3411話
時は少し戻る。
レイが地形操作のスキルを使って崖の一部……指輪を使って中に入る仕掛けのある場所を破壊しようとし、それ以外の面々はいつ穢れの関係者達が襲撃してきても対処出来るようにしている頃。
「うわ……凄いですね、隊長。崖が揺れてますよ」
「っていうか、こっちの地面も普通に揺れてるんだけど、本当に大丈夫なんだよな?」
キャリスの部下達が、遠くに見える崖が揺れる光景や地面が揺れていることに驚きの声を漏らす。
いつの間にか雪も降っておらず、雲に隠されていた月もその姿を現していた。
だが、その月明かりがあるお陰で……いや、せいでと表現すべきか。
とにかくそれによって夜であるのに遠くに見える崖が揺れる光景を直接その目にすることになってしまっていた。
これで地面が揺れていなければ、もう少し落ち着いて崖が揺れている光景を見ることも出来たのかもしれない。
だが、崖と同じく地面も揺れているので、他人事だとは思えなかった。
それこそ、いつ自分達の近くにある崖が崩れてきてもおかしくはないし、地面が割れたりしないかと心配になってしまう。
「キャリス隊長、これってレイさんがやってるんですよね?」
部下の一人が恐る恐るといった様子で尋ねる。
キャリスの部下もそれなりに精鋭だけに、レイが強者であるのは十分に理解している。
何より、自分達では一対一では絶対に勝てず、二対一でも勝つのが難しく、三対一でようやく勝てるようになるような強さを持つキャリスが、全面的に信頼している相手なのだ。
その時点でレイが圧倒的な強者であるのは分かる。
分かるのだが……それでも小柄な外見から受ける印象からすると、どこか違和感があるのも事実。
だからこそ、答えが分かっていても自分を……自分達を納得させる為にキャリスにそう聞いたのだろう。
キャリスも部下達の考えは理解しているので、特に怒ったりするようなこともないまま素直に頷く。
「そうだ。レイさんは強い。それこそ俺が十人……いや、百人、千人以上いても太刀打ち出来ないと思える程の強さを持つ」
「……隊長が千人って、信じたくないですね」
そう言う女の言葉に、他の面々も同意するように頷き……
「グルルルルルゥ!」
ビューネに撫でられ、気持ちよさそうにしていたセトが不意に鋭く鳴き声を発する。
その鳴き声を聞いた瞬間、キャリスを含めて他の面々も武器を手に周囲を警戒し……
「あれ!」
セトの視線を追ったキャリスの部下の一人が空中を指さし、叫ぶ。
その言葉に他の者達もそちらに視線を向けると、そこには空中で何かに弾かれたかのような動きをする黒い塊がいた。
「う……何だあれ……見ているだけで……」
最初に黒い塊、穢れを見つけた者が思わずといった様子で呟く。
特に何かをした訳ではない。
穢れを見ただけで、本能的な嫌悪感が胸の中に湧き上がってきたのだ。
それは最初の一人だけではなく、他の者達も同様だった。
「落ち着け、レイさん達から前もって聞いていただろう。穢れというのは、見ただけで嫌悪感を抱くと」
そう言いながら、キャリスはレイから渡されたブルーメタルの鋼線を自分達の周囲に設置しておいてよかったと、心の底から思う。
穢れについては、レイ達から聞かされている。
特殊な攻撃方法や魔剣を使わない限り、一撃で倒すのは無理。
出来るのはミスリルの釘を使って結界を生み出し、それによって捕獲するくらいだと。
そして穢れはそれ以外の攻撃をした場合は、触れた相手を黒い塵にして吸収すると。
つまり、その特殊な攻撃方法がない以上、ここでは実質的に無敵なのだ。
だが、そんな穢れの対処として有用なのが、ブルーメタルの鋼線。
穢れを倒すことは出来ないが、それでも今のように近付かせないことは可能だった。
一匹がブルーメタルの鋼線によって近づけなくなり……やがて最初の一匹を追うように、五匹の穢れが姿を現す。
いきなり五倍になった穢れに、キャリス達は本能的な嫌悪感を覚えつつ、同時に何故ここに穢れが? という疑問を抱く。
すると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、周囲に声が響く。
「おいおい。何だこれは? 何でここに敵がいる?」
そう言いながら姿を現したのは、二十代程の男。
見るからに粗野な雰囲気を持つ男は、ここにキャリス達がいたのは完全に予想外だったといった苛立たしげな様子を見せる。
「しかも御使いが弾かれてるってのは、どういうことだ?」
男の御使いという言葉に、キャリスは疑問を覚える。
もっとも、今の話の流れからすると、男の言う御使いというのは穢れのことなのは明らかだ。
自分達が使う存在を穢れといったような……それこそ、見下すように言うことを許容するとは思えなかった。
そのことに納得しながらも、キャリスは部下達に一瞬視線を向ける。
その視線の意味は、部下だけにすぐに分かった。
相手が隙を見せたらすぐにでも攻撃をするという指示だと理解出来たのだ。
「おい、俺の話を聞いてるのか? ここにいる以上、俺達のいる場所に攻め込んできた連中の仲間なんだろうが……楽に死にたいだろう?」
「いや、俺達が死ぬという前提で話を進めて欲しくないな」
「……へぇ」
キャリスの言葉に、男は面白そうな笑みを浮かべる。
まさかキャリスが反論をしてくるとは思わなかったのだろう。
そんな男の様子に、キャリスは幸運だと思う。
少し会話を交わしただけだが、それだけでも男が扱いやすい存在であると理解出来た。
それこそ今この時点で男を倒そうと思えば、すぐに倒せると思える。
しかし、今重要なのは時間を稼ぐことだ。
先程のセトの鳴き声を聞いて、恐らくレイ達の方から誰かが助っ人に来てくれる筈だ。
その時まで時間を稼げば……そう思っていたのだが……
「ダリジャ、一人で勝手に行くな。お前だけで敵と遭遇して……しまっていたようだな」
ちっ、と。
キャリスは今まで喋っていた男……ダリジャという男の後ろから数人が姿を現したのを見て、危険なことになったと思ったのだ。
再びキャリスは部下達に視線を向ける。
先程は迂闊なダリジャだけだったので、倒そうと思えばすぐに倒せた。
だが、今は違う。
ダリジャ以外に数人がいて、その佇まいから明らかにダリジャよりも凄腕なのは間違いない。
何があってもいいように、既に穢れを自分の周囲に浮かべているのも厄介な理由の一つだ。
もし穢れが触れても特に問題ないような相手であれば、それこそ穢れを無視して、あるいは穢れの間を縫うようにして敵を攻撃するといった選択肢もある。
しかし、穢れは触れた時点でそれが致命傷になってもおかしくはない存在だ。
そうである以上、危険な真似をする訳にいかないのも事実。
「さて、それでは一応聞かせて貰おうか。ここにいる以上、君達は私達の本拠地に攻撃を仕掛けている者の仲間……敵だと判断してもいいのかな?」
新たに現れた者達の中でもリーダー格の男が、そう尋ねる。
尋ねてはいるものの、それは答えが分かりきっている質問でしかない。
そもそもこの辺りに人が……穢れの関係者以外の者達が来ることは基本的にないのだから。
そのような場所で崖が攻撃され、その対処の為に別の隠し扉から出てみれば、そこには仲間の一人と向かい合っている集団がいた。
そんな状況で、目の前にいる相手が攻撃をしている者達と無関係な筈がないだろう。
「気を付けろ、ダーリッジ! その連中何か妙な方法で御使いを近づけさせない!」
ダリジャが叫ぶ。
その言葉に、ダーリッジは不愉快そうに眉を顰めた。
穢れの関係者にとって、御使いというのはその名の通り大いなる存在に仕える存在だ。
その御使いを何らかの手段を使っているとはいえ、近づけさせないようなことをするというのは、ダーリッジにとって……いや、その仲間達にとっても、到底許せる存在ではなかった。
もっともその辺の感覚は同じ組織に所属している者であっても個人差があるらしく、穢れ……御使いを弾くという行為に目を吊り上げ殺気すら滲ませるような者もいれば、不愉快そうな表情を浮かべるだけの者もいる。
レイがこのことを知れば、オーロラを捕らえた洞窟でも同じような相手がいただけに納得したかもしれない。
「ちょっと、ダーリッジ。いつまでもこの連中に関わってる暇はないわよ? 早くしないと崖が……」
穢れの関係者の中で唯一の女が、ここからでも崖が揺れている光景を見て、そう告げる。
そんな女の言葉に、ダーリッジは小さく頷く。
「そうだな。私達にはあまり時間がない。申し訳ないが、君達にはすぐに死んで貰うとしよう」
「そう簡単に出来るとでも? お前達が頼りにしている存在は、俺達に近づけない。つまり、お前達は穢れの力を使わないで俺達を倒さないといけない訳だ」
「そうだな。私達にはあまり時間がない。申し訳ないが、君達にはすぐに死んで貰うとしよう」
キャリスの言葉に、ダーリッジは数秒前と全く同じ言葉を返す。
そんなダーリッジの様子に、キャリスは疑問を抱く。
今のやり取りを考えると、それこそ自分達を相手に穢れがなくても勝てると、そのように思っているように感じたからだ。
(いや、可能性はあるのか?)
キャリスが穢れの関係者について聞いている内容は、面倒に巻き込まれたくないという理由から決して多くはない。
それでも今ここで目の前にいる者達を自由に通してしまった場合、レイ達に大きな被害が出る可能性は十分にあった。
実際には目の前にいる者達が攻撃するよりも早く、相手の奇襲に気が付くかもしれない。
しかし、それは絶対確実にそうだとは断言出来ないのも事実。
だからこそ、キャリスとしては相手をここに足止めし……あわよくば倒したいとすら思う。
(レイ隊長に受けた恩を返すには、このくらいはしないとな)
レイさんと呼んでいたキャリスだったが、今となっては自然とレイ隊長と心の中で呼んでしまう。
キャリスがレイから受けた影響が、一体どれくらい大きいのか分かる出来事だった。
「ふん、穢れがないと俺達に勝てない癖に、随分と大きく出たな」
「てめぇえええええぇぇぇっ!」
キャリスの口から出た穢れという言葉を聞いた瞬間、先程までは紳士のような言葉遣いをしていたダーリッジが怒り狂って叫ぶ。
怒髪天を衝くといった表現があるが、短くも清潔に整えられていたダーリッジの髪は逆立ち、怒髪天を衝くといった言葉をそのまま表しているようにすら思えた。
『っ!?』
突然のダーリッジの豹変に、キャリスだけではなく他の者達も同様に驚く。
まさかここまで態度が豹変するとは、思ってもいなかったのだ。
「殺せ! 御使いを穢れなどと呼ぶ心醜い愚物共を、このまま生かしておくことは決して許されん!」
叫び、ダーリッジは長剣を手に前に出る。
穢れを……ダーリッジ達が言う御使いを使うのではなく、自分の手でキャリス達を皆殺しにしてやらんという、狂気染みた殺意を抱きながら。
それも一人だけではなく、一緒に出て来た者達のうち、半分以上が強烈な殺意を撒き散らかしながらキャリス達に向かって襲い掛かってくる。
穢れという単語に怒り狂ったダーリッジ達だったが、中にはそこまで怒り狂っていない者もいる。
しかし、それでもキャリス達を殺す必要はあると判断したのか、ダーリッジ達より少し遅れて前に出た。
「各自、対応を!」
意表を突くかのようなダーリッジの行動だったが、キャリスもレイの部下だった男だ。
一瞬の躊躇もなく即座に部下に行動を命令し……
「グルルルルルゥ!」
そんなキャリスの命令に即座に従ったのは、部下達ではなくセト。
いや、寧ろキャリスが指示を出すよりも前に行動に移っていた。
放たれたスキルは、サンダーブレス。
夜の暗闇の中に眩い光が生み出された。
「ぎゃ……」
「ぎ……」
「な、これ……」
ダーリッジと共に行動をしていた者達は、セトのサンダーブレスをまともに食らう。
サンダーブレスはレベル二で、まだそこまで強力なスキルという訳ではない。
だが、今のこの状況においてはセトが使えるスキルの中では決して悪くない選択でもある。
もしここで下手にファイアブレスを使った場合、それこそ距離が近いのでキャリス達にも被害が出かねない。
ブルーメタルの鋼線は穢れを近づけない効果があるが、それ以外を防ぐ効果はない。
また、可能性は非常に低いものの、ファイアブレスの熱によって雪崩が起きる可能性も十分にあった。
サンダーブレスはレベルが低いので、一撃で相手を殺したりといったことは出来ない。
偶然相手が心臓に何らかの病気を抱えてるといったことでもあれば話は別だったが。
それでも、数秒の間は痺れさせて動かせないのは間違いない。
そして戦闘で数秒動けないというのは致命的だった。