3487話
ニールセンと別れたレイは、恐らくボブがいるだろうと思しき場所に向かう。
冬だけに、薄暗くなると完全に暗くなるのはすぐだ。
既に周辺はかなり暗くなっており、それこそ夜目が利かないと地面に躓いたりしてもおかしくはない。
何人かの妖精達が、明かりを用意しているのが目に優しい。
マジックアイテムの明かりもあれば、純粋に焚き火を用意しているとこもあるし、あるいは魔法を使って明かりを用意している者もいる。
そんな様々な明かりの中を進んでいると……一際明るくなっている場所がレイの目に入った。
「あそこか」
その明かりが何の為に用意されたのかは、レイにも容易に予想出来る。
レイと違い、ボブはそこまで夜目が利く訳ではないのだから。
そんな中で狩ってきた獲物の解体を行うとなると、明かりは当然必要になる。
その明かりの正体が、レイの視線の先にあるものだった。
「ボブ!」
近付いていきなり声を掛けると、解体している時に手を切ったりしかねないので、少し離れたところからボブの名前を呼ぶ。
すると幸いなことに、ボブはそんなレイの声が耳に入り、鳥を解体していた手を止める。
「レイさん! 戻ってきてたんですね! ニールセンから聞いてはいましたけど……」
レイを見て嬉しそうに笑うボブ。
そんなボブの周囲では鳥の解体を見ていた妖精が何人かいる。
解体が途中で止められたということで、何人かの妖精は不満そうな様子を見せているものの、それでも不満を口にすることはない。
「ああ、少し前にな。ボブは狩りに行ってたみたいだったから、入れ違いになったんだな。……それにしても、さすがだな」
レイの視線の先には、十羽程の鳥の死体がある。
それだけなら、少し腕のいい猟師ならボブと同じようなことが出来るだろう。
だが……レイがさすがと口にしたのは、その十羽がどれも肥えている……つまり、食べる場所の多い鳥だったからだ。
例え鳥を獲ることが出来ても、それが肉があまりなく、骨と皮と筋だけで肉も固いとなれば、猟師にとっては外れでしかない。
……実際にはそういう鳥でも腕のいい料理人が調理をすれば十分に美味く食べられるし、あるいは素人でも料理にするのではなく出汁を取る為に使ったりすれば、それなりに美味い料理にはなるのだが。
猟師の中にもそのような知恵や技術を持ってる者はいるだろうが、それでも一般的な猟師にしてみれば、食べる場所が殆どない鳥というのは外れでしかない。
そんな中、ボブが獲ってきた鳥はどれもがしっかりと食べる場所があり、多くの猟師が当たりだと判断するだろう鳥だった。
そのような鳥ばかりを選んで獲ってきたのだから、ボブが猟師としてどれだけ優れているのか、非常に分かりやすい。
「あはは。そう言って貰えると嬉しいです。……一羽、どうです?」
褒められたのが嬉しかったのか、それとも穢れの件で色々と迷惑を掛けたことに対する感謝の気持ちなのか、ボブは今日獲れた中でも最も肉付きのいい鳥をレイに向かって差し出す。
「いいのか? この鳥はボブが獲ってきた奴だろう? 今日……後は明日の食事くらいにはなるんじゃないか?」
ボブだけで食べるのなら、二日どころか三日、四日、五日くらいにはなりそうだが、この鳥を食べるのはボブだけではなく妖精達もだ。
そして妖精達の食欲を考えれば、これだけの鳥であっても精々が二日程度で全て食べきってしまうだろうというのがレイの予想だった。
(ニールセンがいれば、それこそ一日で全部なくなってしまいそうだけど)
ニールセンは不思議なことに、自分の身体の大きさ以上の量を食べても平然としている。
一体何がどうなってそのようなことが出来るのかレイは分からないが、そんなニールセンだけに、鳥の一羽や二羽は容易に食べてもおかしくはなかった。
「いいんですよ。レイさんには今回の件で本当に世話になりましたから。……もしレイさんやニールセンがいなければ、あの時に死んでいたでしょうし」
「まぁ……うん。そうだな」
ボブの言葉にレイはそう頷く。
実際、もしレイとニールセンが初めてボブに会った時のことがなかった場合、ボブは追ってきた穢れの関係者達を相手に死んでいた可能性が高いだろう。
ボブは腕の立つ猟師ではあるが、戦闘に長けている訳ではないのだから。
レイとニールセンはボブにとって命の恩人なのだ。
丸々と太った鳥を一羽や二羽渡すくらい、全く問題がなかった。
「ですから、この鳥は今まで助けて貰ったお礼ということで。……出来ればもっとしっかりとした何かを送りたかったのですが、生憎とそういうのはないので」
「別にその辺はそこまで気にしなくてもいいんだけどな」
これはボブに気を遣ったとかそういうことではなく、正真正銘のレイの気持ちだ。
ボブを助けた為に穢れの関係者の問題に巻き込まれたレイだったが、もしレイがボブと関わらなかった場合、穢れの関係者は着々と世界を滅ぼす為の行動を行っていたのだ。
その場合は、それこそいつ世界を滅ぼす準備が出来たのかは分からない。
穢れの関係者達が欲していた妖精の心臓は、そう簡単に入手出来るものではなかったのだから。
だが……穢れの関係者との戦いは、前知識がなければ非常に厄介な相手なのは間違いない。
それこそいつ死んでもおかしくはないような、非常に危険な相手なのだ。
また、ボブの件で関わらなければ穢れの関係者の存在を知ることはなかっただろうが、その代わり将来的に全く何も知らない中で穢れの関係者が妖精の心臓を入手し、それによって大いなる存在を呼び出し、レイが知らないうちに世界が滅ぼされてしまう……そんな最悪の結果になっていた可能性もあるのだ。
それを思えば、穢れの関係者が行おうとしていた世界の破滅を阻止することが出来たのだから、ボブはある意味で世界を救った存在……あるいは世界を救う切っ掛けとなった存在であるのは間違いない。
本人にその自覚があるかどうかは、また別の話だったが。
「ともあれ、この鳥をくれるのなら貰っておくよ。……それで穢れの件が解決したし、ボブはやっぱり春になったら旅に出るのか?」
「はい。この妖精郷での暮らしも毎日が面白かったですけど、やっぱり一ヶ所にずっといるのは性に合わないというか……」
そう言うボブは少し困った様子で頭を掻く。
本人にとっても、この妖精郷の暮らしは決して悪くないとは思っているのだろう。
だが同時に、ボブの口から出たように自分が一ヶ所に定住するのも性に合わないと思っているらしい。
レイは別に一ヶ所に暮らしていてもそう違和感はないので、ボブの気持ちは分からない。
とはいえ、レイも一ヶ所に暮らしているといっても、今は妖精郷に暮らしているし、ギルムで寝泊まりをするにもマリーナの家や夕暮れの小麦亭の部屋といった具合に、幾つも泊まる場所はある。
それにセトを従魔としている関係上、何らかの理由でどこか遠くに行ったりといったこともそれなりにある。
そういう意味では、レイとしては一ヶ所に定住しているつもりでも、実質的にはボブのような旅暮らしのような感じでもあるのだろう。
本人にそういう意識があるかどうかは別だったが。
「そうか。取りあえず穢れの関係者の件は解決したから、そっちの心配はあまりいらない」
「……あまり? それは一体どういうことです?」
心配はいらないと断言をしたのなら、ボブもそれを素直に受け入れただろう。
だが、あまり心配はいらないという表現はボブに疑問を抱かせるのに十分だった。
「その辺はニールセンに聞いてないのか? ……まぁ、いい。今回の一件に深く関わっているボブになら話してもいいと思うが、俺達が攻撃をしたのは穢れの関係者の本拠地だ。本来なら、その本拠地にあるだろう他の拠点の場所を示した書類か何か、もしくは捕らえた捕虜から情報を聞き出す予定だったんだが、戦いの余波で本拠地は焼滅してしまった。それこそ何もない状態にまでな」
「……それは聞いてません。聞いたのは、穢れの関係者の件はもう終わったということですから」
「ニールセン……」
説明するのが面倒だったのか、それともニールセンの中ではもう本当に心配はいらないと思っているのか、その辺りはレイにも分からないが、適当に説明だけしたらしい。
「とにかくそんな訳で、本拠地にいた連中は間違いなく全滅した。それは間違いない。けど、他に拠点があって、ボブの情報が渡っている場合、そういう連中が襲ってこないとも限らない」
そうレイが言うと、ボブは微妙な表情を浮かべる。
明確に襲ってくるのなら、警戒もするだろう。
だが、もしかしたら襲ってくるかもしれないというのは、どう対処すればいいのかボブには分からなかったのだろう。
「ねぇ、レイもこう言ってるし、やっぱりボブはもう少し……その穢れの件が解決するまでは妖精郷にいた方がいいんじゃない?」
そうボブに言ったのは、ボブに懐いている妖精の一人。
ボブが妖精郷に来た時から一緒にいることが多いだけに、このままボブが妖精郷から去ることに思うところがあるのだろう。
「うーん、気持ちは嬉しいんだけどね」
ボブは困った様子で妖精に言葉を返す。
ボブも妖精が自分を心配してくれているのは十分に理解している。
それは嬉しいと思っているし、妖精郷という勝手の分からない場所で暮らす上で、色々と助けて貰ったのも事実だ。
だが……それでも、ボブの中にある色々な景色を見てみたいと思う欲求には逆らうことが出来ない。
その為、妖精に申し訳なく思いながらも、レイに向かって口を開く。
「本拠地がなくなって拠点だけになったのなら、逃げようと思えば逃げられる筈です。それに……死ぬつもりはないですけど、死んでしまったらそれはそれで仕方がないと思ってますから」
それはどうなんだ? と思わないでもないレイだったが、本人がそれでいいのなら、その生き方に自分が口出しをするのもどうかと思い、頷く。
「分かった。まぁ、何かあったらギルドに助けを求めるなりなんなりすればいいと思うぞ。そうすれば、もし何かあっても護衛して貰えるかもしれないし。それとミスリルの釘やブルーメタルの鋼線は念の為にある程度持っていった方がいいかもしれないな」
「それは持たせてくれるのなら嬉しいですけど、大丈夫ですか?」
ボブも旅をして色々な村や街に行っている。
それだけに、マジックアイテムは高価な物が多いというのは理解していた。
明かりのようなマジックアイテムはそれなりに購入しやすい値段ではあるものの、ミスリルの釘やブルーメタルの鋼線は出来たばかりのマジックアイテムだ。
ましてや、ミスリルのような希少な魔法金属を使っているとなると、それだけで一財産……とまではならないが、それでも相応に高価であるのは間違いない。
「金に困った時に売れるという意味でも悪くないと思うけどな。……俺が持ってるミスリルの釘やブルーメタルの鋼線を渡してもいいけど、そうなると後で問題になるかもしれない。春までにダスカー様から許可を貰って、報酬……いや、報奨か? とにかくそんな感じで貰うのがいいと思う」
ミスリルの釘もブルーメタルの鋼線も、穢れに対しては非常に有効なマジックアイテムなのは間違いない。
ミスリルの釘によって生み出される結界は穢れを相手に最大限の力を発揮するように調整されているが、一応他の相手に対しても使用は可能だが、それ以外を相手にした場合の効果はやはり劣る。
「そう……ですね。もしそう出来たら助かります」
「後でダスカー様に話を通しておくよ。ダスカー様も反対はしないと思う」
ダスカーにとって、ボブは穢れの関係者の一件をギルムに持ち込んだという意味では、厄介な存在だという思いもある。
だが同時に、もしボブが今回の騒動を起こさなかった場合は穢れの関係者の存在に気が付くことがなかったのも事実。
そういう意味では、ダスカーもボブがいたからこそ穢れの関係者の存在を知り、最終的には世界を救うことが出来たのも事実。
ダスカーにとって、ボブは複雑な思いを抱く相手ではあるが、それでも感謝している気持ちがあるのも間違いはない。
ミスリルの釘やブルーメタルの鋼線を渡すくらいは問題ないだろうと、そう思ってもおかしくはない。
「とにかく、行動に移すのは春になってからなんだ。なら、それまでゆっくりと考えておいた方がいいだろ。……じゃあ、この鳥は貰っていくな。丸焼きにでもして食べさせて貰うよ」
そう言い、レイはボブから受け取った鳥を手に、その場を立ち去るのだった。