3415話
崩れるというレイの言葉を聞いた面々は、周囲の警戒を決して解かないようにしながらも、揺れている崖に視線を向ける。
すると、そこでは今までと同様に石や岩が大量に落下していた。
だがそれは、あくまでも今までと同様にだ。
本当に崩れるのか? といったように思う者も何人かいたが……
「あ」
一体その声は誰が上げたのか。
あるいは声を上げた者も、自分がそのような声を発したということに気が付いていない可能性があった。
何故なら、見ている者達の視線の先にある光景が数秒前までとは全く違うものとなっていたからだ。
崖の一部から岩や石が崩れるのではなく、それこそ崖そのものが崩れる……そんな崩れ方。
今までは揺れに耐えていた崖だったが、地形操作のスキルによって耐えられる限界を超えたのだろうことは明らかだった。
そうして限界点を超えると、一気に上から崖が崩れていく。
デスサイズを握って地形操作を使いながら、それを見ていたレイは、ようやく穢れの関係者によって強化された崖を破壊出来たということに安堵しつつ、崩れていく崖の光景を見て、日本にいた時にTVで見た、建物が爆破される映像を思い出す。
日本では建物を爆破するといったことが行われることは非常に少ないが、アメリカでは爆破による建物の破壊というのはそれなりにポピュラーな解体方法だ。
ニュースか何か、あるいは何らかの特番で見たのかはレイにも思い出せなかったものの、それでも爆破の光景はかなり強く印象に残っており、崖が破壊……いや、この場合は自壊と表現すべきなのかもしれないが、とにかく目の前の光景を見てそのようなことを思い出していた。
そんなレイの視線の先で、崖は轟音を立てながら崩れていく。
数十分……あるいは一時間近く地形操作に耐えた崖だったが、それでも崩れる時がくればあっさりと崩れてしまう。
ある程度離れている場所から見ており、しかも月明かりしかない夜の光景だ。
それが余計に崖が崩れていく光景を、どこか現実味のないものとしていた。
「精霊魔法が……」
崖が崩れるのを見ていたレイだったが、聞こえてきたその声にマリーナを見る。
するとそこには、その美しい眉を顰めたマリーナの姿があった。
そのマリーナは、自分を見るレイの視線に気が付いたのだろう。
悔しさを滲ませながら口を開く。
「精霊魔法の効果がほとんどなくなったわ」
「……崖か」
「ええ。恐らくあの崖が……そう、一種の蓋のような役割も果たしていたんでしょうね。その崖がなくなったから、その蓋の効果がなくなって、穢れの影響で精霊魔法の効果はかなり落ちてるわ。精霊達も多くが嫌がってる」
それでも穢れの近くである程度とはいえ、精霊魔法を使えるのはマリーナだからこそだろう。
もしこれが普通の……その辺の精霊魔法使いであれば、穢れの気配を嫌った精霊をこの場に繋ぎ止めることは出来なかった筈だ。
マリーナが突出した精霊魔法の技量を持っているからこそ、今もまだかなり弱まってるとはいえ、精霊魔法を使うことが出来るのだろう。
「本当に今更の話だけど、やっぱりあの崖の中が穢れの関係者の本拠地なのは間違いなかったみたいだな。……まぁ、あそこまで強化されたり、指輪を嵌める場所を幻影で隠していたりするのを考えると、当然の結果かもしれないが」
「けど……いいのか、レイ? 崖が崩れたのはいいが、あの様子だと本拠地そのものも破壊されてるんじゃないか?」
レリューがそう言いながら、崖が崩れたことによって盛大に土煙の上がっている方向を見ながら言う。
数百mを超える崖がこうして崩れ落ちたのだから、周囲に舞っている土煙はかなりのものだ。
また遠目には判別出来ないが、土煙だけではなく積もっていた雪も土煙と同じように雪煙となって周囲に漂っているのは間違いないだろう。
「どうだろうな。普通に考えればレリューの言う通りのようになっていてもおかしくはないと思う。だが……どういう手段かは分からないが、崖にすらあそこまでの強化を施した連中だ。あの崖が崩れたことで何の被害もないということはないと思うが、それでも壊滅に近い被害を受けたとは思えないな」
これは何の証拠もない、レイの予想でしかない。
だが実際に崖にあそこまでの……レベル六という高レベルのスキルを使って放たれた攻撃……いや、地形を操作しようとしただけである以上、それを素直に攻撃と認識してもいいのかどうかは微妙だったが、とにかくレベル六の地形操作のスキルにここまで抵抗したのだ。
そこまで用意周到である以上、崖が崩れたことによって、それで本拠地そのものが壊滅するといったことは、あまり期待出来ない。
……もっとも、普通に考えた場合は崖そのものを破壊するなどという行動をするとは思わないので、穢れの関係者にとってもレイの行動は予想外だった可能性が高いが。
「じゃあ、どうする? あの土煙の中を行くのか?」
「行くしかないだろうな。あの土煙が止むまで待つとなると、相応の時間が掛かるだろうし」
数百mの高さを誇る崖が崩れたことによる土煙だ。
それがいつ止むのかは、生憎とレイにも分からない。
それこそ、場合によっては数時間……いや、数日掛かってもおかしくはないと思える程に。
しかし、あの崖が崩れた場所にあるだろう穢れの関係者の本拠地を前に、数日は勿論ながら、数時間であっても時間を置くのは明らかに悪手だ。
であれば、やはりここは土煙の中に突入する必要があった。
土煙の中に向かう以上、当然ながら身体は汚れるだろう。
だが冒険者である以上、土煙で汚れるから突入したくないなどといったことは、とてもではないが言えない。
(いや、この場合厄介なのは汚れよりも、土煙に紛れて攻撃をしてくる連中か。特に穢れを土煙に紛れて放ってきたら、それに対処するのはちょっと……いや、かなり難しい)
狂信者であるが故に、仲間を巻き込むような攻撃も普通にやってくるだろうとレイには予想出来た。
そんなレイにしてみれば、土煙は汚れ以上に煙幕としての効果が厄介極まりない。
「あの土煙の中に突入しないという選択肢はない。だが、土煙を使って穢れの関係者が襲撃してくるかもしれないから、気を付けてくれ」
そう言い、レイはミスティリングから黄昏の槍を取り出す。
右手にデスサイズ、左手に黄昏の槍といういつもの二槍流だ。
「あ、ちょっと待って。あまり威力は強くないけど……風を使って出来るだけ土煙を吹き飛ばしてみせるから」
マリーナがそう言い、意識を集中する。
すると土煙が少しだけだが薄くなっていく。
しかし、それはあくまでも少しだけで土煙は今もそこにある。
「……ごめんなさい。穢れの影響でやっぱり精霊魔法が弱くなっているわ」
「気にするな。多少ではあっても土煙が薄くなっただけで助かる」
そう言うレイだったが、夜の闇の中に漂う土煙が広がっているというのは非常に厄介なのは間違いない。
だが、それでもマリーナが本来なら使えないだろう精霊魔法を何とかして使ったのだ。
そのことに感謝こそすれ、不満を抱いたりはしない。
「じゃあ、行くぞ。……何があってもすぐ対処出来るように気を付けろ」
レイはそう言うと、崖が崩れた場所……穢れの関係者の本拠地に向かう。
他の面々も、何があっても対処出来るようにしながら進む。
そうして歩いていたレイだったが、不意にデスサイズを握りながら口を開く。
「マジックシールド」
スキルが発動し、光の盾が三枚生み出された。
「おい、レイ?」
レイの後ろを歩いていたレリューがいきなりのレイの行動にそう尋ねる。
「これはマジックシールドというスキルで、一度だけだがどんな攻撃も防げる。土煙に紛れて近付いて来た奴がいても、この光の盾を破壊することは出来ない。それにこの光の盾は俺が自由に動かせるから、ある程度お前達を守るのにも役立つ」
実際にレイは三枚の光の盾を自由に動かす。
本来なら三枚の光の盾を同時にそれぞれ動かすというのは、かなりの難易度だ。
両手にそれぞれペンを持ち、右手で丸を描き、左手で四角を描くようなものなのだから。
実際にはこれでも二つなので、三つの光の盾を動かすにはまだ一つ足りないのだが。
ただ、レイは別にそのような特殊な訓練をした訳ではない。
実際、両手でそれぞれ丸と四角を描こうとしても、恐らく無理だろう。
それが出来るのは、純粋にマジックシールドというスキルが持つ効果だから、としか言えない。
「どんな攻撃でも一度は防げる……凄いスキルだ」
レイとレリューの話を聞いていたオクタビアは、しみじみと呟く。
実際、どんな攻撃であっても必ず防げるというレイの言葉が事実なら、そのスキルは強力無比だ。
ダスカーの護衛を務めることも多い騎士としては、是非とも欲しいスキルだろう。
「にしても、地形操作にしろマジックシールドにしろ、よくそんなに何種類もスキルを使えるな」
多分に呆れが混ざったレリューの言葉に、レイは一瞬、本当に一瞬だったが言葉に詰まる。
何故なら、レイが使っているスキルはレイ自身のスキルではなく、デスサイズのスキルなのだから。
一般的にスキルというのは、魔法を使えないものの、魔力を持っている者がその魔力をどうにかして利用する為に生み出されたものだ。
それこそ、ヴィヘラの浸魔掌がいい例だろう。
そもそも魔力を持っていて魔法使いではない者という時点でそれなりに珍しい……訳でもない。
魔力を持っていても、魔法使いになる為の勉強や訓練、修行といったことをしないと魔法使いにはなれない。
だがそれは、あくまでも魔法使いがいたり、魔法について書かれた本があったりといった条件がなければ難しい。
ましてや、この世界の識字率は決して高くはない。
冒険者は依頼書を読む為に必死になって字を覚えるが、そうでもなければせいぜいが自分の名前を読み書き出来るといった程度で尊敬されたりすることもある程だ。
魔法について書かれた本があっても、そのような識字率では読むことが出来る者は決して多くはない。
ましてや、魔法使いは数そのものがどうしても希少だ。
そんな訳で、魔力を持っているが魔法使いの道に進まなかった者というのは、どうしても少ない。
結果として魔力を持つが魔法使いではない者は相応にいる。
そのような者達が魔力をどうにか利用したくて、生み出したり、もしくは先達から教えて貰って使えるようになったのがスキルだ。
つまり、一人で複数のスキルを持つ者は珍しい。
そんな中で、レイは魔法使いでありながら地形操作やマジックシールドというスキルを使えると思われているのだから、レリューが疑問に思うのはおかしくない。
「師匠が厳しかったからな」
結局レイは、いつものように架空の師匠のせいにする。
こういう時、架空の師匠がいるというのは非常に便利だった。
(とはいえ、今までは特にきにせずスキルを使っていたけど、もう少し考えて使うべきか? けど、スキルが便利なのは間違いないし)
今回の地形操作もそうだが、他にも斬撃を飛ばす飛斬、レイの代名詞とも呼べる火災旋風を作るのに使う風の手、斬撃の数を増やしてただでさえ強力なデスサイズの一撃を強化する多連斬……他にも色々とスキルはあるが、それらのスキルはレイの戦闘スタイルの根本になっている。
(今更か。……というか、俺の場合は何かやっても『レイだから』で納得されてしまいそうな気がするし。敢えて難点を上げるとすれば、俺の力が師匠によるものだと考えた誰かが、俺の師匠を捜すかもしれないということだろうな)
レイの師匠というのは、当然架空の存在だ。
とはいえ、一応その役目をグリムにやって貰ったことがあるが。
ただ、グリムが幾ら理性のあるアンデッドであっても、それを受け入れられる者がどれだけいるか。
また、それを抜きにしてもレイはグリムを誰かに紹介するつもりは全くなかったが。
結局のところ、師匠は見つからない謎の存在としておいた方が、レイにとっては都合がいいのだから。
「師匠か、そう言えばレイは小さい頃から師匠に育てられていたって話だったな。それも未だに魔法を魔術と呼ぶような相手に。そういう師匠だから、鍛えられた結果が今のようなレイなのか?」
「そんな感じだな」
レリューが言うように、ゼパイル一門が生きていた時は魔術という呼び名が一般的だった。
魔獣術というレイが受け継いだ技術の名称がそれを表している。
だが、時代の流れと共に魔術は魔法と呼ばれるようになっていたのだが、それを知らないレイは最初魔術という単語を使い、その結果として謎の師匠が出来てしまったという一面もあった。
「それより、行くぞ。いつまでもこうしてはいられないしな」
これ以上この話が続くと不味いと思ったのか、レイはそう話を打ち切るのだった。