3403話
深紅。
それはレイの異名であり、ベスティア帝国の者にしてみれば複雑な感情を抱くべき相手だった。
ミレアーナ王国の戦争においては、炎の竜巻によってベスティア帝国軍に莫大な被害を与えた。
だがその後、ベスティア帝国で行われた闘技大会に参加して準優勝し、続けて起きた内乱においてはメルクリオ軍に協力して勝利してメルクリオを次期皇帝にし、内乱を終わらせている。
実際にはそれ以外にも色々とあったのだが、その件については知られていない。
具体的には、レイと同じく――実際には微妙に違うが――日本からやって来た転生者のカバジードについての詳細であったり、内乱の中で起きたもう一つの事件……肉樹に関しても活躍し、最終的にその一件を解決したといったように。
ともあれ、深紅のネームバリューは非常に大きい。
ベスティア帝国軍の兵士達の戦々恐々とした視線を向けられたレイだったが、それを特に気にせずに内乱の時に遊撃隊として活動していた男との会話を続けていた。
「それにしても、何で隊長がここに? ここ、一応……というか、完全にベスティア帝国ですよ? 何かベスティア帝国に用事でも?」
「ああ、ちょっと用事があって……いや、待て」
普通に会話を続けようとしたレイだったが、そんなレイにガーシュタイナーが視線を向ける。
その視線の意味を理解したレイは、自分達がセトに乗って無断でベスティア帝国に入ったということを隠しながら口を開く。
「隊長?」
「いや、もう遊撃隊じゃないんだから、隊長という呼び名はどうかと思ってな」
訝しげな様子を見せる男に、レイはそう返す。
それは誤魔化す為の一言だったが、同時に嘘という訳でもない。
既に内乱はとっくに終わっており、遊撃隊も正式に解散している。
そうである以上、今はもう隊長と呼ばれるのはどうかと思ったのだ。
また、レイを隊長と呼んでいる男も一つの部隊を率いており、部下からは隊長と呼ばれている。
隊長と呼ばれている人物が更に別の人物を隊長と呼ぶのは、部隊を混乱させかねない。
レイを隊長と呼ぶ男も、そんなレイの言葉になるほどと頷く。
「そうですね。じゃあ、えっと……何と呼べば?」
「普通にレイでいいぞ?」
「いや、さすがに呼び捨てはちょっと。……じゃあ、レイさんと呼ばせて下さい」
「そっちがそれでいいのなら、俺は構わない」
「ありがとうございます。……それで話を戻しますけど、レイさんは一体何をしにここに? ただ何となく来たとか、そういう訳じゃないですよね。腕の立つ騎士も一緒のようですし。それにそっちは疾風でしょう?」
ガーシュタイナーとレリューにそれぞれ視線を向け、男は言う。
そう指摘する男に、不意に……本当に今更の話だが、男の名前を思い出す。
「キャリスは鋭いな」
「俺の名前、覚えていてくれたんですね。今まで名前を呼んで貰えなかったので、すっかり忘れているものだとばかり」
そう言われてしまえば、今になって名前を思い出したとは口に出来ず、当然といった様子で頷く。
「そんな訳はないだろう。……で、俺が何でここにいるのかだったな」
何故自分がここにいるのかという点については、正直なところレイも誤魔化しようがない。
レイとセトだけでここにいるのなら、それこそ空を飛んでいて道に迷ったといった言い訳もつかえたのだろうが。
疾風の異名を持つレリューがいて、ガーシュタイナーというダスカーに仕える騎士の中でも腕利きの男が一緒にいるのだ。
また、グライナーも異名持ちではないがランクA冒険者である以上、間違いなく腕利きだ。
そんな面々が揃っている以上、この場にいる理由を誤魔化せる筈もない。
(穢れの関係者について言うか? それとも、追っている犯罪者達の拠点がこの辺りに……辺りに……ちょっと待て。そう言えば、何でキャリスはここにいるんだ? それこそ一人じゃなくて、部下を揃えて)
ここは近くに村や街がない。
それは空を飛んでいる時に、明かりがないことからも判明している。
なのに、キャリスは部下を率いてここにいるのだ。
それは明らかに不自然。
まさかレイ達の存在を知っていて来たという訳でもあるまいし、ただの見回りとしても田舎……それもドがつく田舎の見回りに、元遊撃隊のキャリスが参加しているのは明らかにおかしい。
これが例えば、特に何も知らない……決して精鋭と呼ぶべき相手ではない者が隊長をやっている部隊が見回りにきたというのなら、レイもそれなりに納得は出来ただろう。
だが、キャリスがいるのだ。
万が一、本当に万が一、あるいは億が一の可能性に備え、レイは手にしたデスサイズと黄昏の槍を握る手に微かに力を込める。
レイとキャリスの会話を黙って見ていた面々の中でも、レリューだけがそれに気が付いたのは、異名持ちと呼ばれるだけの実力を持っている証だろう。
とはいえ、レイとキャリスは顔見知りの様子で、お互いに親しく話をしているようにも見える。
そんな中で、一体何が起きるのか。
疑問に思いつつ、レリューもいつでも攻撃出来るようにしておく。
「それで俺がここにいる理由だったが……その前に、ちょっと聞いてもいいか? 質問に質問で返すようなのはちょっと悪いとは思うんだが」
「いや、レイさんのことですからそれは構いませんよ。それで何を聞きたいんです? 俺に答えられることならいいんですが」
「別にそんなに難しい話じゃない。俺が知る限り、ここは周辺に村や街がある訳でもない。なのに、何でそんな場所を見回りしてたんだ? それも元遊撃隊として、ベスティア帝国軍では相応に引き立てられているだろうキャリスが」
ピリ、と。
レイの言葉を聞いたキャリスが一瞬緊張する。
そんなキャリスの様子に、レイはこれは本当にもしかしたらもしかするのではないかと思い、いつでもデスサイズと黄昏の槍を振るえる準備をしておく。
レイの様子に、キャリスはすぐに口を開く。
「実はここ最近、この辺りで怪しい者達の姿が何人か見られてまして。その調査の為に今まで何度かこの辺に来てるんですが、今回もその件です」
「隊長!?」
キャリスの言葉に、部下の一人が咄嗟に叫ぶ。
今回の件は一応秘密裏の任務だ。
この辺にいる敵の存在については、一体どのような存在なのか全く不明だ。
もしかしたら……本当にもしかしたらだが、その怪しい存在はレイ達である可能性も否定は出来ないのだ。
だというのに、こうしてレイに向かって自分達がここにいる理由を話すのは危険な行為としか思えない。
そんな部下の言葉に、キャリスは首を横に振る。
「落ち着け。俺達が捜してるのはレイさん達じゃない。……それにここでしっかりと俺達がいる事情を話さないと、最悪レイさん達と戦いになったかもしれないぞ? いや、その場合は戦いではなく一方的な蹂躙になると思うが」
レイがいつ戦いになってもいいようにしているのに気が付いたのか、それともレイに従った経験から、そうなるかもしれないと思ったのか。
ともあれ、キャリスの判断は正しい。
レイの中では、もしかしたらキャリスも穢れの関係者ではないかという疑惑があったのだから。
そしてキャリスの言葉から、穢れの関係者ではないのだろうとも思う。
……もっとも、キャリスが本当に穢れの関係者であれば、レイと敵対した時点で自分の知っている情報を提供している筈であり、そうなればトレントの森に送り込んでくる穢れも延々と同じようなことをさせるといったことにはならなかっただろうが。
レイがキャリスを穢れの関係者ではないと判断したのは、その辺の理由もある。
「なるほど」
そう言い、レイは握っていたデスサイズと黄昏の槍から力を抜く。
取りあえず敵ではないと判断しての行動だった。
敵ではないが、だからといって味方という訳でもないのだが。
「そうなると、どうやらお互いに情報交換をしてもいいかもしれないな」
「……レイさん達も同じ目的で?」
「そうなる。多分だが、キャリス達よりも更に詳しい情報を知ってると思うぞ」
穢れという存在そのものに対しての話であったり、オーロラのいた拠点を制圧したことで手に入れた各種情報。
特に穢れという存在に対しては、レイも妖精郷と接触してなければ、手に入れることが出来なかった情報だ。
そう簡単に妖精郷と接触出来る訳がないと考えると、キャリス達が穢れについては何も知らないのだろうと予想出来てしまう。
「レイさん達はどうやらこちらが知らない各種情報もたくさん知ってるようですね」
「ああ、何しろ俺達が捜している連中は、ギルムにまでちょっかいを出してきたし」
正確にはギルムではなくトレントの森なのだが。
それでもギルムの近くにある以上、レイの言葉はそう間違ってはいない。
キャリスやその部下達は、レイの言葉に驚きを露わにする。
レイ達がここにいる以上、もしかしたらという思いはあったのだが、それでもまさか本当にギルムにまでちょっかいを出しているとは思ってもいなかったのだろう。
「一体何者なんですか?」
キャリスはこの辺りに怪しい者達が出没するということで、今まで何度もこの辺りまでやって来ている。
今日、この夜中にここに来たのも、日中には無理でも夜中になら何らかの手掛かりを手に入れられるかもしれないと、そう思ったからだ。
何者なのか。
そう聞かれたレイは、ガーシュタイナーに視線を向ける。
一応この奇襲部隊を率いるのはレイなのだが、ダスカーの考えについては詳しく知らない。
ダスカーの部下のガーシュタイナーがどう判断するのかと視線を向けたのだが……そんなレイの視線に、ガーシュタイナーは小さく頷く。
正直なところ、ガーシュタイナーのその反応はレイにとっても予想外だった。
穢れについての詳細は、可能な限り口にしない方がいいだろうと思っていたのに、それを否定するような行動をガーシュタイナーがしたのだから。
だが、レイにとっては不思議であっても、ガーシュタイナーにしてみれば今回の件はそんなに悪くないことだと判断する。
最大の理由としてキャリスやその部下達がこの辺りに今まで何度も来ているというのがある。
残念なことに――もしくは幸福にもなのか――穢れの関係者の本拠地がどこにあるのかはまだ見つけていないようだったが、それでもこの辺りの地形について詳しいというのはガーシュタイナー達にとって大きな利益となる。
また、ガーシュタイナーも詳しい事情は知らないものの、キャリスが元レイの部下ということは、相応の力を持っている可能性が高い。……いや、実際に身体の動かし方を見れば相応の力を持ってるのはほぼ間違いなかった。
そして何より、キャリス達が使っている雪の上を歩くのに使う道具が欲しい。
これは別に、自分が楽をしたいからというだけではない。
雪の上をスムーズに歩けるのなら、より効率的に探索が出来るというのが大きい。
また、ここまで移動するのはセト籠だったので今の人数となったが、ここで戦力が……それもレイに訓練をして貰った精鋭が増えるのなら、それは大歓迎となる。
そんな諸々の判断から、ガーシュタイナーはレイに向かって頷いたのだ。
そうしたガーシュタイナーの様子に、レイもキャリス達になら話してもいいだろうと判断し、口を開く。
「お前達が捜していた怪しい連中。俺達が捜しているのも恐らく同じ者達だ」
「え? そうなんですか? いえ、それならここにレイさん達がいるのも納得は出来ますけど」
少しは驚くものの、それでも十分に納得出来る内容だった為か、そこまで気にした様子はない。
そんなキャリスに向かい、レイは説明を続ける……前に、尋ねる。
「あの連中については、詳しく聞きたいか? それとも簡単に聞きたいか?」
「……レイさんがそういう風に聞いてくるということは、詳しく聞くと何か不味いことでもあるんですか?」
素直に説明せず、前もって選ばせるかのように聞いてくるレイにキャリスはそう尋ねる。
もしこれが、普通の怪しい相手……例えばただの盗賊であれば、わざわざそのようなことをする必要はない。
それ以前に、盗賊を倒す為にわざわざギルムから隣国のベスティア帝国までやって来ることそのものがないだろうが。
「そうだな。簡単に言えば、詳しい事情を知ったらお前達がトラジストに説明する必要が出てくるかもしれない」
レイのその言葉に、トラジスト? と最初は誰の名前を言ってるのか分からなかった様子だったものの、数秒が経過し……それが自分達の皇帝だということを理解し……
「え……えええええ!?」
そんなキャリスの驚愕の叫びは、夜の雪原に消えるのだった。