3502話
「ありがとうございました。では、また五日後にお願いします」
レノラにそう頭を下げられる。
最初の一ヶ所目にギガントタートルの一部を置いたあと、レイ達は続けて他の場所も回った。
大半は解体屋の倉庫を借りての解体だったが、レイが予想したように中には解体屋の倉庫ではなく大きく開いている場所で解体を行う場所もあった。
雪が降ってきたり、風が吹いたり、何より寒かったり。
その辺で解体屋の倉庫の担当となってる者達に比べて不利じゃないのか?
そうレイは思ったが、厳しい環境だけに報酬は解体屋の倉庫で解体をしている者達よりも多いらしい。
また、レイが肉を受け取りに来る五日後に、希望する者は解体屋の倉庫で配置換えをするという話も聞いたが……環境が過酷な分、報酬に差があると知れば配置換えを望む者はそういないだろうとレノラやケニーは言っていた。
その辺が実際どうなのかはレイにも分からなかったが、スラム街出身の者達にしてみれば、多少環境が厳しいくらいなら問題はないと言われれば、それはそうかと納得するしかない。
ともあれ、そんな風に仕事を終えたレイは、レノラとケニーから感謝の言葉を口にされ、ギルドから出たのだった。
「さて、これからどうする? まだ朝は早いし……マリーナの家に戻るか?」
「グルルゥ? ……グルゥ」
レイの言葉に隣を歩くセトは少し考え、頷く。
とはいえ、レイはこれからどうするべきなのかと、ちょっと迷う。
マリーナの家に向かうにも、このままでは間違いなく自分に接触しようと思っている者が接触してくるだろう。
今も何人かがレイと接触しようと隙を窺っているのだから。
朝……ギルドに行く時は、まだ薄暗かったのでレイもある程度誤魔化すことが出来た。
だが、今は午前中とはいえ、既に太陽もしっかりと空にある。
その上、レイ達にとっては不運なことに、今日に限って空には雲が殆どない冬晴れだった。
(これで人通りが少なければ、セトにのって走って貰うといったことも出来たんだが)
早朝であれば人通りも少ないので、セトが走るといったことも出来た。
だが、今はもう午前中ということでかなりの人数が街中に出ている。
増築工事を行っている、春から秋と比べると人通りは少ないものの、それでも結構な人数がいる。
体長三mオーバーのセトが全速力……とまでいかずとも、それなりの速度で走ったりしたら、間違いなく大きな騒動になる。
場合によっては、大きな事故になる可能性もあった。
そのようなことをすれば、それこそレイが警備兵と親しいとはいえ、捕らえられるだろう。
レイもわざわざそのようなことをしようとは思っておらず、だからこそ接触しようとする相手の存在に困っていた。
(いっそ、一度ギルムから出るか?)
街中でセトが飛ぶのは、決まった場所であったり、特別に許可をした場合しか出来ない。
このような街道で飛ぶことは、まず許可されない。
だからこそ一度ギルムから出て、外からマリーナの家に戻るといったことをしてもいいのではないか。
そう思っていると……
「レイ殿、少しよろしいでしょうか?」
レイの決断が少し遅かったのだろう。
お互いに牽制していた者達の一人がレイに接触してきた。
これは今までずっとレイに接触しようとしていたにも関わらず、全く接触出来なかったからというのが大きいのだろう。
この絶好のチャンスを逃してなるものかと、そのように思い、牽制をしていた者の一人が最初に行動に出たのだ。
「悪いが、今は忙しいんだ。これから一度ギルムを出る必要があってな」
それは嘘ではないが真実でもない。
レイに話し掛けてきた男も、その辺は分かっているのか退く様子はない。
「そう仰らず。実はレイ殿にお会いしたいという方がおられます。レイ殿にとっても、お会いになって決して損にはならないかと」
「ちょっと待ってちょうだい! レイさん、話すのなら是非私と!」
レイと男の会話に、若い女が割り込む。
娼婦……という程ではないが、普通の暮らしをしているとは思えない色気を持つ女だ。
今が冬なので厚着をしているものの、もし夏なら大きく肌を露出させていただろう。
その色気を使ってレイと取引をする……そこまでいかなくても、親しくなるのを狙っているのだろう。
普通の男にしてみれば、一種のハニートラップとして大きな効果を持つのは間違いない。
しかし、それはあくまでも普通の男ならだ。
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラという、全員が傾国の美女と表現されてもおかしくはない三人と一緒に行動しているレイにしてみれば、話に割り込んできた女は美人ではあるものの、一目で視線を奪われるといった程ではない。
最初にレイに声を掛けた男とやり取りをしながらも、女はレイが自分に向けてくる視線に劣情の色がないのに気が付く。
女は男の視線に敏感で、男のチラ見は女のガン見と言われることもあるくらいだが、この女は自分の美貌や色気を武器にしているだけに、男の視線にはより敏感だ。
そんな女だけに、レイの視線が自分に……特に厚着の上からでも分かるように、双丘やくびれた腰、大きな尻に向けられていないのが分かってしまう。
それどころか、女が男と言い争いをしている間にレイはセトと共にその場から離れていく。
レイに接触するチャンスを狙っていた他の者達は、ここで男女二人が言い争いをしている様子に笑みを浮かべながらレイを追う。
女と言い争っていた男も、すぐに周囲の様子については気が付いたのだろう。
「ちっ!」
苛立ちも露わに舌打ちをし、自分がレイに接触する邪魔をした女を鋭く一瞥すると、レイを追う。
女はそんな男の態度に苛立つものを感じていたが、ここで男と言い争っていても意味はない。
今はとにかく、レイと接触してクリスタルドラゴンの素材を売って貰う交渉をするのが必須だった。
……もっとも、自慢の色気が通じない以上、レイと上手く交渉に持ち込めるかどうかは微妙なところだし、もし交渉に成功してもかなりの金額を支払うことになるかもしれなかったが。
ともあれ、まずはレイに追いつくことだ。
そう判断してレイを追うが……
「嘘でしょ」
正門の側に到着した女……いや、それ以外の者達の視線に映ったのは、素早く外に出る手続きを終えたレイが、セトと共に正門から出ていく光景だった。
これが春から秋……あるいは冬であっても初冬であれば、ギルムに出入りする者もそれなりにいるので、手続きをするにも順番を待つ必要がある。
しかし、今はもう雪も積もっている正真正銘の真冬だ。
昨日のような例外でもなければ、ギルムに出入りする者はいない……訳でもないが、その数は驚く程に少ない。
それを示すように、レイは特に待つ必要もなく正門の外に出る手続きを終えて、外に出たのだ。
そんな様子を、レイに接触しようとした者達は残念そうに見送るのだった。
「ふぅ、何とかなったな」
ギルムから出たところで、レイは安堵したように呟く。
そんなレイの隣では、セトが少し嬉しそうな様子でレイを見ていた。
セトにしてみれば、こうしてレイと一緒にいることが出来るだけで嬉しいのだろう。
レイはそんなセトを撫でると、すぐにセトの背に乗る。
もう少しここでセトと一緒に遊んでいてもいいのだが、もしかしたらレイと接触しようとしている者達がやって来るかもしれないと思っての行動だった。
それはセトも理解しているので、レイが頼んでも嫌そうな様子は見せない。
マリーナの家に行けば、イエロがいるというのもあるだろう。
(ニールセンがいれば、セトももっと喜ぶのかもしれないけど。……あ、でもそろそろ妖精郷に一度戻った方がいいか。今日の解体を頼んだ分の肉を引き取るのと、新たに解体する部位を引き渡すのが五日後だから、明日辺りは妖精郷に行くか。それに、ゴーレムの件もあるし)
今のところはギガントタートルの解体の件で忙しいので、すぐに頼んでいたゴーレムを引き取りに行くのは難しいだろう。
だが、ギガントタートルの解体をある程度慣れて行うようになれば、レイもずっとギルムに残る必要はない。
(穢れの件が解決したのは、そういう意味でも助かったよな)
もし穢れの一件がまだ終わっておらず、続いていた場合。
そうなると、レイがゴーレムを引き取る為に妖精郷から長く離れるということは難しかった筈だ。
しみじみと、冬のうちに穢れの一件を片付けられたことに安堵する。
もっとも、あくまでも消えたのは穢れの関係者の本拠地であって、拠点はまだ無事な可能性がある。
そちらについてはダスカーがミレアーナ王国の上層部と連絡をし、ベスティア帝国と連携しながら見張りを送って対処するという話になっていたので、レイはこれ以上関わる予定はない。
それでも何らかの理由で穢れを……いや、それどころか大いなる存在すら焼き滅ぼしたレイの力を借りるということになる可能性は十分にあったが。
「まぁ、今からそれを考えても仕方がないか」
そう言い、レイはセトに乗ってマリーナの家に向かうのだった。
「あれ? マリーナはいないのか?」
上空から戻ってきたレイがマリーナの家の中に入ると、そこにはエレーナとアーラが話をしながら紅茶を飲んでいた。
今は面会の客もいないので、お茶の時間を楽しんでいたのだろう。
「レイか。マリーナなら、領主の館に向かったぞ。ダスカー殿に昨日レイから借りた透明なモンスターの鱗を見せにな」
「ああ、そう言ってたな」
スキルや魔法を使うのではなく、常時透明なモンスター。
それも透明である以外にも黄昏の槍の一撃で身体を貫くことは出来ない高い防御力を持ち、飛ぶ音も聞こえないという厄介なモンスターだ。
そのようなモンスターをギルムからそう離れていない場所で遭遇したのだから、増築工事の為に結界が張られていない今のギルムの危険性を考えると、マリーナがダスカーにその件を報告に行くのは当然だった。
何しろそのようなモンスターがギルムの中に入ってくれば、間違いなく惨劇となるのだから。
せめてもの救いは、ここがギルム……つまり、腕の立つ冒険者が多数いることだろう。
ランクA冒険者や異名持ちも複数おり、もしそのような冒険者が透明なモンスターと遭遇したら、倒せる可能性は十分にある。
……もっとも、冬越えをしている今の冒険者達は酒を飲んでいることも多く、酔っ払った状態で透明なモンスターと遭遇する可能性もあったが。
「マリーナもギルムに長く住んでいるだけあって、愛着はあるのだろう。レイが倒した透明なモンスターの一件は、放っておくことが出来ない筈だ」
レイもその言葉には納得しか出来ないので、頷いておく。
「それでレイ殿。こうして戻ってきたということは、解体はもう始まったのですか?」
レイがエレーナと話している間に、レイの分の紅茶を淹れたアーラが、レイの前にその紅茶を置きながら尋ねる。
「ああ。それなりに大変だったけど、最初の一日だけだしな。後は五日後まで特にやることはない。……暇なら、ちょっと様子を見に行ったりしてもいいけど、セトを連れていくのは難しいだろうな」
中庭でイエロと遊んでいるセトの様子を眺めつつ、レイは残念そうに言う。
レイだけなら、ドラゴンローブの隠蔽の効果である程度は誤魔化せる。
幸いなことに、今は冬で防寒具としてローブを着ている者が多いのもレイに味方していた。
だが、そんなレイであってもセトと一緒に行動していれば、どうしても目立ってしまう。
セトの隣にローブを着ている人物がいれば、それがレイだと思う者は多いだろう。
「セトは残念に思うだろうが、イエロと遊んでいる間はそのことを忘れるのではないか? 後はニールセンもこっちに来れば、遊び相手も増えると思うが」
「だろうな。俺もそう思う。明日辺り妖精郷に行って一泊してくるつもりだけど、戻ってくる時にニールセンを連れてきてもいいかどうか長に聞いてみるよ」
「長も大変だな」
しみじみとエレーナが呟いたのは、好奇心旺盛で悪戯好きのニールセンの性格をよく知っているからだろう。
実はその長がレイに想いを寄せていて、場合によっては自分のライバルになるということには、全く気が付いていない。
あるいはレイがそんな長の気持ちに気が付いていれば、長の話が出た時に幾らかそれが態度に出て、それによって長の存在を気にするといったことになったかもしれないが、幸か不幸かレイは長の気持ちに気が付いていない。
その為、特に何か面倒なことが起きることもなく……静かで楽しいお茶会が続くのだった。