3481話
「ふぅ、何とか無事に到着したな」
雪の降るギルムを歩きながら、レイは視線の先にあるギルドを見て呟く。
マリーナの家の周囲には、やはり見張っている者はいた。
だが、その数は少なかった。
レイ達がギルムに戻ってきた翌日ということを考えれば、見張ってる者の人数が少ないのは明らかにおかしい。
だが、恐らくそれはダスカーの命令を受けた騎士が行動した結果なのだろうと予想するのは難しくなく、結果としてレイはその少数の者達の目を盗むようにマリーナの家を脱出することに成功した。
これが少し前なら、それこそ多くの見張りがいただろう。
そのような者達の目を盗んで脱出するというのは、難しかった筈だ。
とはいえ、必要とあればレイもどうにかして……それこそ無理矢理にでも脱出していただろうが。
そうなればそうなったで、貴族街では非常に大きな騒動になっていただろう。
(ニールセンは喜びそうだけど。……そう言えば、まだ妖精郷には行ってないんだよな。ギガントタートルの解体の件が終わったら、やっぱり今日中に妖精の森に行った方がいいか?)
長に対する説明はニールセンに任せているものの、レイの知っているニールセンなら説明が上手く出来るとは思えない。
それによって長からお仕置きをされていてもおかしくはなかった。
とはいえ、それ以前の話としてニールセンはレイと別行動をしていたことも多い以上、本当の意味で穢れの関係者の本拠地での諸々を説明するには、レイが話す必要がある。
そういう意味では、やはりレイが出来るだけ早くトレントの森にある妖精郷に行った方がいいのだろう。
(とはいえ、ギガントタートルの解体の件でどのくらい時間が掛かるのかは分からないしな。それに妖精郷に行くにはセトに乗って移動する必要もある)
絶対にセトに乗らなければ妖精郷に行けない……という訳ではないにしろ、街道にもそれなりに雪が積もっているし、妖精郷のあるトレントの森はその街道からも外れているので、街道以上に雪が積もっている。
そうである以上、トレントの森に行くのはかなり大変だ。
雪がどのくらい積もっているのかはレイにも分からないが、それでも馬車で移動するのはかなり難しい筈だった。
(あ、でも生誕の塔にいるリザードマンや冒険者達に食料とか日用品とか届けている筈だよな? なら、雪が積もっていても馬車で移動出来るのか? 妖精郷に行く前か行った後で、生誕の塔に顔を出した方がいいかもしれないな。穢れの件が解決したと教える必要もあるし)
穢れの件は基本的に秘密ではあったものの、トレントの森にいる者達は別だった。
何しろ、毎日のように……いや、それどころか一日に複数回穢れがトレントの森に姿を現すことも珍しくはなかったのだ。
そうなれば、当然ながら生誕の塔の護衛を任されていた冒険者達も穢れと接触することになり、自然と穢れが何なのかは説明する必要があった。
つまり穢れのことを知っている以上、リザードマンや冒険者達にも穢れの件が解決したと説明する必要があった。
あるいは既にダスカーが食料を始めとした補給物資を運ぶ際に穢れの件について解決したと説明している可能性はあったが。
(ともあれ、何をするにしてもギルドでの説明が終わってからだな)
そんな風に思いつつ、レイはギルドに向かう。
幸いなことに雪はあまり降っていない。
地面にもそれなりに積もってはいたが、通行人や馬車が多く通る大通りである以上、自然と雪も踏まれて砕かれている。
……代わりに、シャーベット状になった雪に足を取られて進みにくくなっているが。
実際、レイの視線の先では、何人かが雪で滑って転んでいる。
(こう考えると、除雪車ってのは凄い助かってるんだよな。……俺の家の方まではあまり来なかったけど)
レイの家は山のすぐ近くで、通る者も少ない。
結果的に街中の除雪が優先され、レイの家の前まで除雪車がやってくることは少なかった。
その時のことを思い出しつつギルドに入っていく。
ギルドの側には、いつもならセトが寝転がっている馬車の駐車スペースがある。
だが、冬の今は雪が積もり、冒険者の多くも仕事をしていないので馬車の姿はない。
そんな光景を目にしながら進むレイだったが、周囲にいる通行人や冒険者はレイをレイだと認識はしていない。
ドラゴンローブの隠蔽の効果と、フードを被って顔を隠しているのが大きい。
……とはいえ、そんなレイの動き……より正確には身体の動かし方から、レイの技量を読み取れたり、そこまで出来ずとも明らかに自分よりも上だと判断出来る技量の持ち主は、レイをレイだと認識出来ずとも腕利きとは認識出来たが。
幾つかの視線を感じながらも、レイはそれを気にしない。
元々レイは良い意味でも悪い意味でも目立ちやすい。
特にセトを連れて歩いている時は、かなり目立つ。
他にもミスティリングを使っている時や、デスサイズを持っていたり、黄昏の槍を手に二槍流をしている時も目立つ。
そんなレイだけに、視線を向けられるのは慣れている。
寧ろ今は、視線の数が少ないとすら思っていた。
そのような視線を気にせず、レイはギルドの中に入る。
既に午後ということもあり、ギルドに人は少ない。
正確にはギルドに併設されている酒場には結構な人数がいるが、依頼書が貼り出されている場所にいる者は数人といったところだ。
冬ということで、春まで休んでいる冒険者が多いからこその光景だろう。
もっとも、冬越えをする金を稼げずに雪が降っても依頼を受ける者や、あるいは酔っ払って気が大きくなって大勢に奢ったり、賭けや娼婦に貢いだりして金がなくなったり……そのような者は、泣く泣く依頼を受けて金を稼ぐことになる。
もっとも、ギルドに人がいないのは午後だからということもあるだろう。
これが朝なら、少しでも報酬の高い依頼や自分に向いた依頼、楽な依頼を手にしようと、それなりに冒険者が集まってくる。
あるいはもう数時間が経過して夕方になれば、それらの依頼をこなした冒険者達が報酬を貰う為に集まってくるだろう。
ちょうど今は人の少ない時間で、だからこそギルドに入ってきたレイの姿は目立った。
「レイ君!」
そんなレイに向け、嬉しそうに声を掛けるのは猫の獣人のケニー。
大きく手を振り、自分の場所に来るようにと態度で示すが……次の瞬間、隣のレノラに小言を言われる。
そんな二人の様子を、他の受付嬢やギルド職員達も笑みを浮かべて眺めていた。
これが例えば、非常に忙しい時であればそれよりも仕事をしろと叱られるだろう。
だが、今は見ての通り受付嬢達は特にやる仕事もなく暇だ。
そんな中でなら、多少の息抜きは問題ないと二人の上司も判断したのか、特に注意されるようなことはない。
「って、ちょっとレイ君。ここは普通私のところに来るべきじゃない?」
レノラの前に行ったレイに向け、不満そうな様子を見せるケニー。
だが、そんなケニーの頭にレノラが丸めた書類を叩き込む。
パァンッ、と。
書類を丸めた程度では、本来ならとてもではないが出ない音が周囲に響く。
ケニーも猫の獣人だけに、反射神経は悪くない。
本来ならレノラの一撃を回避するのは難しくはないのだが、それでもこうして回避せずに当たるのは、これがいつもの行動だからだろう。
……ただし、いつもと違うのは周囲に響く音が明らかに大きかったことだ。
「ちょっ、痛っ……痛いじゃない! いきなり何をするのよ!」
「あのね、ケニー。レイさんの担当は私なの。それを忘れた?」
「うー……にゃん」
「誤魔化そうとしないの。それもわざとらしく語尾まで変えて。……はぁ、もういいわ。申し訳ありません、レイさん」
「いや、気にしてない。いつも通りで安心した」
「いつも通りって……それよりレイ君は最近あまりギルドにも来てなかったみたいだけど、もういいの?」
そう言うケニーにレノラは再び書類を丸めようとするものの、実際にこうしてレイが堂々と――ドラゴンローブの隠蔽は使っているものの――やって来たのには疑問を覚えていたのか、レイに視線を向ける。
「ちょっと出掛けてたんでな。その件もあって、取りあえず今はそこまで出歩くのも問題はなくなった。もっとも、正体を知られると面倒なことになりそうなのは間違いないから完全に安心は出来ないが」
クリスタルドラゴンの素材を売って欲しい、情報が欲しい、自分の家に仕えないか。
それ以外にも様々な理由により、レイに接触しようとする者は多い。
今日はマリーナの家の見張りがダスカーのお陰で少なかったので、そこまで問題なくやってくることも出来たのだが。
ダスカーのお陰で、以前よりも出歩くのが大分楽になったのは間違いない。
「そうですか。なら、いいんですけど。……それで今日の用件はなんでしょう?」
「ギガントタートルの解体についてだ。希望する者も多いんだろう?」
「あはは」
レイの言葉に明確には答えなかったレノラだったが、その様子を見れば実際に希望する者が多いのは間違いない。
あるいはギルドの上層部からせっつかれていたのかもしれないが。
何しろ去年ギガントタートルの解体の仕事をした者のうち、結構な人数が冒険者になることを希望したのだから。
冬の間だけとはいえ、ギルドの仕事をしたことで多少なりとも冒険者としての活動を経験した。
そしてギルドの倉庫を一時的な寝泊まりの場として借りたことにより、ギルド職員と接することも多くなり、親近感を抱く。
一緒にギガントタートルの解体をした冒険者から話を聞き冒険者という仕事に興味を持つ。
それ以外にも様々な理由から、冒険者になる道を選んだ者は多かった。
もっとも、ここは辺境のギルムだ。
スラム街から出て来たばかりの者達が冒険者として活動するのはそう簡単な話ではない。
だが、最低ランクの冒険者として街中で行われる依頼を行い、それで力を付けて簡単な依頼をこなしていき、冒険者として成長していく者もいる。
ギルドにとっても、冒険者になったばかりの者達は討伐依頼の戦力としては数えられないものの、顔見知りであるということで信頼出来るし、スラム街から抜け出す為に必死になって働いているのを見れば情も湧く。
また、将来的には高ランク冒険者になったり、異名持ちになったりする可能性も否定は出来ない。
そんな諸々について考えた場合、最終的にギルド職員達も相応に期待することになったりする。
「安心してくれ。……ってのはどうかと思うが、とにかくこれから暫くは特に忙しかったりはしない。だからこそ、ギガントタートルの解体の依頼をこなせるようになった」
「本当ですか!?」
嬉しそうな様子のレノラ。
隣のケニーも、そして二人の会話が聞こえていた他のギルド職員達も嬉しそうな様子を見せる。
(まさか、ワーカーホリックとかになってないよな?)
レイが知ってる限り、このギルドで働いている者達は増築工事の影響で春から秋まで非常に忙しい毎日だった。
それこそ二十四時間働けますかどころか、四十八時間働けますかといった具合に。
そんな忙しさも、冬になった今はようやく落ち着いてきた。
こうして特に仕事らしい仕事もなくゆっくりとしてるのを見れば、それは明らかだろう。
だが、そんな中でレイが口にしたギガントタートルの解体の仕事について聞いたところ、ここまでやる気を見せたのだ。
秋までの仕事が忙しかった影響もあって、ギルド職員は多くの者がワーカーホリックになっているのではないかと思ってしまう。
とはいえ、ギガントタートルの解体を頼むレイとしては、素早く仕事をして貰うのに悪いことではない。
「ギガントタートルの解体だが、去年と違ってギルムの外でギガントタートルをそのまま出して解体するんじゃなくて、最初に俺が手足とかを切断して、その切断した部位をギルムの中で解体する……って話になっていたと思うけど、その辺は聞いてるか?」
「はい、聞いています。解体する場所も準備してますし、その際に派遣されるギルド職員も決まっています」
「もう殆ど準備が出来ているんだな」
「はい。ですから、レイさんの方で準備が出来れば、すぐにでも解体の依頼を行うことは出来ます」
「そうなのか。……随分と手際がいいんだな」
まさかそこまで準備が整っていると思っていなかったレイは、少し驚きながら言う。
もしかしたらやる仕事がなくて、前倒しにその辺りについて決めていた……やはりワーカーホリックなのではないか? そんな風に思いながら。
とはいえ、それをわざわざ言うつもりもなく、レイはギガントタートルの解体についての話を進めるのだった。