3444話
普通の人にとっては結構な長さのある階段を、レイは全く息も切らさずに駆け上がる。
レイの持つ身体能力を考えれば、この程度の階段は特に何の問題もなかったのだろう。
そうして祭壇の上に到着したレイは、その場で一旦足を止め、ミスティリングの中から岩の塊を複数取り出し、そのまま階段から落とす。
この岩は、穢れの関係者の本拠地に続く階段を隠してた崖が崩れた際に出来た物だ。
何かに使えるだろうと……それこそ、セトに乗って空からこの岩を落とすだけで立派な兵器になるのは間違いなく、そういうのに使えるかもしれないと思って持ってきた岩だったが、想定した使い方とは違うものの、それでも今のこの状況に相応しいのは間違いない。
レイを追ってきた者達……穢れの関係者の中でも二十人程がいるという腕の立つ者達。
レイがここまで来るまでの間に既に結構な人数を倒し、その生き残りがレイを追って階段を駆け上がってきたのだが、そのような追っ手に向かって岩を投擲したのだ。
……正確には投擲ではなく、階段に向けて岩を落としたのだが。
階段にぶつかった岩は、そのまま勢いよく下に向かって落ちていく。
レイが落とした岩は一つや二つではない。
次々と、十個近く落とした。
最初に岩を見た者は一体何が起きているのか理解出来ず、結果として岩と共に階段を落ちていく。
その後ろにいた者達は自分に向かって落ちてくる岩の姿に気が付き、そして先頭にいた者が岩にぶつかったのを見て、反射的に横に跳ぶ。
祭壇の下の部分は、階段で繋がれている。
しかし階段のない場所はかなり急角度ながらも坂道となっていた。
階段のような物もないが、それでも落下している岩を回避することは出来る。
そうして岩を回避することに成功した者達もいたが……急角度の坂である以上、下まで滑り落ちていく。
それでも岩に潰されるよりはそちらの方がいいと判断しての行動だった。
「さて」
取りあえず追ってくる者達の足止めに成功したと判断し、レイは祭壇を見回す。
金属の門の内側はかなり広大な空間となっていたものの、この祭壇はその広さの二割から三割は占めている。
それだけの広さの場所だったが、それでもこの場所で大いなる存在を呼び出そうとしているのはすぐに分かった。
何故なら、祭壇の中心部分に黒い何かが存在していたのだから。
黒い何かというだけなら、それこそ穢れを思い浮かべてもおかしくはない。
だが、穢れと全く違うところもある。
具体的には、その存在感だ。
大いなる存在と呼ばれてるだけに、穢れから受けるのとは全く違う強烈なまでの存在感がある。
また、穢れは見た時に本能的な嫌悪感を抱くのだが、黒い存在……大いなる存在と呼ばれているだろう存在からは、穢れのような本能的な嫌悪感はなかった。
(穢れの上位存在という話だったし、それを考えれば大いなる存在にも本能的な嫌悪感があってもおかしくないと思うんだが。……一体どうなっている? いや、別に俺がその件についてまで考える必要はないのか。もしくは単純に、まだ完全に大いなる存在がここに呼び出されてない、つまり完全体ではないから嫌悪感がないのかもしれないし)
そんな風に思いながら、どうしても目を惹き付けられてしまう大いなる存在を意図的に無視し、他の場所を見る。
レイが探してるのは、大いなる存在ではない。
いや、それも間違ってはいないが、より正確には大いなる存在をこの世界に呼び出そうとしている者達なのだ。
まだ大いなる存在が完全に呼び出された訳ではない以上、儀式を行っている者を何とかしたい。
上手くいけば、大いなる存在が元いた場所に戻るかもしれないのだから。
(というか、大いなる存在とやらはどこからやって来るんだ? 穢れの上位存在ってことは、もしかして穢れと同じ場所……なのか? 異世界とか?)
その辺はレイにも分からないが、自分の考えに疑問を抱く。
レイが穢れについて知ってるのは、妖精郷で長から聞いた悪い魔力というものだけだ。
その表現から、てっきりこの世界に存在している魔力が何らかの要素で穢れになっていたのではないかと、そう思っていたのだ。
だが、大いなる存在が異世界から呼び出される……召喚されるとなると、それはつまり穢れも異世界の存在ということになる。
レイも異世界の存在そのものは疑っていない。
そもそも日本からこの世界にやって来たのはレイだし、ケンタウロスやドラゴニアスといった種族のいる異世界に行った事もあるし、ゾゾのようなリザードマンや緑人達が存在していた世界や、トレントの森のすぐ側に転移してきた湖の存在もある。
レイがエルジィンにきてから、まだ十年も経っていない。
なのに、これだけ異世界と思しき存在に関わっているのだ。
そうである以上、異世界の存在を疑う方が愚かだろう。
……もっとも、レイも自分がそこまで異世界に関わったのは、ある意味自分がトラブル誘引体質とでも呼ぶべき存在だからだと思っているのだが。
実際、レイ以外の者でたった数年でここまで異世界の存在に関わったことがある者がいるかと言われれば、レイは首を横に振るだろう。
「ともあれ……まずは、あの連中だな」
祭壇の何ヶ所かに、数人ずつの人が集まっている。
この状況で祭壇にいるのだ。
大いなる存在を呼び出す為の儀式をしている者にちがいはない。
(殺すか)
即座にそう判断し、レイは走り出す。
大いなる存在を呼び出そうとしている状況で、それを行っている者を殺す。
そのようなことをすれば、もしかしたら予測不可能な出来事が起こる可能性は十分にあった。
具体的には、それこそすぐにでも大いなる存在が完全に姿を現す……といったように。
とはいえ、大いなる存在を完全な状態で呼び出すよりは、少しでも相手を不完全な状態にした方がいい。
そう判断しての行動。
それ以外にも、階段の方から声が聞こえてきているというのも大きい。
岩を使って追撃してきた者達の妨害をしたのだが、それも一過性でしかない。
その岩が階段の下まで落ちてしまえば、継続的に岩を落としている訳ではないのだから、また追っ手が来るのはおかしな話ではない。
(うん? こっちに気が付かない……なるほど、一種のトランス状態とか、そんな感じか)
レイが近付いているにも関わらず、大いなる存在を呼び出そうとしている者達が何の反応もない。
それはレイにとって決して悪いことではなかった。
敵が逃げたりする心配がないので、そのまま殺すことが出来るというのが大きい。
……ただし、そのレイを見て逃げ出さないということは、追う必要がないと同時に、レイが近付いても実際に攻撃するまでは儀式を中断することがないということを意味してもいたのだが。
(儀式をやってるのは、老人? ああ、長老達がいるって話だったが、それか?)
何の意味もなく長老という立場にいるのではなく、大いなる存在を呼び出す為の儀式を行えるからこそ、長老と呼ばれているのではないか。
ふとそんなことを考えるレイだったが、今はとにかく敵を……大いなる存在を呼び出そうとしている相手を殺すのを優先する必要があった。
瞬く間に近付いてくる儀式を行っている者達。
両手を祭壇の中央に存在する巨大な黒い塊……大いなる存在と思しき相手に向かって両手を上げている者達との間合いが縮まり……
「死ね」
斬、と。
レイの口から出た冷酷なまでの一言。
その言葉に儀式を行っている者達が微かに反応したものの、それが具体的な反応になる前に儀式を行っていた長老と思しき男は胴体を真っ二つに切断される。
周囲には血や内臓、肉片といったものが撒き散らかされるが、レイはそれを全く気にせず、次の獲物を目指して進む。
祭壇を走りながら、レイは空中に浮かぶ巨大な黒い存在に視線を向ける。
先程と違って特に何かが変わったとは思えない。
儀式を行っている者を殺したのだから、何らかの影響があってもおかしくはないと思ったのだが。
(まだ殺したのは一人だけだからか? もしくは、何か影響が出るまで時間が掛かるタイプなのか)
その辺はレイにも分からなかったが、とにかく儀式を行った者を殺したのは間違いない。
それは自分にとって決して悪い結果にならないのは間違いない。
そう思いつつ、レイは次の標的を狙う。
それなりに離れた場所に儀式を行っている者がいるのを見つけると、そちらに向かって走る。
レイの速度だけに、次の標的もすぐに攻撃可能範囲に入る。
そして再びデスサイズが振るわれ、また一人儀式を行っていた者が死ぬ。
三人目……そう思ったレイだったが、足を止めたところでレイの眉が顰められた。
階段から数人が姿を現したのを見たからだ。
一度岩によって階段から落としたものの、それでもまたすぐに上ってきたのだろう。
護衛として祭壇の下にいる者にしてみれば、レイが祭壇に向かったのだからそれを追わないという選択肢はなかったらしい。
そうして追ってきた相手を見たレイは、左手に握った黄昏の槍を投擲する。
放たれた黄昏の槍は、真っ直ぐに飛び……レイが狙った相手の胴体を貫く。
儀式を行っていた者が倒れ込むのを見ながら、黄昏の槍を手元に戻し……護衛達との距離がまだあるのを確認すると、再度黄昏の槍を投擲する。
飛んでいく黄昏の槍が、また一人儀式を行っていた者を殺す。
黄昏の槍を手元に戻すと、ちょうどそのタイミングでレイを追ってきた者達が近付いてきた。
「飛斬っ!」
戻ってきた黄昏の槍を左手で握りつつ、右手に持つデスサイズで飛ぶ斬撃を放つ。
真っ直ぐに飛ぶ斬撃は、しかしさすがレイを追ってきた腕利きと言うべきか、素早く回避される。
横薙ぎに振るわれた斬撃は、横に広い攻撃範囲を持っている。
そういう意味では左右どちらかに回避した場合はそう簡単に回避することは出来ない。
だが、横に広い攻撃範囲であるということは、上下に回避すればいいだけだ。
……もっとも、それが分かっているからといって、本当にその通りに出来るかと言われれば、微妙なところだろう。
レイの放つ飛斬の威力を知っていれば、あるいは知らずとも、その迫力から普通なら出来る行動が何故か出来ないということは珍しい話ではない。
しかし、祭壇に現れた者達……五人の男女は、全員が飛斬を見て即座にしゃがむなり、跳躍するなりして攻撃を回避する。
(五人か。そうなると、十五人をもう倒したのか? それとも、後からまだ数人が来るのか。ともあれ、厄介な存在なのは間違いないが……)
素早く頭の中で考えながらも、レイの身体は止まらない。
飛斬の一撃をしゃがんで回避した三人は、レイが攻撃しても即座に対応出来るだろう。
だが、跳躍した二人は……スレイプニルの靴のように空中を移動する手段がなければ、そこまで大きくは動けない。
そんな二人のうちの片方を狙い、レイは左手の黄昏の槍を投擲する。
飛んだ二人のうちの片方……レイから見て左にいる男は、自分に向かって飛んでくる黄昏の槍を見て顔を引き攣らせる。
反射的な動きなのだろうが、何とか身体を動かして回避しようとするものの、次の瞬間には男の頭部は黄昏の槍によって砕かれ、周囲に砕けた頭蓋骨や脳の破片、眼球や歯が撒き散らかされる。
頭部を砕かれた男のすぐ横を飛んでいた女は、そんな諸々が自分の顔や身体に付着したことに……そして何より、自分が助かったのは偶然以外のなにものでもないことに気が付き、頬を引き攣らせる。
自分が助かったのは、レイが自分ではなくもう一人の跳躍した相手を狙ったという理由でしかない。
そうである以上、ここで自分が死んでいた可能性は十分にあったのだ。
自分が生き残ることが出来たのは、純粋に運……もしくはレイの気紛れ以外でしかない。
そのことに気が付き、顔や身体に張り付いた同僚の身体の一部についても気にすることが出来なくなり……そして次の瞬間、その女も頭部を砕かれて死ぬ。
何が起こったのか、女は全く理解出来ないまま、意識の外で死んだのはある意味で幸運だったのだろう。
「これで残り三人」
再度手元に戻した黄昏の槍を握り、レイはそう呟く。
黄昏の槍が最初の男の頭部を貫いたのを確認した瞬間、レイは即座に手元に戻していた。
そしてまだ空中にいた女に向かって、即座に投擲したのだ。
二度目の投擲に、女は全く気が付いた様子もなく、もう一人の男と同様に頭部を砕かれて死んだ。
二人が跳躍していた時間は、それこそ三秒……いや、二秒あったかどうか。
その短い時間に黄昏の槍を二度投擲するというのが、一体どれだけの絶技なのかは考えるまでもないだろう。
そんな絶技を見せたレイは、デスサイズと黄昏の槍を手に残り三人に視線を向けるのだった。