3479話
パーティを終えた翌日、レイはマリーナの家でのんびりとしていた。
本来なら妖精郷に行って長に今回の件について説明するなり、あるいはギガントタートルの解体についてどうなっているのかをギルドに行って聞くとかする必要があるのだが、大きな仕事を終えたばかりのレイは若干燃え尽き症候群に近い状態となっている。
いや、実際には燃え尽き症候群というよりは疲れを癒やすという意味の方が大きいかもしれないが。
何しろ、レイは魔力を限界以上まで振り絞って魔法を使い、数日の間意識不明の状態になってしまった。
結果としては目覚めたものの、起きた時は見て分かる程に痩せていた。
今でこそ、穢れの関係者の本拠地の近くにあった村からギルムに戻ってくるまでの間にしっかりと食べて、休んで、そのお陰で外見は元に戻ったし、魔力的にも既に全快してはいる。
しかし、それでも本当に……全てが完全に以前同様に戻ったかと言われれば、レイは素直に頷けないだろう。
魔力は元に戻った。体力も元に戻った。痩せていた身体も元に戻った。
そういう意味では全快なのだが、それでもどこかが……こう、本当の意味で全快になったと思えないところがあるのも事実。
(とはいえ、感覚的にはもう暫く休んでいれば問題なくなりそうな気はするんだけど)
何らかの根拠がある訳ではなく、本当に何となくそう思うだけだが。
ただ、レイは今までも下手に考えるよりも自分の直感に従って行動した方が正しかったことが多くある。
「レイ、ちょっといい?」
扉がノックされ、この家の主のマリーナが姿を現す。
「もう少ししたら昼食だけど、どうする?」
「あー……まぁ、何か適当に」
「そう。……レイが何か食べたいのがあったら、それでもいいんだけど」
「なら、そうだな。久しぶりにうどんはどうだ?」
何となく思い浮かんだうどんを口にしたレイだったが、マリーナは少し困った様子を見せる。
マリーナも料理は得意だが、だからといってうどんを作るのは難しい。
きちんと練習すればいずれ出来るようになるのかもしれないが、今は到底無理だ。
そうなるとうどんを食べるには直接出向くか、買って持ってくるしかない。
一応レイのミスティリングにも幾つか美味いと評判の店のうどんが入っているのだが、マリーナとしてはレイの気分転換をさせる意味でも、ミスティリングに頼らず、直接自分達で買いに行きたいと思う。
……ただし、その場合はどうやってレイをレイだと認識させないようにするかという問題があるのだが。
幸いなことに、ここ暫くはレイは穢れの関係者の本拠地に向かっていたのでギルムにいなかった。
そういう意味では、まだレイがギルムに戻ってきたと知らない者もいる。
……だが、マリーナの家を見張っている者達にしてみれば、昨日はパーティを行って派手に騒いだのだ。
明るさであったり、声であったりが見張っている者達に気が付かれてもおかしくはない。
あるいは、報酬の件で騎士達が見張っている者達を排除してくれたのなら、そこまでレイ達が戻ってきたことが広まっていない可能性もあるが。
「うどんね。……ああ、そうだ。どうせなら美味しいうどんを作る店を呼んで作って貰うのはどう?」
「いいのか?」
その行為自体はレイにとってもそこまで驚くようなことではない。
いわゆる、家に料理人が出張してきて料理をするサービスというのは、日本にいた時に聞いた事があったからだ。
もっとも、それはあくまでも聞いただけでレイが経験したことはない。
精々が料理漫画で見た程度でしかない。
だが、そういうサービスがある以上、ここで同じようなサービスがあってもおかしくはないと思える。
……いや、貴族がいるのを考えると、寧ろその手のサービスは日本でレイが知ってるよりも頻繁に行われていてもおかしくはない。
マリーナの場合は、元々自分で料理を作るのが好きだというのもあるし、その料理を他の人に食べて美味しいと言って貰うのも楽しい。
何よりわざわざ料理人に出張して貰わなくても、レイがいればミスティリングに収納されている料理がある。
出張してくる料理人というのは、基本的に出張先にある調理器具を使って料理をする。
勿論、下拵えといったものは前もってやっておくだろうが。
だが、実際に料理をする時、使い慣れた自分の店の調理器具と初めて行く他人の家の調理器具のどちらが美味い料理を作れるのかというのは明らかだろう。
そういう意味では、料理人が使い慣れた調理器具を使って作った料理を、出来たてのまま収納しておき、好きな時にそれを取り出して出来たての料理を食べられるというレイのミスティリングは、そういう意味で非常に有利な……人によっては卑怯と言ってもおかしくないマジックアイテムだった。
「いいのよ。穢れの関係者の一件が終わったばかりなんだし。少しくらいはゆっくりしてもいいと思うわ。昨夜みたいなパーティを何度もやるのは難しいと思うけど」
「だろうな」
パーティそのものはそこまで派手に……そう、飾り付けをやったりはしなかったものの、そこで出された食材の中にはクリスタルドラゴンの肉が多数あった。
もしレイのようにクリスタルドラゴンの肉を持っておらず、金だけで同じようなパーティをやろうとしたら、それこそ一体どのくらいの金額が掛かるのかは分からない。
そんなパーティをやるのに比べれば、うどんを作れる料理人を呼ぶのは全く問題ない。
「じゃあ、そういうことでちょっと準備してくるわね。料理人が来てうどんが食べられるようになったら、呼ぶから」
そう言い、マリーナは部屋から出ていく。
表情には出さないものの、マリーナもレイが何となくやる気がなくなっているのを理解しているのだろう。
それをどうにかする為にうどんを用意するというのは……レイが美味い料理を食べるのを好むのを考えると、そう間違ってはいない。
「まぁ、取りあえず……少し休むか」
特に眠い訳でもなかったが、それでも身体が眠りを欲したのか、レイが目を瞑ると数分も経たずに眠りに落ちていくのだった。
「レイ、ちょっと、レイ」
「……ん……?」
聞こえてきた声に、眠っていたレイの意識は急速に覚醒していく。
そうして目を開くと、そこにはマリーナの姿があった。
「マリーナ? ……ああ」
マリーナの顔を見て、すぐにレイは先程の……寝る前のことを思い出す。
「もう料理人は来たのか?」
「ええ。急な話だったけど、セトにご馳走出来ると聞いたら喜んで来てくれたわ」
「あー……うん。なるほど」
マリーナの言葉でレイも連れて来た料理人について理解する。
ギルムに一定数いる、セト好きの一人なのだろうと。
マリーナがわざわざ頼みに行ったということは、その料理人は相応の……それこそギルムの中でもかなりの腕を持った料理人なのだろう。
だが、そのような事情とセト好きだというのは関係がない。
……いや、腕の良い料理人だからこそセトに自分の作った料理を直接ご馳走出来るのだから、その料理人にしてみればセト好きと自分の職業が全く関係ないという訳ではないのだろう。
「分かった? じゃあ、そろそろ準備してちょうだい。もう来てうどんの準備をしてるから。それに他の人達も中庭に集まってるわよ」
そう言われ、レイは大きく伸びをして眠気を振り払い、準備をするのだった。
中庭にやってきたレイが見たのは、三十代程の男が部下、もしくは弟子達に指示をしている光景。
幸いなことに、うどんはそこまで準備が難しい料理ではない。
一番手間の掛かるうどんのスープは店で作ったのを持ってきたので、後は寝かせておいたうどんの生地を切って茹でるだけだ。
もっとも、茹でた後で水洗いをしたり、その後で熱湯で軽く温め直したりするといった作業も必要なのだが、それについてはこの場では何の問題もなく出来る。
(うどん……うどんか。香辛料も定期的に入るようになったことだし、出来ればカレーうどんを食べたいな。うーん、カレーはなぁ……どうやって作ればいいのか)
一応レイも日本にいた時にカレーを作った経験はある。
だが、それはあくまでもカレールーを使ってのもので、スパイスからカレーを作ったことはない。
料理漫画でそれっぽいのを見たり、あるいはTVでスパイスからカレーを作っているのを見たこことはあるが、それで作れる筈もない。
(あ、でもうどんは大雑把に説明して作って貰えたんだし、そう考えるとカレーも出来るのか? ……うーん、何だか難しそうな気がする)
うどんの場合は、大雑把な説明とはいえ大体の作り方をレイは知っていた。
小麦粉に水と塩を加え、力を込めて捏ねたり、あるいは踏んだりするというように。
だが、カレーの場合は香辛料……スパイスを組み合わせるということしか分からない。
そして香辛料は多種多様だ。
具体的にどの香辛料を使えばいいのか、レイには全く分からなかった。
(ターメリックとウコン……ってのは何かで聞いた覚えがあるが、多分間違っていない筈。後はカレーなんだから唐辛子かなにかの辛味のあるスパイスとか?)
レイの知識は結局のところその程度だ。
そうである以上、カレーというのがどういう料理かを教えるとしても、香辛料で野菜や肉を煮込んでとろみをつけた料理というくらいしか言えない。
なお、その場合レイは鶏肉を推奨するだろう。
カレーに入れる肉については鶏、豚、牛……他に珍しいところは羊であったり、肉ではないが魚介類だったりもするが、レイの場合はチキンカレーが一番好みだった。
とはいえ、この世界……特にギルムではオーク肉が普通にあったりするので、それを使ってカレーを食べても間違いなく美味いとは思うが。
「レイ? どうしたの?」
「いや、うどんが楽しみだと思って」
マリーナにそう返しながらも、カレーについて考えていた為か、出来ればカレーうどんを食べたいと思ってしまう。
とはいえ、それが無理なのは分かっていたが。
「そう。じゃあ取りあえず座って待ちましょうか」
マリーナに促されたレイは、用意されたテーブルに座る。
なお、調理器具の類はマリーナが用意したのか、庭の土が盛り上がって使いやすそうになっていた。
精霊魔法って便利だな。
しみじみとそう思いつつ椅子に座ると、ヴィヘラが呆れの視線を向けてくる。
「レイ、今日は随分とゆっくりじゃない?」
そんなヴィヘラの言葉を聞いた他の者達がそれに同意するように頷く。
昼を既にすぎているこの時間まで部屋で寝ているというのは、レイらしくないと思っているのだろう。
実際、普段のレイを知っているのならヴィヘラの言葉に同意する者が殆どの筈だ。
「何となく……こう、やる気が起きなくてな」
「大きな仕事を終えて、ギルムに戻ってきたから気が抜けた?」
穢れや穢れの関係者という表現を使わなかったのは、その件については可能な限り外で口にしないようにとダスカーから言われているからだろう。
元ベスティア帝国の皇族というヴィヘラの立場を思えば、ダスカーの要望に必ずしも従う必要はない。
だが、ヴィヘラとしてはダスカーは有能な人物で、何よりレイやマリーナと友好関係にある。
そんな相手の要望を断るのは止めておいた方がいいと判断したのだろう。
これがもっと別の……それこそヴィヘラにとって受け入れられないようなことであれば話は別だっただろう。
しかし、その頼みが今回のように穢れや穢れの関係者について他言をしないで欲しいという程度なら、何の問題もない。
そんな訳で、ヴィヘラは若干表現を誤魔化しながらレイに尋ねたのだ。
「そうだな。それもあると思う」
レイも自分が一種の燃え尽き症候群に近い状態だというのは理解している。
だがこの場合問題なのは、そうであるにも関わらずどうにかしようという気持ちが起こらないことだ。
「ふーん。……こういう時ってどうすればいいのかしら?」
ヴィヘラが他の面々に視線を向ける。
そんな中で真っ先に反応したのは、意外なことにアーラだった。
「レイ殿が興味を持つ何かを示してみればいいのでは? この場合は、マジックアイテムや美味しい料理でしょうか」
アーラのその言葉に、エレーナがうどんを作っている料理人達に視線を向ける。
「美味い料理ということであれば、今回の件は悪くないのでは? レイもうどんは好きなのだから」
「そうだな。俺がうどんを好きなのは間違いない。自分で言うのも何だけど、ここまでうどんが広まるとは思ってなかったし」
うどんのスープも多種多様で、ギルムからかなり離れた場所でもうどんを売る店があると聞く。
また、焼きうどんという、レイにとっても馴染み深いうどん料理が出来たりするのを考えると、うどんはレイにとってもこの世界での好物の一つなのは間違いなかった。