3452話
今までとは全く違う大いなる存在の動き。
だがそれを見ていたレイは、口を大きく開けて驚きつつも、同時に納得する。
そもそも世界を破滅させる力を持つという、大いなる存在だ。
その力があの程度のものの筈がないと、そう思っていたのだから。
「人型?」
大いなる存在の姿の変化した様子に、レイはそう呟く。
そう、それは間違いなく人型だった。
身長、もしくは全高と呼ぶべきかはレイには分からなかったが、その大きさは五十mを優に超えている。
それだけの大きさを持つ存在が、自重で潰れたりすることがなく立っているのはレイにとっては驚きでしかない。
とはいえ、それについて唖然としていたレイはすぐ我に返って首を横に振り、自分に言い聞かせるように口を開く。
「ここは剣と魔法の世界なんだし、何より大いなる存在というだけで理解不能の存在だ。何が起きても不思議じゃない」
そう言いつつ、自分の心を落ち着かせる。
レイもこれまでエルジィンで色々な相手と戦ってきた。
その中には、それこそ人型になった大いなる存在よりも巨大な敵との戦いも経験している。
だが……こうして人型で巨大になった相手との戦い。それもモンスターではなく世界を滅ぼすだろう存在との戦いとなると、初めてだった。
「グルルルゥ?」
レイの言葉で我に返ったのか、それとも最初からそこまで驚いていなかったのかはレイにも分からないが、とにかくセトが大丈夫? と喉を鳴らす。
そんなセトの様子に、レイはまだ自分の中にあった驚きが急速に落ち着いていくのを感じた。
「ああ、悪い。気にするな。もう大丈夫だ」
そう言い、感謝を込めてセトの首を撫でるレイだったが……
「おう」
目の前の光景に、思わずといった様子でそんな声を上げる。
何故なら、不意に地上から放たれた光が巨大な人型となった大いなる存在の胴体を貫いたからだ。
人型となった大いなる存在は、その身体のラインから女を模したものだと理解出来る。
頭部には特に顔の類はなく、のっぺらぼうとでも呼ぶべき姿で、髪も生えていない。
しかし、その身体のラインは胸は盛り上がり、腰は細く、尻は大きい。
勿論、黒い塊がそのような形になっているだけであって、胸のようにみえる場所は実際には胸ではないだろうし、他の場所もそれは同様だろう。
そんな胸……人でいえば心臓のある場所を、光が貫いたのだ。
その光が何なのか、レイは知っていた。
セトの背の上から地上を見ると、そこでは空中に浮かんでいたドラゴンの顔が消えていくところだった。
「やっぱりな」
予想通りの光景にレイは呟く。
今のはエレーナの竜言語魔法によって放たれた、レーザーブレスだ。
元々大いなる存在の意識を自分に引き付けて、その隙を突いてレーザーブレスで攻撃をする手筈になっていた。
そういう意味では、人型に姿を変えた大いなる存在は動くようなこともせず、それがエレーナにとっては隙に見えたのだろう。
あるいは五十m以上の大きさを持つ巨人ということで動揺して竜言語魔法を使ったという可能性もあったが、エレーナの性格や能力を知っているレイにしてみれば、恐らくそれはないだろうと思えた。
つまり、出現したばかりの今この時、明らかにパワーアップした大いなる存在に何もさせないうちに、先制攻撃をして倒してしまおうと判断したのだろう。
それについてはレイも特に思うところはない。
相手が変身して強化するのを、わざわざ待ってやる必要はないというのはレイも同様の考えだからだ。
だからこそ、レイも追撃を放とうとしたのだが……
「何も変化がない?」
そのことに気が付き、ミスティリングから岩を落とそうとするのを止める。
大いなる存在は心臓のある左胸を貫かれた。
勿論、人型をしてはいても、それは別に人という訳ではない。
つまり大いなる存在の左胸に心臓……もしくは何らかの弱点があるとは限らなかった。
それを証明するかのように、大いなる存在の左胸を貫いたにも関わらず、特にダメージらしいダメージを受けた様子はない。
(大いなる存在とか、巨大な黒い塊とか、言いにくいな。取りあえず巨人とでも呼んでおくか)
そんな風に思いつつ、レイはセトに合図を送る。
その合図は、巨人に攻撃するという合図……ではなく、地上に向かって欲しいという合図だ。
セトはレイが何も言わなくてもすぐにそれを察し、翼を羽ばたかせながら地上に向かって降下していく。
レイはセトの背に乗りながら、巨人を確認する。
先程まで……巨人になる前までは、ひたすらにレイとセトに向かって攻撃を行っていた以上、レイとセトがこうして新たな動きを見せれば、何らかの行動を起こすかもしれないと思ったのだ。
だが、不思議と巨人が動く様子はない。
レーザーブレスで左胸を貫かれたにも関わらず、全く動く様子もなくそこに立ったままだ。
(レーザーブレスは結構な数の穢れを纏めて消滅させる威力を持ってるんだが……穢れの上位存在というのは伊達じゃないな。レーザーブレスのダメージを回復する為にも、じっとしている時間が長くなるとかなって欲しいけど、どうだろうな)
ここで希望的な予想をしても、その予想が外れれば意味はない。
レイにしてみれば、いつ巨人が動いてもいいように警戒しながら地上に向かう。
「レイ!」
セトが下りてくるのが見えたのだろう。
竜言語魔法を使ったばかりのエレーナがレイの名前を呼ぶ。
「大いなる存在……いや、巨人と呼ぶが、あの巨人をあのままにする訳にはいかない。何とかして倒さないと、とんでもないことになるぞ」
地上に降りたセトの背の上でレイが言う。
幸いなことに……本当に不幸中の幸いといった感じで、巨人が姿を現したのは周囲に村や街といった場所がない場所だ。
周囲にあるのは、精々が多数の崖くらいだろう。
そんな場所だけに、五十mを超える巨人がいても、今のところ被害らしい被害はない。
もしこれが村や街……それどころか都市といった場所で姿を現していた場合、巨人が歩くだけで周囲に大きな被害が出ていただろう。
そういう意味では、巨人の出現した場所がここだったのは本当に不幸中の幸いだった。
「けど、このまま明るくなったら……あの巨人も見つかるかもしれないわよ?」
マリーナが厳しい表情で言う。
実際、五十mを超える大きさの巨人だ。
かなり離れた場所からでも、その姿を見ることも出来るだろう。
周囲には崖が存在するが、巨人はそんな崖よりも大きいのだから。
そして当然ながら、そんな巨人の姿を見れば多くの者が混乱し、恐怖するだろう。
そうなるとどうなるか。
冒険者を派遣して様子見をするか、もしくは領主なり代官なりに連絡をして騎士団を派遣して貰うか、あるいはそれ以外のレイには理解出来ない行動をするか。
その辺りの理由はともあれ、巨人との戦いになればその辺の冒険者や騎士団程度では相手になる筈もない。
「出来ればその前に倒したいな。それに、下手に時間を掛ければ軍が出て来てもおかしくはない」
今のところキャリス達にしかレイ達の存在は知られていない。
だが、ここで軍が出てくるようなことになってしまえば、レイ達がベスティア帝国の領土内にいるのを知られてしまう。
……いや、レイ達がいるだけならそこまで問題はない。
だが、そこで穢れの関係者の本拠地を攻撃していたり、その結果として巨人が姿を現したり、そして何よりヴィヘラがいるというのを知られると、大きな問題となってもおかしくはなかった。
レイとしては、出来ればそれは避けたい。
だからこそ、日が昇って巨人の存在を他の者達に見つかる前に倒してしまいたかった。
「そうね。私もそれには賛成よ。……けど、どうやって倒すの?」
マリーナのその問いはレイにとってもすぐに答えるのが難しい。
地下での戦い――と表現してもいいのかどうかは微妙だが――では、レイが強力な魔法を連続して放ったにも関わらず、それを破られている。
そこまでやって倒すことが出来ず、こうして地上に逃げられ……更には強化さえされてしまった。
人型になったのが強化なのかどうかは、レイにも正確には分からないが。
ともあれ、レイの視線の先に存在する巨人が厄介極まりない相手だというのは間違いのない事実。
そうである以上、レイとしてもすぐにここでどうやって倒すといった手段を口には出来ないが……
「俺の魔法でどうにかする」
口には出来ないレイだったが、それでもそう言い切る。
普通の魔法使い数千人分の魔力を込めた魔法を複数使っても巨人を――地下では巨人ではなかったが――倒すことは出来なかった。
だがそれでも、レイの魔法を嫌って地上に逃げ出したのは間違いない。
であれば、数千人で足りないのなら数万人。数万人で足りないのなら数十万、数百万、一億……それだけの魔力を使った魔法をこの場で作り、使えばいい。
これは感覚派の魔法使いであり、他に類を見ない莫大な魔力を持ち、そして何より日本にいた時にレイが遊んだアニメ、漫画、ゲーム……それらが組み合わさってこそ可能な方法だった。
とはいえ、レイもやる気に満ちてはいるものの、実際にそれが出来るかどうかまではやってみなければ分からないというのが正直なところだったが。
「いいのね?」
レイの言葉に、マリーナはそう尋ねる。
出来るのかではなく、いいのかと。
マリーナにしてみれば、レイが出来るというのならそれは出来るのだろうと信じることが出来た。
だが、地下空間で使った以上の魔法を使うとなると、一体それがどれだけ派手なことになるのか分からない。
それこそ場合によっては、周辺全てが消滅……いや、焼滅してしまいかねない。
もっとも、地下空間にいた穢れの関係者達は既に全員死んでいる。
神殿のあった階層も、その全てが焼き尽くされて消えていた。
レイ達が欲していた、穢れの関係者の拠点がどこにあるのかといった内容が書かれていたのだろう書類も含めて全てが。
つまり、穢れの関係者の本拠地を潰すという目的は達したものの、他の拠点の情報といった次点の目的を達成するのはまず不可能になってしまったのだ。
そういう意味では、本拠地を潰すよりも重要な目的、穢れの上位存在にして世界を破滅させるという巨人をどうにかする必要がある。
その結果として、この辺一帯が消滅するのなら、それはそれで仕方がないと、そう思う相手もいる。
「俺のことは心配いらない。とにかくあの巨人をそのままにしておくと、それこそ世界が危険だ。そうなるよりも前に、まずは倒してしまう必要がある。……いつまでもあのまま大人しくしてるのなら、こっちとしても狙いやすくて助かるんだけどな」
レイのその言葉に、マリーナを含めてそれを聞いていた者達は複雑な表情を浮かべる。
今、巨人が動いていないのは間違いない。
しかし、その理由が不明なのだ。
レイの魔法から逃げる為に地上に出て、ミスティリングから降り注ぐ岩に対処する為に巨人となったのは間違いないが、巨人になってからは動かない。
それこそエレーナの竜言語魔法のレーザーブレスで左胸を貫かれても、一切動かないのだ。
動かないのはレイが魔法を使う際に抵抗されないということで助かるものの、その理由が分からないのはやはり不安なのだろう。
もし今ここでレイが魔法を使おうとして呪文を唱え始めたところで、いきなり動き出したらどうなるか。
動けない何らかの理由が分かっているのなら、安心も出来るだろう。
だがそのようなことがない以上、自分達で判断をするしかない。
「もし巨人が動き出したら、私が対処しよう。竜言語魔法を使えば、多少なりともダメージは与えられる筈だ。……実際、あの巨人の左胸を貫くことが出来たのだからな」
エレーナがそう言うも、周囲にいる者達は心配そうな視線を向けるだけだ。
何しろエレーナの竜言語魔法は、確かに巨人の左胸を貫いた。
それは間違いないものの、その攻撃で巨人が痛がる様子を全くみせていなかったのも、間違いないのだから。
とはいえ、他に何か巨人に攻撃を命中させる方法があるのかと言われれば、誰もそれに頷くことは出来なかったが。
それこそ高ランク冒険者であっても、異名持ちであっても、ダスカーに仕える騎士の中でもトップクラスの実力の持ち主でも、世界を崩壊させる実力を持つだろう巨人を相手に、明確にダメージを与え、それによって動きを止めることが出来るかと言われれば、素直に頷くことは出来ない。
あるいはマリーナの精霊魔法を使えれば、もう少し対処の方法があったかもしれないが、巨人の側では精霊魔法は使えない。
弓を使う技量も一流だが、それでどうにかなる相手ではない。
ヴィヘラの浸魔掌なら……その実力を知ってる何人かはそう思ったが、さすがに五十mを超える相手に浸魔掌の効果があるとは思えず、結局全員エレーナの言葉に頷くのだった。