3475話
対のオーブを使ったダスカーとの話し合いは、何とか終わる。
ダスカーにとっても追加で得られた情報は大きな意味を持つ。
……そして何より、どこまでも広がるガラス化した大地というのは、話を聞いただけではそう簡単に理解は出来ないだろう。
あるいはそういうものがあるかもしれないと納得はするが、実際に自分の目で見ないと本当にどういう場所なのかは分からない。
レイとしては、出来れば対のオーブ越しではなく、実際にこの場までやって来て、直接自分の目で見るのが一番だと思うのだが……まさかダスカーをここまで連れてくる訳にもいかない。
冬になって仕事は大分減ったとはいえ、それでもそれなりにダスカーがやるべき仕事はあるのだ。
その全てを放ってここに来るということは、とてもではないが出来なかった。
以前レイがベスティア帝国で開かれた闘技大会に招待された時はダスカーも一緒に行動したが、それは例外中の例外。
しかもその一件を何とか終えて王都での報告も終わってギルムに戻ってから暫くは、それこそ仕事、仕事、仕事といった毎日を送ることになってしまった。
ギルムの増築工事で仕事が圧倒的に増えたり、レイの関係で仕事が増えたりしても、それに潰れることなく何とかやりすごすことが出来たのはその時の経験も影響してるのだろう。
「じゃあ、報告はこれで終わります。後はギルムに戻ってからということで」
『分かった。王都の方にも至急連絡を送る。ここからは王都の判断だが、恐らくベスティア帝国に追加で人材を派遣することになるだろう。もっとも、そこで起こった一件が上まで伝われば、ベスティア帝国側でも何が起きたのかは分かるだろうが』
「キャリスの報告を馬鹿らしいと途中で破棄しないで、素直に上まで届けばですけどね」
世界が破滅の危機、そして巨人となった大いなる存在とその依り代になったシャロン。どこまでも続くガラス化した大地。
もしそんな報告が部下から上がってきて、しかもその上司が常識的な判断しか出来ない場合、それは妄想の産物としてその場で処分するだろう。
あるいはもう少し部下思いなら、回復魔法を使える魔法使いを紹介するか。
『そうだろうな。俺も穢れや穢れの関係者について知っているからこそ、こうして信じるし、何より実際にガラス化した大地を見たのも大きい。だが、その辺りの情報を何も知らないままで、その言葉を信じろというのは……少し難しいだろう』
常識的に考えれば、ダスカーの言葉が正しいのだろう。
レイもそれは分かっているが、だからといって自分達がわざわざベスティア帝国の上層部にその件を知らせようとまでは思わない。
何よりそうした場合、間違いなく次期皇帝のメルクリオが関わってくるのだから。
シスコンという表現が相応しいメルクリオだ。
姉のヴィヘラがいると知れば、間違いなく関わってきて、それによってまた面倒が起きるのはレイにも容易に予想出来た。
どうしてもそうする必要があるのなら仕方がないが、そのようなことをしなくてもいいのなら、出来れば避けたいというのがレイの本音だ。
レイがギルムに少しでも早く戻ろうとしているのは、その辺の理由もあった。
まずないだろうと思ってはいるが、それでもシスコンのメルクリオなら、ヴィヘラがいると知れば帝都からここまで雪の中を姉に会う為にやって来ないとも限らないと、そう思えたのだ。
レイの知っているメルクリオなら、普通にそういうことをしそうな雰囲気があった。
「取りあえず、こっちで後やることはないので、王都に任せるという形になるんですよね?」
『そうなるな。とはいえ、もしかしたら何か分からないことがあってレイに聞くということもあるかもしれないが』
「その時は出来るだけ協力します」
『そうしてくれ。それと……いや、ちょっと待て』
レイと話していたダスカーは、対のオーブをそのままにして別の誰かと話し始める。
とはいえ、対のオーブに映っているダスカーの表情は厳しかったりはしていないので、特に何か問題が起こったという訳でもないのだろう。
そうして数分が経過したところで、話が終わったのかダスカーが再びレイに向かって口を開く。
『悪いが、少し用事が出来た。……ああ、一応言っておくが今回の件とは全く関係のない用事だ』
「そうですか。じゃあ、報告も大体終わりましたし、ちょうどよかったのかもしれませんね。この通信が終わったら、ギルムに向かって出発します」
『そうしてくれ。ことがことだけに、歓迎のパレードをやるといったことは出来ないが、祝勝会の準備くらいはしておこう』
「料理、楽しみにしています」
その言葉を最後に通信が終わり、対のオーブからダスカーの姿が消える。
その瞬間、ガーシュタイナーとオクタビアは少しだけ安堵の息を吐く。
二人にとっては、ダスカーは自分の仕える主人だ。
今回の報告でも二人はそれなりにダスカーと話したが、それでも主な報告役はレイが行った。
これについては、シャロンとの戦いも含めてレイしか分からないことが多かったのだから仕方のないことだが。
ともあれ、ダスカーの懐刀と呼ばれることもあるレイだったが、それも端的に言えば外注のような存在だ。
他にもマリーナとの関係を始めとしてレイがダスカーと気軽に話せるという理由は幾つかがあるが、直属の部下のガーシュタイナーやオクタビアはそんなレイとは立場が違う。
それが今のこの態度に表れていたのだろう。
レイもそんな二人の様子には気が付いていたが、今はまずギルムに戻るのを最優先にしようと思い、ガーシュタイナーとオクタビアには特に触れず、口を開く。
「そんな訳で、すぐにギルムに向かおうと思う。何か異論はあるか?」
「異論がある訳じゃないけど、この……何て言えばいいのかしら。ちょっと言葉に出来ないような景色をもう見られないのはちょっと残念ね」
マリーナがガラス化した大地を見ながらそう言う。
ギルドマスターになる前は冒険者として多くの場所に行ったマリーナだったが、それでもこのようなどこまでも続くガラス化した大地という景色は見たことがなかったらしい。
それだけに、この景色も見納めかと思うと名残惜しいのだろう。
これがもっとギルムの近くにあれば、それなりに頻繁に見に来ることも出来るのだろうが。
(いや、駄目だろそれは。もしそうなったら、ギルムの側に穢れの関係者の本拠地があったって話になるし)
このガラス化した大地は、レイが行った戦闘の結果出来たものだ。
ギルムの側にそのような危険な場所があったら、とてもではないが安心してギルムで暮らすことは出来ない。
「あ、それならレイにギルムの側でまた魔法を使って貰ったらいいんじゃない?」
「あのな、ヴィヘラ。俺はここで魔法を使った結果、何日も意識不明になったんだが?」
レイが同じ魔法を使えば、ギルムの近くにここと同じようにガラス化した大地が広がるのではないか。
そう言うヴィヘラに、レイは冷静に突っ込む。
また突っ込むのはレイだけではない。
「元ギルドマスターとしても、それは避けて欲しいわね。……確かにこの光景は圧倒的な何かを感じるわ。けど、この光景を作る為には周辺一帯全てがここと同じようになるのよ? ギルムでそんなことをやったら、最悪モンスターがスタンピードを起こしてもおかしくないし、貴重な素材の類も入手出来なくなってしまうわ。ここは元々荒れ地だったから、そこまで影響はないでしょうけど」
そのマリーナの言葉には、皆が納得する。
それこそ最初にレイに魔法をもう一度使って貰ったらといったヴィヘラですら納得してしまう。
レイが魔法を使った結果、複数あった崖ですら焼滅してしまったのだ。
林や森、草原……ギルムにある場所がこのような状況になったら、非常に大きな損失となるのは間違いない。
(観光資源も……そもそも無理か)
このエルジィンという世界においては、盗賊やモンスターが普通に存在する。
日本のように、気楽に旅行に出掛けるといったことは出来ない。
ましてや、辺境にあるギルムだ。
今は違うが、少し前までは実力のない冒険者はギルムに行く途中でモンスターに殺されることは珍しくなかった。
そんな場所に観光資源があっても、見に来る者は本当に一部の実力のある者か、あるいは実力のある者を護衛として雇えるような者達だけだろう。
そのような者達が利用する店や宿ではそれなりに儲かるだろうが、ギルム全体としてはそこまで大きな利益にはならない。
ガラス化した大地を生み出す為に消えた自然と少数の観光客がもたらす利益。
どちらがギルムにとって重要なのかは、考えるまでもなく明らかだ。
「もしそんなことをすれば、間違いなくダスカー殿が怒り狂うだろうな」
エレーナのその言葉にレイも同意する。
「下手をすれば、犯罪者として賞金首になるかもしれないな。そういうのは避けたい」
「そうね。……じゃあ、仕方がないかしら」
ヴィヘラが少し……本当に少しだけ残念そうにしているのは、賞金首になれば賞金稼ぎとして腕の立つ者達と戦えるかもしれないと思ったからだろう。
とはいえ、戦闘を好むヴィヘラでもレイが賞金首になるのは許容出来ないらしい。
「その話はその辺にして、ダスカー様にも言ったけどそろそろ移動をするぞ。この光景は……まぁ、また来るような機会があるかもしれないし」
そう言うレイだったが、ここがミレアーナ王国の領土ならともかく、ベスティア帝国の領土だ。
そうである以上、そう簡単に来るようなことは出来ないのは事実だ。
レイの言葉を聞いていた者達は特に反対も口にせず、セト籠に向かって歩き出すのだった。
「んー……こうして見ると、本当にどこまでも広がっているな」
「そうね。光が反射して、上空から見ると凄く綺麗ね」
レイの呟きにそう返してきたのは、左肩に座っているニールセンだ。
ここに来る時はセト籠に乗って移動したのだが、どういう心変わりか今度はレイと一緒にセトに乗ることにしたらしい。
これはニールセンが妖精だから……それこそ人とは比べものにならないくらいの軽さだからこそ出来ることだった。
そういう意味では、ニールセンの特権のようなものだろう。
「これ……あの村との間から始まったと考えると、かなり広範囲に広がってるんだろうな」
「そうね。でも、こうして見ている限りは綺麗なんだし、それなら何の問題もないんじゃない?」
「この光景を作った俺が言うのも何だけど、あの村の住人が冬以外にはこの辺りに狩りにきたりしなければいいけど」
もし狩りに来ていたのなら、この地にいた生物はその殆どが死んでしまっている以上、獲物を獲るのは不可能になるだろう。
もし狩りの獲物となる動物がいた場合、その動物はもう死んでいるので狩りは出来ないし、どこか他の場所からやってくるにしても、このガラス化した大地では草も生えない以上、草食動物も集まってこないだろうし、そうなるとその草食動物を獲物とする肉食動物も集まってはこないだろう。
そうなると、もし猟師がここに来ても、狙えるのは鳥くらいになる。
(けど、反射していると鳥とか近付かないって話だったしな。日本の鳥だけど)
日本にいた時、レイの家では農家をしていた。
そして農家の天敵の一つに、野菜や果物が実ってきた時にやってくる鳥がいる。
雀や鴉といった一般的な鳥以外にも、山鳥と呼ばれるような鳥まで。
そんな鳥の対策として案山子を使ったり、鳥の形をした小型の凧のようなものを上げたりといったものが使われていたが、そのような手段の一つに光を反射するものを配置しておくというのもあった。
鏡であったり、もう使わなくなったCDやDVDであったり。
それが具体的にどのくらいの効果があるのかは、レイにもはっきりとは分からない。
分からないが、それでも止めることなく続けていたのを思えば相応に効果はあったのだろう。
実際には効果の有無が分からずとも、効果があって欲しいという思いで続けていたのかもしれないが。
とにかくそのような理由を考えると、こうして上空を飛んでいても太陽の光が反射して煌めくガラス化した大地は、鳥が嫌う場所なのではないかと思ってしまう。
(まぁ、猟師がここに来るとは限らないけど。俺が知らないだけで、どこかに林とか森があってもおかしくないし)
そんな風に思いつつ、レイは地上を見ながら感想を口にするニールセンの相手をしながら、取りあえず穢れの関係者の件で自分の役目はこれで終わったと、安堵するのだった。