3459話
取りあえずエレーナが指揮を執ると説明すると、それに反対する者はいなかった。
ただ、そもそもベスティア帝国軍に所属しており、指揮系統が違うキャリスとその部下達は表向きエレーナの指揮下には入らないものの、行動を共にするということになる。
キャリス達にしてみれば、ここで自分達がエレーナの指揮下に入ると、後日不味いことになるかもしれないと思ったのだろう。
……もっとも、キャリス達はヴィヘラの命令に逆らう訳にはいかないので、あくまでも表向きでしかなかったのだが。
「それで、エレーナ様。レイはどうなってます?」
グライナーの問いに、エレーナは首を横に振る。
「残念だが、まだ目覚めていない。……私に従うと判断してくれた以上、正直なところを言わせて貰おう。レイがいつ目覚めるのかは全く分からない。今日明日にでも目が覚めるかもしれないし、あるいは数ヶ月……いや、数年掛かるかもしれない。これが普通の魔力切れなら、ある程度予想出来なくもないのだが」
数ヶ月や数年という表現に、話を聞いていた者達は驚きを隠せない。
レイについては、そう遠くないうちに目覚めるかもしれないと思っていたのだ。
とはいえ、エレーナが最初に口にしたように、もしかしたら数日で目が覚めるという可能性も否定は出来ないのだが。
「魔力を限界まで使った場合の症状は人それぞれと聞く。だが、レイの場合はとてもではないが普通とは呼べない魔力を持っているのは、ここにいる者なら全員知っているだろう。そうである以上、レイがいつ目覚めるのかは分からない。ただ……これは何の確証もない私の勘だが、恐らくそう遠くないうちに目覚めるとは思っている」
姫将軍の異名を持つエレーナの勘というのは、それなりに説得力があったらしい。
多少なりとも動揺していた者達が、大分落ち着いた様子を見せる。
レイという一人の冒険者と、姫将軍の異名持ち、元ギルドマスター、元皇族の皇女といった三人を比べても、レイの方が強い影響力を持っているのは、普通ならおかしい。
だが、この場にいる者達はレイがどれだけの実力を持っているのかを知っている。
巨人を倒す為に使った魔法は、十km以上離れても精霊魔法を使わないと熱気に耐えることが出来なかった。
それがどれだけの威力を持つ魔法なのか、予想出来るからこそレイの実力はこうして信頼されるのだろう。
「そうなると、これからどうしますか? 出来れば一度ダスカー様に色々と報告をしたいのですが」
ガーシュタイナーは、主君のダスカーに今回の事態がどうなったのかを出来るだけ早く知らせたかった。
何しろ穢れの関係者達は世界を破滅させようとしていた者達だ。
そうである以上、それを阻止したと出来るだけ早く説明したかった。
これは純粋に中立派の手柄になるという点もあるが、同時に穢れの関係者の拠点についての情報を手に入れることが出来なくなった以上、その拠点を出来るだけ早く見つけ出す必要があるというのも大きかった。
何しろレイの魔法によって、巨人が出た周辺……その地下にあるだろう穢れの関係者の本拠地も、間違いなく何もなくなっている。
これが例えば火事とかなら、偶然にも何らかの書類が焼け残ったり、紙が多数重なっていて燃えにくくなっていたりといったこともあるのだが、レイの魔法の威力を考えればそんなのは期待できないだろう。
もっとも、それだけの威力の魔法でなければ巨人を倒せなかった以上、ガーシュタイナーもレイを責めるつもりはなかったが。
だが、これから穢れの関係者の拠点を手掛かりもろくにないままで見つけなければならない身としては、多少の不満くらいは口にしてもいいだろう。
そうなると、残っているのはオーロラのみ……それとまだ人がいるかどうか分からないし、あるいは手掛かりが残っているかどうかも分からないが、オーロラのいた洞窟くらいとなる。
「残念だが、対のオーブを使った連絡をするのは難しいな。私も出来ればこの件については出来るだけ早くダスカー殿に知らせたいと思うのだが。……マリーナ、精霊魔法でどうにかならないか?」
「無理を言わないでちょうだい。精霊魔法は何でも出来る訳じゃないわよ」
「マリーナが言っても説得力ないと思うんだけど」
エレーナとマリーナの会話を聞いていたヴィヘラがそう突っ込む。
その突っ込みが聞こえた者達は、それぞれが同時に頷いていた
この場にいる者はギルムの住人だ。……正確にはエレーナやアーラはギルムに一時的に滞在しているだけなのだが、それでも現在はギルムに住んでいるのは間違いない。
とにかく、元々マリーナの実力は噂されていたし、ギルムの増築工事で重傷を負った者すら治療する精霊魔法を見せている。
また、ギルムからここまでの旅路においてマリーナの精霊魔法がどれだけのものかを皆が自分の目で見て確認していた。
そんなマリーナだけに、精霊魔法で何でも出来ると思ってもおかしくはない。
ないのだが、実際には精霊魔法でも出来ることと出来ないことがあった。
「さすがにここからギルムまで風の精霊に手紙を運んで貰うというのは、出来ないわね。これがもっと距離が短ければ出来るんだけど」
「……そうなると、やっぱりレイが目覚めるまでダスカー殿には連絡出来ないということか」
マリーナの言葉に突っ込みを入れたかったエレーナだったが、今はそれどころではないと判断し、止めておく。
そんなエレーナの様子に気が付いたのか、それとも気が付かなかったのか。
マリーナは素直に頷く。
「そうね。もしどうしても少しでも早く連絡をしたいのなら、召喚魔法か空を飛べるモンスターをテイムしている相手に頼むしかないけど……」
「この村にそういう存在がいると思う?」
ヴィヘラの言葉にマリーナは頷く。
「ヴィヘラの言う通り、まずいないでしょうね。そもそもの話、そういうことが出来るのならもっと都会に……それこそ帝都とかに行けば幾らでも仕事はあるでしょうし」
マリーナの言葉には強い説得力がある。
それは元ギルドマスターとしての知識と経験からの言葉だ。
空を飛ぶモンスターや動物を召喚なりテイムなり出来れば、冒険者や商人、あるいは地位のある者であれば部下の騎兵に手紙を運ばせるよりも早く運ばせることが出来る。
情報というのは新しければ新しい程にいい。
それを知っている者なら、そのような召喚魔法の使い手やテイマーはかなりの金額を支払ってでも雇いたいと思うだろう。
そのように金を稼げる者達だけに、わざわざこの村のような辺鄙な村にいるということはない。
……いや、人の中には色々な性格の持ち主がいるので、絶対にいないとは限らないものの、この村にそのような者はいなかった。
「じゃあ、やっぱりレイが目覚めるまで待つしかないんですか?」
ミレイヌのその言葉に、マリーナは頷く。
「そうなるでしょうね。レイが目覚めれば、それこそ連絡の方法であったり、野営についても問題なく解決するでしょうし。それにエレーナがもう少しで起きると考えているのだから、そこまで心配する必要はないと思うわ。……楽観的な予想だけど」
普通なら楽観的な予想を基準に物事を考えるのは避けるべきことだ。
しかし、レイの件に関してとなると、もしかしたら……と、そう思ってしまうのは、ここにいる全員がレイの規格外な力を目の当たりにしているからだろう。
「ともあれ、まずは……レリューとガーシュタイナーでどの辺までなら近づけるかを確認してきて欲しい。それ以外の面々は待機だ。何かがあったら即座に動けるようにしておいて欲しい」
エレーナの指示に、それぞれが動き出す。
ガーシュタイナーはともかく、レリューは微妙に嫌そうな表情を浮かべていたが、それでも実際に不満を口にするようなことはなく、村を出発する。
レイの魔法の効果が現在どうなっているのか。
それこそ魔法を使ってから既に半日近く経っている以上、ある程度は特に何か特殊な防御――具体的には精霊魔法による防壁――の類がなくても、それなりに近づけるようになっている可能性は十分にあった。
とにかく魔法の効果が一段落しない限り、巨人が具体的にどうなったのかを確認することも出来ない。
だからこそ、レリューも何で俺がという不満は若干あれど、それでも素直にガーシュタイナーと共に村を出発する。
そうして二人が出発すると、残った者達はエレーナの指示通りに休んで疲れを癒やす。
巨人は倒したものの、穢れの関係者の件はこれで完全に解決したとは限らない。
エレーナ達がまだ知らない何かが起きる可能性は十分にある。
だからこそ、その何かがあった時はすぐに行動出来るように休憩しておく必要があった。
幸いにも、レイの魔法によって村は冬とは思えない程に暖かい。
寒さに凍えるといった心配をしなくてもいいのは、エレーナ達にとって悪い話ではなかった。
「じゃあ、私達も少し休みましょうか。ニールセンも起きた時に一人だったら心細いでしょうし」
「いや、ニールセンがそんな繊細な心を持ってるとは思えないが」
マリーナの言葉にエレーナがそう言いながら、村長の家の中に入る。
現在、村長一家はこの家にいない。
エレーナ達に家を貸して、自分達は知り合いの家にいるのだ。
エレーナ達にしてみれば。そこまで気を遣わせるのは悪いと思う。
だが、村長達にしてみれば、エレーナ達のように見るからに立場のある美人……それも複数と一つ屋根の下にいるのは、心臓に悪いらしい。
だからこそ、村長やその家族は家を貸し、自分達は知り合いの家に避難した。
双方にとって幸運だったのは、村長の息子はしっかりした性格だったことだろう。
これがもし村長の権力を使って好き勝手をしていたら、エレーナを始めとする見たこともない美人に手を出すといったことをしていた可能性もある。
当然ながら、そうなればエレーナ達も黙っている筈もない。
それこそ自分が男として生きてきた事を後悔するような事になっていただろう。
「ねぇ、レイ。まだ起きないの? そろそろ起きてもいいでしょ? ねえ」
レイが眠っている部屋にやって来ると、そんな声が聞こえてくる。
その声はエレーナ達にとっても聞き覚えのある声だった。
「どうやら起きたようだな」
そう言い、エレーナは部屋の扉を開ける。
瞬間、ベッドで眠っているレイの側にいたニールセンは、慌てて隠れようとする。
しかし、すぐに部屋の中に入ってきたのがエレーナ達であると知ると、最初に安堵し、数秒後に怒り出す。
「ちょっと、驚かせないでよね!」
空中に飛び上がり、腰に手を当て、頬を膨らませる。
見るからに私怒ってますといった態度のニールセン。
「どうやら驚かせてしまったようだな。そう怒らないでくれ。……それにしても、やはりレイはまだ目が覚めないのか」
「そうなのよね。幾ら魔力を極端に消耗しても、そこまで長く眠ったりはしないと思うんだけど」
「マリーナ曰く、その辺は個人差が大きいらしい。ましてや、レイは莫大な魔力を持っていた。これまでも結構な魔力を消耗したことはあるだろうが、ここまで……本当に限界を超えるまで魔力を使ったことはなかったのだろう」
エレーナの言葉に、そういうものかとニールセンはレイを見る。
妖精は基本的に全員が魔法を使うことが出来る。
勿論、得意不得意といったものはあるが。
そういう意味では、魔法使いが希少な人間とは違う種族ということなのだろう。
そんなニールセンから見ても、レイが起きる様子が全くないのは心配だった。
それこそまるでいつまでも眠り続けてしまうのではないかと思えてしまうくらいに。
ニールセンの様子から、レイをどれだけ心配しているのかを察したのか、マリーナはそっとニールセンを撫でる。
「心配しなくてもいいわ。だってこれはレイなのよ? そのうち、すぐにお腹が減ったと言って目を覚ますと思うわ」
「むぅ……レイならそういうことをしそうね」
ニールセンも、レイが料理を……美味い料理を食べるのを好むのは知っている。
なら、美味い料理を近くで食べていればレイが目覚めるのではないか。
そんな風に思い提案してみるものの、即時に却下される。
「レイのミスティリングが使えない以上、美味い料理を出すことは出来ないわよ。この村の人から食料を分けて貰うにも、この村の大きさを考えると料理が余分にあるようには思えないし」
「あら、でもキャリスから話を通せば、ベスティア帝国から使った分の食料は配布されるんじゃない? これだけの大騒ぎになれば、絶対に調査に来るでしょうし」
マリーナとヴィヘラの言葉に、ニールセンは取りあえず自分の案が却下されたのは理解するのだった。