3482話
ギガントタートルの解体については、五日後から行われることになった。
レノラ曰く、やろうと思えば明日どころか今日からでも解体を始めることが出来るということだったが、依頼である以上はそれを受ける者がいなければならない。
そしてギルドとしては……ギルムの上層部からも言われていることも関係するが、スラム街の住人がそこを出て立派に働くことが出来るようにしたいという思いがある。
つまり、スラム街の住人達にギガントタートルの解体の依頼が行われると告知し、それを受ける者達を集める必要がある以上、今日これからすぐにということになっても人が集まらないのだ。
「それは分かった。……けど、俺がわざわざギガントタートルの足とかを斬るのを見せる必要はあるのか?」
そう尋ねるレイ。
ギルドからの要望の一つが、それだった。
レイとしては、別にやろうと思えばそのくらいは容易に出来る。
出来るのだが、わざわざそのようなことをする必要があるのかと疑問に思うのも事実。
しかし、そんなレイの疑問にレノラ……ではなく、隣で話を聞いていたケニーが続いて口を開く。
「必要よ。レイ君のことを知ってる人が大半なのは間違いないけど、中には去年ギルムに来たばかりでレイ君のことをあまり知らない……あるいは知っていてもレイ君の噂は嘘だと思う人もいるわ。勿論そういう人が全員レイ君に絡んでくるとは限らないけど、見つからなければいいと考えて解体したギガントタートルの素材や肉を盗もうとする人もいるかもしれないの」
「そういう相手に対する牽制か?」
自分達が解体しているギガントタートルの持ち主が、一体どれだけの強さをもっているのか。
それを理解すれば、最初はレイのことをよく知らなくても素材や肉を盗もうなどとは考えないだろう。
あるいはレイの噂は大袈裟なものだと思っており、それこそ自分ならレイと戦っても勝てると思っているような自信過剰な者であっても、実際にギガントタートルの巨大な足を切断する光景を目にすれば、レイを相手に妙なちょっかいを出さないだろう。
ギガントタートルの解体に参加していない者でレイの実力を疑っている者でも、その話を知り合いから聞いたりすれば、レイの実力が噂通りのものだと……あるいはそれ以上のものだと理解してもおかしくなかった。
そういう意味で、レイも牽制か? と尋ねたのだ。
レイも自分の外見がとてもではないが強そうに思えないというのは理解している。
小柄で、見るからに筋肉がついているようには思えない。
これが筋骨隆々の大男だったら、レイにちょっかいを出そうとする者がいても、その外見から戦ったら自分に勝ち目がないと判断して実際に行動に出るのは控えるだろう。
「そうよ。私は今のレイ君の姿が好きだけど、冒険者の中には自分で理解出来ない存在に敵意を抱く人もいるし。そういう連中を黙らせる為にも、レイ君の力をはっきりと見せておくのは必要よ。それに……これはちょっと表現が悪いかもしれないけど、そんな力を持つレイ君からの依頼ということで皆が真面目に働くでしょうし」
「ケニーの言う通りです。なのでレイさんにはお手数をお掛けしますが、どうにかお願い出来ないでしょうか?」
レノラがケニーの言葉に続け、頭を下げる。
そんなレノラの様子に、レイは大きく息を吐く。
レイもレノラとの付き合いはそれなりに長い。
何しろレイがこのエルジィンという世界にやって来て、魔の森から出て初めて見つけたのがこのギルムなのだ。
そしてギルムにあるギルドでレイの担当となったのがレノラ。
そんなレノラのことだけに、レイは深く信頼している。
そのレノラがこうして頭を下げている以上、それを断るという選択肢はない。
……これが例えば、レイであってもかなり無理をしなければならないことなら、あるいは断ったかもしれないが、ギガントタートルの足を一本切断する程度なら、レイには全く何の問題もない。
そうである以上、わざわざ断る必要はなかった。
「分かった、やるよ。どのみちギガントタートルの足を切断してそれぞれ解体出来るようにする必要があるんだ。そう考えれば、皆がいる前で切断したところで問題はないだろうし。……けどそうなると、解体をする者達は全員が一度ギルムの外に出る必要があるけど、そっちは大丈夫か?」
ギガントタートルの大きさを考えれば、とてもではないがギルムの中でその死体をミスティリングから出すことは出来ない。
本格的に増築工事が始まる前なら、増築工事をする場所に出すといったことも出来ただろうが、今は既に増築工事が進んでいる。
今は冬で増築工事も休みだが、建物や資材が置かれている関係で増築工事の場所を使う訳にはいかない。
つまり、ギガントタートルを出すにはやはり去年と同じくギルムの外で行う必要があった。
(どのみち、仕事をする連中の前でやらないにしても、ギガントタートルの足を切断する場合はギルムの外でやる必要があったのは間違いないけど)
レイもそれは分かっていたが、それでもレイの予定ではギルムのすぐ外でそのようなことをするつもりはなかった。
いきなりギルムの側にギガントタートルの死体が姿を現せば、間違いなく大きな騒ぎになるのだから。
だが、レノラの要望通りにするのなら当然ながらギルムのすぐ外でやるしかない。
解体の依頼を受けるだろう者はスラム街の者達だ。
スラム街の中には、元冒険者として活動していたものの、実力不足や人間関係の問題、賭けや娼婦や酒に入れ込んで……といった理由であったり、他にも色々な理由でスラム街に行った者もいる。
そのような者達ならある程度戦えるだろう。
だが、そうではない場合……戦うという行為はスラム街での経験しかないような者達にしてみれば、ギルムから離れた場所まで行くのは自殺行為でしかない。
スラム街の喧嘩というのは、表の世界に生きている者達が行うような喧嘩ではなく、命懸けの喧嘩も珍しくはない。
だがそれでも、やはり人を相手にするのとモンスターを相手にするのでは違うのだ。
だからこそ、レノラの提案に従うのならギガントタートルの足の切断はギルムの側でやった方がいい。
「五日後にやればいいのか?」
「……いえ、四日後でお願いします」
確認の為に尋ねたレイだったが、レノラの口から出たのは予想外の言葉。
「四日後? 解体が実際に行われるのは五日後なんだよな?」
「はい。ですが、レイさんの力を目の当たりにしたその日から解体を行うとなると、興奮したり怯えたりする人が出てくるでしょう。なので、一日前がいいかと」
「……まぁ、俺は解体さえきちんとしてくれれば、いつでも構わないけど。なら、四日後だな」
「そうなります。四日後の、午前十時くらいにギルドまで来て貰えれば」
「ん? ギルドに?」
「はい。レイさんが依頼主ですので」
「それにレイ君の場合、冒険者に絡まれたりしそうだしね」
「ちょっ、ケニー!」
「痛ぁっ!」
丸めた書類が再び振るわれ、ケニーの頭部を殴打する。
そんなやり取りを見ながら、レイはレノラの言葉も間違ってはいないが、恐らくケニーが口にした理由の方が大きいのだろうと納得してしまう。
レイは自分でもトラブル誘引体質という自覚はある。
そんな自分が、スラム街の者達やそれ以外でも金を欲した冒険者達の集まっている場所にいた場合、絡まれたり、あるいは何らかのトラブルに巻き込まれたりするのはおかしくない……いや、寧ろそうならないとおかしいという、妙な確信すら持っていた。
「あー、うん。分かった。じゃあ四日後の十時くらいにギルドに来るから、そのつもりでいてくれ。……ただ、セトも一緒に来るから、正体を隠してとかそういうのは難しいけど、どうする?」
「そちらについてはギルドの方で対応します。レイさんにわざわざ来て貰うのですから、迷惑を掛けるようなことはしません」
「だといいんだけどな」
そう言うレイは、レノラのことを信頼していない訳ではない。
だが、世の中には駄目だと言われても自分なら問題ないと考える者は少なからずいる。
ましてや、そのように思う者はただの勘違いをしている者もいるが、貴族であったり大きな商会の会長であったりと、実際にそのようなことが出来る者も多いのだ。
そのような者達が特別に自分をレイに会わせろと言った場合、レノラでは断るのは難しいだろう。
……いや、レノラなら断れるかもしれないが、そのようなことになった場合、断られた者がレノラを恨んで嫌がらせをする可能性がある。
実際、レイは以前ギルムでとある大きな商会と問題を起こした時、その商会の影響力で店で買い物が出来なくなるということがあった。
結果としてレイと敵対したその男は最悪の運命を辿ったが。
レノラに断られた者がそのように何らかの手段を使って嫌がらせをしないとも限らない。
そしてレイなら、その力でどうとでも対処出来るものの、レノラはギルドでも人気のある受付嬢ではあるが、言ってみればそれだけの存在だ。
決してレイのように圧倒的な強さを持っている訳ではない。
つまり、何かあっても自分では対処出来ない。
……実際には、それこそレイはレノラのことを信頼しているし、ギルムの冒険者からも人気が高く、もしレノラに何か危害が加えられた場合、レノラに好意――男女間、友人、恩人と様々な好意があるが――を持っている者達が協力するだろう。
また、受付嬢に危害が加えられた場合、ギルドマスターのワーカーも動く可能性は十分にあった。
(うん、そう考えれば多分問題はないか)
ワーカーがやり手のギルドマスターなのは、レイも知っている。
何より、あのマリーナが自分の後継者とした男なのだ。
それだけで有能な人物なのは間違いなかった。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「えー……もう少しここでゆっくりしていってもいいじゃない。レイ君とは久しぶりに会ったんだし」
用事を終えたレイが立ち去ろうとすると、ケニーが不満そうに言う。
ケニーにしてみれば、久しぶりにレイと話す機会なのだ。
もう少し……それこそ十分でも二十分でも、いや一時間でも話していたいと思う。
だが、レイはそんなケニーにそれは出来ないと言う。
「ここで話していてもいいけど、そろそろ俺の存在を嗅ぎつけた奴が集まってきそうな感じだし」
「あー……うん。じゃあ、しょうがないわね」
ケニーもレイの口から理由を聞けば、諦めるしかない。
現在ギルドにレイがいると知れば、恐らく……いや、間違いなく多くの者がやって来るのだろうから。
ケニーも現在のレイの立場は理解しているので、ここでレイが帰るというのを止めるつもりはない。
「じゃあ、そういう訳で。四日後の午前にまた来るから」
「はい。今日はご苦労様でした」
「またね、レイ君」
レノラとケニーと短く挨拶をしてから、レイはギルドを出る。
(やっぱり結構集まってるな)
ギルドから出たレイは、自分に向けられる幾つかの視線を感じる。
とはいえ、まだ視線はレイをレイと認識していないのか、そこまで強烈な視線ではない。
そもそも、レイがギルムにいるという情報を知って来たものの、ドラゴンローブを着て、フードを被っているレイを見てレイと認識するのは難しい。
……もっとも、中にはきちんとレイをレイと認識しているような視線もあったが。
ドラゴンローブの持つ隠蔽の効果は、ドラゴンローブを一般的なローブに見せるという効果を持つ。
それでいて、フードを被って顔を隠せばレイをレイと認識するのは難しい。
とはいえ、それはあくまでも認識するのが難しいというだけで、不可能ではない。
身体の動かし方から強さを予想し、レイだと認識出来る者もいるだろう。
中にはドラゴンローブの効果を見破れる者であれば、レイをレイとして認識出来てもおかしくない。
あるいはドラゴンローブの隠蔽の効果から、一般的なローブを着ている者を怪しみ、それをレイだと認識する可能性もある。
それ以外にも様々な方法によって、レイをレイだと見抜くことは出来るだろう。
(まぁ、怪しんでいるだけにしろ、俺をレイだと認識しているにしろ、接触してこないのなら問題はないけど)
そう思いつつも、怪しんでいる方はともかくとして、自分をレイだと確信している視線の持ち主は何故接触してこないのか。
それを疑問に思いつつ、接触してこないのならそれでいいかと思いながらマリーナの家に向かう。
ギルドの中で考えていたように、これからトレントの森にある妖精郷に向かう為にも。