3457話
キャリスからの提案は、エレーナ達にとっても決して悪いことではなかった。
なかったが……ただ、問題もある。
「巨人についてはどうするの? こう言ってはなんだけど、まだ確実に倒せたとはっきりした訳ではないでしょう?」
ヴィヘラのその言葉に、話を聞いていた者の何人かが同意するように頷く。
レイの魔法が圧倒的な威力だったのは間違いない。
それこそ、魔法を使った場所から大分離れたここにいても、まだ真夏並の気温なのだから。
かなり離れた場所であるここでもこのような暑さなのだ。
実際に魔法が使われた場所では一体どのようになっているのか。
それこそ巨人……大いなる存在と呼ばれた者でも生きているとは思えないが、それでもまだ確認はしていない。
レイの魔法の威力は十分に理解しているものの、それを理解した上でも絶対に大丈夫と安心出来ないのは、それこそ巨人が世界を滅ぼすような存在だからというのがある。
そのような存在だけに、レイがその莫大な魔力を全て消耗してまで使った魔法であっても、殺すに至ってないのではないか。
そのように疑問に思ってもおかしくはないし、ヴィヘラと同じ疑問を抱いている者もそこにはいる。
しかし、その言葉を聞いた上でエレーナが口を開く。
「私はその全てではないが、レイの魔法の片鱗を見た。……正直なところ、幾ら大いなる存在と呼ばれる存在であっても、あの魔法を受けた上で生きているとは思えない。魔法が使われた場所から脱出してきた私が生きているのは、それこそ特殊な存在だからだ。セトはランクAモンスターのグリフォン……いや、複数のスキルを使いこなす希少種だけに、ランクS相当のモンスターだから問題はなかったのかもしれないが」
この場にはエレーナがエンシェントドラゴンの魔石を継承したということを知らない者がいる。
であれば、わざわざ教える必要はないだろうと少し誤魔化す。
セトは魔獣術云々ではなく、単純に高ランクモンスターだから問題がなかったということにしておく。
「それを見た上で言うのだが……そもそも、魔法を使った場所に見に行けるとは思わない。それこそ、一定以上に近付くのは難しいと思う」
そう言われると、ヴィヘラを含めた他の面々も必死になって逃げたことを思い出す。
それこそマリーナの精霊魔法を使って熱を遮断し、それでも真昼の砂漠の……あるいはそれ以上の暑さの中を走ったことを。
それを思えば、エレーナの言うように魔法を使った結果どうなったのかを確認しにいくのは難しいだろう。
「そうね。私が少し急ぎすぎたみたいだわ。今は一度ここから移動しましょうか。……とはいえ、それでも出来るだけ早く巨人がどうなったのかを確認しに行く必要はあるわよ? それが具体的にいつになるのかは分からないけど」
「せめてもの救いは、レイの魔法の威力が一ヶ所に閉じ込められるようなことはなく、周囲全体に広がったことかしら」
マリーナが思い浮かべたのは、トレントの森に隣接する湖の主の巨大なスライム。
実際の強さそのものは巨人とは比べるまでもない存在だったが、それでもその大きさという点では丘がそのまま動いているといったような存在で、巨人に決してひけをとってはいない。
そんなスライムは、レイの魔法によってかなりの期間燃え続けた。
スライムを燃やす炎は周囲に熱を伝えることはなかったが、巨人を燃やしただろう炎は周囲にこれ以上ない程に熱を伝えていた。
周囲の被害という点では巨大なスライムよりも巨人の方が大きかったが、だからこそその熱もスライムの時のように長時間残ることはないだろうと思えた。
……実際にはスライムと巨人ではレイが使った魔力量が極端に違うので、そういう意味でも素直に比べるようなことは出来ないのだが。
ただ、周囲に影響が出ないようにといったことはされておらず、今は冬だ。
実際に穢れの関係者の本拠地を見つけるまでは、積もっていた雪が邪魔だったくらいには積もっていた。
もっとも、その雪もレイの魔法によって水となったり、蒸発したりしたが。
とにかくレイの魔法が圧倒的な威力を持っているのは間違いないが、だからといって自然環境に勝てるかと言えば、それは否だ。
正確には今のように一時的には勝てるかもしれないが、それでも長い目で見ればいずれ冬の冷気によって熱も冷めるだろう。
問題なのは、それが……熱が冷めて巨人のいた場所まで様子を見に行くことが出来るまで、具体的にどのくらい掛かるのか分からないということなのだが。
「とにかくダスカーに連絡をするにも、レイが目覚めないとどうにも出来ないわ。今は取りあえずキャリスの提案に従って、ここから離れましょう」
最終的にはマリーナがそう意見を纏め、移動を開始する。
「それで、キャリス。その拠点となっている村まではどのくらい離れているの?」
ヴィヘラの問いに、キャリスは少し迷いながら口を開く。
「……ちょっと難しいですね。雪がなくなったので歩きやすくはなりましたけど……水で土が濡れているので、進みにくいですし。ただ、ここからならそう遠くないと思います」
「でしょうね」
レイが魔法を使うということで必死になって走り続けたのだ。
それこそ最初は雪に足を取られて進みにくかったものの、レイの魔法によってその雪も水となった。
そのような場所を走り続けただけに、キャリスが言う歩きにくさというのは十分に理解出来た。
だが、そうして走っただけに大分距離を稼いだのも事実。
キャリスもそれを知っているからこそ、そう遠くないと言い切ったのだろう。
「地面の方は私が精霊魔法で歩きやすくするから、心配しないくてもいいわ。今はとにかくその村に到着するのを急ぎましょう。……セトには悪いけど、私達と一緒に地上を移動してね」
言葉通り精霊魔法を使い、地面から水分を抜いて歩きやすい普通の地面にしながら、マリーナはセトを見る。
そんなマリーナの言葉に、セトは残念そうに喉を鳴らす。
セトにしてみれば、地上を移動してそう遠くない場所にキャリス達が拠点としている村があるのなら、自分が飛んで移動すればそれこそすぐに到着すると思っていたのだろう。
だが、状況が何も分かっていない村にしてみれば、朝方に突然冬だというのに夏のような気温になるという異常事態だ。
村の距離によっては夏ではなく春や秋くらいの温度上昇ですんでいるかもしれないが。
とにかくそのような状況で、いきなり上空から高ランクモンスターのグリフォンが飛んできたらどうなるか。
それこそ間違いなくパニックになるだろう。
中にはせめて一矢報いようと、セトに攻撃をしてくる者もいるかもしれない。
そのようなことを考えれば、セトだけを先行させるというのは即座に却下される。
あるいは先程のようにセトの足にエレーナが掴まっていた時のように移動するという方法もあるが、村で事情を説明するにもその村で話を通しているキャリスの存在は必須となる。
かといって、キャリスは他の面々を村まで道案内する為に必要だった。
実際にはキャリスの部下達もいるので、そちらに道案内を任せてもよかったのだが……結局何があっても即座に対処出来るようにと、全員で一緒に行くことになる。
「それにしても、本当にこの暑さはどのくらいで落ち着くのかしら」
レイを落とさないようにという名目でセトの隣を進むミレイヌが、額の汗を拭きながらそう言う。
レイの魔法の熱気によって雪が水となり、あるいは水が蒸発した。
その結果、気温もそうだが湿度ももの凄いことになっている。
それこそミレイヌのように金属鎧ではなく革鎧を装備しているものであっても、汗を掻く程に。
そうして汗を掻くとなると、娼婦や踊り子が着るような薄衣を身に纏っているヴィヘラは、もの凄いことになるのだが、この場にいる男達はそんな壮絶なまでの艶っぽさのヴィヘラに視線を向けず、今は必死に歩いていた。
キャリス達にしてみれば、ヴィヘラがどのような存在なのかは十分に承知している。
出奔したとはいえ、このベスティア帝国の元皇女を相手にそんな視線を向ける訳にはいかない。
ましてや、次期皇帝のメルクリオは姉のヴィヘラをこれ以上ない程に慕っているのだ。
そんなメルクリオにヴィヘラの色っぽい格好に目を奪われてましたなどということが知られてしまったら、一体どうなるかは考えるまでもないだろう。
次期皇帝に睨まれたいと思う者は、そういない。
少なくてもキャリスやその部下達の中にはそのような者はいなかった。
そうして数時間程歩き続け……
「見えた!」
先頭を進むヴィヘラが不意に叫ぶ。
既に太陽はかなり高くなっており、時間を確認することは出来ないものの、それでも午前八時か九時くらいにはなっているだろう。
その結果として、村の住人達はもう起きているのは間違いない。
……もっとも、明るさ云々よりも気温の変化によってもっと早く起きている者がいただろうが。
「キャリス、お願い出来る?」
「分かりました。待っていて下さい」
ヴィヘラの言葉にキャリスはそう返し、村に向かって走り出す。
部下ではなく隊長のキャリス本人が行動したのは、それだけ今回の一件が大きな出来事だと理解しているからだろう。
そして村の方でも村長と思しき人物がすぐに出て来て、キャリスと会話をする。
この村を一時的な拠点として使っている以上、前もって村長に事情を話しておくのは当然だった。
そうして数分が経過したところで、キャリスは大きく手を振る。
そんなキャリスの合図に、一行は村に近付く。
セトを見て騒ぐ者がいたり、エレーナを始めとする極上の美女達に目を奪われて目を離せなくなる者がいたりと、エレーナ達にとっては慣れたやり取りを行った後で、この村の中で一番広い村長の家に向かう。
セトを村に入れるのを怖がった者もいたが、そちらについてもキャリスが色々と言い……そして何より、セト好きのミレイヌに視線を向けられればそれ以上反対することも出来なかったらしい。
ある意味で賢い選択ではある。
もしミレイヌの前でセトに何か悪口でも言おうものなら、一体どうなっていたのか分からないのだから。
ともあれ、一行は村人達に好奇の視線――中には恐怖もあったが――を向けられながら、村長の家に向かう。
ただ、この村で一番広い建物とはいえ、それはあくまでもこのような寂れた村の中での話だ。
これだけの人数が一度に中に入ることは出来ず、取りあえずまだ気絶しているレイの為のベッドを借りると、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人がレイの関係者として、そしてこの村を拠点としているという意味でキャリスが、ダスカーに事情を説明する為にガーシュタイナーがそれぞれ村長と話をする。
とはいえ、本当に大事なこと……具体的には世界の破滅を企んでいた穢れの関係者達については詳細に説明する筈もなく、犯罪者組織という風に若干の誤魔化しはあったが。
その犯罪者組織の奥の手――これも具体的には説明しなかったが――を使い、それに対抗する為にレイが全力で魔法を使い、本拠地諸共にその組織を殲滅した、と。
(今更だけど、レイが目覚めたら残念がるかもしれないわね。巨人が地上に脱出した時点で本拠地はほぼ壊滅してたけど、それでもまだマジックアイテムとかは残っていたかもしれないのに……あれだけの大規模な魔法を使ったら、もし残っていたマジックアイテムとかがあっても、間違いなく燃やされているでしょうし)
ヴィヘラは説明を聞きながら、マジックアイテムを集める趣味を持つレイにしてみれば残念な結果になっただろうと思う。
オーロラの洞窟にあった、穢れに対する特効を持つ魔剣のように、特殊な……何らかのマジックアイテムがあった可能性は高い。
もっとも、そうしなければ巨人を倒せなかった……いや、ヴィヘラは魔法の威力から巨人を倒したのはほぼ間違いないと判断しているが、実際にはまだそれを確認した訳ではない。
万が一、本当に万が一の可能性だが、実はまだ巨人が生き残っているという可能性は否定出来ない。
普通に考えれば、あれだけの魔法で死なない訳がない。
だが、世界を滅ぼすという大いなる存在が、普通である筈もないのだから。
(レイが目覚めたら……いえ、今のレイを連れていくのは難しいかしら?)
魔力を使い果たしたレイの痩せ細った姿を思い出す。
あの状態のレイが普段通りに動けるようになるまでには、一体どれだけの時間が掛かるのか。
そう思いながら、ヴィヘラは村長達との話を進めるのだった。