3460話
レイが気絶してから、二日。
その間、エレーナ達はレイの看病をする以外にも色々とやるべきことがあった。
具体的には、巨人と戦った場所の様子を確認することだ。
とはいえ、ある程度の場所まで近付けばそれ以上は熱気で近づけなくなっている。
それこそ途中からは真昼の砂漠やサウナの中といったような、とてもではないが何の準備もなく入っていくことが出来ない、そんな場所になっており、レリュー達でもある程度の距離までしか近づけない。
……問題なのは、そのある程度の距離というのが巨人と戦った場所からかなり離れている場所ということだろう。
それ以上進むことができないことを考えると、やはりレイが目覚めるまではどうしようもない。
不幸中の幸いなのは、多少……具体的には十mちょっとといったところだが、進める距離が延びているということだろう。
それはつまり、レイの魔法によって生み出された熱気が、冬の寒気によって日に日に冷やされてきていることを意味していた。
もっとも、冬の寒気が存在し続けているのに、それでもその程度しか進んでいないというのは、レイの魔法がどれだけの威力だったのかを如実に表しているのだが。
「今日はこっちでよかった。昨日はもの凄い汗を掻いて戻ってきたしな。川で水浴びが出来てよかったよ」
エレーナ達が拠点としている村のすぐ外で、レリューは軽く身体を動かしながらそんな風に呟く。
現在のところ、特に何か急いでやるべきことはないので、身体が鈍らないようにグライナーと模擬戦をやろうとしているのだ。
何しろ現状において、レリュー達には特にやるべきことはない。
レリューが口にしたように、巨人と戦った場所にどれだけ近づけるかというのは、順番に行われているので特にやるべきこともない。
また、ギルムのような辺境でもないので、モンスターの襲撃を警戒する必要はない……訳ではないが、それでもこのような場所で姿を現すモンスターは、ゴブリンのような低ランクモンスターが殆どだ。
寧ろこのような場所ではモンスターよりも盗賊の警戒が必要だった。
ただ、この村はベスティア帝国でもかなり端の方にあり、村人の人数も決して多くはない。
もし盗賊がこの村を襲っても、その収穫はかなり少ないだろう。
また、今でこそレイの魔法で暖かくなってはいるが、数日前までは雪が積もっていたのだ。
盗賊もそんな寒い中、このような小さな村を襲撃しようとは思わないだろうから、レリュー達がこうして村の外で訓練がてら周囲の警戒をしているのは、本当に念の為でしかない。
もっとも、世の中には何も考えず、行き当たりばったりで行動する者もいる。
盗賊にそのような者がいた場合、それこそ気分次第で村を襲撃するということを決めたりもしかねない以上、レリュー達の行為は決して無駄ではなかったが。
「さて、じゃあやるか。……それにしても、いつまでここにいる必要があるんだろうな」
「出来れば春までにはギルムに戻りたいところだが。でないと妻に何を言われるか」
「そういえばグライナーは結婚してるんだったな。……それでよくこの依頼を受ける気になったな」
「色々と金が必要なんだよ」
「……ランクA冒険者なら、それこそ金なんて余裕で稼げるだろうに」
レリューの言葉は事実だ。
それどころか、ランクB冒険者であっても運によっては一生遊んで暮らせるだけの金を稼げることもある。
それならランクA冒険者なら、余計に金にこまることはないというのが一般的な認識だ。
ただし、当然ながらそれは冒険者として金を稼ぐという意味で、それだけ命の危険も高まるということを意味しているのだが。
「色々とあるんだよ、これでも」
複雑な表情を浮かべるグライナーに、レリューはもう少し話を聞いてみたいと思ったものの、それを口にするよりも前に……あるいは口にしようとしたレリューを見てそうはさせじと思ったのか、グライナーはレリューに向かって攻撃を仕掛けるのだった。
レリューとグライナーが模擬戦という名の真剣勝負をしている頃、ビューネはイエロとニールセンと共に村の周囲を歩いていた。
今の状況でビューネは特にやるべきことはない。
……そもそも穢れの関係者の拠点を奇襲するのにビューネを連れてきたのも、ビューネだけをギルムに残してくるのは問題があり、あるいは万が一にも穢れの関係者によってビューネがレイ達に対しての人質として狙われるかもしれないということで、一緒に来たのだ。
盗賊としての技量に期待されていたのは事実だし、実際に本拠地に続く隠された入り口を見つけるという結果も残しているので、そういう意味でもビューネの存在は一行にとって必要だったのだろう。
そんなビューネだが、今はやることがない。
エレーナ達のように暇があればレイの眠っている部屋に入り浸るようなこともなく、本当につまらないので現在はイエロとニールセンと共に村の周囲の探索を行っていた。
ただ、ここが何の特徴もない小さな村だというのは、ビューネも知っている。
こうして探索をしているものの、それで特に何かが見つかるといったことは思っていなかった。
「ねぇ、ビューネ。向こうの方にちょっと植物が生えてるみたいだけど、ちょっと行ってみない?」
「ん」
ニールセンの言葉に一言頷き、ビューネはニールセンの示す方向に向かう。
ビューネの右脇をニールセンが飛び、左脇をイエロが飛ぶ。
そんな様子は、見る者が見ればどこか幻想的な光景にすら思えるだろう。
……その実際のところを知れば、幻滅しかねないが。
ビューネ達は村の外れに進む。
するとそこにはまだ数cm程度だが植物が生えていた。
本来なら冬で雪が積もっている時季だ。こうして植物が生えるということはないのだが、今はレイの魔法の影響でかなりの暖かさとなっている。
その結果として、春に生える筈の植物が既に冬が終わったと判断して芽をだしたのだろう。
「うーん、今はいいけど……レイの魔法の効果って時間が経つに連れて下がってきてるのよね? そうなると、ある程度まで育ったところでまた真冬になりそうなんだけど」
普段はお気楽な性格をしているニールセンだが、今は少し心配そうに植物を見る。
妖精魔法で植物を操るニールセンにとって、植物というのは自分の友達のようなものだ。
そんな植物が、このままでは雪に埋もれてしまうのを心配し……
「うん、そうね。少しくらいは手伝いをしてもいいか」
そう言い、ニールセンは何らかの魔法を使う。
それが具体的にどのような魔法なのかは、イエロは勿論、ビューネにも分からなかった。
だがそれでも、ニールセンの言動から生えている植物に何らかの利益がある魔法なのだろうというのは予想出来た。
「これで、よし。ほら、ビューネ、他にも……」
色々と見て回るわよ。
そう言おうとしたニールセンだったが、ビューネが自分ではなくとある方向を見ているのに気が付き、言葉を止める。
「ビューネ、どうしたの?」
「ん!」
ニールセンもそれなりにビューネと一緒にいるようになり、何となくだがその付き合い方を理解している。
そんなニールセンの予想では、今の一言には若干の緊張があるように思えた。
「どうしたの? 何かあった? ……何も見えないけど」
ビューネの見ている方を確認するニールセンだったが、特に何かあるようには思えない。
それでもビューネの様子から、冗談でも何でもなくビューネがどこか一ヶ所を見ていることに気が付いたニールセンは、じっとその視線を追う。
目を凝らし、よく見て……それでようやく、視線のずっと先で何かが動いているのに気が付く。
「何か見えるけど……何、あれ?」
小さく、それこそ砂粒よりも小さく見えるそれが何なのか、ニールセンには分からない。
だが、それはニールセンにとって分からないことであって、ビューネはそれが何なのか十分に理解していたのだろう。
少し考えた様子を見せ……
「ん!」
そう一言呟くと、すぐに村に向かって走り出す。
「キュウ!?」
ニールセンが何らかの妖精魔法を使った植物を興味深そうに見ていたイエロは、突然ビューネが走り出したのを見て驚きの声を上げながら追う。
「あ、ちょっとビューネ!? 全く、一体何があったのよ!」
突然走り出したビューネと、それを追ったイエロをニールセンも追う。
そうしてビューネ達は村の中に入る。
途中でレリューとグライナーが模擬戦を行っていたものの、それについてはビューネも興味を見せない。
異名持ちとランクA冒険者の模擬戦だ。
本来なら、金を出してでも見たいと思う者は幾らでもいるのだが。
そんな模擬戦を無視して走り続けたビューネは、村の中央にある村長の家に飛び込む。
村長の家の前には護衛としてキャリスの部下が何人かとアーラもいたのだが、入ってきたのがビューネやニールセン、イエロということもあり、止めたりはしない。
なお、ニールセンは既にこの村で行動する上で、姿を隠してはいない。
村人達がニールセンを相手に何か邪な思いを抱いても、ここにいる戦力を考えればニールセンを捕らえるといったことをするとは思えなかったし、もし捕まっても妖精の輪で逃げ出すことが出来るというのも大きい。
その辺の状況を考えれば、姿を隠す必要はないと判断したのだ。
とはいえ、実際にはニールセンも細かいことは考えておらず、単純に隠れているのが面倒だという思いもあったのだが。
「ん!」
どんどんどん、と。
ビューネはレイが眠っている部屋の扉をノックする。
かなり強く叩いているので、その音は家の中に響き渡り……
「どうしたの?」
扉が開き、ヴィヘラが顔を出す。
ビューネの様子から、何かがあったのは間違いないと思われた。
そして今の状況でその何かがあったというのは、穢れの関係者達に関する何かではないかと、そう思ってしまうのは今の状況的に仕方がないのだろう。
「ん!」
そんなヴィヘラに向かい、ビューネはいつものように短く言う。
普通ならそんなビューネの様子から、何かがあったと判断は出来るかもしれないが、それが具体的になんなのかまでは分からないだろう。
それなりにビューネと付き合いが長くなったエレーナやマリーナ、アーラ、そしてレイも同様だ。
しかしそんな中で唯一ビューネの言いたいことを完全に把握出来る人物がいる。
それがヴィヘラで、それは今回も同様だった。
「え? この村に向かってくる集団がいる? ……この状況で?」
「何で分かるのよ」
理不尽だと言いたげな様子のニールセン。
ビューネと同じ光景を見たニールセンだったが、何かがあるというのは分かっても、それが具体的になんなのかというのは分からなかった。
だが、それが何か緊急に知らせる必要があるというのは分かったのだが、ビューネの言葉では説明出来ないと、そう思っていたのだ。
つまり、自分が何とかして事情を説明しなければならないと。
だが実際に来てみれば、ビューネの『ん』の一言で何故かヴィヘラは事情を全て察してしまう。
今の一言で、何がどうやって事情を理解出来るのか。ニールセンには全く理解出来ない。
理解出来ないが、それでも遙か遠くに見えた何かについての具体的な説明をしなくてもよくなったのは、ニールセンにとって幸運ではあった。
「何でと言われても、何となく分かるとしか言えないわ。……とにかく、何らかの集団がこの村に近付いてくるようだけど、どう思う?」
ヴィヘラが視線を向けたのは、部屋の中にいるエレーナとマリーナの二人。
ある意味では現在奇襲部隊の指揮を執っている首脳陣とでも呼ぶべき者達の姿がそこにはあった。
とはいえ、十人を超える程度の人数を纏めるのに、姫将軍や世界樹の巫女、元ベスティア帝国の皇女というのは、人材の無駄遣いのように思う者がいてもおかしくはない。
もっとも、その三人は望んでレイと一緒に行動しているのだが。
「そうね。普通に考えればベスティア帝国軍じゃない? レイの魔法の影響はかなり広範囲に出ている筈よ。その原因を突き止めようとして人を派遣してもおかしくはないわ」
その言葉は報告を持ってきたビューネにも、そしてイエロやニールセンにも十分に納得出来るものだった。
エレーナはイエロを呼び、その頭部に自分の額をくっつける。
こうすることにより、エレーナは使い魔のイエロが見た光景を自分も見ることが出来る。
そしてイエロは、小さいとはいえドラゴン、竜種だ。
その五感は非常に鋭く、それこそ最初にこの村に近付いてくる集団に気が付いたビューネよりも、はっきりと相手の姿を見分けることが出来た。
「ベスティア帝国軍の旗を持ってるから、間違いないだろう」
こうして、村に近付く者達の正体が明らかになるのだった。