3503話
「では、こちらがこの五日間で解体されたギガントタートルの肉となります」
そう言い、レイがギルムの倉庫で渡されたのは、大量の肉、肉、肉だった。
その重量は数tに及ぶだろう。
二百人近い人数で五日間解体したと考えれば、ある意味で当然の結果かもしれないが。
最初こそ、初めてモンスターを解体する者も多く、解体の手際が悪い者も多かった。
スラム街の住人の中でも、元冒険者であったり、去年も解体を依頼をした者でもなければ、モンスターを解体するような機会はそうない。
だからこそ、最初は多くの者が手こずっていたのだ。
だが……ギルドは去年の反省を活かし、その件についても対応出来るようにしていた。
具体的には、解体屋の中でも案内役であったり、暇潰しに見学に来た者であったりが、見ていられないと解体を教えるだろうと。
……実際にはギルドからこっそりと解体を教えて貰えるように依頼された者もいたのだが。
何だかんだと面倒見のいい者が多かった証だろう。
勿論、完全な善意だけで行った訳でもない。
例えば、解体の素質がある者はギガントタートルの解体が終わった後で解体屋に就職しないか持ちかけたり……中には好みの異性がいて、その相手とお近づきになる為に世話を焼くという者もいる。
そんな手厚いフォロー……なのかどうかはレイにも分からなかったが、とにかくそのような者達のお陰で解体の技術は上がり、日に日に解体される量が増えていき……それが現在レイの目の前にある大量の肉だった。
「こうして見ると、本当に凄いな」
「そうですね。今までアイテムボックスの中に収納されていたので、私もこうして纏めて見るのは初めてです」
レイの呟きにレノラが大量の肉を見て、そう言う。
これでも解体をした者達が報酬として肉を欲したので、それなりに減ってはいるのだ。
何しろ肉は自分で食べても美味いし、上手く売れば本来の報酬よりも高額になるのだから。
……ただ、それは交渉に失敗すれば本来の報酬よりも安く買い取られるということを意味してもいた。
もしくは、チンピラに肉を奪われるといった危険もある。
もっとも、チンピラに奪われるということは、金であっても考えられる……いや、そちらの方が危険だろう。
「取りあえず、この肉は収納するか」
「そうして下さい。さすがにこれだけの量の肉を間近で見ると、少し思うところがありますし」
レノラもギルドの受付嬢として、モンスターの肉を見るのは珍しくない。
それでも、これだけ大量の肉を間近で見る機会というのは少ない。
だからこそ、レイに対して少しでも早くこの肉をミスティリングに収納するように頼んだのだろう。
レイも肉をこのまま出しっぱなしにしておくのはどうかと思うので、レノラの言葉に特に逆らったりせず収納していく。
ギガントタートル程の高ランクモンスターの肉であれば、魔力の残滓による影響で、そう簡単に腐ったりはしない。
しないのだが、それでも新鮮な状態で収納しておいた方がいいというのがレイの判断だった。
(熟成とか、モンスターの肉はそういうのがあまりいらないのは助かるよな。モンスターの種類によっても違うのかもしれないけど)
そんな風に思いつつ、収納していき……やがて終える。
肉の量は多かったが、籠のような入れ物に入れられていたので、収納にはそこまで時間は掛からなかった。
とはいえ、それでも相応の時間は必要だったのだが。
「いや、凄いですね」
「何を今更。レノラは今まで俺がミスティリングを使うのを何度も見てるだろ?」
次々に肉が収納されていく光景を見ていたレノラが、思わずといった様子で口にした言葉に、レイはそう返す。
実際レイは今まで何度もレノラの前でミスティリングを使っている。
レイがミスティリングを使うのを初めて見る者が驚くのはおかしな話ではない。
だが、レイが口にしたように、今更レノラがミスティリングについて驚くのは、レイにとって疑問だった。
「そう言われても、これだけ大量の肉を入れるのは……まぁ、今までにも色々と見た経験はありますが、それでもやはり驚きますよ」
「そういうものか?」
レノラの言葉に納得出来た訳ではなかったが、それについては別にこれ以上追求しなくてもいいだろうと、レイは別の件に……ある意味ではこれがもう一つの本題だったが、そちらに話を移す。
「それで、次の解体する分だが」
「あ、はい。前回よりも少し多いくらいで問題はないと思います」
「そうなのか?」
「最初は解体に手間取ってる人もいましたが、ずっと解体をしているうちに大分慣れて来ましたから。それに去年解体の依頼を受けた人や、冒険者として解体をする人とかも、解体を続けていくうちに大分解体の技量が上がってきました。そう考えると、今回と……次回も恐らく、今回よりも多くあっても問題ないと思います」
「分かった」
これがモンスター……それも高ランクモンスターではなく、普通の動物であったらレイもレノラの言葉に素直に頷くようなことはなかっただろう。
高ランクモンスターのギガントタートルは、その身に残っている魔力によって腐敗しにくい。
それに対して、普通の動物は時間が経てば相応に腐敗する。
その辺りの事情を考えると、レイの判断は妥当なところだった。
もし今回少し多く渡しすぎても、ギガントタートルという高ランクモンスターの死体の一部である以上、余程の何かがなければレイの切断した部位が腐るということはない。
(デスサイズの腐食を使えば話は別だけど。……そもそも、腐食を使うような必要はないか)
透明なモンスターの魔石によって強化された腐食は、非常に凶悪な効果を持つ。
ただし、問題なのは腐食というその効果から、迂闊に使う機会がないということだろう。
モンスターを相手にした場合、腐食を使って腐らせてしまえば素材や……場合によっては魔石すら入手出来なくなる可能性がある。
そうなると、素材や魔石を確保出来ないモンスターを相手にする場合か、あるいは剥ぎ取りについて考えなくてもいい相手……具体的には盗賊といった相手に使うくらいだろう。
(あ、でも盗賊に限らず尋問する際には腐食ってのは使い勝手は悪くないのか? 普通なら、自分の手足が腐食するのを見て、それでも自白をしないなんて奴は多くないだろうし)
世の中には強い忠誠心を抱いている者もいるので、絶対に腐食で情報を聞き出せるという訳ではないだろう。
だが、そのような相手はそう多くはない。
レイが遭遇する盗賊の場合は、それこそ指の一本……いや、指の先端が腐食したのを見れば、その時点でレイが聞き出したいと思っている情報を口にしてもおかしくはなかった。
盗賊と一口に言っても、中には殺されても情報を口にしないという者達もいるだろうが。
それこそ、現在ギルムにおいて裏を司っているエッグとかは、そのようなタイプだろう。
「レイさん? どうしました?」
「いや、何でもない。ちょっと盗賊をどうやって尋問するべきかを考えていてな」
「……一体何を考えてるんですか、何を」
レイの説明に呆れた様子を見せるレノラ。
とはいえ、レノラもギルド職員の一人だ。
それも冒険者と接することが多い受付嬢なのだから、その手の話は好む訳ではないにしろ、嫌悪感を露わにするといったことはない。
もっとも、辺境のギルムはそれだけ多くのモンスターが存在するので、盗賊は基本的にいない。
ギルムから戻ってくる商人は、ギルムでなければ入手出来ない商品を手にしているので、襲えば金になるのは間違いないが……待っている間に高ランクモンスターに襲撃されることもあるし、商人が雇っているのはギルムに出てくるモンスターを相手にしても倒せるだけの実力を持っている冒険者なので、盗賊達の襲撃が成功する可能性は非常に少ない。
盗賊達の中でも辺境に行くのは自殺行為だと言われており、基本的にはギルムの周辺に盗賊は現れない。
ギルドのランクアップ試験において、人を殺すということを経験させる必要があるのだが、その時はギルムの周辺に盗賊はいないので、ギルムから近いアブエロやサブルスタといった街の周辺で行動している盗賊の討伐を行うことになる。
とはいえ、盗賊というのは自尊心の強い者が多く、自分達の実力なら大丈夫だと過剰に考えることも多い。
そんな盗賊は、数年に一度くらいギルムの周辺で仕事をしようとやってくるのだが……その大半は、辺境にいるモンスターに殺されるのだが。
「ともあれ、ギガントタートルの解体部位はこれでいいとして……次も五日でいいよな?」
「はい。それでお願いします」
「分かった。ただ、もしかしたら少し遅れるかもしれない。……そう考えると、もう少し多めに解体部位を置いていった方がいいか?」
「え? 何かあるんですか?」
レノラはレイの言葉に驚くが、レイはそんなレノラに自分の予定を口にする。
「実はエグジニスにちょっと出掛ける用事があってな」
「エグジニス……ですか? ああ、そう言えば以前ちょっとレイさんがそっちに行ってましたね。その関係ですか?」
「ああ。以前行った時にゴーレムの注文をしていたんだが、それから色々とあってそれを取りに行く暇がなかったんだよ」
色々の中には穢れの件もある。
ただ、それをレノラが知ってるかどうか分からない以上、それを口にしてもいいのかどうか分からなかったので、曖昧にしておく。
実際には穢れの件以外にも色々とあったのだが。
幸いなことに、レノラはレイの説明に納得して頷く。
これはレイの言葉の裏にあることに気が付いていないという訳ではない。
穢れの件では何人もの冒険者も動いている以上、詳細は知らなくても何かがあると察していてもおかしくはなかった。
だが、それを口にしなかったのは、自分が知らされていないということは、知らない方がいいと判断したからと考えていた為だろう。
その辺の判断はギルド職員として当然のものだった。
……中には好奇心が強く、本来なら知らなくてもいい情報を知ってしまった結果、酷い目に遭う者もいることを考えると、この辺の判断力はさすがだろう。
レイもレノラがそのように考えて今のような態度をしているのは知っているので、その件には触れずに話を続ける。
「頼んでいたゴーレムは防御用のゴーレムで、本来は護衛とかをする時の為に頼んだんだけど」
「レイさんとセトちゃんがいても、守る相手が多数いた場合は手が回らなくなったりしますしね」
「そんな感じだ」
ギルドの受付嬢をしているだけあって、すぐにレイが何を考えて防御用のゴーレムを頼んだのかを察するレノラ。
実際、レイやセトは個としては圧倒的なまでの実力を持つ。
それは世界を破滅させるだけの力を持つ大いなる存在を倒したことからも明らかだろう。
……大いなる存在の件については、イレギュラーなことも色々とあったのだが。
ともあれ、そんな力を持つレイだったが、身体が一つしかないのは間違いない。
セトを入れても二つだ。
レイは好まないが、何らかの理由で護衛の依頼を受けた時、多数を守るということは難しい。
地形操作辺りを使えばどうにかなるかもしれないが、それも完璧ではない。
だからこそ、そのような時の為に防御用のゴーレムを注文したのだ。
「ですが、護衛の依頼を受ける予定でも? 色々と忙しそうにしてるようですが」
「忙しい……? いや、別にそんなつもりはないんだが、この冬はゆっくりとするつもりだし」
「レイさんがゆっくり……?」
きょとんと、まるで自分が何を聞いたのか全く理解出来ないといった様子で呟くレノラに、何かを言い返したいレイだったが、これまでの自分の行動を思い出すと、そう簡単に反論することも出来ない。
トラブル誘引体質のレイだけに、本人にその気がなくても何らかのトラブルに巻き込まれることは多いのだ。
そのような自覚があるからこそ、レイはレノラの言葉に反論出来なかった。
(畜生、今年こそはゆっくりとした冬を楽しんでやる)
強い決意を固めるものの、そのように思うこと自体がレイの場合はある種のフラグだった。
「それで、護衛の依頼の件は?」
「ああ、別にそんな予定はない。ただ、以前も言ったと思うけど春になったら迷宮都市に行く予定があってな。その時、防御用のゴーレムがあれば色々と便利だと思ったんだ。一応冒険者の学校の教官ということだし、もしかしたら生徒達と一緒にダンジョンに潜ることもあるかもしれないし」
そう言うレイに、レノラは納得の表情を浮かべる。
防御用のゴーレムではあるが、そのような使い方もあるのだと納得しながら。