3486話
長との話を終えたレイは、妖精郷の中を見て回る。
特に何かこれといってやるべきことがある訳でもないので、本当にただの散歩といった感じだ。
ボブでもいれば話をしたのだろうが、ボブは現在狩りに出かけているので、会うことは出来ない。
ニールセンからボブも大まかに事情は聞いているのだろうから、少しでも急いでボブと話したいという訳でもなかったが。
「あ、レイ。長との話は終わったの?」
妖精郷の中を歩き回っていたレイにそう声を掛けたのは、妖精郷に入った時、最初に声を掛けてきた妖精だった。
「ああ、大体は話し終わった」
「じゃあ、私達と一緒に遊ばない?」
「誘いは嬉しいけど、今はそんな気分じゃないな。……ほら、これでも持って行って全員で食ってくれ」
そう言い、レイはミスティリングから取り出した果実を渡す。
一般的なミカンの半分程の果実は、濃厚な甘さを持つ夏の果実だ。
水分が多く、それだけに悪くなりやすい……いわゆる、足が速い果実。
この果実を夏以外にも食べるのなら、それこそ干して水分を飛ばすといったことをする必要があるが、そうなると当然ながら生の新鮮な感じはなくなる。
干されたことによって、甘さが増すのは事実だったが。
そんな訳で、本来ならこの果実を冬に食べるのは不可能……ではないが、かなりの労力を要する。
そんな果実を渡された妖精は、嬉しそうに果実を持って飛んでいく。
既にその頭の中からレイのことは消えており、自分が抱えた果実のことしか考えていない。
「うん、これぞ妖精」
自分の好奇心の赴くままに行動する妖精の姿に、レイはこれぞ妖精と納得した様子を見せる。
そうして果実を抱えて消えていった妖精を見送ると、再び歩き始める。
妖精郷はそれなりの広さを持つが、それでも結局それなりでしかない。
妖精郷の中を歩いていたレイは、見覚えのある場所に出る。
そこは、レイが妖精郷で寝泊まりをしていた時にマジックテントを使っていた場所だ。
特に意識したつもりはなかったのだが、何となく歩いていたレイの足は自然とここに向かっていたらしい。
この場所は、レイにとって妖精郷の中では自分の家のような場所だ。
(とはいえ、マリーナの家の時のように帰ってきたといった感じがしないのは、思い入れが少ないからか?)
レイはそれなりに長い間妖精郷で寝泊まりをしている。
そういう意味では、この場所に帰ってきたという思いを抱いてもおかしくはない。
だが、不思議とそのように思えないのは、思い入れが少ないからではないかと思う。
あるいはかなり豪華で普通の家よりも快適ではあるが、それは結局マジックテントで家ではないからか。
そんな風に思っていると、数人の妖精がレイを見つけてやって来る。
その表情に浮かんでいるのは、必死さだ。
「ちょっと、レイ! あの果実私にもちょうだいよ! あの子だけにあげるってずるくない!?」
妖精の一人がレイを見つけるとそう叫ぶ。
その言葉から、恐らく先程の果実の件だろうと予想は出来た。
同時に、やっぱりなという思いもある。
ミカンの半分程の大きさの果実だけに、一人で食べようと思えば食べられるのだ。
ニールセンを知っているレイにはそれが分かる。
だが、それでも大きさ的にはミカンの半分程だが、妖精が抱えて持ち歩くのは一個が限界だろう。
妖精魔法を使えば、あるいはどうにかなるかもしれないが。
そんな訳で先程の妖精には一個しか持たせなかったのだが、どうやら他の妖精に分けないで自分だけで食べたらしい。
(あるいは最初は分けるつもりだったけど、一口食べたら甘くてそれを誰にも渡したくなくなったとか、そんな感じか?)
何となくだが、そちらの可能性が高そうだと思う。
実際にあの果実はそれだけ甘いのだから。
ともあれ、レイはやってきた妖精達にも同じ果実を渡す。
本来なら、冬にこの果実を食べようと思えばかなり手間が……そして金が掛かる。
いつも渡している焼き菓子や串焼きといったものならともかく、普段はここまでの大盤振る舞いはあまりしない。
それでもレイがこうして果実を渡しているのは、穢れの件が終わったということで晴れやかな気分になっているからというのが大きかった。
本人にそういう意識はあまりなかったが、やはり穢れの件はレイが自分でも思いもしないところでストレスを与えていたのだろう。
最悪の場合、文字通りの意味で世界が破滅するかもしれなかったのだから、それを考えればストレスが溜まるのはおかしな話ではない。
また、穢れが一日に何度もトレントの森に現れ、その度にレイはセトに乗って穢れを倒していたのだ。
ミスリルの釘やブルーメタルが出来たことによって最終的には大分楽になったものの、それでも穢れが単純な行動しか出来ないにも関わらず非常に厄介な敵だったのは間違いない。
何しろ、穢れは触れた相手を黒い塵として吸収する能力を持つ。
それこそレイであっても、もし穢れに触れれば防ぐことは出来ないと思われる、圧倒的な攻撃力を持っているのだから。
幸いにも、穢れには自我の類はなく、簡単なプログラムで動いているようなロボットのような存在で、対処がしやすかったので被害はそこまで大きくなっていない。
とはいえ、これはあくまでもレイが認識してる限りの話だ。
それこそレイの知らない場所ではかなりの死人が出ている可能性がある。
事実、ニールセンが降り注ぐ春風の妖精郷に行った時の一件では、少なくない死人が出ているのだから。
ともあれ、今のレイは穢れの件が解決したことによりストレスから解放されており、だからこそ果実を大盤振る舞いしたのだろう。
果実を受け取った妖精達は、嬉しそうにその場を飛び去る。
……果実を持っているのも影響してか、いつもより飛ぶ速度が遅くなってるのはご愛敬だろう。
そんな中、妖精の一人がレイの方に顔を向けて口を開く。
「そういえば、さっきボブが帰ってきたわよ。それなりに獲物を仕留めてきたみたいだし、どうせなら顔を出してみたらいいんじゃない?」
その言葉にレイは反応する。
長から聞いた話によれば、ボブが狩りに出掛けていたのは間違いない。
それでこうして戻ってきたということは、妖精が言ったようにそれなりに獲物を仕留めたからこそなのだろうと。
あるいはボブの性格から考えると、少し……それこそ数羽の鳥を獲った程度では戻ってこないだろうとレイは思っていた。
これがボブだけが食べる肉という意味なら、数羽の鳥……いわゆる山鳥と呼ばれているような鳥でも十分なのだろうが、現在のボブには妖精達が一緒にいる。
その妖精達の分も肉を用意するとなると、それなりに多くの獲物を必要とするだろう。
そんなボブが帰ってきたということは……と思ったレイだったが、改めて空を見ると既に薄暗い。
ミスティリングから取り出した懐中時計で確認してみると、既に午後四時くらいになっている。
「早いな。……いや、当然か」
今日の午前中は燃え尽き症候群のような感じで、マリーナの家のベッドでゴロゴロとしていた。
それでも昼食で食べたうどんによってやる気を取り戻し、午後からはギルドに行ってギガントタートルの解体についての打ち合わせをし、それが終わってからマリーナの家に戻り、生誕の塔に少し顔を出し、そして妖精郷に来て長と話をして、それが終わってからは妖精郷の散策をしていたのだ。
そう考えれば、もう四時くらいになるというのはそうおかしな話ではないし、ボブの性格を考えればそろそろ夜になるかもしれないのだから、危険から避ける為に狩りを終えて妖精郷に戻ってきてもおかしくはない。
時間を見てボブが戻ってきたことに納得すると、ちょうどいいとボブに会いに行くことにする。
既にニールセンから話は聞いているだろうが、それでも一応穢れの件が解決したということは自分の口から話しておこうと思った為だ。
……妖精郷で特に何かやることがなかったからというのもあったりするが。
(ついでに、そろそろセトも見つけておいた方がいいだろうし)
妖精郷を見て回っていた時も、セトとピクシーウルフの姿を見掛けることはなかった。
狭いとはいえ、一人で見て回ると考えればそれなりに広いのも事実。
もっとも本当にレイがセトを見つけるだけなら、それこそレイがセトの名前を呼べば、すぐにでもその声を聞いたセトがやって来るだろうが。
セトを捜したいレイだったが、それはどうしても見つけたいという訳ではない。
見つけられればラッキー程度の気持ちでの行動だったので、見つからないのなら見つからないで別に構わないのだ。
そんな訳で、レイは気軽な様子でボブのいるだろう場所に向かう。
……妖精郷のどこにボブがいるのかは、何となく分かる。
別にそういう風に決まってる訳ではないが、ボブがいつも妖精と一緒に遊んだり、獲物を解体したりする場所がある為だ。
そこに行けば恐らくボブがいるだろうと思って歩いていると……
「あ、ちょっとレイ! あの子達だけに果実をあげるってずるいじゃない!」
レイの姿を見つけたニールセンが、上空から急降下してきてレイに向かって不満を口にする。
どうやら果実を貰った妖精が、それを一体誰から貰ったのかということを口にし、それを聞いたニールセンがこうしてやって来たらしい。
「ニールセン、元気だったか?」
「元気だったか? じゃないわよ! 何よあの果実! あんなに美味しそうな果実、私は貰ったことないわよ!」
「分かった分かった。ほら」
そう言い、レイはニールセンに他の妖精達に渡したのと同じ果実を渡す。
それを受け取ったニールセンは、嬉しそうにその果実に齧りつく。
濃厚な甘みに、嬉しそうな様子を見せるニールセン。
そんなニールセンを眺めていたレイだったが、ニールセンが果実を全て食べ終わったところで口を開く。
「それで一応聞くけど、ボブに穢れの件の話はしたんだよな?」
「ええ、ボブにはもう教えたわ。喜んでいたわよ」
「だろうな」
ボブにしてみれば、偶然穢れの関係者の儀式に迷い込んでしまったのが原因で、命を狙われるようになってしまったのだ。
その原因が完全にではないにしろ、解決したのはボブにとって喜ぶべきことだろう。
……唯一の難点としては、あくまでもレイ達が破壊したのは穢れの関係者の本拠地であって、拠点はオーロラがいた場所しか手を出していない。
ボブが旅をするとなると、もしかしたらレイが知らない穢れの関係者の拠点に近付き、それが理由でボブが狙われることになるという可能性は十分にあった。
とはいえ、それについてはどうしようもないとレイは思っている。
本当に安全に暮らしたいのなら、それこそもう暫く……数年くらいは妖精郷にいて、穢れの関係者の拠点の全てではないにしろ大半を占拠するなり破壊するなりしてから、旅に出ればいい。
しかし、ボブはそれが嫌で……それこそ春になったらすぐにでも旅に出たいと思っているし、そう決めているのだ。
まだ危ないかもしれないというのを承知の上で旅に出るのだから、それはもう自己責任だろう。
もしそれによってボブがまだ生き残っている穢れの関係者に見つかり、殺されたとしても、レイは残念に思うが仕方がないとも思うだろう。
危険を承知の上で旅立ったのだからと。
「ボブには一応危険かもしれないとは言っておくか。……ニールセンが具体的にどの辺まで喋ったのかは分からないし」
「何よ。必要だと思うことはきちんと喋ったから問題ないわよ」
「だといいけどな」
レイはニールセンを仲間だと思っているし、好意も持っている。
だが同時に、ニールセンが悪戯好きで色々とやらかした経験があるのを忘れてもいない。
うっかり何か重要なことを話していない……そんな可能性は今までのニールセンを見ている限り、十分にあった。
「それで、俺はこれからボブに会いに行くけど、ニールセンはどうする?」
「え? えー……うーん、そうね。どうしようかしら」
ニールセンにしてみれば、自分も果実を貰ったと他の妖精に自慢したい気持ちもあるし、ボブとのやり取りに参加したい気持ちもある。
そうして迷った末、最終的にニールセンが選んだのは……
「じゃーね。向こうで用事を終わらせたら、すぐにレイのいる場所に行くから!」
そう言い、追加で果実をもう一個貰って飛んでいく。
結局ニールセンが選んだのは、先に他の妖精に自慢をして、それからレイとボブの会話に混ざるというものだった。
レイはそんなニールセンの様子に呆れつつも、飛び去っていくニールセンを見送るのだった。