3515話
「お、見えてきたな」
セトの背に乗るレイの視線の先にあるのは、レイにとって既にこの世界での故郷とも呼ぶべきギルム。
やはり故郷に帰ってきたと思うと、レイの中にもどこか安堵した思いがある。
(今回はそんなにギルムを離れていた訳じゃないんだけどな。……特に騒動らしい騒動もなかったし)
騒動らしきものとなると、猪に追われていた猟師くらいの話だろう。
それ以外は特に騒動らしい騒動もなく……レイにとっては、本当に今回のエグジニスに行った一件は、何のトラブルもなくスムーズな旅路だった。
これ程までに何のトラブルもない旅路は、それこそここ最近なかったのではないかと思ってしまう。
とはいえ、それはレイの思い込みに近いものだったが。
何しろ、最近でも穢れの関係者の本拠地の一件から行く時や帰る時には特にトラブルに巻き込まれたりはしなかったのだから。
とはいえ、穢れの関係者の本拠地での一件はこれまでにないくらいに大規模な戦いではあったが。
「取りあえず、この冬はこれ以上は何もないまま無事に終わってくれるといいんだけどな」
そんな風に考えている間にもセトは進み、やがてギルムの上空に到着する。
「グルゥ?」
どこにおりるの? と喉を鳴らすセト。
恐らくはマリーナの家だろうとセトも分かっている。
だが、それでももしかしたら領主の館に向かうように言われるかもしれないと、そう思ってレイに聞いたのだろうが……
「マリーナの家でいい」
予想通りの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らしながら地上に向かって降下していく。
マリーナの家には、友達のイエロがいる。
レイと遊ぶのも大好きなセトだったが、友達のイエロと遊ぶのも大好きだった。
セトはレイの言葉を聞くと、そのまま地上に……マリーナの家に向かって降下していく。
(多分、この光景はギルムにいる者達のうち、俺に接触したい者達の間では見えてるんだろうな)
ダスカーからの報酬によって、マリーナの家の周囲にいる監視達は騎士団によって排除されている。
だが、こうしてセトが空を飛んで地上に向かって降下していく光景というのは、別に貴族街からでなければ見えないという訳ではない。
つまり、こうしてセトが降下してきているのはギルムにいるどこからでも見える。
セト籠を使えば、迷彩効果によってセトの存在を把握しにくくなるのかもしれないが、今のセトは特にそのような物を使ってはいない。
(今日はマリーナの家から出ない方がいいな)
そう考えている間にもセトは地上に向かって降下していき、やがてマリーナの家の中庭に降りる。
「……あれ?」
「グルゥ?」
地上に降下したセトと、その背中から降りたレイだったが、双方の口から疑問の声が上がる。
ギルムを空けていたのは数日だ。
それでもイエロの性格を考えれば、セトが戻ってきた即座に飛んできてもおかしくはない。
なのにイエロの姿はどこにもなく……それどころか、家の中には誰の気配もない。
せいぜいが、厩舎にあるエレーナの馬車を牽く二頭の馬くらいだろ。
「いやまぁ、今日こうして帰って来るとは言ってなかったんだから、そのタイミングで皆が出掛けていてもおかしくはないんだが……何か妙だな?」
エレーナ達が全員で出掛けるというのは、レイにも理解は出来る。
だが、イエロがいないのは疑問だった。
ブラックドラゴン、あるいは黒竜のイエロはギルムにおいても非常に珍しい存在だ。
ましてや、今のギルムでは未だにレイのクリスタルドラゴンの一件の騒動が収まっていない。
その辺の状況を考えると、イエロを外に連れ出すのはかなり危険なことの筈だ。
実際、エレーナ達がちょっと出掛ける用事がある時であっても、イエロは家で留守番をしていた。
「……どう思う?」
「グルゥ……」
レイが何かおかしくはないかと聞くと、セトは少し迷った様子で鳴き声を上げる。
レイよりも感覚の鋭いセトだけに、レイがこうして何かがおかしいと違和感を抱いてる以上、セトも何かがおかしいとは思っているのだろう。
だが問題なのは、セトにも具体的に何がどうなって今のような状況になっているのか分からないことか。
これが、マリーナの家が何者かの襲撃を受けてモンスターにしろ、人にしろ、敵がいるのなら対処もしやすい。
だが、レイがいるのはマリーナの家だ。
そしてマリーナの家は精霊魔法によって守られている。
もし悪意を持った何者かが侵入しようとすれば、精霊によって排除される筈だった。
「取りあえず、ちょっと見て回るか。セトは外を見て回ってくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトが任せてと喉を鳴らし、レイはそれを聞いて安心すると家の中に向かう。
まず最初に調べるのは、中庭に続いているリビングだ。
中庭に出入りするのは外からか、あるいはこのリビングから来る必要がある以上、最初にここを調べるのはおかしな話ではない。
しかし、リビングには当然のように誰もおらず、また何か目立った異常もない。
「書き置きくらいはあるかもしれないと思ったんだけど、それもなしか」
何らかの理由で急いで家を出る必要があったのなら、書き置きがあってもおかしくはない。
いつレイが帰って来るのか分からないが、それでも何かあった時のことを考えれば、書き置きを残すくらいのことはエレーナ達ならするだろう。
しかし、そのような書き置きがないということは、そこまでする必要はないと思ったのか、それともそのような余裕もなかったのか。
その辺はレイにも分からなかったが、とにかくリビングに何もないというのは間違いない。
次にレイが向かったのは、自分の部屋。
何らかの理由でリビングに書き置きを残せなかったのなら、もしかしたら自分の部屋に書き置きがあるかもしれないと思ったのだが……
「何だ、これ」
部屋の前に樽……三十cm程の小さな樽が二十個近く置かれている。
樽の下には布が敷かれており、廊下を汚さないように気を付けているのは間違いない。
しかし、それでも一体この樽は何なのかとレイは困惑する。
この類の小型の樽に入っていることが多いのは酒の類だ。
だが、レイが酒を好まないのはこの家に住む全員が知っている。
料理に酒を使ったりする時は問題ないし、別に酒を飲めないという訳でもないのだが、飲んでもとてもではないが酒を美味いとは思えないのだ。
そんなレイの部屋の前にわざわざ酒の入った樽を大量に置いていくのは、嫌がらせでしかない。
この家にいる者達がそのようなことはしないだろうと、レイは取りあえず樽に手を伸ばす。
「あ、やっぱり」
セト程ではないにしろ、レイの五感はかなり鋭い。
そんなレイの嗅覚は、樽に近付いてもそこから酒の臭いは一切嗅ぎ取ったりはしなかった。
それはつまり、樽の中に入っているのが酒ではないということを意味していた。
「となると……何だ?」
樽に近付き、手に取ってみる。
がらん、と。そんな音が樽に触れている手から感じられた。
その音からして、固い物なのは間違いないだろう。
疑問に思い、樽を開ける。
「あー……なるほど」
それを見たレイは、この樽の中身が何なのかを理解した。
樽の中に入っているのは、石……いや、より正確には魔法金属の鉱石だ。
火炎鉱石もあれば、風雷鉱石、水氷鉱石、土岩鉱石……樽を開けていくと、次々とそんな魔法金属の鉱石が出てくる。
その鉱石を見れば、この鉱石が一体何なのか……何故ここにあるのかを理解出来てしまう。
これもまた、レイが穢れの関係者の本拠地の一件についての報酬としてダスカーに頼んだ物だった。
レイの象徴とされている、炎の竜巻……火災旋風。
その威力を強化するには、火災旋風の中に金属片といった物を投入すればいい。
そして投入するのが魔法金属の鉱石であれば、その威力は余計に増す。
「けど……他の三つはともかく、水氷鉱石はちょっと使いにくいな」
水氷鉱石は、その名が示す通り水系や氷系の属性を持つ魔法金属の鉱石だ。
そして火災旋風はその名の通り、炎系。
そんな火災旋風に水氷鉱石を放り込んだりした場合、火災旋風の威力が弱まるだろうというのがレイの予想だった。
勿論、実際に試した訳ではない。
もしかしたら、レイが予想していない何らかの現象が起きる可能性もある。
それでもやはり、可能性としては火災旋風の威力が弱まるという結果になりそうなのは間違いなかった。
とはいえ、あればあったで何かに使い道はあるだろうと判断し、樽を次から次にミスティリングに収納していく。
数分も経たず、レイの部屋の前にあった魔法金属の鉱石が入っていた樽は全てが綺麗さっぱりとなくなった。
そのことに満足したレイは、次に部屋の中に入る。
樽の件もあって、もしかしたら書き置きがあるかもしれないと思ったものの……生憎とそこに書き置きはなかった。
「ないか。……そうなると、樽の件は俺が来たらすぐに教えるつもりだったのか? だとすれば、やっぱり誰かが家の中にいるのが前提での話になるんだが……やっぱり妙だな」
呟き、部屋を出る。
このまま家の中を確認していくが、さすがにエレーナ達の部屋に入るのは不味い。
もしかしたら問題ないと言うかもしれないが、それでも不満を抱いて怒る可能性も否定は出来なかった。
レイもエレーナ達を怒らせるようなことを進んでしたいとは思わなかったので、わざわざそのようなことを進んでやるつもりもない。
「なら、やっぱりリビング……ん?」
リビングに戻るか。
そう言おうとしたレイだったが、誰かが家の中に入ってきた気配を感じる。
そのことに気が付き、やはり何らかの理由で出掛けていただけかと判断すると、気配のある方に向かう。
ここで敵かと認識しなかったのは、この家が精霊魔法によって守られている為だ。
こうして何事もなく家の中に入ってきたのなら、その相手は少なくても敵意を持った相手ではないだろうと判断したのだ。
そして実際リビングに行くと、そこにはアーラの姿があった。
「レイ殿、やっぱり戻ってきていたのですね!」
「……アーラ?」
軽く挨拶をし、それからどこに行っていたのかといったことを聞こうとしたレイだったが、アーラの口から出た言葉はレイにとってもかなり驚くべき強さの声だった
一体何があってそこまで強い口調でアーラが声を掛けてきたのか、生憎とレイには分からない。
そんなレイの困惑がアーラにも伝わったのだろう。
少し何かを考えてから、口を開く。
「現在、ギルムにモンスターが侵入してきたんです」
「モンスターが?」
それは意外ではあるものの、そこまで驚くことではない。
現在のギルムは増築工事中で、モンスター対策の結界が張られていないのだから、モンスターが入ってきてもおかしくはなかった。
もっとも、ギルムには強力な冒険者が多数いる。
危険だと考えるだけの知能があるモンスターはギルムに近付かないだろうし、それが理解出来ないモンスター……ゴブリンの類であれば、排除するのは難しくない。
実際に増築工事中の今はそのようなモンスターの討伐の依頼もそれなりにある。
特に工事現場でそのような依頼は行われており、そこまで騒動になるようなことはないとレイには思えた。
「もしかして、高ランクモンスターでも現れたのか?」
そんなレイの考えの唯一の例外。
それが、相手の強さを理解し、それでも襲撃をする高ランクモンスターの存在だった。
辺境以外ならそのような高ランクモンスターの存在については基本的に考えなくてもいい。
だが辺境の場合、高ランクモンスターが普通に出てくる可能性がある。
そのようなモンスターがギルムの中に入り込んだのなら、この家にいたエレーナ達が全員出払っているのもレイには理解出来た。
高ランクモンスターは普通のモンスターと違い、そう簡単に勝てる相手ではない。
ましてや、冒険者達が自分からそのモンスターを討伐しに行ったのではなく、一般人も多く暮らすギルムの中に侵入されたとなると、迂闊に全力で戦う訳にもいかない。
特に魔法使いは周囲の影響を考えると迂闊に得意な魔法を使う訳にもいかないだろう。
ならば戦士達なら安心して全力で攻撃出来るかとなるが、それはそれで難しい。
魔法使いよりも周囲に被害は出にくいものの、それでも戦闘の際に武器の取り回しで周囲に被害が出る可能性は十分にあるのだから。
そんな諸々を考えると、街中で高ランクモンスターと戦うのは厳しいかもしれない。
そう思っているレイに、アーラは真剣な表情で頷く。
「はい、高ランクモンスターです。それも……レイ殿が以前倒したという透明なモンスターが複数侵入した模様です」