3449話
「きゃあああっ!」
そう悲鳴を上げたのは、一体誰だったのか。
エレーナはそう思いながらも、祭壇のある方……正確には祭壇の天井に空いた穴に向かって上昇していく大いなる存在を見ながら、そんな風に頭の片隅で思う。
それでもすぐ我に返ったエレーナは、素早く指示を出す。
「まずは祭壇に行く。何がどうなってあのようなことになったのか、確認する必要がある」
エレーナの指示には、レイのことが心配だという思いもあった。
とはいえ、それはレイを愛する一人の女としての行動でもあったが、同時に姫将軍の異名を持つ者としての判断でもある。
ここにいる者達はギルムにおいても精鋭と呼ぶべき実力を持つ者達なのは間違いない。
それはつまり、ミレアーナ王国全体で見ても精鋭なのは間違いなく、そしてこの大陸の二大強国のベスティア帝国も含めて……それだけではなく、この大陸全体で見ても上澄みの中の上澄みであるのは間違いない。
勿論、そのような者達であってもランクS冒険者のように、更に上位の強さを持っている者がいるのは間違いないのだが。
ともあれ、そんな精鋭が揃っているこの中においても、レイは最強だった。
それは全勝無敗という模擬戦の結果が示している。
もっとも、模擬戦の結果がそのまま強さの順位となる訳でもない。
この精鋭部隊に集められた者達である以上、奥の手の一つや二つは持っていて当然なのだから。
そして奥の手というだけあって、他人にその存在を教えるよりは模擬戦では負けた方がいいと判断する者がいてもおかしくはない。
これから大いなる存在と戦うことになる可能性が高い以上、レイという戦力がいるのといないのとでは勝率に大きく関わってくる。
それは他の者達も理解しているので、誰もエレーナの言葉に反論をせず祭壇に向かって走り出す。
警戒をしながら歩くのではなく、少しでも早く祭壇に到着する為に走る。
これはもしレイが怪我をしていたらすぐにでも回復する必要があるというのもあるし、何より少しでも早く状況について知りたいというのがある。
遠く離れた場所からでも、大いなる存在が天井を破壊して上がっていくのは見えた。
だが、近くでその様子を見ていたレイなら、もっと詳しい情報を持ってる可能性が高いと判断したのだ。
その情報を手に入れる為にも、少しでも早く祭壇に行こうとしたのだが……数百m程も走ったところで、先頭を走るエレーナの足が止まる。
精鋭に選ばれるだけあって、いきなり止まったエレーナにぶつかるような者はいなかったが、一体何故急に止まったのかと、疑問を抱く者もいる。
しかしそんな疑問は、足を止めたエレーナの視線の先を見れば理解する。
無傷……というか、ドラゴンローブは濡れているものの、それ以外は特に怪我らしい怪我もしていないレイの姿がそこにはあったのだ。
「レイ!」
叫んだのはエレーナ。
レイもエレーナ達の姿に気が付いていたので、特に驚いた様子もなく走りながら口を開く。
「悪い、事情については走りながら話す。今はとにかく、一度外に出る必要がある!」
レイの言葉に誰も反論はしない。
大いなる存在のような大きな出来事ではなく、小さな出来事……それこそここにいる面々ならどうとでも出来るような事態なら、もしかしたら色々と不満を言う者もいたかもしれない。
だが、大いなる存在については……それこそ祭壇に上がったヴィヘラ以外の者達であっても、天井に向かって浮かんでいく光景を目にしており、それを見てしまえばここでどうこうと言い争っているような余裕がないのは明らかだ。
「それで、一体何がどうなったのだ?」
即座にその場で反転し、尋ねるエレーナ。
他の面々も走りながらレイに説明を求める視線を向ける。
……その中でも特に強い視線を向けていたのが、レイの横を飛ぶニールセンだったのは、レイもどう反応していいのか迷ったが。
そんな視線の圧力に負けるようにレイは事情を説明し……それを聞いた面々は、それこそレイの実力をよく知っているエレーナ達も含めて驚愕の表情を浮かべていた。
普通の魔法使い数千人分の魔力を込めた魔法を複数使い、その範囲を限定することによって威力を二乗化させる。
それが一体どれだけの威力の魔法になるのか、想像するだけでも恐ろしい。
ましてや、そんなレイの魔法を食らっても死なず、赤いドームを破壊して地上に向かって脱出した大いなる存在は、一体どのような相手なのか。
「嘘だろ……それでも死なねえのかよ」
レリューが信じられないといった様子で呟く。
異名持ちのレリューだが、それでもレイが言っていた魔法使い数千人分の魔力を使った魔法を複数使われて生き延びられるとは思わなかった。
「そうだな。生憎と死ななかった。……俺としてはあれで倒したと思ったんだが。っと、気を付けろ。壁に引っ掛かって下手に怪我をしたら、これからの戦いに影響が出る」
巨大な魔法金属の扉の横にある壁にある穴を見て、レイはそう言いながら素早く壁の向こう側まで移動して……
「うわ」
瞬間、むわっとした熱気を感じ、レイの口からそんな声が上がる。
その熱がなんなのかは、レイにも容易に予想出来た。
そうして予想したからこそ……
(フォルシウス達、無事か?)
そう思う。
この熱気は、間違いなくレイの魔法による影響だ。
正確には赤いドームの内部に籠もっていた熱気を、大いなる存在が天井を破壊してそちらに向かって放った熱気の名残。
中庭から地下に続く階段までその熱気が届いているのだ。
そうなると地上……いや、神殿のある場所が一体どうなっているのか想像するのも難しくはない。
そしてフォルシウスは穏健派を率いて、その階層にいたのだ。
せめてもの救いは、フォルシウス達が地上に続く階段の側にいたということだろう。
大いなる存在が天井を破壊して神殿のある階層を通った時、それを危険だと察知していれば即座に階段に逃げ込んだだろう。
階段の狭さを考えると、逃げ込めなかった者達が犠牲になった可能性はある。
そして階段に逃げ込めたとしても、その階段を熱気が通れば生き延びれたかどうかは分からない。
(いや……それよりも……)
そこまで考えたレイは、ふと嫌な予感を抱いて足を進める。
後ろでレイに続いて壁の穴を抜けてきた者達が熱気に驚愕の声を発しているのは分かるが、今のレイは少しでも早く地上に出る必要があった。
神殿のある階層がどうなっているのか。そして……何より、地上で待っているセトを含めた他の面々がどうなったのか。
レイの使った魔法の威力を考えると、そして何より天井から振ってきた土砂降り、集中豪雨、スコール……そんな表現が相応しい水の量を思い浮かべれば、地上でも大量の熱が広まったのは間違いない。
セトがいる以上は恐らく大丈夫だとは思う。
思うのだが、それでも心配なのは間違いない。
せめてもの救いは、レイの中にあるセトとの魔力的な繋がり……魔獣術による繋がりが、まだ切れたり消えたりしていないことか。
それはつまり、まだセトが生きているということを意味している。
(大丈夫。大丈夫な筈だ。それにセトがいれば、大いなる存在と戦っても勝てる筈だ)
大いなる存在と戦う上で厄介なのは、その大きさもそうだが空を飛んでいることだろう。
魔法を始めとして、レイには幾つもの遠距離攻撃の手段はある。
あるのだが、それでも自分を魔法使いではなく魔法戦士と考えているレイにしてみれば、遠距離だけではなくデスサイズや黄昏の槍を使って敵を攻撃出来れば攻撃する手段が大きく増える。
だからこそ、セトに乗って敵と戦えればレイにとって非常に便利なのは間違いない。
そんなことを考えつつ、階段から中庭に出ると……
「……やっぱりな」
目の前の光景に、マジかという思いと共にやっぱりなという思いも抱く。
庭にあった植物が全て消えているのは、レイも特に驚かない。
そもそも庭の植物を全て燃やしたのはレイなのだから、それで驚くことはないだろう。
だが、それ以外の場所……それこそ具体的にはレイ達が庭に出る時に破壊した壁。
その壁も含めて、神殿そのものが消滅……いや、焼滅していた。
焼け落ちた残骸が残っているという訳でもなく、本当にそこには何もない。
灰すらも焼かれたのか、どこにも何もないのだ。
「嘘でしょ……」
庭で周囲の様子を見ていて驚きから足を止めたレイの背後から、そんな声が聞こえてくる。
驚愕というよりは、信じられないといったニールセンの言葉。
ニールセンも庭の周囲がどのような場所だったのかは知っていたので、そこに何もないのを見て驚いたのだろう。
空を飛べるニールセンに続いて、他の面々も階段から出てくるとそこに広がっている光景……何もない光景を見て、唖然とする。
そんな中で真っ先に我に返ったのは、最初にこの光景を見たレイだ。
最初にこの光景を見たからこそ、最初に我に返ることが出来たのだろう。
「行くぞ」
短く一言だけ呟き、階段に向かって走り始める。
他の面々もそんなレイを追う。
地下空間の中を走りながら周囲の様子を確認するが、建物は全てなくなり、地面もまた焼け焦げている。
幸いだったのは、どういう理由からかは分からないものの、焼けた筈の地面が全く熱くないということだろう。
(神殿の庭を燃やした時に地下に続く階段も急速に冷えたよな? それと同じか? そう言えば、あれは結局誰がやったんだ? 大いなる存在はまだ現れてなかったし……だとすれば、元々そういう機能を持った階段で、この通路も同じだったのか?)
そんな風に考えながら走っていたレイだったが、とあることに気が付く。……気が付いてしまう。
「しまった!」
「レイ?」
走りながら叫ぶレイに、側を走るエレーナがどうしたのかと聞く。
そんなエレーナに対し、レイは深刻な表情で口を開く。
「神殿が完全に燃えた以上、神殿にあっただろう書類とかマジックアイテムとか、それ以外にもお宝とかがあっても全部燃えてしまった」
「……それは……」
マジックアイテムやお宝はともかく、書類が燃えたのはエレーナにとっても非常に痛い。
ここが穢れの関係者の本拠地であるのは間違いないが、オーロラがいた洞窟のように、他の拠点がある可能性は十分にある。……いや、ほぼ間違いなくあるだろう。
だが、その場所が書かれた書類は神殿と共に焼失してしまった。
拠点以外にも、例えばミレアーナ王国やベスティア帝国、それ以外の小国の人員で穢れの関係者達と繋がっている者達が誰なのかといった書類も同様に。
色々な意味で、神殿が消失したのは痛かった。
それはつまり、大いなる存在を倒すことが出来ても、他の拠点にいるだろう穢れの関係者達を捕らえるなり殺すなりすることが出来ないということなのだから。
「仕方がない。まさか、レイの魔法にあのような手段で耐えられるとは思っていなかったのだ。……さすが大いなる存在と呼ばれるだけはあるか」
エレーナのその言葉は、一種の励ましだろう。
だが同時に真実でもある。
今回は失敗したが、もしレイの魔法で大いなる存在を殺すことが出来ていれば、それが最善の選択だったのだから。
ましてや慎重策をとって下手に儀式を完成させた場合、完全な状態で大いなる存在が呼び出されていた可能性もある。
そういう意味では、今回のレイの行動が軽率だったということではない。
……力足りずであったということではあるが。
そんな会話をしながら、レイ達は地下空間を進む。
建物の類が一切なくなっていることもあり、走るのに苦労はしない。
それでいながらこの地下空間全体を襲った熱も、どういう理由か急速に冷えており、走るのに問題はない。
とはいえ、それでもまだ周囲の気温は五十度近くという真夏どころか砂漠並の暑さがあるのだが。
簡易エアコン機能のあるドラゴンローブを着ていたり、エレーナのようにエンシェントドラゴンの魂を継承していたり、ヴィヘラのように高ランクモンスターを吸収したり……そんな能力を持たない者達は、汗を掻きながら走る。
本来なら特殊な能力ということであれば、世界樹の巫女のマリーナも入るのだが……穢れとの相性が悪い為か、精霊魔法を使えないのも影響してか、マリーナも汗を掻いていた。
大いなる存在の影響がなければ、精霊魔法でどうにか出来たのだが。
そんな中……
「やっぱりか」
先頭を走るレイが見たのは、階段の側に倒れている人の形をしたように見えないでもない灰の塊だった。
それが何なのか、レイは当然のように予想出来る。
「フォルシウス」
無事でいてくれと思いつつ名前を呼び、レイは階段を駆け上がっていくのだった。