3447話
ドクン、ドクン、ドクン、と。
祭壇の上に存在する巨大な黒い塊からそんな音が聞こえてくる。
ただしそれは普通の音ではなく、空間そのものが脈動しているかのような音だ。
「……この音、何だと思う?」
明らかな異常事態だけに、何が起きてもすぐ対処出来るように準備をしながら、レイが側にいるヴィヘラに尋ねる。
ヴィヘラは空中に浮かぶ巨大な黒い塊を見て、口を開く。
「大いなる存在でしょうね。儀式を中断させたけど、それは遅かった……もしくは中途半端な状態で呼び出されたんじゃない?」
「妖精の心臓も入手は出来なかったしな」
レイは今頃祭壇に続く階段の下にいる者達に協力している、あるいは隠れているだろうニールセンの顔を思い浮かべながら、そう言う。
穢れの関係者達が必死になって求めていた妖精の心臓。
それをこの儀式で使うというのは、フォルシウスから聞いて知っている。
だが、結局ニールセンの心臓も含めて穢れの関係者達は妖精の心臓を手に入れることは出来なかった。
その結果として、妖精の心臓の代替品として多くの者が生け贄になったことはレイも十分に予想出来る。
代替品を使うという中途半端な状態で儀式を行い、その儀式もレイとヴィヘラによって儀式を行っていた者達は全員が殺された。
トラブルにトラブルが重なった状態で儀式を行ったのだ。
ヴィヘラが言うように、中途半端な状態で呼び出された……どこかから召喚されたのだと言われても、レイは十分に納得出来た。
「そうなると、今のうち……この音というか脈動があってもまだ動き出さない今のうちにどうにかした方がいいな。ヴィヘラには悪いと思うけど」
レイの言葉に、ヴィヘラは難しい表情を浮かべ……見て分かる程に懊悩した後で、頷く。
「そうした方がいいわね」
ヴィヘラの個人的な感情では、大いなる存在と戦ってみたいと強く思う。
思うのだが、だからといって、自分の欲望だけで大いなる存在が完全な――妖精の心臓の件を考えると必ずしもそうとは言えないが――状態で召喚されるのを待つというのは受け入れることが出来なかった。
これが例えば、強力な敵であっても大いなる存在のような、世界の崩壊といった大袈裟な出来事ではなく、せめてこの辺り一帯を消滅させる程度なら、もしかしたら我慢出来なかったかもしれないが。
「なら、最大火力でいく。念の為、ヴィヘラは祭壇から下りてくれ。恐らくこの祭壇にもかなりの被害が出ると思う」
「……分かったわ。気を付けてね」
ドクン、と。
定期的に脈動が続く中で、レイの言葉にヴィヘラはそう言ってレイの前から走り去る。
レイにとって、これは少し意外だった。
ヴィヘラの性格を思えば、それこそ自分もここに残りたいと言ってもおかしくはなかったのだから。
だが、そのヴィヘラがこうもあっさりとレイの指示に従い、祭壇を下りていったのだ。
そのことに疑問を抱くのは当然だった。
とはいえ、今はそんな疑問よりも大いなる存在をどうにかする方が先だ。
そう判断し、レイはヴィヘラの後ろ姿を見てある程度離れたところで呪文を唱え始める。
『炎よ、全てを受け止め、燃やしつくす壁となって生まれよ。我を追う全ての者に、灼熱の轟火による洗礼を与えよ』
呪文を唱え始めると同時に、デスサイズを中心に複雑で精緻な魔法陣が空中に描かれていく。
その魔法陣は巨大で、空中に浮かぶ大いなる存在の下にまで届く。
だが、大いなる存在は変わらず脈動を続けるだけで、魔法陣が自分の下に存在しても特に何か気にする様子はなく、魔法が発動する。
『灼熱へと導く壁』
魔法が発動すると同時に、魔法陣はその効果を発揮する。
燃え盛る灼熱の炎の壁が、大いなる存在を四方に囲むように生み出される。
上下四方を灼熱の壁に包まれたその内部は、かなりの高熱だろう。
ましてや今の魔法にはレイの魔力を普段以上に注ぎ込んでいる。
それこそ普通の魔法使い数千人規模の魔力が込められているのだ。
レイにしてみればもっと魔力が多くてもいいと思ったのだが、魔法の構成的に注ぎ込める魔力の限界が決まっている。
これ以上魔力を込めた場合、魔法の構成が限界を迎えて崩壊し、魔法が失敗に終わると理解出来たので、この程度――とはとても言えない魔力量だが――の魔力しか投入出来なかった。
「それに……まだ終わりじゃない。これはまだ最初の一発目だしな」
先程のヴィヘラに負けない獰猛な笑みを浮かべつつ、レイは再びデスサイズを手に呪文を唱え始める。
『炎よ、炎。汝はどこまでも広がり、触れる全てを燃やしつくす者なり。広大な炎により、地平線の彼方まで、その全てを炎で包み込め』
呪文を唱えつつ、デスサイズの石突きを先程の魔法同様に地面に突き刺し……
『蹂躙する炎』
魔法が発動する。
デスサイズの石突きが突き刺した場所から猛烈な炎が生み出され、祭壇の床を炎の波となって進む。
普段ならそこまで炎の波は高くないのだが、今回はレイの魔力が大量に注ぎ込まれた影響により、炎の波の高さは先程使った魔法で前後左右上下を灼熱の壁に封じられた大いなる存在のいる高さにまで届いている。
その上で、本来ならレイの前方全てに炎の波が進むのだが、レイが魔法の構成に変化を加え、大いなる存在だけに向かうようにする。
そうして二つの魔法が合流したところで炎の波は動きを止め、そこに存在する。
それを見ながら、レイは再び呪文を唱え始める。
『炎よ、我が魔力を喰らってその姿を露わにせよ。巨大となれ、大きくなれ、成長せよ。喰らえ、喰らえ、喰らえ。汝は炎の破壊という一面を示し、破滅の星となれ』
呪文と共に生み出された炎は、レイの魔力を貪欲に食らい、巨大な火球となる。
その大きさは一m、三m、五m、十m、二十m、五十m……とレイの魔力を貪るかのように巨大になっていく。
巨大な炎の塊は太陽と見間違う程に……いや、太陽以上の輝きを放ち始め……
『破滅の星』
呪文を唱え終わると同時に、巨大な炎は灼熱の壁に包まれた大いなる存在に向かって落下していく。
それと同時に、レイは次の魔法を唱える。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
いつもより素早く口にされた呪文によって、祭壇の上にデスサイズの石突きを突く。
赤いラインが祭壇の上を通り、文字通りの意味で灼熱地獄となっている場所を囲む。
そして火精が無数に生み出されていく。
赤いドームの中は、それこそ一歩でも踏み込めば一瞬にして燃やしつくされる程の熱が閉じ込められているが、火精だけあって特に苦しがる様子もなく数を増やしていき……
『火精乱舞』
そうして魔法が発動すると同時に、火精が爆発する。
その爆発は、本来ならそこまで大きな爆発ではない。
だがこれまでの魔法と同じように、普段より圧倒的な……普通の魔法使い数千人分の魔力が込められており、火精の爆発は一匹の爆発が数人を殺せるだけの破壊力を秘めていた。
そんな魔力が無数の火精の爆発によって連鎖爆発していくのだ。
その威力がどれ程のものなのかは、考えるまでもないだろう。
「さすがに……疲れた」
大きく息を吐きながら、汗を拭う。
本来であればドラゴンローブは簡易エアコン機能によって、着ている者を快適な状態にする。
だが、レイが連続して放った魔法……特に太陽の如き炎を相手にぶつけた魔法は、赤いドームを生み出すまでは周囲に猛烈な熱を放っていた。
数百年を生きたドラゴンの革を使ったローブなので、そのような状況でもレイは汗を掻く程度ですんでいるが、もしヴィヘラが祭壇の上にいたままであれば、死んでいた可能性が高い。
そういう意味でもレイがヴィヘラに祭壇から退去するように言ったのは、間違いではなかったのだろう。
「暑いな」
そう呟くレイだったが、この状況で暑いですんでいる時点でおかしい。
とはいえ、それでもレイはこの場から退避するつもりはなかったが。
デスサイズを手に、いつでも追加の魔法を放てるように準備をしながら、巨大な赤いドームを見る。
空中に浮かぶ巨大な黒い塊は、灼熱の炎の壁によって上下左右前後を囲まれている。
そんな灼熱の壁を赤いドームで覆っているのだから、火精の爆発によって満ちている赤いドームが巨大になるのも当然の話だった。
そんな赤いドームを、汗を掻きながら見ているレイだったが……そんなレイとは裏腹に、祭壇の下はとんでもないことになっている。
「距離を取れ! 祭壇から少しでも距離を取れ! レイの魔法に巻き込まれるぞ!」
グライナーが叫ぶ。
既に祭壇周辺の、そしてこの地下室での戦いはほぼ勝負が決まっている。
当然ながら、穢れの関係者の敗北として。
特に祭壇の周辺にいた者達は、死ぬか気絶するかをして地面に倒れている。
そんな中でこれからどうするのか迷っていたエレーナ達だったが……そこにヴィヘラが姿を現し、祭壇から離れるように言う。
そのヴィヘラの言葉に一体何を言っているのかと突っ込む者はいない。
レイからの指示である以上、それを聞かないという選択肢を選ぶ者はここにはいなかった
だが……その言葉通り祭壇からそれなりに離れたのだが、それでもまだ考えが甘かったというのを、身を以て味わうことになる。
祭壇の方から放たれた膨大な熱。
それなりに離れていた者達であってもその熱に耐えることは出来ず、グライナーが咄嗟に指示したように少しでも祭壇から離れる。
そうして金属の扉の近くまで戻ると、それでようやく何とか耐えられる熱さとなった
金属の門の側にいるエレーナ達ですらそうなのだから、祭壇の下に倒れていた者のうち、死んだのではなく気絶した者は恐らく生きてはいないだろう。
燃えているのか、干からびているのか、脱水症状で死んでるのか……その辺はこの場にいる誰も分からなかったが。
「凄い凄いとは思ってたけど……本当に凄いな、レイの奴」
今は冬だと思えない暑さに、汗を拭いながらレリューが言う。
そこには感嘆や恐怖、憧れ……色々な感情が複雑に絡み合っていた。
レリューは以前レイと共にダンジョンに挑んだことがある。
その時の経験から、あるいはギルムで活動してる時に聞こえてくる噂から、レイが強いというのは十分に知っていた。
知っていたのだが、現在この場で起きているのはそんなレリューの予想を大きく上回る……それこそ一体どれだけの強さを持っているのか理解出来ない、レイの圧倒的な実力だった。
レリューも疾風の異名を持ち、多くの冒険者から憧れの視線を……もしくは嫉妬の視線を向けられる立場だ。
しかし、そんなレリューから見てもレイの力は圧倒的だった。
凄い、としか言いようがないくらいに。
また、そのように思っているのはレリューだけではない。
グライナーやガーシュタイナー、オクタビアといったレイについてあまり親しくない者達にとっても、今のレイの攻撃……祭壇からの圧倒的なまでの熱はその力を実感させられる。
「一応聞いておくが、この熱がレイではなく大いなる存在とやらの攻撃である可能性は?」
ガーシュタイナーのその問いに、エレーナを含めてレイの力をよく知っている者達は揃って首を横に振る。
「私はレイの力をよく知っている。この熱気がレイ以外のものである可能性はない」
「エレーナの言う通りね。それに……穢れは大いなる存在の御使いなのでしょう? つまり、穢れの上位互換と考えても間違いはないわ。だとすれば、大いなる存在の能力も、触れただけで黒い塵として吸収するという穢れの上位互換と考えた方がいいわ。炎や熱といったような攻撃は、穢れの上位互換としてはちょっと考えられないと思うけど、どう?」
エレーナの言葉に同意して尋ねるマリーナ。
その問いに、レイのことを詳しく知らないレリュー達は揃って疑問の表情を浮かべる。
大いなる存在と呼ばれているだけに、何らかの……それこそ、レイが使うのと同じような炎の攻撃が出来てもおかしくないと思う反面、マリーナの言うような可能性が十分にあってもおかしくはないのだから。
「レイは私がいると危険だから祭壇から下りるように言ったわ。そう考えると、やっぱりこの熱はレイの仕業と考えるのはそう間違っていないように思えるけど」
ヴィヘラがそう付け加えると、その言葉に反対するような者はおらず……やがて一人、また一人と祭壇の方に視線を向ける。
そこで、恐らく……いや、間違いなく戦っているのだろうレイのことを考えて。