3407話
レイ達がキャリスの案内に従って出発して一時間程。
歩きでの移動なので相応に時間が掛かっているが、それでもマリーナの精霊魔法がなければ、足下には積もった雪が、前後左右様々な方向からは雪を伴った風が吹いており、ここまで来るのに二時間どころではなかっただろう。
これがいっそ、春から秋のように地面が歩きやすければ、もう少し移動するのに時間は掛からなかったのだろうが。
それでも雪が降る中で快適な速度で進み続け……
「あれです」
先頭を歩くキャリスの声が周囲に響く。
今までは特に騒ぐでもなく、何が起きても……具体的にはすぐに穢れの関係者の襲撃があってもすぐ対処出来るように警戒していたレイ達だったが、その声にキャリスの指さす方に視線を向ける。
そこにあったのは、崖……正確には、レイ達のいる場所は昔の川か何かだったのか、複数の崖が存在する光景が月明かりに浮かぶ。
「うわ、あそこか。そう言えばセトに乗って移動してる時に、あんな場所が地上にあったような」
レイはセトに乗って空を飛んでいた時のことを思い出す。
地上に急に現れる多数の崖。
それを見れば、隠れ家に相応しい場所だというのはレイにも理解出来た。
その崖の中の、具体的にどこに穢れの関係者の本拠地があるのかと言われれば、レイにも分からないが。
「キャリス、あの辺りに怪しい場所があるんだよな?」
「そうなります。ただ、案内する前にも言ったと思いますけど、あくまでも怪しい場所であって、絶対にそこにレイさんが探している場所があるとは限りませんけど。それに、ここだけではなく他にも怪しい場所は複数ありますし」
レイの言葉を聞いたキャリスが急いでそう言う。
キャリスにしてみれば、ここが一番怪しい場所と思っているので最初に案内したのは事実だ。
だが同時に、絶対にここに何かがあるという確信がある訳でもない。
もしかしたら、この崖は怪しいように思えるが、実際には怪しさもなにもないただの崖……といった可能性も否定は出来ないのだから。
「分かってる。それでもここが怪しいとキャリスは思ったんだろう? なら、俺はそれを信じる」
「信頼が重い」
レイの言葉に小さく、それこそ口の中だけで呟くキャリス。
とはいえ、レイの五感は非常に鋭いので普通に聞こえているのだが。
それでもレイがそんなキャリスの言葉に突っ込むようなことはない。
まずは崖にある……かもしれない穢れの関係者の本拠地をどうにかするのが先だったのだから。
「マリーナ、どうだ?」
その問いに、マリーナは微妙な表情を浮かべる。
レイの問いが何を意味してるのかは、それこそマリーナは理解していた。
穢れの近くにいる時、精霊魔法を使うのは非常に難しくなる。
それはつまり、精霊魔法を使うマリーナがいれば、近くに穢れがいるかどうかを判別出来るレーダー的な役割も期待出来るということを意味していた。
だからこそ、レイはそうマリーナに聞いたのだが……そのマリーナは、穢れが近くにいるともいないとも、どちらの判断も出来ずにいる。
「微妙なところね。さっきまでの場所と違って精霊魔法が使いにくいのは事実だけど、穢れがいる時とは比べものにならない程に使いやすいわ」
面倒な。
マリーナの説明にレイはそう思う。
穢れの気配が完全にあるか、完全にないかのどちらかであれば、レイも相応に対処はしやすいのだ。
だが、それが出来ない以上、レイもどう判断すればいいのか分からない。
「何らかの手段で穢れの……どうした?」
マリーナと会話をしていたレイは、キャリスが若干の抗議を込めて視線を向けているのに気が付き、尋ねる。
そんなレイに、キャリスは不満そうな様子を隠そうともせずに口を開く。
「俺達は面倒に巻き込まれたくないって、そういう話だったと思うんですが」
「……ああ、そう言えばそうだったな」
キャリス達の前で普通に穢れについて話していたことを思い出す。
キャリスにしてみれば、少し聞き覚えのない単語が出て来たくらいであれば、スルーしても構わない。
だがこうも堂々と話されると、対応に困ってしまう。
こうして聞いた以上、もう話を聞かなかったことにするというのは難しいだろう。
だからこそ、レイに不満そうな視線を向けていたのだ。
「まぁ、聞いたんなら仕方がない。というか、穢れの関係者の本拠地を制圧する時にはキャリスにも手伝って貰うつもりだったから、遅かれ早かれ知っていたと思うけどな」
「……はぁ、分かりましたよ」
レイの言葉に、最終的にキャリスが選んだのは仕方がないといった態度。
レイの性格を十分に承知していたし、遊撃隊が解散した後でも何だかんだとレイに好意的な態度を抱いてしまうのは、それだけ内乱の時の記憶が鮮明なのだろう。
思い出と表現するには、かなり血の臭いがする物騒な経験だったが、それでもキャリスにとってレイの下で遊撃隊として働いた日々は決して忘れられるものではない。
「ただ、俺は構いませんけど、部下達は勘弁してくれませんか? その……率いている俺が言うのも何ですけど、正直なところそんなに強くないので。レイさん達のような面子が揃って乗り込むような戦いに参加したら、全滅するかもしれませんし」
その言葉にキャリスの部下達の何人かが反射的に何かを言い返そうとするものの、最終的には黙り込む。
キャリスが自分の元隊長であったレイを慕っているように、キャリスの部下達もまたキャリスを慕っている。
そしてキャリスの部下達は、それなりに腕の立つ者達が集まっていた。
なのに、まるで自分達が未熟者であるかのように言われるのは不満だったのだろうが、隊長のキャリスですら隊員の一人でしかなかった遊撃隊。
そんな遊撃隊と同等の、あるいはそれ以上の強さを持つ者達がいるとなれば、不満を言ってもそれは負け犬の遠吠えでしかない。
もしキャリスの言葉に不満があるのなら、それこそもっと強くなっておくべきだったのだ。
それが出来ず、あるいは才能がそこまででもなかったことを考えると、今ここで自分が何か不満を言うようなことは出来ないと、そう思うのは当然の話だった。
キャリスの部下達の様子に気が付いた訳でもないだろうが、レイはキャリスの言葉に素直に頷く。
「ああ、それで構わない。こっちも、別に全員が敵の本拠地に乗り込む訳じゃないし。お前の部下には、ビューネの護衛を頼みたい」
「ん」
よろしく、とレイに名前を出されたビューネは一言呟く。
キャリスの部下には、レイの言葉と今のビューネの言葉に戸惑った表情を浮かべる者もいる。
その表情は、何故ビューネのような子供がここにいるのかと、そんな疑問を抱いてのものだ。
キャリスの部下達の何人もが、キャリスに視線を向ける。
その視線に押されるように、キャリスが口を開く。
「レイさん、その……今まで気になってましたけど、何で子供がこんな場所に? レイさん達とここにいるんです?」
「ビューネは俺達の仲間で、ヴィヘラ達と一緒に住んでるんだよ。全員がここに来た以上、置いてくる訳にはいかなかった」
ヴィヘラと一緒に住んでいるというレイの言葉に、何人もがビューネに驚きの視線を向ける。
元皇族のヴィヘラと一緒に暮らしているということは、もしかしたらどこかの高貴な血筋なのではないかと、そのように疑問を抱いたのだろう。
実際にはビューネは別に貴族といった訳ではないのだが。
ただし、エグジルという迷宮都市を作った者の子孫であるのは間違いなく、そういう意味では相応の家の出であると言っても間違いではないのかもしれない。
ヴィヘラの関係者であると知れば、ベスティア帝国に所属する者として迂闊に疑問を口にすることは出来ない。
……ヴィヘラは敬われるのを好まないのだが、それを知らない者にしてみれば出奔したとはいえ皇族を敬わないという選択肢は存在しないのだろう。
「どうやら異論はないみたいだから、ビューネの護衛を頼む。後でブルーメタルの鋼線とミスリルの結界を作る釘を渡すから、穢れが出て来たらそれで対処してくれ」
ブルーメタルの鋼線やミスリルの釘は、ギルムにおいて開発された魔法金属やマジックアイテムだ。
それをベスティア帝国軍の兵士に渡してもいいのかと、若干レイもそう思わないでもなかったが、穢れと遭遇する可能性を考えると、ここで渡さないという選択肢はない。
ベスティア帝国の持つ錬金術のレベルは高い。
それこそ帝都にはマジックアイテムを売る店がかなり多かった。
……実際、レイが愛用しているネブラの瞳も、帝都で購入したマジックアイテムだ。
本来なら鏃ではなく矢を魔力によって生み出すという効果だったのを、レイが無理を言って鏃だけを生み出すようにして貰ったのだが、無理な改造の結果として鏃を生み出すにもかなりの魔力を必要とするようになっている。
もっとも、元から莫大な魔力を持つレイだ。
ネブラの瞳に使う魔力など、炎属性以外の魔法を無理矢理使う際に消費する魔力に比べれば圧倒的に小さい。
ともあれ、そんなレイの無茶な改造にも対応出来るくらい、ベスティア帝国の帝都には多数の、それも腕の立つ錬金術師がいる。
(とはいえ、穢れを相手にするかもしれないのに、対穢れ用に用意したブルーメタルの鋼線やミスリルの釘について説明しない訳にもいかないしな)
また、ブルーメタルもミスリルの釘も、基本的には穢れの対策として生み出されたものである以上、穢れ以外に同じように使えるかと言われれば、それは微妙なところだろう。
勿論、それはあくまでも今の状況でそうなっているだけで、もっと詳細に調べればブルーメタルにしろ、ミスリルの釘にしろ使い道は見つけられるかもしれない。
(ブルーメタルは、何らかの方法で武器や防具、マジックアイテムの素材になったりするかもしれないし、ミスリルの釘は結界を作るという意味で色々と使い勝手はよさそうだ。身を守るだけじゃなくて、穢れにやってるように敵を捕らえるという意味でも)
そんな風に思うレイだったが、今はとにかく敵を……穢れの関係者の本拠地を叩くのが最優先事項なのも事実。
とはいえ、この件が終わったらダスカーにその辺についての話をしておく必要はあるだろうと思えたが。
(怒られたりは……多分しないよな?)
ダスカーが今回の件を聞けば、複雑な感情を抱くだろう。
ブルーメタルもミスリルの釘も、間違いなくギルムで生み出された技術なのだから。
もっともミスリルの釘はともかく、ブルーメタルを開発した……より正確には穢れが近づけないようなブルーメタルを提案したのは、オイゲンやゴーシュといったギルムの外からやって来た者達……国王派や貴族派の息の掛かった研究者もいるので、そういう意味ではギルム独自の技術という表現は相応しくないのかもしれないが。
そうして技術を独占出来なくても、穢れという存在に対処する為と考えれば、やはりここでレイがキャリス達に穢れに対処出来る為のマジックアイテムを渡すくらいは問題ないだろう。
「分かりました。任せて下さい」
キャリスの部下達はレイの言葉に一切不満を見せず、素直に頷く。
キャリスのような自分達を率いる者よりも腕利きのレイ達が行動しなければならない、穢れの関係者達。
そのような場所に自分達が行っても、それこそ足手纏いにしかならないと理解したからだろう。
また、ビューネのような子供を守る必要があると考えれば、自分達が守る必要があるのも事実。
一応キャリスの部下達は相応の腕利きが揃っているのだが……そんな腕利き達から見ても、レイを始めとした他の面々にはとてもではないが勝てないと理解出来てしまった。
それだけに、今はまず自分達に出来ることをやるべきだろうと考えての返事だった。
驚嘆すべきは、それがレイに返事をした者だけではなく、他の者達も同じように思っていたことだろう。
多くの者にとって、ビューネは可愛らしい子供に見えていた。
……実際、ビューネの外見は整っており、将来的には美人になると言われても納得出来る者が多いことを思えば、こうして多くの者がビューネを愛らしいと思うのはおかしな話ではない。
「じゃあ、ビューネの護衛はキャリスの部下達に頼むとして……まずはあの崖を調べてみるか」
キャリスはあの崖が一番怪しいと思ってここに案内したものの、今はまだ怪しいだけだ。
マリーナの精霊魔法についても、微妙という評価がある。
そうである以上、実際に調べてしっかりとどうなっているのかを判断する必要があった。
その為に指示を出したレイにより、一行は崖に向かうのだった。