3454話
レイを乗せたセトが空を飛び始めると、巨人は足で踏むのではなく手を振り回し始めた。
その一撃は大振りで、セトにとって回避するのは問題ではない。
ないのだが……だからといって、巨人が弱いという訳ではない。
多数の崖がある場所で巨人は手を振り回しているのだ。
そうなれば、当然ながら巨人の手は近くにある崖に命中するが、その手が触れた場所は、そのまま巨人に吸収されて、綺麗になくなってしまう。
そして崖の一部がそのように消滅してしまえば、当然ながら崖はそのままという訳にはいかず、崩れ落ちる。
そんな当たれば一撃で死ぬ威力を誇るだろう両手の一撃だ。
今のところは回避出来ているものの、少し間違えば次の瞬間にはレイもセトも死んでしまう可能性がある以上、その一撃は大振りの一撃だからといって決して油断出来るようなものではない。
(これって何かで……あ、蚊か)
セトが必死になって回避してるのはレイも理解出来るが、そのセトの背に乗っているだけのレイは、特にやるべきことはない。
実際にはセトが曲がる時はバランスを取る為に身体を傾けたりしているのだが、やることはその程度だ。
それだけに、自分でも半ば現実逃避に近いと理解しながらも、そんな風に思っていた。
日本でまだ普通の学生だった頃、山の側にあるレイの家は、当然ながら夏になると蚊が入ってくる。
家そのものが結構古いので、どこからともなく隙間から蚊が入ってくるのだ。
夜に寝ようとしている時、耳元で鳴るプーンという蚊の飛ぶ音。
蚊取り線香があっても、その効果は限定的だ。
その音が聞こえると急いで電気を点けて蚊を潰そうとするのだが、蚊は叩く手を回避する。
勿論ずっと回避出来る訳ではないし、血を吸った直後であれば身体が重くなるのでより潰しやすくなる。……もっとも、血を吸ったばかりの蚊を手で潰すと、大変なことになるのだが。
部屋の壁に止まっている蚊を叩き潰すよりは、まだ被害が少ないのだが。
ともあれ、セトに乗って巨人の攻撃を回避し続けている現在の状況に、レイはそんなことを思い出す。
(だからといって、潰されるのはごめんだけど)
少し離れた場所を通る巨人の腕を見て、今この状況で自分は何をするべきかと迷う。
レイは自分の魔力を最大限に使って魔法を使うつもりだ。
そうなると、セトの背に乗った状態のままでというのは難しい。
もっとランクの低い魔法であれば、セトの背に乗ったままでも発動出来るのだが。
しかし、それがレイの魔力を最大限使うような魔法となると、話は変わってくる。
そうである以上、このままセトの背に乗っている訳にはいかず、どこかでセトの背から下りないといけないのだが……
(巨人が狙ってるのは、俺か? それともセトか? いや、そもそもそれ以前に巨人……人の姿をしてるけど、知能的にはどんな感じなんだ?)
もし巨人がレイを狙っているのなら、セトから離れた瞬間に攻撃されるかもしれない。
そうなると、回避するのが難しくなるのも事実。
だからこそ、レイは即座にセトの背から下りて別行動をすることは出来ずにいたのだが……
「セト、あそこだ。あそこで俺はセトから下りる」
巨人の攻撃を回避しながら周囲の状況を確認したレイは、とある場所に行くようにセトに指示する。
セトは素直にレイの指示に従い、レイの示した方向……大きな崖のある方に向かう。
その崖の側には巨人の叩き付けるような一撃で崖の半ば程まで消滅した場所があり、それがレイにとっては都合のいい場所だった。
そんな自分にとって都合のいい場所を、レイは探していたのだ。
左右を崖に挟まれている場所を通り抜け、セトはレイの合図で地面の近くまで高度を下げる。
その際、周囲の崖を巨人との間に入るようにし、巨人の視界を遮る。
そうして巨人に見えない場所で、レイはセトから下りる。
エレーナがやったように、速度を落としていないセトからそのまま下りたのだ。
「グルゥ!」
セトはレイに向かって頑張ってと鳴き声を上げると、翼を羽ばたかせて上空に戻る。
「さて、どうなる?」
素早く下りた場所から移動し、そう呟く。
巨人にしてみれば、セトは自分が見えない場所に入った後でまた上空に来たということになる。
その背中にレイはいないのだが、巨人がそのことに気が付くかどうか。
もし巨人に高い知能があれば、セトの背中にレイがいないということに気が付き、レイが下りたと思しき場所に攻撃をするかもしれない。
だが、高い知能がない場合……もしくは高い知能があっても、そもそもセトの背にレイが乗っていたということにすら気が付いていなかった場合。
そのような時は、レイがセトと別行動をしたのに気が付かないまま、セトを攻撃し続けるだろう。
レイとしては、そうなってくれると最善の結果なのだが。
そうして崖の合間から空を見ると……
「グルルルルルゥ!」
巨人の振り下ろすような一撃を、セトは翼を羽ばたかせながら回避する。
それ以外にも巨人の意識を自分に向ける為だろう。
ウィンドアローやアイスアロー、アースアローを使い、多数の攻撃を巨人に叩き込んでいた。
当然のように、風、氷、岩の矢は巨人に刺さった次の瞬間には吸収されてしまい、ダメージはない。
しかし、セトは別に自分の攻撃で巨人にダメージを与えられるとは思っていない。
巨人の意識をレイから自分に向けられれば、それで十分なのだ。
そしてセトの狙いは命中し、巨人はセトの背から消えたレイのことなど全く気にした様子はなく、自分の周囲を飛び回るセトに向けて次々と攻撃を繰り返していた。
轟、と。
巨人の一撃を掻い潜り、間合いを詰めたセトは巨人の顔に向かって至近距離からファイアブレスを放ち……
「ん?」
巨人が反射的な動きなのか、手で顔を庇う。
そのような行動は、それこそ人間……いや、生き物であればおかしくないが、巨人は大いなる存在で、つまりは生き物と呼ぶのが相応しいのかどうか微妙な相手だ。
だというのに、顔を庇う。
それがレイには疑問だった。
(どうなっている? もしかして巨人にはきちんと自我……というか、生き物らしい自我があるのか?)
レイにしてみれば、もし巨人であればファイアブレスを食らっても特に気にした様子もなくセトを攻撃し続けるものだとばかり思っていた。
セトが巨人のすぐ近くまで近付いたということは、巨人にとっては攻撃を命中させる絶好の機会なのだから。
だというのに、顔を庇った。
それだけではなく……
(巨人の攻撃が激しくなった?)
セトに向かって振るわれる両手を使った攻撃は、間違いなく先程までよりも激しくなっていた。
レイの気のせいでなければ、それはまるで顔を攻撃されたことに巨人が怒り、その怒りをセトにぶつけようとしているように見える。
(いや、けど……有り得るのか? それとも本来なら、妖精の心臓を使って行う儀式で呼び出したのなら、こういう風にはならなかったのか?)
巨人に見つからないように観察しているレイだったが、そんなレイの視線の端を光が走ったかと思うと、地面から放たれたエレーナのレーザーブレスが巨人の胴体を貫く。
セトが激しい攻撃に晒されているのを見たエレーナが、危険かもしれないと思って放った一撃だったのだろう。
しかし、巨人はそんなレーザーブレスの攻撃を食らっても特に気にした様子もなく、執拗にセトを狙い続ける。
(何でだ? いやまぁ、レーザーブレスなら、さっきも左胸に命中したけど、その時も全く気にした様子を見せなかったから、その辺については問題ないのか?)
レイにしてみれば、一体何がどうなってこのようなことになっているのかは分からない。
分からないが、それでもこの点が巨人を倒すのに大きな意味を持つのは間違いないと思えた。
(とはいえ、まずは魔法を使うのを優先する必要があるか)
巨人については色々と疑問があるものの、最優先するべきなのはまず巨人を倒すことだった。
それでもセトに顔を攻撃されて激高しているように思えるのを考えると、そこに撃墜出来る何らかの鍵があるようにも思える。
そう考えつつ、レイは崖の間を移動する。
魔法を使う以上、巨人が見える場所にいる必要があった。
それはつまり、巨人からもレイが見えるということでもある。
そのような状況でレイが魔法を使おうとしているのを巨人が気が付けば、当然ながら巨人もレイの魔法を阻止しようとするだろう。
それを阻止するには、セトやエレーナが巨人を攻撃する必要があるのだが、先程の攻撃を見る限り、セトはともかくエレーナの竜言語魔法はあまり効果がないように思えた。
「そうなると、セトに頼るしかない訳だが……さて、その辺はどうなるかだな」
そう言いつつも、レイは移動を続けていた。
崖が崩れたことによって、周囲には多数の石や岩が転がっている。
素早く移動をする上で障害になっているのだが、それでもレイの足が止まることはない。
素早く移動を続け……そこでようやく魔法を使うのに向いているだろう場所を見つける。
岩と岩の隙間から巨人の動きを把握することが出来る場所。
それでいながら、岩と岩の隙間にいるレイは巨人から見つけるのが不可能……とまではいかないが、難しい。
ましてやセトやエレーナが巨人の気を引いている今、このような場所にいるレイを見つけるのはかなり難しいだろう。
(まぁ、それでも実際に魔法を使う時はあっさりと見つかるだろうけど)
その時は、それこそセトとエレーナに頑張って貰おう。
そう思いつつ、レイはデスサイズだけを持ち、意識を集中していく。
いつも使ってるような魔法なら、そこまで意識を集中する必要はない。
だが、今は違う。
レイの持つ莫大な魔力を最大限活かし、それによって巨人を殺せる魔法を使うのだ。
感覚派の魔法使いであるレイだったが、それでも自分の持つ莫大な魔力を完全に使いこなすとなると、魔法の構成にこれまで以上に意識を集中させる必要がある。
(これで敵があそこまで大きくなければ、炎帝の紅鎧を使うという手段もあるんだけどな)
五十mを超える巨人を相手に、炎帝の紅鎧を使っても効果があるかどうかは微妙なところだ。
レイの魔力が極限まで圧縮し、濃縮して使われる炎帝の紅鎧だったが、それでも相手との差が大きすぎた。
(とはいえ、この魔法が駄目だったらもうそれしか手段が……いや、そもそも魔力がないか。つまり、これが正真正銘最後の勝負)
そう思った瞬間、不思議とレイはこれまで以上に意識が集中していくのが分かった。
いわゆる、ゾーンに入った、もしくは整ったというものなのだろうと思いながらも、レイは自分が持つ莫大な魔力で魔法を構成しながら呪文を口にする。
『我が魔力を食らい、炎よ現れ出でよ。燃えろ、燃えろ、燃えろ。全てを消し炭にし、灰にし、存在そのものを全てこの世界から燃やしつくすかの如き炎。赤く、紅く、朱く。太陽の如き炎により、我が敵を消滅させよ。我が魔力を喰らい、食らい。そして我が魔力の全てを使い……我は何者をも焼き滅ぼす存在を生み出す。我が敵は灰も残さずその存在は抹消される』
呪文を唱えると、レイの持つ莫大な魔力が急速に消費されていく。
いつもなら普通の魔法使い数十、数百、数千といったくらいの魔力を消費するレイだったが、今は違う。
それこそ一般的な魔法使い数億、数兆……それ以上の魔力を消費し、魔法を発動しようとしていた。
それだけの魔力が魔法の構成を組み上げていく。
もしここに何らかの方法で魔力を確認出来る者がいた場合、普段は新月の指輪で把握出来ないレイの魔力をその目にすることが出来るだろう。
そして……それだけの莫大という表現でも間に合わないような魔力が動いているのを見て、腰を抜かすか、漏らすか、気絶するか、あるいはそれ以外の理由でどうにかなるか。
ともあれ、まともに見るといったことは出来ない筈だ。
そんな莫大な魔力を使っているにも関わらず、レイは額に玉のような汗を無数に掻くだけだ。
ただ魔法を……それもレイが得意としている炎の魔法を使う。
それだけの行為が、レイに与えている負担は大きい。
額に浮かぶ汗だけではなく、息も次第に荒くなっていく。
そして、レイのそんな様子は当然のように巨人も気が付き、セトとエレーナを無視してでもレイに対処しようとするも、セトは強引に巨人に近付いてクチバシを大きく開き、ファイアブレスを放つ。
それと同時にエレーナの竜言語魔法によってレーザーブレスが巨人の頭部を貫き……巨人はそれを嫌がり、レイに向かって進む足を止め、セトとエレーナに向かって攻撃をする。
そんな中、魔法が発動する。
『炎獄の種火』
放たれた魔法は、種火と名前にあるように小さな炎。
指先程のその炎は、レイの意思に従って巨人の方に向かい……
「逃げろ!」
レイが叫んだ瞬間、エレーナとセトは巨人を無視して即座にその場から離脱する。
そして指先程の小さな炎は巨人に触れ……この世に炎獄が姿を現す。