3434話
空間の歪みの周辺に現れたのは、先程のレイの多連斬と氷雪斬によって身体を切断され、内臓を床に零れ落として倒れている二人と、右腕を深く斬り裂かれているが、まだ戦闘が可能な一人、そして無傷の二人の合計五人だった。
右腕に大きな傷を負った一人はその傷にポーションを掛けながらも、レイを睨む目は外さない。
ポーションはそれなりに効果の高い物なのだろう。
骨が見えるくらいに斬り裂かれていた右腕の傷が、瞬く間に癒やされる。
……もっとも、回復したからといって右腕が今すぐ怪我をする前と同じように使えるかと言われれば、それは微妙なところだったが。
あの傷を瞬く間に治療したというだけでもかなりの効果を持つポーションなのだ。
あくまでも誰にも知られない組織として活動してきた穢れの関係者達が、そう簡単に男が今使ったポーションよりも効果の高い……それこそ傷口を塞いだだけではなく、すぐにでも怪我をする前のように右腕を使えるようになるポーションを入手するのは難しいだろう。
それだけに、取りあえず男の戦力としての価値は半減したと思ってもいい。
そうなると、残るのは二人。
(大勢で同時に魔法を使うとかいうのは聞いたことがあるな。儀式魔法だったか。かなり難易度が高いって話だったが。いや、多分マジックアイテムか?)
姿を現した無傷の二人の内、片方が手に乗る程度の金属で出来た箱を持っているのを見て、レイはそう判断した。
マジックアイテムの中には、一般生活で使うような火を点けるマジックアイテムや明かりを灯すマジックアイテムもある。
その手の日常生活に使えるマジックアイテムなら基本的に誰でも使うことが出来るが、中には必要な魔力が多すぎて一般人ではとてもではないが使えないマジックアイテムもある。
例えばレイの持つマジックアイテムの中では、ネブラの瞳がそれだろう。
本来なら魔力によって矢を生み出すというマジックアイテムだったのだが、レイが無理を言って鏃を魔力で生み出すという物に改造してもらった。
だが、そのような無理な改造によって、ネブラの瞳は常人では……いや、少し魔力が多い程度の者では到底使いこなせなくなってしまう。
幸いなことにレイは膨大な魔力を持っているので、その程度の消費魔力の違いは僅かな差異でしかない。
だからこそ、レイはネブラの瞳を普通に使っているものの、それはあくまでも特殊な例だ。
もしそのような膨大な魔力を使うマジックアイテムの場合、それこそ最初から一人で動かすのではなく複数で動かすのを前提として作ればいい。
勿論そのようなことが簡単に出来る筈もなく、相応のコストが必要となるだろうが……
「そのマジックアイテムを渡せば、苦しませずに殺してやる」
「……いいだろう」
そう言い、男……声で先程までレイと話していた相手だと判断出来たが、その男は持っていた金属の箱をレイに投げ渡す。
「え?」
まさかこうも簡単にマジックアイテムを渡すとは思っていなかったレイだけに、そんな男の行動に意表を突かれた声を上げたのだが……男が何故こうも簡単にマジックアイテムを渡したのかは、それを受け取った瞬間に理解する。
その金属の箱は、綺麗に裂け目が入っていたのだ。
それが何故このようなことになったのかは、考えるまでもない。
レイが放った多連斬、あるいは氷雪斬による一撃を、あの男はこのマジックアイテムによって防いだのだろう。
何らかの方法……それこそ恐らくこの金属の箱の効果なのかもしれないが、空間の歪みは攻撃を無効化していた。
それが何故多連斬や氷雪斬で破れたのかは、正直なところレイも分からない。
それでも重要なのは、レイの一撃によって相手をこの場所に引きずり出したということだろう。
「これはありがたく貰っておくが、俺の指示通りに素直に渡したということは、抵抗せずに死ぬつもりになったのか?」
「そのようなつもりはない。ただ、壊れたマジックアイテムがあっても邪魔になるだけだから、欲しい相手にやったまでだ」
「そうか。なら、ありがたく貰っておくよ」
そう言いつつ、レイは金属の箱をミスティリングに収納する。
レイの攻撃によって壊れたのは間違いないが、それでも直せないと決まった訳ではない。
幸い……という表現はこの場合正しくないのかもしれないが、マジックアイテムの傷はデスサイズによる斬り傷だけだ。
そうである以上、錬金術師やマジックアイテムを売ってる店に持ち込めば直る可能性は十分にあった。
……直らなければ直らないで、レイとしては残念だがそれも仕方がないと諦めることが出来る。
「なら、俺達と戦うのか?」
「そのつもりだよ。……本拠地に乗り込んできたんだ。そちらもそのつもりだろう?」
覚悟を決めた表情でそう言ってくる男。
まだ動ける他の二人は、そんな男の左右でいつ戦いが始まってもいいようにそれぞれ穢れを生み出す。
そんな穢れに生理的な嫌悪感を抱きつつ、それでも慣れてきた為か特に表情には出さずにレイは口を開く。
「ちなみにお前達の中に中立派がいたら、降伏したら殺さない」
「……何? 何故それを?」
レイの言葉に、男はピクリと反応して尋ねる。
男にしてみれば、自分達の組織について余程深い場所まで知らなければ、今のレイのような言葉は出ないだろうと、そう思ったのだ。
実際、レイもフォルシウスから聞いていなければ、そんなことは知らずに皆殺しにするという選択をしていただろう。
「フォルシウス……知ってるな?」
その言葉だけで、何故自分達の事情について知ってるのかを理解したのだろう。
男は大きく息を吐く。
「そうか。……中立派というのなら、私がそうだ」
「なら、降伏するか? 降伏するのなら、多少の枷はあるだろうが死なずにすむぞ」
「断る」
考える様子もなく、即座にレイの言葉を否定する男。
レイもまさかこうもあっさりと話を断ってくるとは思わなかったので、数秒唖然とする。
「本気か? この状況で俺達に勝てるとは思っていないだろう?」
「勝てないと誰が決めた?」
「お前達は中立派なのだろう? なら、別にここで降伏しても構わないと思うが」
「……何か勘違いをしているようだな。私は中立派ではあるが、だからといって組織を裏切るようなことをするつもりはない。レイ達がどのようなことを考えているのかは分からないが、私達がそちらの思い通りになるとは思わないことだ」
そう告げる男の様子からは、レイ達に降伏するつもりは一切ないように思える。
そうなるとこれ以上ここで話をしていても意味はない。
「そうか。なら、ここでお前達を倒す……いや、殺させて貰うが、それで構わないな?」
「そちらがそのようなつもりなら、それはそれで構わない。だが、こちらがそちらの思うようになると思わないで欲しい」
そう言うと、男も左右の二人と同じく穢れを呼び出す。
ただし、その数は二十を超える。
……また、左右にいた二人もそれぞれ十匹以上の穢れを呼び出していた。
合計で四十匹以上の穢れ。
それだけの数の穢れがいる為か、通路のかなりの部分が穢れによって覆い尽くされていた。
「多いな」
そう言いつつ、レイは先程投擲した黄昏の槍を手元に戻す。
「けど、このままここでやられる訳にはいかないでしょう?」
ヴィヘラが拳を握り締め、いつでも浸魔掌で穢れを攻撃出来るようにしながら言う。
そんなヴィヘラの隣には、穢れに対する特効を持つ魔剣を手に、レリューが並ぶ。
即座に穢れを倒すことが出来る手段を持つ二人だけに、それを操っている者達よりも穢れを優先して倒した方がいいと判断したのだろう。
「そっちは任せる。ヴィヘラとレリュー以外は、全員で敵を攻撃だ。……俺が最初にブルーメタルを使うから、見逃すな……よ!」
その言葉の途中で、レイ達に向かって穢れが一斉に襲い掛かる。
敵にしてみれば、レイ達が自分達を倒す相談をしているのをそのまま黙って見逃す必要はないという、当然の考えからの行動だった。
それを見た瞬間、レイはミスティリングからブルーメタルを取り出し、両手が塞がっている為に空中に出て来て落ちてきたそれを蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされたブルーメタルの鋼線……正確には鋼線の塊が空中を飛ぶ。
するとブルーメタルの向かう先に存在した穢れが、見えない何かに押し出されるようにして弾き飛ばされていく。
そうしてブルーメタルの投擲された場所には穢れがいなくなる。
「なっ!?」
そんな穢れ達の様子を理解したのだろう。
穢れの向こう側……ブルーメタルによって空いた空間の先にいる男が驚愕の声を上げるのが見えた。
その男だけではなく、両脇にいる男の口からも驚愕の声が上がっているのがレイの耳には聞こえてくる。
(どうやらブルーメタルについては、まだ何の情報も持っていなかったらしいな)
ブルーメタルによって空いた空間を走りつつ、レイは笑みを浮かべた。
ブルーメタルはトレントの森で普通に使われているのだが、それについての情報もないらしいと。
それはつまり、穢れの関係者達がトレントの森の情報を入手するのは不可能……いや、ボブを見つけてから穢れが集中し始めたことを考えると、全く何の情報も入手出来ない訳ではないのだろうが、とにかくブルーメタルについては何も知らなかったのは間違いない。
あるいは中立派ということもあり、穏健派程ではないにしろ強硬派から煙たがられており、必要な情報を貰っていなかったという可能性もある。
だからこそ、五人だけでレイ達の足止め……そして出来れば戦力を減らすといったことをするように命令された可能性もあった。
(向こうがどういうつもりでここにいるのかは、分からない。分からないが、向こうがそういう行動をするのなら、俺もそれに対応すればいいだけだ。……フォルシウスには悪いが)
向こうが降伏をする様子を見せない以上、レイはそれ以上の譲歩をするつもりはなかった。
「はぁっ!」
ブルーメタルによって空いた空間。
そこを真っ直ぐに走り、それこそ一瞬で相手との間合いを詰めたレイはデスサイズを振るう。
「ガリウス様!」
レイの振るう一撃が狙ったのは、三人の中でも真ん中にいた人物……先程までレイと話をしていた男。
だが、そんなレイの狙いを悟ったかのように、ガリウスと呼ばれた男の隣にいた男……レイの攻撃によって右腕に重傷を負い、ポーションを使って回復した男が反射的に動く。
穢れのコントロールを放棄し、隣に立つガリウスを思い切り押したのだ。
その勢いはかなり強く……
「ぐ……が……」
本来ならガリウスを斬り裂くデスサイズの攻撃範囲から完全にガリウスを移動させる。
代わりに、その男がデスサイズの攻撃範囲に入ることになったが。
そしてデスサイズの攻撃範囲内に入った以上、その一撃を回避することは出来ない。
あるいは腕利きであればどうにか対処出来たかもしれないが、その男には無理だった。
胴体を深く斬り裂かれ……それこそ背中の皮一枚で繋がっている状況になったその男は、そのまま内臓が床に零れ落ちるのと同時に地面に崩れ落ち、その衝撃によって腰の皮が千切れて上半身下半身の二つに分かれる。
「な……貴様ぁっ!」
咄嗟に吹き飛ばされつつ、それでも転ぶことなく体勢を立て直したガリウスが見たのは、自分に忠実な部下が真っ二つに切断された死体。
そんな死体を見たガリウスは数秒にも満たない時間、唖然としたものの……それでもすぐにそれを行ったのが誰なのかを把握し、レイに向かって穢れを放つ。
「効くと思ったのか?」
そんなガリウスの行動を読んでいたのか、それとも戦いの流れに乗った形でそうしたのか。
ともあれレイは左手に持つ黄昏の槍の石突きで、床に落ちていたブルーメタルの鋼線の塊に引っ掛け、手首を動かすことでその鋼線の塊を空中に向かって放り投げる。
その瞬間、穢れは即座にレイの前から離れた。
正確には放り投げられたブルーメタルを自分から回避したというのが正しい。
「従え!」
力のある声。
その声がガリウスの口から出された瞬間、穢れはブルーメタルのすぐ後ろを追っているレイに向かって移動を開始した。
「なっ!?」
レイの口から出たのは、その一言だけ。
ガリウスの行動……より正確には、ブルーメタルに近づけない筈の穢れを無理矢理従わせるというその行動に、レイの口からは驚きの声が漏れたのだ。
今まで穢れがブルーメタルに近付くことは出来なかった。
だというのに、ガリウスはその原則を無視したかのように行動したのだ。
先程の声を聞けばそれによって穢れが行動を変えたのだと理解しつつ、レイは自分の頭部目掛けて飛んで来る穢れを地面にしゃがみつつ、地を這うようにして跳ぶことで回避するのだった。