3448話
「さて、どうなる……?」
祭壇の上、レイは巨大な赤いドームを見ながら呟く。
かなりの魔力を消耗したものの、少し息を整えれば疲れは癒える。
レイはもともと莫大な魔力を持っていた。
それこそ一度の魔法に一般的な魔法使い数千人分の魔力を込めた魔法を連続で使っても、まだ大分余裕があるのを見れば分かるように。
……寧ろレイが疲れたのは、魔力の消耗ではなく精神的な疲労の方だ。
大規模な……それこそ災害規模の魔法を連続で発動したのだ。
炎の魔法に特化しているレイであっても、それだけの魔法を連続して使うと精神的に消耗する。
「後はこのまま終わってくれればいいんだけど」
それが予想ではなく自分の願望であると知りながらも、レイにしてみれば出来ればそうなって欲しいという強い思いがそこにはある。
赤いドームの中が現在一体どうなっているのか。
それはレイにも分からない。
ただし、それこそ灼熱地獄と表現するのが相応しい状況になっているのは間違いない。
簡易エアコン機能を持つドラゴンローブを着ているレイであっても、恐らくは赤いドームの中に入れば焼け死ぬだろう。
赤いドームのお陰で既に内部の熱は周囲に漏れていないものの、それでもその赤いドームを作るまでの少しの間周囲に漏れた熱気、それだけでドラゴンローブを着ているレイですら汗を掻いたのだから。
それこそ、一分にも満たない間でこの地下空間の温度は十度……いや、二十度くらい上がっていてもおかしくはない。
それだけの熱量だけに、普通に考えれば赤いドームの中に存在する大いなる存在が耐えきることは不可能だろう。
それはレイにも分かっていたが……
(それはあくまでも普通に考えればだ)
大いなる存在が普通という表現に相応しいかどうかと言われれば、レイも即座に首を横に振るだろう。
そもそも穢れというのが悪い魔力とレイは教えられている。
そんな悪い魔力の上位存在が普通の存在の訳がない。
(というか、今更になってよく考えれば……悪い魔力の親玉に普通の、もしくは良い魔力? の魔法を使っても大丈夫なのか? それこそ魔法を変な具合に利用されて、吸収されたりしないよな?)
自分でも思うように、本当に今更の話ではあったが、レイは若干の不安を抱きながら赤いドームを見る。
だが、こうして見ている限りでは、特に魔法が妙な動きをしているようには思えない。
……レイが使える最大級の魔法を何発も使っており、それを一ヶ所に集めている感じなので、そういう意味ではレイにとっても予想外の展開になってもおかしくはなかったのだが。
幸いなことに……本当に幸いなことに、現在のところその辺については問題ない。
もっとも、レイも本能的にそのようなことが出来ると理解していたので、今回のような方法を使ったのだが。
ただし、その辺は魔法に天性の才能を持つレイだからだろう。
その辺の魔法使いにレイと同じことをやれと言っても、魔法を使う際のタイミングや魔法に使う魔力のバランス、魔法の規模や順番……それこそ数え切れないくらいの条件をクリアしなければ、レイのようなことは出来ない。
それこそレイが今回行ったのは、超のつく一流でようやく出来ることなのだが……レイは感覚派の魔法使いで、理論立てて今回のようなことを行った訳ではない。
出来ると思った、いけると思ったからやった訳で、それを実際にやる方法を説明しろと言われても、それは無理だろう。
精々が、『何となく』という表現しか出て来ない。
そういう意味で、レイは魔法使いであっても他人に魔法を教えるといったことは出来ない。
……あるいは教え子もレイのように感覚派なら、多少はレイの魔法について理解出来るかもしれないが。
ピキリ。
「……ん?」
赤いドームを見て……いや、観察していたレイの口から、不意にそんな声が漏れる。
一瞬、本当に一瞬だったが、何か違和感があった。
それが具体的にどのような違和感なのかと言われれば、具体的に答えることは出来ない。
普通なら気のせいかと思って見逃してもおかしくはない違和感。
だが……レイはそんな違和感を見逃すようなことはない。
あるいは現在相対しているのが大いなる存在のように理解出来ない何かではなく、その辺のモンスターであれば気のせいとして流したかもしれない。
しかし、レイの視線の先にいるのは穢れの上位に位置する大いなる存在だ。
世界を滅ぼしかねない存在。
それだけに、レイとしても少しの異変でも見逃すようなことは出来なかった。
クシャリ。
「とはいえ……一体この違和感は何だ?」
違和感はある。
それは間違いないと思えるが、問題なのはそれが具体的にどのようなものなのかが分からないことだ。
グチュリ。
「見た感じだと、特に何も変化はないように思えるけど。……セトがいれば、何が起きてるのか分かったのか?」
ブシャリ。
「とはいえ……うん。何か異常事態が起きているのは間違いない。そうなると、これからどうするかだが……」
グギリ。
悩むレイだったが、それでも何が起きてもいいように、デスサイズと黄昏の槍を構える……前に、暑さに抵抗するようにミスティリングから一口サイズの果実を取り出し、口の中に放り込む。
ライチのような甘さが口一杯に広がり、そこから流れる果汁が喉の渇きを癒やす。
その甘い果汁で喉を潤しながら、レイは改めてデスサイズと黄昏の槍を持つ。
ガギン。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……いやまぁ、出るのは大いなる存在とやらなんだろうけど。……ちっ」
言葉の最後に舌打ちをしたのは、赤いドームにヒビが入ったのが見て分かった為だ。
穢れであれば問答無用で焼滅させるだけの威力をも持つ魔法。
それも一つではなく複数の魔法を連続して使い、威力を加算するのではなく二乗した、そんな圧倒的なまでの破壊力を持つ魔法。
その魔法を一ヶ所に封じている赤いドームに、間違いなくヒビが入ったのだ。
レイとしては、出来れば自分が見たのは見間違いであって欲しいと思う。
思うのだが、レイの視線の先にあるのは間違いなくヒビだ。
「マジか」
舌打ちの次にレイの口から驚きの声が漏れる。
今回の魔法にはそれだけの自信があったのだ。
だが、こうして赤いドームにヒビが入っているということは、中にいる大いなる存在……灼熱の壁に囲まれているのでどうなっているのかは分からないが、とにかくその中にいる存在が魔法を破ろうとしてるのは間違いなかった。
レイとしては、出来れば赤いドームの内部に使われた複数の魔法の威力によって、赤いドームが封じることが出来ずに壊れそうになっている……といったようなことでもあれば、助かるのだが。
しかし、違う。
具体的に何らかの証拠がある訳ではない。
それこそレイの直感による判断だったが、その判断によれば明らかに大いなる存在が何かをしたが故のヒビだった。
「鬼でも蛇でもなくて、大いなる存在が出るのは止めて欲しいよな。問題なのは、一体どういう状態で出てくるかということか」
赤いドームのヒビが時間が経つに連れて大きくなっていく。
それを見ながら、レイは出来ればダメージを受けた状態で出て来て欲しいと思う。
レイにしてみれば、敵を倒すには敵がダメージを受けていれば、それだけいい。
あれだけの魔法を叩き込んだ以上、全くの無傷ということはないだろうとレイは思う。
……それはそうであって欲しいという思いの方が強いものだったが、レイの魔法の威力を思えば決して理由のないことではないのも事実。
「どうなるか……運か。それはちょっとな」
レイは決して自分が幸運ではないのは理解している。
くじ引きの類をすれば決してレイが当たることはないだろう。
……それでいながら、危ない時は何故か幸運に恵まれることが多いのだが。
つまり、赤いドームの中で……そして灼熱の壁に囲まれた大いなる存在が、一体どれだけのダメージを受けたのかが運によって決まる場合、最悪無傷で出てくるといった可能性も否定は出来ないのだ。
ピキリ……ピキピキピキ……
赤いドームの表面に浮かび出たヒビは、次第に大きくなっていく。
それこそ、このまま待っていれば、そのうち赤いドームが破られるのは間違いないと思える。
(バリアがパリンと割れるのは……いや、あれは別にバリアじゃないけど。ともあれ、あの様子を見ると割れるのはほぼ間違いないか)
そんな風に思ったのが、あるいは切っ掛けになったのか。
次の瞬間、赤いドームの姿が消える。
「くっ! マジックシールド!」
それを見た瞬間、レイはデスサイズのスキル、マジックシールドを使う。
瞬時に出現する、三枚の光の盾。
だが……
「何?」
レイの口から、戸惑ったような声が上がる。
あの赤いドームの中では、それこそレイの魔法が複数発動していたのだ。
その魔法を一ヶ所に集めていたのは、間違いなく赤いドームだ。
しかし、その赤いドームが破壊されたというのに、熱気が周囲に漂うことはない。
それこそ、もしかしたらこの祭壇は……いや、地下空間そのものが灼熱地獄と化し、まだ生き残っている者全員が殺されてしまうのではないか。
そのように思ったレイがせめてもの抵抗としてマジックシールドを使ったものの、光の盾は未だにレイの前に三枚並んでいる。
光の盾は、どんな攻撃も一度だけなら防げるが、一度防ぐと光の粒となって消えていく。
そんな光の盾を出したのに、赤いドームが破壊されても全く消える様子がない。
それはつまり、赤いドームが消えたのに中に存在する魔法が周囲に影響を与えていないという事を意味していたのだが……次の瞬間、レイの視線の先で何かが落ちてくる。
最初は何なのか分からなかったレイだったが、最初に落ちてきた何かが続けて何度も落ちてきたのを見れば、それが何なのかを理解し……
「嘘だろ」
唖然とした様子で、上を見ながら言う。
本来なら、そこには天井があった。
天井は天井でも、家の中の天井のような建物の天井ではなく、岩による天井だったが。
恐らくは穢れの関係者の本拠地の更に地下に存在する地下空間は、元からあった空間という訳ではなく、穢れを使って作った地下空間だろうとレイは予想していた。
とにかくこの地下空間の上には神殿の庭が存在し、その更に上にはここと同様の天井があり、その上に地上があるという作りだったのだが……現在レイの視線の先にあるのは、天井ではなく夜空だ。
時間的には既に朝方なのだが、冬である以上はもう少し経たないと太陽が昇らないのだろう。
つまり、現在レイ達のいる天井が消え、その上にある神殿――運が良ければ庭だけですむかもしれないが――が消え、その上にあった天井までもが消えたということを意味している。
それを行ったのは、当然ながら赤いドームを破壊した大いなる存在だろう。
だが、それを行ったのは大いなる存在でも、実際に天井を破壊したのはレイの魔法だ。
灼熱の轟火という表現でも生温いような、そんな圧倒的な熱が放射され、祭壇の上に存在する全てを破壊したのだ。
地下から地上まで貫通し、その結果として地上に積もっていた雪がレイの魔法の熱によって水となり、レイのいる場所に落ちてきたのだろう。
最初は一滴、二滴といったように。
そして今では、土砂降りのように。
「これは……厄介だな」
降り注ぐ水をドラゴンローブに浴びながら、レイは呟く。
レイが口にした厄介という言葉は、水もそうだが、何よりも大いなる存在についてだった。
レイが複数使った魔法を破った。……これはいい。
レイとしてはあまり面白くないことだが、大いなる存在と呼ばれるような相手である以上、そのくらいのことは出来てもおかしくないと、そう思えたのだから。
しかし、この場合問題なのはレイの魔法を破った時、その破った際に出た熱を完全に大いなる存在にコントロールされたということだろう。
もし大いなる存在が単純にレイの魔法を……その一番外側にあった赤いドームを破壊したのなら、その内部にあった熱はこの地下空間一帯に広がり、それによってドラゴンローブを着ているレイであっても大きな被害を受けた可能性がある。
かなり離れた場所にいるエレーナ達も、死ぬまではいかないかもしれないが、無傷ということはなかっただろう。
そのようなことにならなかったのは、レイにとって幸運だ。
それは間違いないが、それを行ったのが大いなる存在となれば、話は違ってくる。
「意図的か、無意識か……その辺はどうなのか分からないが、とにかくどうにかしないといけないのは間違いないだろうな」
天井に開けた穴に向かって浮かび上がる巨大な黒い塊を見て、光の盾を一旦消しながらレイはそう呟くのだった。