがにギルム全体となると……」
「広すぎる、か」
透明なモンスターは気配を殺すのも上手いし、空を飛ぶのも音を出さず、何よりも透明なモンスターと呼ばれているように透明だ。
だが、幾ら透明であってもそこにいるのは間違いない。
であれば、風の精霊を使えば間違いなくそこにいると認識出来るのではないか。
そう思ったレイだったが、そのくらいのことは当然ながらマリーナも理解しており、精霊魔法を使った探索を行っているらしい。
そのことに、透明なモンスターを見つけられる手段はそれはそれであるのだろうと納得し……
「ちょ……何ですか!」
聞こえてきた声に視線を向けると、そこでは商人と思しき男が騎士によって動きを止められていた。
何だ? と疑問に思ったレイだったが、そんなレイの視線に気が付いたのだろう。
商人は自分の前にいる騎士を無視してレイに声を掛けてくる。
「レイさん、クリスタルドラゴンの素材について少しお話があります。よろしければどうでしょう? 美味しいと評判のお店で食事でもしながら」
その言葉に、レイはすぐに興味を失う。
……あるいは、透明なモンスターの一件がなければ、美味しいお店という言葉に多少は心を動かされたかもしれない。
だが、今はそのような店に行っている余裕はないのだ。
「悪いな。今はちょっとそんな暇はない」
「あ……ちょっ!」
レイがあっさりと自分の提案を断ったことに、商人は何かを言おうとする。
商人にしても、ようやく……本当にようやくレイに接触することが出来たのだ。
その折角の機会をこのまま逃す訳にはいかない。
もしこの商人が透明なモンスターの一件について知っていれば、また話は別だっただろう。
だが、商人はそのようなことを何も知らない。
そうである以上、レイが何の為にこうして急いでいるのかは分からず、だからこそ何とかしてレイとクリスタルドラゴンの素材についての話を……そう思ったのだが……
「そこまでにして貰おう」
そんな商人の言葉を遮るように、騎士がレイと商人の間に割り込む。
突然の騎士の行動に何かを言おうとした商人だったが、騎士の様子を見た瞬間、口を開くことを諦めた。
もしここでしつこくした場合、それこそ力で強引に排除すると、そのように騎士は態度で示しているように思えた為だ。
この辺の判断力は、商人としてやっていく上で必須のものだろう。
「わ……分かりました」
商人は騎士を前にして大人しく退く。
それを見た騎士は、それ以上は何も言わずにレイとアーラ、セトと共に進み始める。
レイに声を掛けた商人以外にも、レイと接触しようとしていた者はいた。
だが、今のやり取りを見てしまえばレイに声を掛けられる筈もなかった。
「お陰で助かったよ」
「いえ、気にしないで下さい。今回の一件については、透明なモンスターの情報を貰っていたにも関わらず、対処出来なかったこちらの責任が大きいのですから」
「それは仕方がないと思うけどな」
何しろ死んだ状態でも鱗は透明なままという、レイにしてみればそこまでやるのか? と思える程の隠密性を持つモンスターだ。
透明の鱗を渡したとはいえ、それですぐに対処出来るかと言えば微妙なところだろう。
そもそも、レイも透明なモンスターはそこまで多くがいるとは思っていなかったのだ。
(今更だけど、二匹が出たという時点でもっといるかもしれないと思っておくべきだったな)
透明なモンスターについて、もう少し詳細に説明をしておけばよかった。
今更の話だが、レイはそのように思う。
……とはいえ、これは決してレイの手抜かりという訳ではない。
低ランクモンスターであれば、多数が存在してもおかしくはないものの、それが高ランクモンスターとなると基本的に一匹……もしくは集まっても数匹での行動となる。
これはあくまでも基本的にの話で、今回のような例外もあるのだが。
そのようなことから、レイが透明なモンスターについて詳細に説明していなかったのはギルムの冒険者としてそこまでおかしな話ではない。
そもそも、ギルムではモンスターの新種も日々発見されている。
それについて全てを説明していては、それこそギルドで人手が足りなくなってしまうだろう。
「とにかく、せめてもの救いは透明なモンスターは強者にしか攻撃しないということだな。……もしこれで戦闘力のない一般人を相手にしても攻撃をしていたら、それこそ被害は洒落にならない程になっていただろうし」
「そうですね。とはいえ、強者であっても透明なモンスターをどうにか出来るかどうかは微妙なところだと思いますけど」
騎士がしみじみとそう言う。
そんな騎士の様子を見ていたレイの耳元で、アーラはこっそりと話す。
「レイ殿、この騎士達も透明なモンスターに襲撃された時、現場にいたらしいです」
「ああ、だから……」
透明なモンスターについて、思うところがある様子だったのか。
そう思う。
実際、透明なだけではなく高い隠密性を持っているモンスターは厄介な存在だ。
出来るだけ早く何とかしたいと思いつつ、レイは領主の館に向かうのだった。