3461話
エレーナ達が現在いる村に近付いてくる集団がベスティア帝国の旗を掲げているということで、その所属が判明した。
場合によっては敵国、あるいは全く関係のない国の旗を掲げるということもあるのだが、そのようなことをするのは基本的に戦場での話だ。
……中には特殊な訓練を積んだ部隊が自分達の正体を隠す為に他の国の旗を使う、いわゆる偽旗といったことをする者もいたりするが、今のこの状況でそのようなことはまずないだろうと判断された。
ともあれ、そのような者達が来ているということで、エレーナ達はレイの部屋から出る。
そして丁度いいとばかりに、キャリスやその部下を引き連れて村の前で待つ。
村の前ではレリューとグライナーが模擬戦を行っていたものの、このような状況になってしまえばそんなことを続ける訳にもいかない。
大人しく模擬戦を止め、事情を聞くと念の為にその場で待機した。
そうして待つこと、数十分……姿を現した軍隊は、村から少し離れた場所で足を止める。
村の前に何人もが集まっていることに気が付いたのだろう。
このまま進んだ場合、もしかしたら意味もなく衝突してトラブルになるかもしれないと、そう判断したのかもしれない。
そうして数分が経過すると、その集団が騎兵から一騎村に近付いてくる。
「知ってる?」
「知らないわね。もっとも、私も軍に所属している全員の顔を覚えている訳でもないけど」
マリーナとヴィヘラがそう言葉を交わしてると、騎兵は村の前に到着する。
「私はこの地を治めるカリオン伯爵家に仕える者だ。現在、ベスティア帝国軍の案内としてここまでやって来た。この異常気象について何か知ってることが……」
あったら教えて欲しい。あるいは教えろ。
そのように言おうとした騎兵……いや、その名乗りから恐らく騎士だと思しき人物だったが、その途中で言葉を止める。
騎士の視線の先にいるのは、ヴィヘラ。
騎士は数秒沈黙した後で目を擦り、改めてそちらに視線を向ける。
だが、やはりそこにいるのはヴィヘラだ。
この騎士が仕えるカリオン伯爵家は、以前の内乱の際に途中からメルクリオ軍に味方をした。
内乱のかなり後半、それこそ最初こそ不利だったと言われていたメルクリオがレイの協力もあって盛り返し、戦局を互角に近い状態に持っていってから合流した者の一人だ。
そのカリオン伯爵に仕える騎士として、男は戦場でヴィヘラの姿を見たことがある。
何よりヴィヘラ達の後ろにいるグリフォンのセトの姿を見間違える筈もない。
慌てたように馬から下りると、その場に跪く。
「ヴィヘラ皇女殿下……? 何故ここに?」
「元、ね。私はもう出奔したんだから、その辺については気を付けなさい。それよりも立ってもいいわよ。……で、私がここに来たのは……」
そこで一旦言葉を止めたヴィヘラは、自分の言葉で立ち上がった男からマリーナに視線を移す。
どこまで話してもいいのかという視線に、マリーナは頷く。
それはある程度は事情を話してもいいという合図。
まさかこの状況……真冬だというのに初夏に近い気温という今の異常事態を、適当な話で誤魔化せるとも思えなかったのだろう。
また、ここで下手な誤魔化しを口にした場合は後々かなり面倒になるという思いもそこにはあった。
そんなマリーナの様子を見たヴィヘラは、仕方がないといった様子で口を開く。
「実はこの近辺にとある犯罪者組織の拠点があると分かってね。私は冒険者としてその討伐を依頼されたの」
嘘は言っていない。
穢れの関係者達は分類するとすれば犯罪組織で間違いなかったし、それを討伐する依頼を受けたのも事実だ。
ただし、その犯罪組織の規模が世界の崩壊や破滅を求めてのものであり、実際にそれを実行出来るだけの力を持っていたのは口にしなかったが。
「それは……では、その……この異常な状態も?」
「気温のことを言ってるのなら、そうね。犯罪組織の奥の手が凶悪で、それに対処する為にレイが全力を出した結果よ」
その言葉は、ヴィヘラの口から出たものでなければ……そして内乱の時のレイの活躍をみていなければ、鼻で笑って否定しただろう。
だが、ヴィヘラの口から出た言葉で、何よりレイの実力を直接目にしたことのある騎士にしてみれば、即座に嘘とは断言出来なかった。
だからといって、それを素直に信じろと言われて信じられるかどうかはまた別の話だが。
「その……私では判断出来ませんので、少し戻って事情を説明してきてもよろしいでしょうか? 向こうでも事情については知りたいと思っていますので」
「構わないわ。とはいえ、この村の住人はこんな軍隊が来るということに慣れてないんだから、あまり怖がらせないで欲しいけど」
ベスティア帝国でも端の方にある村だ。
当然だがこのように多数の武装した者達がやってくるというのは、初めての者が多数だ。
今はエレーナ達が近付いて来た者達との交渉をするということで家の中に入っているものの、もし家の外に出ていれば相手の数に怯えていただろう。
そう言われ、騎士は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
この地を治めているカリオン伯爵家に仕えていると口にしたように、この村は騎士にとっても守るべき相手なのだ。
本来なら自分が守るべき相手を怯えさせていると言われれば、申し訳ないと思うのは当然だろう。
もっとも、騎士には騎士の言い分がある。
いきなり気温が上がって真冬とは思えない暖かさになったのだ。
この村と比べれば寒いものの、それでも毎年冬になれば結構な量の雪が積もるこの地方としては、とてもはないが看過出来ない。
その為に近くに駐屯していたベスティア帝国軍と連絡を取り、カリオン伯爵家からもある程度の纏まった人数を出してこの異常気象の秘密を探る為に動いていたのだ。
異常気象が暖かくなるというものである以上、より気温の高い方に進み、こうして村に来ることになった。
「申し訳ありません。ですが、こちらも何があったのか分からない以上、出来るだけの戦力を連れてくるしかなかった訳で……」
今回はレイの仕業というのがはっきりした以上、特に何の問題もなかった。
だが、これがもしレイの仕業ではなく、それこそ犯罪組織が何らかの行動を起こしたということであれば、それに対処するだけの戦力が必要だった。
もしくはこの辺りではその可能性は低いものの、モンスター……それも高ランクモンスターの仕業ということであっても戦力は必要となる。
「分かってるわよ。それにカリオン伯爵の手の者がいるのなら、もし何か問題があっても解決出来た可能性は高いでしょうし」
「そう言って貰えると助かります。……では、事情を説明してきますので」
そう言い、騎士は馬に乗ると、ベスティア帝国軍のいる場所に戻る。
その後ろ姿を見送り、エレーナが口を開く。
「何とか上手く誤魔化せたようだな」
「あのね、エレーナ。別に嘘は言ってないわよ?」
「そうだな。嘘は言っていない。嘘は」
そう言い、意味ありげな視線を向けるエレーナにヴィヘラはそっと視線を逸らす。
自分でもちょっと無理矢理すぎたのではないかと、そのように思ったのだ。
とはいえ、今の状況を思えばそれも仕方がないのだが。
これが例えば、テオレームのようなメルクリオの側近が来ているのなら、詳細な事情を話してもいいだろう。
だが、カリオン伯爵は善良な人物というのは知ってるが、内乱の時の行動を思えば風見鶏的な性格も持つ。
その上で、カリオン伯爵本人ならともかく、その部下だ。
とてもではないが詳細な事情を話せる筈もない。
「とにかく、敵じゃなくてよかったな。……とはいえ、これで穢れの関係者についてもベスティア帝国にしられるんじゃないか?」
レリューは気楽にそう言う。
今の状況から、緊迫した状況にならないことは十分に理解していたのだろう。
「それは別に構わないわ。元々ダスカーも……というか、ミレアーナ王国の上層部もこの件については別に自分達だけで情報を秘匿しようとは思っていなかったし。ベスティア帝国にも情報を流す筈よ。ただ、相手の危険さを考えて実際に連絡するよりも行動を起こす方が先になってしまった訳だけど」
そう言うマリーナの言葉に、レリューは呆れればいいのか感心すればいいのか迷う。
実際、巨人の姿を直接見たレリューとしては、あれを野放しにしておくのは絶対に不味いと理解は出来た。
だからこそ強引にでも今回のような奇襲を行ったのだ。
それは理解出来るが、同時にベスティア帝国に対しての説明には少し無理があるのではないかと思えてしまう。
「とにかく……あら」
マリーナが更に何かを言おうとしたところで、言葉を止める。
その理由は、マリーナの視線を追えば十分に理解出来た。
先程の騎士の他に数人の騎士が馬に乗って村に近付いてくるのだ。
そして村に……というか、ヴィヘラ達の前までやって来ると、騎士が全員馬から下り、先程の騎士と同じように地面に膝を突き、それぞれに挨拶の言葉を口にする。
騎士達にしてみれば、まさかこのような場所でヴィヘラに会えるとは思っていなかったのだろう。
ヴィヘラは先程と同じように挨拶を聞いた後で立ち上がるように言う。
そんな中、騎士達の中の代表だと名乗ったビズレイという四十代程の男が代表するように口を開く。
「それで、ヴィヘラ殿下……いえ、ヴィヘラ様とお呼びした方がよろしいでしょうからそう呼ばせて貰いますが、犯罪組織の件については事実でしょうか?」
先程の騎士から大体の事情は聞いていたらしいビズレイは、そうヴィヘラに尋ねる。
先程の騎士から聞いた情報を信じていない訳ではない。
だが、これ程の事態となっているのだ。
例えヴィヘラの言葉であっても、人伝にそれを聞いてはいそうですかと納得することは出来なかった。
「犯罪組織の奥の手をレイが対処したのは間違いないわ。詳しい事情を知りたいのなら、どこでレイが魔法を使ったのかの場所は教えてもいいわよ。ただ、これは忠告だけど限界だと思ったらそれ以上進むのは止めることね」
「……限界とは?」
ヴィヘラの言葉に意味が理解出来ず、ビズレイはそう尋ねる。
そんなビズレイに、ヴィヘラは特に気にした様子もなく口を開く。
「レイの使った魔法は、とんでもない威力だったわ。この周辺の気温が冬なのにここまで高くなっているのは、その魔法の影響よ。そして魔法を使ったのは、ここからかなり離れた場所だけど、そんな場所に近付けると思う? 私達の方でも何人か毎日様子見に出しているけど、途中からは熱さで進めなくなって戻ってきてる有様だもの」
「それは……」
ヴィヘラの言葉に、ビズレイは何も言えなくなる。
レイの実力を知っている一人だけに、そのようなことが起きると言われれば、納得出来てしまう点があったのだ。
それでも、ビズレイの立場として、このまま自分達の目で直接何も見ないで戻るということは出来ない。
「分かりました。その場所について正確に教えて貰えますか? ヴィヘラ様の言葉が間違ってるとは思いませんが、それでもやはり私達が自分で直接その熱さを体験する必要がありますから」
「そう。それなら私からは何も言わないわ。ただ、繰り返すようだけど、本当にこれ以上近づけないと思ったら、その時点で諦めた方がいいわよ」
ヴィヘラとしては、ビズレイ達が巨人と戦った場所に向かっても途中で進めなくなるというのは分かりきっていた。
それだけに、ビズレイの行動を止めるようなことはしなかった。
そんなヴィヘラの言葉の意味を理解したのかどうかはともかく、ビズレイは素直に頷く。
「分かりました。では、早速調べにいきますので、場所を教えて貰えますか?」
「ええ、構わないわ」
そう言い、ヴィヘラは巨人と戦った場所についての大体の場所を説明する。
大体の場所なのは、実はヴィヘラ達にも正確な場所が分からない為だ。
レイの魔法から少しでも離れる為に必死に走ったので、巨人と戦った詳細な場所は分からない。
それでもキャリスは崖が多数ある場所については知っていたので、その辺の情報を渡す。
「出来れば、何人か一緒に来て欲しいのだが」
大体の場所を聞いても、そこにきちんと辿り着けるとは限らない。
その為、案内役を欲したビズレイだったが、それに好んで一緒に行きたいと思う者はいない。
何度か確認をしに崖に向かった者達は、熱気で近づけないというのを経験している。
そちらをやっていない者であっても、最初に逃げてくる時の熱気を知っていれば、わざわざ行きたいとは思えない。
結局最後はキャリスがビズレイと共に一緒に行くことになるのだった。