0345話
レイとセトがエモシオンの街で最後の1日を過ごした翌日、まるでレイ達の出発を祝福するかのような晴天の中でレイは正門で街を出る手続きをしていた。
「レイさん、今回の件はありがとうございました。希少種の情報については分かり次第ギルムの街のギルドに送らせて貰います」
ロセウスがそう告げて頭を下げ、続けて碧海の珊瑚亭の娘が薄らと充血した目で口を開く。
「その、また来てね。絶対だよ!」
「ふんっ、お前は面白い武器のアイディアを出すからな。またいつでも来い。屑鉱石とかが入った樽もきちんと用意しておいてやる」
「お好み焼きはこの街から周辺に……いや、世界中に広がるような料理になるのを期待していてくれ」
娘の後に続き、ドワーフとアルクトスもまた告げてくる。
それらの言葉に頷き、警備兵からギルドカードを返して貰ってミスティリングに収納する。
既にセトの首に掛けられていた従魔の首飾りは返し終えている為、後はもうやるべきことは無い。
「じゃあ、また美味い海産物が食いたくなったら寄らせて貰うよ」
「グルルルルゥ」
レイからは別れの挨拶としては素っ気無いながらもそれだけを告げ、セトは未だにエモシオンの街で食べた各種海産物の料理に未練があるのか、あるいは自分を可愛がってくれた相手と別れるのが寂しいのか、切なげに喉を鳴らす。
「ああ、忘れてた。ほら、これ。ギルムの街に向かうにしても野宿は必須だろ。今日の昼食にでもして食ってくれ」
アルクトスから手渡されたドッシリとした重さのバスケット。上に掛かっている布を捲ってみると、その下には大量のサンドイッチが入っていた。
特にエビを使ったサンドイッチが多いのは、幾度か屋台を訪れた時にレイの好みを理解していたからか。セトの分も考えると量が少ないかもしれないが、運ぶ量の関係上しょうがないのだろう。
「アルクトスさん、一応うちでも弁当は用意したんですけど……しかも私の手作り」
宿屋の娘が抗議するようにアルクトスへと告げ、最後にボソリと呟く。
「いや、助かる。ここからギルムの街までは何泊かしないといけないからな。アイテムボックスがあれば悪くなったりはしないし」
呟きつつ、サンドイッチの入ったバスケットをミスティリングの中へと収納して、そのままセトの背へと跨がる。
「じゃ、俺はこれで行くよ。色々と世話になった。セト!」
「グルルルルゥッ!」
レイの声にセトは数歩の助走の後、空中を駈け上がって行き、そのまま翼を羽ばたかせる。
地上から1人と1匹を見送っていた者達は、予想以上の素早さに唖然としつつも、色々な意味で目立つレイ達との再会を胸に秘めて自分達の生活へと戻っていくのだった。
エモシオンの街を飛び立ってから数時間。そろそろ昼食を食べてもいいかと思っていたレイは、自分とセトに降り注いでいる強烈な日光に多少不愉快そうに眉を顰める。
「んー、天気がいいってのは嬉しいんだが……さすがにこの季節になってくると日光が邪魔だよな」
「グルルゥ」
そう言いつつも悲愴感のようなものがないのは、ドラゴンローブがある程度の気温を調整してくれるからだろう。セトにしても、グリフォンである以上多少の気温の変化を苦にするようなことは無かった。
地面に広がっているのは一面の緑の絨毯であり、時折数名でパーティを組んでいる冒険者達の姿も見える。
「街道を外れてるのに、ここにいるってことは……恐らくあれが目的なんだろうな」
冒険者パーティから数km程離れた場所に20匹程のファングボアの集団が存在している。モンスターではない普通の動物ではあるが、その肉の味には定評のあるファングボア。ランクの低い冒険者達にしてみれば、文字通りの意味で美味しい標的であると言えるだろう。
「グルルルゥ」
そんなファングボアを眺めていたセトが、喉を鳴らす。
腹が減っている時に見たので、ファングボアを狩って食べたい。そう思ったのだろう。
「駄目だぞ。あのファングボアは冒険者達が既に狙いを付けてるんだ。さすがに俺達が横から掻っ攫うような真似は出来ない」
「グルゥ……グルルルゥッ!」
食べたい、食べたい! そんな風に鳴きながら後ろを振り向き視線を向けて来るセトに苦笑を浮かべ、取りあえずこのままだとファングボアを狙っている冒険者達の邪魔になるだろうと進行方向をファングボアから遠ざかるように少しずつ逸らしていく。
尚、そんなセトの鳴き声が聞こえた訳では無いだろうが、草原を移動している冒険者達は空を飛んでいるグリフォンを指差して驚きの声を上げていたのだが、レイ達はそれに気が付きながらも無視してそのまま飛んでいく。
その後は少し離れた場所にあった小さな川の近くへと降り、セトに急かされるままにミスティリングからアルクトスから受け取った大量のサンドイッチが入ったバスケットを取り出す。
「ほら、取りあえずこれでも食って落ち着いてくれ」
数個のサンドイッチを大きめの葉っぱを皿代わりにして乗せ、早速とばかりにクチバシを伸ばしているセトをそのままに、レイは川の水で手を洗う。
「ああ、冷たくて気持ちいいな……」
呟いてからまだ川の水で濡れている手でフードを下ろし、初夏の空気を吸い込む。
そのまま川の水へと手を入れ、冷たい水で喉を潤した後に1分程その冷たさを楽しんでいると、背後からセトが喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「グルルルゥ」
一緒にサンドイッチを食べよう、と誘ってくる相棒の姿に笑みを浮かべ、川遊びを終了してセトと一緒にサンドイッチを口へと運ぶ。
さすがにアルクトスの作ったサンドイッチと言うべきか、どのサンドイッチも一手間も二手間も加えられており、レイもセトも殆どを美味しく食べることが出来た。
……殆どとしたのは、サンドイッチの中にはお好み焼きサンドのようなものがあった為だ。どちらかと言えばお好み焼きは主食と考えているレイはお好み焼きサンドをセトに渡し、シーフードサラダのサンドイッチや野菜と鶏肉を煮込んで薄く切ったサンドイッチ、ゆで玉子とベーコンのサンドイッチといったものを好んで口へと運ぶ。
そのまま20分程経ち、10人前はあろうかという大量のサンドイッチは全て1人と1匹の腹の中に収まることになる。その後は食休みをして、川の近くに生えていた酸味の強い果実――桑の実に近い形や味――をデザート代わりに食べ、あるいはセトが川の中に入って川魚を前足を振るって川の外へと放り出し、その魚をおやつ代わりにとレイの魔法で起こした焚き火で焼きながらセトへと与えたり、セトの毛を乾かしていたりしていると、いつの間にか2時間程が経っていた。
「……ちょっと遊びすぎたな」
「グルルルゥ?」
レイの言葉にそうかな? と小首を傾げているセトに笑みを誘われるも、こうして遊んでいるとここで1晩を過ごすことになりかねないので、少しでも距離を稼ごうとセトに声を掛ける。
「このままだとギルムの街に戻るまで時間が掛かりすぎるからな。今からでもちょっと移動しよう」
「グルゥ……グルルルゥ!」
セトにしても、やはりギルムの街には愛着があるのかレイの言葉にあっさりと頷き、セトが自分の背に乗れるように地に伏せる。
「よし、じゃあ出発だ!」
「グルルルルルゥッ!」
昼食を食べ、デザートを食べ、おやつとして焼き魚まで食べたセトは、元気よく鳴いて数歩の助走で翼を羽ばたかせて大空へと舞い上がっていく。
1歩、2歩、3歩と空を駆けるかのように空へと昇っていくその様は、まさに空中を蹴っていると表現するべきだろう。
そんなセトの背で、午後に入って更に自己主張を強くしてきた太陽の光に若干忌々しそうな表情を向けるレイ。
暑さそのものは問題では無い。だが、太陽の光の眩しさはレイの目を眩ませるのに十分な威力を持っていた。
「グルゥ」
セトにしても、つい数分前までは涼しい川の側で寛いでいたので強烈な直射日光は不愉快なのか、鬱陶しそうに喉を鳴らす。
グリフォンであるセトは多少の気温の変化はものともしない身体を持っている。だが、それでもギラつく程の直射日光を浴びれば眩しいし、うんざりはするのだ。
「いっそ、昼間は休んで夜に飛ぶというのもいいかもしれないな」
ふと、砂漠を旅する者は昼間は休んで涼しい時間帯に進むというのを思い出してそう呟く。だが……
「グルゥ?」
じゃあ休む? と尋ねてきたセトに小さく首を振る。
「いや、このまま進もう。この程度で一々歩みを止めていては、それこそこれから先やっていけないだろうしな」
「グルルゥ」
頑張る、と鳴くセトの背をそっと撫でながら、先程取ってきた桑に似た実を数個程ミスティリングから取り出してセトへと差し出す。
それをクチバシで咥え、あっという間に食べきるセトを見ながら、レイもまた自分の分を数個程取り出して口へと運ぶ。
レイが地球にいた時に山の中で食べた桑の実と違って3倍程の大きさを誇るその実だが、甘酸っぱい味は間違い無くレイの知っている桑の実と同じだった。
「よし、ギルムの街まで数日。頑張っていくぞ!」
「グルルルゥッ!」
レイの声に高く鳴き、桑の実を食べて気を取り直したセトは翼を大きく羽ばたかせて大空を飛んでいく。
「ん、じゃあそろそろ夜営にするか」
「グルゥ」
昼食を食べ終わって飛び立ってから5時間程。まだ暗くはなっていないが、夕日の真っ赤な色が空全体を覆うかのような光景を作りあげていた。
初夏の夕日という、どこか物悲しい光景を見ながら少し早めに夜営の準備をすることにしたレイは、セトへと声を掛けて地上へと降りていく。
幸い地上は草原であり、一晩を明かすのに苦労はない。あるいは夜ということでモンスターが凶暴になって襲ってくるかもしれないが、それとてベスティア帝国との戦争でダスカーから貰ったマジックテントがあれば、低ランクモンスターに煩わされることはなかった。
レイの言葉を聞いて地上へと降りたったセトは、さすがにグリフォンと言うべきか音を殆ど立てること無く草原へと着地し、そのまま数歩程歩いて勢いを消してその背からレイが降りる。
「さて、じゃあ早速」
呟き、ミスティリングからマジックテントを取り出して魔力を流す。すると次の瞬間、テントが目の前に姿を現していた。
「セト、どうする?」
「グルゥ……」
レイが中に入るかどうかを尋ねるが、セトは小さく首を振って空の方へと視線を向ける。
ちょっと遊んできたい、と尻尾を振りながら喉を鳴らすセトに、レイは頷く。
「分かった。ただ、暗くなる前には戻って来いよ。ああ、それと食べられるモンスターなり動物なりがいたら取ってきてくれ。一応エモシオンの街で色々と料理は買ってきているし、碧海の珊瑚亭の女将から弁当は貰ってるけど、節約はしておいた方がいいしな」
「グルゥッ!」
任せて! と鋭く鳴き、数歩の助走の後に翼を羽ばたかせて去って行く。
(何だかんだで、今日は殆ど1日中移動に時間を使ったから、セトもストレスが溜まってたんだろうな)
内心でそう呟きながら、早速とばかりにレイはマジックテントの中へと入っていく。
テントの中は10畳程の広さとなっている。エレーナが使っていたようなマジックテントのように台所の類は無いが、それでも1人と1匹で過ごすには十分な広さと設備を持っていた。
「ま、食事の準備をする為に火を使うなら外でやればいいし、水はこれがあるしな」
部屋の中にあるコップをテーブルの上に置き、ミスティリングから取り出した流水の短剣へと魔力を流す。すると、次の瞬間には短剣の先端からチョロチョロとではあるが水が流れ始めた。以前の依頼の報酬として貰った水を作り出すという能力を持ったマジックアイテムだが、レイの適性は炎に特化している為に元の持ち主が使っていたように水の鞭のような使い方をすることは出来ない。だが、生み出される水の味は魔力が高ければ高い程に美味になる。それ故、レイがこの流水の短剣を使った時は純粋に飲み水を作り出す為のマジックアイテムとしてしか使えないが、その味は王族でも飲むことが出来ない程の極上の水となるのだ。
「ああ、美味いな」
喉を潤す冷たい水。ただの水だというのに、何杯でも飲みたいようなそんな味に満足しているレイだったが、不意にテントの入り口からセトが顔を出しているのに気が付く。
「どうしたんだ?」
「グルルルルゥッ!」
見て見て、と喉を鳴らすセトに、コップをそのままにして表へと出る。
するとそこには巨大な……そう、セトと同じ大きさ程のファングボアの死体が転がっていた。
「これは……ここまで大きいファングボアは珍しいな」
「グルゥ!」
凄いでしょ! と自慢そうに喉を鳴らすセトの頭を撫でつつ、解体用の短剣をミスティリングから取り出す。
ファングボアはモンスターでは無いが、肉は食用として人気があるし、その特徴的な牙は安値ではあるが素材として買い取っても貰える。
「もっとも、肉に関して言えば大半がセトの腹に収まるんだろうけどな」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、嬉しそうに鳴くセト。
その後はファングボアを素早く解体し、そのままレイの魔法で作り出した焚き火で鉄板を熱してから焼いて食べるのだった。
その際、早速とばかりにエモシオンの街で買ってきた魚介類も焼きながら味わうことになる。
旅をしているとは思えないような豪華な食事をし、そのまま眠り……そんな生活を続けること数日。空を飛ぶセトの背に跨がっているレイの目に、ギルムの街が見えてくるのだった。