3450話
「駄目だった……」
階段を駆け上がっていたレイ達だったが、そんなレイの足が不意に止まる。
地上から神殿のある地下空間までの間に、小さいホールのような……一種の踊り場とでも表現する場所が二つあるのだが、レイの足が止まったのは地上に近い方の一つ目のホールだ。
足を止めたレイの視線の先にあったのは、フォルシウスの死体。
恐らく仲間が庇ったのと、地下空間からこのホールまで大分距離があったのも関係しているのだろう。
他にもマジックアイテムやスキル、あるいは穢れを使って対処したのかもしれないが、フォルシウスの上半身……特に胸から上はきちんとフォルシウスだと判断出来るくらいには綺麗に残っていた。
そのフォルシウスを庇ったと思しき穏健派の男は半ば灰となっていて顔をも判別出来なかったが。
ただ、フォルシウスをこうして命懸けで守っていたことから、恐らくは強硬派に襲撃された時、穏健派の最後尾……つまり強硬派と最前線で戦っていた者達なのだろうとレイには思えた。
「せっかくダスカー様と話をつけたのにな」
フォルシウスの顔を見ながら、レイはそう呟く。
ダスカーとの話し合いの結果、フォルシウス率いる穏健派は奴隷の首輪と穢れを寄せ付けないブルーメタルで作ったアクセサリーを身に付けることを条件に、どこかの村……恐らく新たに開拓することになるだろう村を任せるという流れになっていた。
辺境のギルムでそのようなことをするのは難しいので、恐らく中立派に所属する貴族の領土でということになっていたものの、それについても結局根本から失敗した形だ。
「レイ、気持ちは分かるが、今は……」
「ああ、悪い。そうだな」
エレーナの言葉で我に返ったレイは、フォルシウスの死体をその場に残して再び走り始める。
そうして階段を上って地上に向かうに連れ、大分涼しくなってくる。
とはいえ、それはあくまでも地下空間に籠もった五十度近い温度に比べればの話だ。
「階段が濡れている! 滑らないように気を付けろ!」
先頭を走るレイが、地上から流れてきた水……それこそ積もっていた雪が大いなる存在の行動によって地上に吹き出したレイの魔法によって溶けたものなのは間違いないだろう。
その水が地下空間に続く階段に流れており、それによって階段は濡れていた。
不幸中の幸いだったのは、それこそレイの魔法によって地上がかなり気温が上がっていたことだろう。
これが冬のままであれば、階段を流れてきた水が凍って非常に危険なことになっていただろう。
それこそ、場合によっては階段を落ちてフォルシウスが死んでいたホールまで戻るといったように。
とはいえ、水で濡れているだけでも危険なのは間違いない。
だからこそレイは気を付けるように指示を出し、自分もまた水で滑らないようにしながら地上に向かったのだから。
そうして注意したこともあり、特に滑ったりというようなことはなく、レイは階段の一番上……地上に出る。
万が一……本当に万が一を考え、地上に出た瞬間にレイは跳躍して階段の入り口から離れる。
もし大いなる存在がレイを危険視しており、レイが追ってくると考えていた場合、地下に続く階段から姿を現したレイを攻撃しないとも限らない。
大いなる存在が、地下に続く階段がどこにあるのかを理解しているかどうかはレイにも分からなかったし、そこまで考えるだけの知能があるかどうかも分からない。
分からないが、それでも敵は大いなる存在である以上、少しでも警戒を緩めることは出来ないというのがレイの判断だったのだが……
「っと」
特に何も攻撃されるようなことはないまま、レイは地面に着地する。
「いいぞ、出ても大丈夫だ!」
階段の方に呼び掛けつつ空を見上げたレイは、そこに大いなる存在の姿を確認する。
冬の朝方なので、まだ空は暗い。
だが、それでも真っ暗という訳ではなく、薄らと明るくなりかけてはいる。
そんな薄らとした明かりの中、とある場所だけは暗闇に包まれたままだった。
それが何なのかは、当然ながらレイには理解出来る。
そもそもその存在を追って、レイはここまで来たのだから。
「レイ」
その声に、レイは空に浮かぶ大いなる存在から目を離さずに頷く。
今のが誰の声なのかは、聞けば分かる。
大いなる存在から目を離すことはしたくなかったのだろう。
「それで、どうする?」
声の主……エレーナがレイの横に立ち、尋ねる。
その声には大いなる存在に対する畏怖が滲む。
こうして改めてじっくりと大いなる存在を見れば、その存在感を認識してしまうのだろう。
「倒すしかないだろ。完全ではないにしろ、大いなる存在は呼び出された。それをこのままにしておけば、一体どれだけの被害が出るか分からない。……最悪、それこそ世界が滅びる可能性がある」
穢れの関係者の目的が、世界を滅ぼすことだ。
その為に大いなる存在を呼び出そうとしていたのを考えれば、大いなる存在をこのまま放っておくのが危険極まりないのは明らかだった。
とはいえ、問題なのはどうやって空中に浮かぶ大いなる存在を倒すかだが……
「グルルルルルゥ!」
その声を聞いた瞬間、レイの口元に笑みが浮かぶ。
雪が溶けて水になった地面を走ってくるセトの鳴き声を聞いたからだ。
今のこの状況を考えると、空を飛べるセトが来てくれるのはこれ以上ない程に頼もしい。
「セト!」
レイが呼ぶと、セトは走る速度を一段上げる。
空を飛んでこないのは、セトが見ても空にいる大いなる存在に刺激を与えるのは不味いと思ったのだろう。
また、セトが走る速度は馬をも上回る。
そしてセトのいた場所……ビューネ達のいた場所からレイ達のいる場所まではそう距離がない。
その為、わざわざ飛ばなくてもレイのいる場所まで走ればすぐに到着すると判断してもおかしくはなかった。
「グルルルゥ!」
レイの側までやってくると、セトは嬉しそうに喉を鳴らしながらレイに頭を擦りつける。
空に大いなる存在がいても、レイとの再会はセトにとって嬉しかったのだろう。
そんなセトの存在は、階段から上がってきた他の者達……空に浮かぶ大いなる存在に意識を奪われていた者達にとっても救いだった。
「ビューネは無事なのね?」
「グルゥ!」
ヴィヘラがセトに尋ねると、問題ないと喉を鳴らす。
そんなセトの様子にヴィヘラは安堵する。
「キャリスもビューネについているんだよな?」
ヴィヘラに続き、レイはベスティア帝国の内乱で自分の部下として遊撃隊に所属していたキャリスについてもセトに尋ねる。
するとセトはレイの言葉にも同じく問題ないと喉を鳴らす。
「そうか。あっちが無事なら……」
「レイ!」
鋭いニールセンの声に、レイは反射的に空を見る。
この状況でニールセンがここまで切迫した声を発する理由としては、大いなる存在について以外にないという判断からの行動だった。
そして、レイのその判断は正しかった。
空を見上げたレイが見たのは、空に浮かんでいる大いなる存在。
しかし大いなる存在はレイの知っている巨大な黒い塊から、グニャリグニャリと動いていた。
「あれは……一体何がどうなってる?」
「分からないけど、何かしようとしているのは間違いないと思うわ。どうするの?」
「先制攻撃だな。出来れば魔法で一気に倒したいところだけど、地下での一件を考えるとちょっと厳しそうだ」
地下でレイが使った魔法は、レイにとってもかなり高威力の魔法を次々に叩き込んだ。
だというのに、大いなる存在はそんなレイの魔法を破って地上に出て来たのだ。
もしそれと同じことを再度やられれば……それも先程と違ってどこか一方向ではなく、地上にレイの魔法を放つようなことをされたら、レイも含めて一体どれだけの人数が生き残れるのかは微妙なところだろう。
普段であれば、レイもそんな心配はしない。
だが地下で実際にそのようなことをされた以上、二度目もないとは限らないのだ。
(いや、それ以前に二度目だからこそ、俺の魔法に対する慣れもあって最初よりも容易に抵抗出来る可能性があるのか。とはいえ、あの魔法で大いなる存在にダメージを与えたのも事実。それが具体的にどのくらいのダメージなのかは分からないけど)
もしレイの魔法を食らってもダメージが全くなかったのなら、それこそ赤いドームを破壊するようなことはしなくてもよかった筈だ。
なのにわざわざ赤いドームを破壊したということは、レイの魔法は間違いなく大いなる存在にダメージを与えていたのだ。
もっとも、それがどれだけのダメージなのかはレイにも分からなかったが。
少し不愉快に思う程度のダメージだったのか、あるいはそれなりに大きなダメージだったのか。
レイにしてみれば、出来れば後者であって欲しいとは思う。
思うのだが、今の状況では具体的にどのくらいのダメージだったのかを把握する方法はない。
どのくらいのダメージだったかとレイが聞いたところで、大いなる存在がそれに素直に答えることはないだろう。
……そもそも意思疎通出来るのかどうかすら、レイは分からなかった。
(あ、でも長老達の儀式によって呼び出されたということを考えると、それなりに意思疎通は出来てもおかしくはないのか? 実際にそれが意思疎通なのかどうかは微妙なところだけど)
レイが見たところ、大いなる存在は知能があるようには見えない。
これが妖精の心臓を使わず、生け贄を使って半ば無理矢理儀式を行った影響なのか、あるいは大いなる存在というのは最初からそのような存在なのか。
「取りあえず、この状況で何かをやろうとしている以上、それがこっちにとってプラスになるようなことじゃないのは間違いない。……エレーナ、ここでなら竜言語魔法も使えるな?」
セトを撫でつつ、レイはエレーナに尋ねる。
エレーナが穢れを殺すことが出来る手段として持っているのが竜言語魔法だが、トレントの森で使った結果、大きな被害を出した。
竜言語魔法によって放たれたレーザーブレスは、トレントの森を横断するような痕跡を残してしまったのだ。
それによって、トレントの森の縄張り争いが激しくなるという付随効果もあった。
だが、そのような結果を残した竜言語魔法だが、その威力は間違いなく強力無比だ。
そして現在大いなる存在は空に浮かんでいる以上、竜言語魔法を使うのを躊躇う必要はない。
「問題なく使える」
エレーナもここでなら問題なく竜言語魔法を使えると判断したのか、自信に満ちた声で言う。
「なら、俺がセトと一緒に大いなる存在に攻撃を仕掛ける。その攻撃に向こうがどういう反応をするのかは分からないが、恐らくは攻撃をしてきた俺を狙ってくる筈だ」
大いなる存在にとって、レイは自分にダメージを与えた存在だ。
……もっとも、レイは自分を狙ってくるという言葉が実際に起きるかどうかは分からなかったが。
何しろレイの魔法によってダメージを受けたのは間違いないが、大いなる存在がレイを認識してるかどうかは、また別の話だ。
それこそレイの存在を認識しているのなら、赤いドームを破壊してから地上に出る前にレイを攻撃してもおかしくはない。
しかし、大いなる存在はレイの存在を無視したまま地上に出た。
そうなると、レイを認識していない可能性は十分にある。
(その場合は、俺を狙わせるように魔法で攻撃する必要があるかもしれないな)
現在この場にいる中で一番機動力が高いのはレイだ。
エレーナ達も一般人とは比べものにならないくらいの機動力は持っているが、それでもレイに……より正確にはセトに乗ったレイと比べると大きく劣る。
人馬一体という表現があるが、セトは馬ではないにしろ、レイと魔力で繋がっているのも関係し、レイの動いて欲しいように動く。
また、空を飛べるということは平面の動きだけではなく、上下にも動ける。
もっとも、エレーナ達も跳躍をしたり出来る以上、完全に平面の動きだけという訳ではないのだが。
また、レイと同じくエレーナもスレイプニルの靴を履いているので、ある程度は空気を蹴って移動出来るので、それなりに三次元の動きも可能だ。
とはいえ、それでもやはり大いなる存在が最初に狙うのはダメージを与えた自分だろうと、そうレイは思っていたが。
「レイ……気を付けて」
レイの様子から、何を言っても無意味だと判断したのだろう。
マリーナがそう声を掛ける。
レイはそんなマリーナに頷き、他の面々に向けても心配ないと笑みを浮かべ、セトの背に乗る。
「じゃ、セト。行くぞ!」
「グルルルゥ!」
レイの言葉にセトは高く鳴き、大いなる存在に向かって突っ込むが……その距離が当初の半分くらいになったところで、大いなる存在は今まで以上に不規則に、激しく動き始めるのだった。