3496話
「あ、レイさん」
ギルドに入ったレイを見て、レノラがそう声を上げる。
そんなレノラの隣では、ケニーが笑みを浮かべてレイに手を振っている。
ギルドの中には冒険者の数は数人しかいない。
その数人も、依頼書が貼られているボードの前でその依頼を受けるかどうかを考えたり、相談したりしていた。
ただ、既に午後三時すぎとなると、今から依頼を受けるといったようなことは絶対にないとは言わないが、時間的に難しい。
そうなると、明日どの依頼を受けるかを話しているといったところなのだろうとレイは予想する。
幸いにして、依頼書に集中しておりレノラの声は聞こえていなかったのか、もしくは聞こえていてもスルーしたのかは分からないが、とにかくレイに視線を向ける様子はない。
そのことに安堵しつつ、レイはカウンターに向かう。
なお、ギルド……依頼ボードの前には冒険者の数は少なかったが、ギルドに併設されている酒場は満員とまではいかないが、結構な数の客がいる。
そこから聞こえてくる話題は、やはりレイが今日行ったパフォーマンスの件が多い。
酒の肴としては、丁度いい見世物だったのだろう。
……中には自分ならレイと同じようなことが出来ると口にしている者もいたが、それは多くの酔っ払い達に笑われていたりもする。
そんなやり取りを聞きながら、レイはレノラの前に到着した。
「それでレイさん。解体の方はどうでしたか?」
「問題ない。取り扱いがしやすいように切断してきた。後は明日だけど、どうすればいい?」
レイとしては、去年と同じく毎日のようにギガントタートルの死体を取り出したり収納したりといったことを繰り返すのは、あまり気が進まない。
単純に面倒だというのもあるが、出来れば冬の間に春に迷宮都市に行く為の準備をしておきたいと思っていた為だ。
具体的には、頼んでおいたゴーレムを受け取ったり、ネクロゴーレムが暴れた影響が一体どうなったのかを見て回ったりといったところか。
大いなる存在と戦った時程ではないにしろ、ネクロゴーレムの時も強力な魔法を使って周囲の気温を上げるといったことをしている。
ただ、大いなる存在の時とは違い、その範囲は狭いし、気温の上昇も誤差……とまではいかないが、それなりに小さなものだったのだが。
「そうですね。レイさんが毎日解体する部位を出して、解体した肉を持っていってくれると嬉しいのですが……駄目なようですね」
レノラは会話の途中でレイの顔を見て、最後まで言わずに駄目なのだろうと判断する。
「俺も色々とやることがあるし、毎日行くのは大変だ。出来ればある程度の量を置いていって、それを解体したら纏めて受け取るといった感じにしたい。勿論、依頼が終わるまで……春になるまでギルドに来ないとか、そういうことはないから」
「当然です。ギガントタートルの肉ともなれば、かなりの貴重品ですよ? それをずっと預かっているのはギルドとしても遠慮したいところです」
「クリスタルドラゴンを始めとして、魔の森のモンスターは結構長期間預けたけどな」
「それはレイさんが取りに来なかったので、仕方なくです」
レノラにそう言われると、それが事実だけに反論も出来ない。
実際にはクリスタルドラゴンの件でレイに接触しようとする者が今以上に多かったから、ギルドに近付くことが出来なかったのだが。
今もそれなりにレイに接触しようとする者は多いが、以前はまだ冬になる前……つまり、ギルムに拠点を持っていない商人や貴族達も多く来ていた。
そのような者達もまた、レイに接触しようとしていたので、そういう意味でもレイにとっては周囲の状況に気を遣う必要があったのだ。
幸いなことに、今は冬でそのような者もおらず、ダスカーの尽力によってある程度は安心出来るようになったが……それでもまだ、レイに接触しようとする者は多い。
「なら、引き取りに行かなかった場合は、ギガントタートルも同じような扱いになるとか?」
「……そういうのは、絶対に迷惑ですから止めて下さいね」
レノラの視線には反論を許さないだけの迫力がある。
そんなレノラの様子を見れば、レイもその言葉に頷くことしか出来なかった。
「本当にもう……クリスタルドラゴンの件の時は、信用出来る冒険者を素材の護衛用に雇ったりして大変だったんですからね」
レイの様子に、レノラは呆れたようにそう言う。
そんなレノラの言葉にレイが思い浮かべたのは、倉庫の前で護衛をしていた冒険者達だ。
あの冒険者達も高い実力を持ち、その上でギルドから信用されていた冒険者達だった。
あのような者達を長期間雇うのなら、相応に報酬は必要になるだろう。
そして報酬を支払うのは、レイではなくギルドだ。
……レイに渡す前に、素材や魔石、あるいは解体でゴミと判断された場所でも、ギルドは一通り調べている。
勿論、それは素材や魔石に被害がないようにと注意してのことだが。
何しろ、魔の森のモンスターだ。
クリスタルドラゴンは当然ながら、それ以外の高ランクモンスターもギルドで初めてその存在を確認したり、情報を入手出来たものも多い。
その利益を考えれば、ギルドで護衛の冒険者を雇う程度の出費は痛くない。
もっともレイは勘違いしているが、倉庫の前を守っていた冒険者達と素材を守っていた冒険者達は実は同じ者達ではない。
倉庫を守っていたのとは別に雇っていたので、報酬も当然ながら雇っていた人数分多くなる。
「分かった。けど、毎日引き取りに来たり、解体する部位を渡したりとかはしなくてもいいよな? 具体的には、数日に一度……こっちの希望としては十日に一度くらいで」
「却下です。それだと少しこちらの負担が大きすぎます。三日に一回ではどうでしょう?」
「俺もこの冬は色々と忙しいんだよ。春になったら迷宮都市に行くから、その準備もあるし」
「え? そうなの!? レイ君がいなくなったら、増築工事が大変なんじゃ!?」
横で話を聞いていたケニーが、思わずといった様子で口を挟む。
レノラがそんなケニーに咎めるような視線を向けるが、ケニーはレノラの視線に気が付いた様子はない。
「最初はともかく、今はもう俺は増築工事に殆ど関わってない。何か緊急の事態があった場合は別だけど。それこそ増築工事の現場で大きな事故が起きたとか、そういう時は」
上から工事をする際に安全に配慮するようにと言われてはいるものの、それでも全員がその言葉に従う訳ではない。
面倒だから手抜きをするといった者はどうしても出てくるし、技術不足で指示されたように出来なかったり、建築資材の問題で当初の予定通りに出来なかったりといった具合に。
そのような理由で増築している壁が崩落をした場合は、レイがいれば大きな力を発揮するだろう。
地形操作のスキルで地面を動かして対処するとか、崩落した壁の部品をミスティリングに収納するとか。
とはいえ、実際にはそのような時はレイよりもマリーナの精霊魔法の方が役に立つのだが。
それこそ水の精霊を使って生き埋めになった者達に水を届けたり、土の精霊を使って地面を動かしたり、風の精霊を使って埋まっている者の声を聞き取ったりといったように。
ましてや、水の精霊魔法による治療は大規模な事故が起きた時に非常に大きな意味を持つ。
その辺の諸々を考えると、レイは自分がいなくても大抵はどうにかなるのではないか? と思う。
勿論、レイがいれば便利なことがあるのも事実だ。
ミスティリングに大量に入っている食料を使った炊き出しをやるといったように。
あるいはレイと一緒にいるセトの影響で壁の崩落のような事故について気が付いたモンスターをその気配で近付かせないという意味でも。
しかし、それはあくまでもいれば便利というだけで、絶対にレイがいなければならないという訳ではない。
その辺りについて大雑把にだが説明すると、話を聞いていたケニーは不承不承ながら納得する。
「全く、ギルドマスターが有能すぎるというのは困ったものね」
「ケニー、前ギルドマスターでしょ」
「あ、ごめん。つい……」
ギルド職員達にとって、前ギルドマスターのマリーナはそれだけ強い存在感を持っていたということなのだろう。
ワーカーがギルドマスターを継いでも、マリーナをギルドマスターと呼称してしまう者は多い。
これは別にワーカーが無能だという訳ではない。
実際、ワーカーはギルドマスターとしては間違いなく有能だ。
有能ではない者に、辺境にあるギルムのギルドマスターが出来る筈もないのだが。
そのようなワーカーの有能さを理解した上でも、やはりマリーナの存在が大きいということなのだろう。
「とにかく話を戻すとして、何日ごとに俺がギガントタートルの解体する部位を渡すのと、解体した肉や素材を受け取るかだな。……十日でどうだ?」
そう言うレイに、レノラはジト目を向けながら口を開く。
「全く変わってないのですが? 三日」
「……そっちこそ全く変わってないんだが? 十日」
「ですから、レイさんこそ何も変わってませんよ。……五日」
このままでは埒が明かないと判断したのか、レノラは三日から五日に伸ばす。
しかし、レイはそこで更に十日と口にしようとしたところで、ケニーがレイを手招きする。
「どうした?」
「レノラの五日くらいで手を打った方がいいわよ? レイ君の十日だと、解体の依頼を受けた人達の人数から考えて、肉を収納するのがかなり大変になると思うし」
「それは……」
「解体の依頼を受けた人は二百人以上いるのよ? その人達が全員毎日解体をするとは限らないけど、それでも結構な人数が解体することになる筈よ。そうである以上、肉の集まり具合は多くなるでしょうし」
そう言われると、レイもそういうものか? と思う。
実際に一日でどのくらいの肉が解体されるのかは分からないが、ケニーがそう言うのなら五日くらいで手を打った方がいいのだろうと。
十日というのも、特に何らかの拘りがあってのものではない。
毎回ギルドに行く時、自分に接触しようとする相手の対処が面倒だから、切りのいいところで十日と指定したにすぎない。
であれば、当初の目的だった十日の半分……五日であっても、許容範囲内だろうと。
「分かった。じゃあ、五日でいい」
「やった」
レイの口から出た言葉に喜びの声を発したのは、レノラ……ではなく、ケニー。
ケニーにしてみれば、五日ごとにレイがギルドに来る。
つまり、五日ごとにレイに会えるということを意味していた。
ケニーがレイにアドバイスをしたのは、レイが肉をミスティリングに収納する大変さについてのものであったのも事実だが、同時に自分がレイと会う機会を出来るだけ増やしたかったという思いもあってのものだ。
レイに恋する乙女としては、出来るだけ会いたいと思ってしまうのだろう。
それでいて、レイの負担にならないように肉の収納について話しているのは、ケニーが有能な証か。
特にレイが春になったら暫く迷宮都市に行くという以上、出来るだけそれまでの間に会っておきたいという判断も働いたのだろう。
そんなケニーの考えは、相棒のレノラには容易に読める。
読めるのだが、そのケニーのお陰でレイがギルドに来る頻度が五日に一度となったのだから、注意することは出来ない。
結局後で少し注意するだけ……その後でご飯でも奢ってあげようと思いつつ、レノラはレイと話を詰める。
「では、五日ということで。……それで、取りあえず明日から五日分の解体する部位はどうしますか? ギルドとしては、今日倉庫に置いていってもいいですし、明日レイさんがそれぞれの場所に持っていっても構いませんが」
「ん? そうだな。……どっちの方がいい?」
「先程も言いましたが、ギルドとしてはどちらでも構いません。ですが、依頼の初日なのでレイさんが直接渡していった方が現場の士気は上がるかと」
「それに妙な考え抱いてる人も、レイ君が見に来たとなれば躊躇うかもしれないわね」
続けて言うケニーの言葉に、レイもそれはそうかと納得する。
「じゃあ、明日は朝……何時くらいにギルドに来ればいい?」
「朝六時くらいでいいかと。まだ暗い時間ですが、解体の依頼は皆が待ち望んでいましたので、そのくらいの時間からもう皆がそれぞれ指示された場所に行きますし。レイさんが解体する部位を出していけば問題はないかと」
レノラの言葉に、レイは少し迷う。
朝六時に行くということは、それよりもっと早く起きる必要がある。
その上で、レイは緊急時以外は寝起きの状態が三十分程続く。
それを思えば、かなり早く起きないといけないと思いながら……それでも仕方がないかとレノラの言葉に頷くのだった。