3500話
ギガントタートルを大雑把に切り分けた翌日、レイはセトと共にギルドに向かっていた。
まだ朝が早いということもあってか、周囲に人の数は少ない。
もっとも、そんな状況でもレイと接触しようとする者はいるのだが、そのような相手が動こうとすると、さり気なく邪魔をする者がいる。
(エッグには感謝だな)
そのような相手の邪魔をしているのは、ギルムの裏を任されているエッグの手の者だ。
元々は盗賊……ただし、義賊と呼ぶべき存在であり、レイも関係した色々とあって最終的にダスカーに仕えることになったのがエッグやその部下達だ。
その後、エッグはダスカーに信頼されるようになり、裏についてはエッグが任されるということになっていた。
そんな訳で、エッグにとってレイは一種の恩人でもあり、そのレイが困ってるのなら助けるくらいはする。
……レイと会った時はお互いに憎まれ口を叩いたりするのだが。
そんなエッグのお陰でレイは誰かに話し掛けられたりせず、ギルドに向かう。
まだ午前六時前ということもあり、薄暗い。
だが、ギルドに近付くにつれて多くの者達が集まっているのが分かる。
(これも今日だけなんだろうけど)
これから解体を行う者達は、自分がどこで解体するのかという割り振りを受けるのだ。
ギルド職員や見張りの冒険者達と共に、解体をする場所に向かうことになる。
そしてレイは、解体する部位をそれぞれの場所に置いていく。
「あ、おい。見ろよ」
「レイだ……セトもいる」
「うわぁ。昨日見た時もそうだけど、迫力があるな」
「セトちゃん、可愛い……」
レイとセトの存在に気が付いた冒険者達が、それぞれ感嘆の息を吐く。
もっとも、中にはセト愛好家の姿もあり、その者の口からはセトを愛でたいという思いがこれでもかと溢れていたが。
(スラム街の住人も、こうして見るとそこまで問題は起こしてないみたいだな)
普通の冒険者とスラム街の住人は非常に見分けがつけやすい。
何しろ着ている服を見れば一目瞭然なのだから。
実際にはスラム街の住人でも綺麗な服を着ている者もいるので、その辺りの判断は絶対という訳ではない。
とはいえ、レイも別に詳細に見分けようと思っている訳でもないので、そこまで気にするようなことはなかったが。
スラム街の住人も、ここで騒動を起こせば解体に参加出来なくなるというのは分かっているのか、何人かは気に入らない相手を睨み付けたりはしているものの、実際に喧嘩沙汰になったりはしていない。
中には元から知り合いだったのか、それともこの短時間で気が合ったのか、親しそうに話をしている者達もいる。
ギルドとしては、春以降に冒険者として活動するのなら後者の方が助かるだろう。
依頼人や一緒に依頼を受けている冒険者と揉めるのは、ギルドにとっても決して好ましい出来事ではないのだから。
ギルドの周囲に集まっている者達の視線を浴びながら、レイはセトにいつもの馬車用のスペースで待ってるように言い、ギルドに入る。
昨夜は多少雪が降ったものの、それでも雪がそこまで積もるといった程ではない。
そしてこれだけの人数が集まっていれば、それらの人数に雪は踏まれて新雪とはとても言えない状態になっている。
セトもそんな雪の上に寝転がるのは嫌だったのか、いつもとは違ってその場に立ったままだ。
何人か……セト愛好家の面々だったが、そんなセトに近付いていき、少しの間至福の時間を楽しむのだった。
「あ、レイさん。ちょうどいいところに」
ギルドに入ってきたレイを見て、レノラが嬉しそうに手を振る。
まだ早朝なのに、元気一杯な様子だ。
受付嬢としての責任感からの態度なのかもしれないが。
レノラの横では、こちらも嬉しそうにケニーがレイに向け手を振っている。
(ギルドの中に人はあまりいないな。朝だから、てっきりもっといると思ってたんだけど)
ギルドの中にいる冒険者の人数がかなり少ない。
いつもなら、このくらいの時間であれば多くの冒険者が依頼を求めてギルドに集まっているのだが。
冬だが、冬越えの資金を貯めきれなかった者や、派手に遊んで金欠になった者、あるいはもっと単純に身体を鈍らせない為……そんな理由で依頼を受ける者がそれなりにいてもおかしくはないのだが、ギルドには少数しかいない。
ギルドに併設している酒場の方では、恐らく……いや、間違いなく昨夜から飲み続けている者達や、酔い潰れている者達もいるのだが。
「少し遅れてしまったか?」
カウンターの前までやって来たレイは、レノラにそう尋ねる。
レノラはそんなレイの言葉に首を横に振る。
「いえ、まだ予定の時間より少し早いですから、問題はないかと」
「そうか。なら、それでいいけど……解体をやる場所は何ヶ所くらいになりそうなんだ?」
「十五ヶ所ですね。本来ならもっと場所を増やしたかったのですが、ギルド職員や護衛として雇った冒険者の数を考えると、そのくらいの場所になります」
「予想よりも多いな」
レイは恐らく十ヶ所くらいではないかと思っていた。
とはいえ、それは特に何らかの根拠がある訳ではない。
何となくそう思ったというのが正しい。
(とはいえ、二百人以上いて十ヶ所だと一ヶ所二十人。うーん、それはちょっと多すぎるか。それに解体の依頼を受けた奴はもっと増えるかもしれないし)
解体をする場所がどのような場所なのかは、レイにもまだ分からない。
もしかしたら十分に広く、二十人くらいでも問題なく動き回れるような広さを持っている場所である可能性はある。
勿論、場所によってその辺は大きく変わってくるのだろうが。
「そうですね。けれど後から解体の依頼を受けた人を追加する可能性もありますから、何かあった時、動き回れる場所があるのとないのとでは大きく違ってきますし。それに、中には解体業者の解体所を借りたりもしてますよ」
「それは……いいのか? というか、それなら最初からギルドで依頼を受けてとかじゃなくて、解体業者に頼んだ方がいいような」
「いえ、この依頼はスラム街の住人の為というのもありますし、それ以外にも金銭的に困ってる人を助けるという目的もあります。それに解体屋にしても、今の季節は解体の仕事が少ないので、施設を貸すだけで収入があるのならという方もいますね」
「それに、ギルドが施設を借りる契約をした解体屋は優良店だけだから、中には親切な人もいて、解体のやり方とかを教えてくれるかもしれないわよ」
レノラに続いてケニーがそう言うが、レイはその言葉に本当かと疑問を抱く。
親切な者がいるのはレイも知っている。
だが、それでもわざわざ出て来て解体のやり方を教えるといったことまでしてくれるような者は……いないとは言わないが、そう多くいるとも思えなかった。
「そういう人のいる場所で解体を出来るのなら、当たりだな。……ちなみにギルドの倉庫は使わないのか? スラム街の住人が寝泊まりする倉庫以外の」
「少し難しいでしょうね。スラム街の住人が寝泊まりする倉庫にあった荷物を他の倉庫に運び込んだりしてますし。……どうしても解体する場所がなければやるかもしれませんが」
「そういうものか。もしギルドの倉庫で解体が出来るのなら、倉庫で寝泊まりしてる連中にしてみれば、仕事場まで本当にすぐだと思ったんだけど」
「それはギルドでも検討しましたけど、倉庫の荷物を移動させる手間を考えると、やっぱりもうある解体屋の施設を使わせて貰う方が手っ取り早いということになったみたいですね。それに……全員が解体屋の倉庫で解体をする訳でもないですし」
「そうなのか? ギルドの前にいた連中を思えば、そういう風になってもおかしくはないか」
そうして三人で話していると、やがてカウンターの奥からレノラとケニーの名前が呼ばれる。
レノラとケニーは名前を呼んだ人物のいる場所に向かうと、すぐにレイのいる場所に戻ってくる。
「レイさん、そろそろ時間だということなので、行きましょう。私が案内します」
「レノラだけじゃなくて、私も案内するからよろしくね」
「ケニーも? 俺はいいけど、仕事は大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。そもそも、今のギルドを見て忙しそうだと思う?」
改めてケニーにそう言われ、レイはギルドの中を見回す。
そこには何人かの冒険者がいるが、その人数は決して多くはない。
それこそレノラやケニーがいなくても、他の受付嬢で十分に対処出来る数だった。
……もっとも、レノラもケニーも顔立ちが整っており、ファンも多い。
そのような者達はどうせなら自分の依頼を受ける手続きをレノラやケニーにやって欲しいという者もいるだろう。
とはいえ、上司から指示された以上は仕方がない。
あるいはレノラやケニーがレイと行動したくないのなら話は別だが、レノラもケニーも種類は違えど、レイに好意を抱いている。
そんな二人だけに、レイと一緒に解体をする場所を回ってギガントタートルの部位を置いてくるのを一緒にやることを素直に受け入れた。
特にケニーは、本来ならこの仕事はレノラだけだった筈が、昨日の件に引き続いて上司を説得して、レノラと共にレイを案内するのを引き受けている。
「分かった。問題がないのなら、そろそろ行くか。俺達がゆっくりしてると、いつまで経っても解体を始められないだろうし」
レイの言葉にレノラとケニーは頷き、外出の準備をするのだった。
「グルルゥ」
寒さ対策として厚着をしたレノラとケニーと共にギルドから出たレイに気が付き、セトが喉を鳴らしながら近付いてくる。
レイがギルドに入った時は、ギルドの前に解体の依頼を受けた多くの者がいたのだが、ギルドの中にいる間に、ギルド職員がそれぞれどこで仕事をするのかでグループを作り、護衛の冒険者と共に移動していた。
結果として、ここに残っていたのはセトだけとなる。
……いや、セト以外にも何人かいて、セトに甘えられているレイを羨ましそうに見ている。
「って、おい。依頼はどうした? セト好きだからって、依頼を無視したのか?」
「いえ、違うわレイ君。あの人達は今回の解体の依頼を受けた人達じゃないわよ」
思わずといった様子で出たレイの呟きに、ケニーが反応する。
そんなケニーに、レイは不思議そうに尋ねる。
「じゃあ、何でこんな朝早くからここにいるんだ?」
「セトちゃんと遊びたかったからでしょうね」
「それは……」
ケニーの説明は理解出来るものの、それで納得出来るかと言われれば微妙なところだろう。
少し離れた場所にいた者達は、一体どうやって早朝にセトがギルドに来ると思ったのか。
あるいはレイが来るからセトも来ると予想していたのかもしれないが。
「にしても、依頼を受けた者達を全員覚えているのか? 結構な人数になると思うけど」
二百人以上の顔を覚えているというのは、素直に凄いとレイは思う。
しかし、セトを撫でながら出たレイの言葉に、レノラとケニーは特に気にした様子もなく頷く。
「ギルドの受付嬢として、そのくらいは出来ないと話になりませんから」
「そうね。特にギルムは冒険者が多いし。それに、春から夏に毎日捌いている人数を思えば、このくらいは簡単よ」
特に大変なことをしてるといったようには思っていない二人だったが、レイにしてみれば十分に凄いと思う。
少なくても、レイはレノラやケニーと同じように二百人近くの顔をしっかりと覚えることは出来ないという自覚があった。
(いやまぁ、ギルドで受付嬢として採用されるのはとんでもない倍率を潜り抜けないといけないって話だったし、それを思えばこのくらいは出来てもおかしくないのか?)
ギルドの受付嬢は報酬も高く、人気の職業だ。
特にギルムのギルドには辺境という関係上、腕利きの冒険者も多く集まっている。
受付嬢にしてみれば、恋人や結婚相手を見つけるという意味でも非常に大きなメリットとなるのだ。
また、受付嬢に採用されるということは、有能で美しい女と認められるに等しい。
そういう意味では、それこそ日本では最高学府と呼ばれている大学と同じくらい……あるいはそれ以上の倍率を勝ち抜く必要がある。
そのような倍率を勝ち抜いたレノラやケニーにしてみれば、二百人くらいの顔を覚えておくのはそう難しい話ではないのだろう。
「凄いな」
「え? そう? ふふん、少しくらい尊敬してくれてもいいのよ」
ケニーにしてみれば、ギルド職員なら大体同じようなことが出来るということで褒められたことに驚くのだが、それでも笑みを浮かべてそう言ってくる。
レノラはそんなケニーに呆れの視線を向けつつ、口を開く。
「いつまでもここで時間を潰している訳にもいきませんので、行きましょうか。依頼を受けた人達を待たせる訳にもいきませんし」
その言葉にレイは頷くのだった。