3402話
「グルルルゥ!」
セトの鳴き声と共に、ファイアブレスが放たれる。
放たれた炎は、進行方向に積もっていた雪を水にし、歩く障害を取り除く
そうして歩きやすくなったのは間違いないが……
「うん、予想はしていたけど、これはもうやらない方がいいな」
そう呟くレイの言葉に、レリュー、グライナー、ガーシュタイナーの三人も同意する。
雪が積もっているが、そこまで寒い訳ではない。……いや、雪が降っている時点で寒いのは事実なのだが、それでも水が即座に凍るといったような極寒ではない。
そういう意味ではレイの予想通りの展開ではあったのだが……
「目立ちすぎる」
グライナーのその言葉が全てを表していた。
セトの放ったファイアブレスは非常に目立つ。
これが日中なら、もしかしたらそこまで目立たなかったかもしれない。
しかし、今は夜……真夜中だ。
時間的には、もう日付が変わっているだろう時間。
日本においてはまだ宵の口と言われてもおかしくない時間だが、この世界においては……特に日没は早くなっている冬の今は、真夜中と呼ぶべき時間だ。
そんな中で空中にいきなり大きな炎が生み出されれば、それは異常だろう。
穢れの関係者、あるいはベスティア帝国かもしれないが、もし見回りをしている者がいれば、一目で異常だと理解出来る。
レイ達がやりたいのは、あくまでも穢れの関係者の本拠地を見つけることであって、自分達が見つけられることではない。
……少し、本当に少しだけだがそれによって穢れの関係者を誘き寄せ、捕らえて尋問をすれば本拠地の場所はすぐに分かるのでは? とレイも思わないではなかったが、その考えはすぐに却下する。
オーロラの件を見れば分かるように、穢れの関係者達の結束は固い。
いや、実際には全員がオーロラと同じくらいに仲間の情報を話すことはないとは限らないのはレイも知っている。
実際、穢れの関係者達を上手い具合に挑発すれば、それなりに情報を吐き出させることも可能だと理解はしているのだから。
だが、それでも……レイ達が探しているのは本拠地だ。
そうである以上、そこにいるのは拠点にいたような者達ではなく、生え抜きとでも呼ぶべき者達だろう。
そうである以上、情報を聞き出すのは難しい。
……それどころか、怪しい存在として先制攻撃を受ける危険もあった。
離れた場所から見るファイアブレスは、それだけ目立つのだから。
ましてや、それを見つけたのが穢れの関係者ではなくベスティア帝国軍の兵士だった場合、目も当てられない。
あるいは、そうして考えたのがフラグだったのか……
「グルゥ」
雪ではなく水になった地面を歩いて進むセトが、不意に喉を鳴らす。
それは軽い警戒。
相棒のそんな様子は、レイに何があったのかをすぐに理解させる。
「警戒しろ。お客さんだ。……どっちのお客さんか分からないけどな」
レイの言葉に、他の三人もそれぞれ何があってもいいように武器に手を伸ばす。
もし敵が奇襲をしてきても、この場にいる面子ならそれに遅れを取ることはまずないだろう。
その場で待機……敵の行動を待つこと、数分。
レイはドラゴンローブを着ているので問題はないが、他の面々はそうではない。
……なお、ドラゴンローブの中には未だにニールセンがいるのだが、眠っているのか全く動く様子はない。
ともあれ、そんなレイとは裏腹に、他の面々は真冬の夜の中、待機してるのだ。
特に厳しいのは、ガーシュタイナーだろう。
グライナーとレリューの二人は、モンスターの革を使った鎧を着ているのに対し、騎士のガーシュタイナーは金属の鎧だ。
この寒さの中で金属の鎧を着ているのだから、かなり身体が冷えていてもおかしくはない。
それでも平気な様子なのは、何らかのマジックアイテムを使っているのか、あるいはスキルか。
ともあれ、レイ達はそうして沈黙し、相手が……セトが感知した相手が近付いてくるのを待つ。
これが穢れの関係者であった場合は先制攻撃をしてもいいのだが、ベスティア帝国軍の兵士であった場合は迂闊に攻撃が出来ない。
そういう意味で、まず相手からの行動を待つ必要があった。
なお、レイはいつものようにデスサイズと黄昏の槍を装備している。
結局オーロラが隠し持っていた、穢れに特効のある魔剣はヴィヘラ達に貸したのでここにはない。
誰が使うのかは分からないが、とにかく相手が穢れを使ってきた場合は即座に魔法を発動するなり、ミスリルの結界で捕らえるなりするつもりだった。
そうして待っていると、やがてレイの目にも数人が雪の上を歩いてくるのが見えた。
何らかのマジックアイテムか、あるいはこの地方特有の道具なのかは分からないが、雪の上を歩いているとは思えない程に素早く行動しており……やがてその中の一人が叫ぶ。
「そこにいるのは誰だ!」
聞こえてきたその声。
詰問するようなその声は、本来なら……それこそ一般人ならその声を聞いた瞬間に怯えてもおかしくはない迫力を持っている。
だが、レイ達は違う。
寧ろ今の声を聞いて、安堵すらしていた。
何故なら、そのような問い掛けを発するということは、穢れの関係者ではないだろうと予想出来た為だ。
もしこれが穢れの関係者であった場合、自分達の知らない相手がここにいるということで、即座に敵と判断して穢れを使って攻撃してきてもおかしくはない。
「ミレアーナ王国の冒険者だ!」
そう叫ぶレイの言葉に、向こう側はたっぷりと数分沈黙する。
当然だろう。まさかこの場所にミレアーナ王国の冒険者がいるのは向こうにとっても完全に予想外の話だったのだから。
これが、例えばセレムース平原を抜けたベスティア帝国の領土であれば、ミレアーナ王国の冒険者がいてもおかしくはない。
だが、ここは違う。
山や崖といった険しい地形によってミレアーナ王国との間を行き来するのは不可能……とまではいかないが、かなり難しいのも事実。
だからこそ、ミレアーナ王国の冒険者がここにいるというのは、全く理解出来なかった。
最初はそう言って自分達を騙そうとしてるのではないかとすら思えたものの、そのような考えはすぐに消える。
騙そうとするにも、ミレアーナ王国の冒険者というのは幾ら何でも不可解すぎる。
それでは寧ろ怪しんで欲しいのかと思ってもおかしくはない。
「これから近付く! 迂闊な行動はするなよ!」
やがてそう叫ぶと、レイ達を見つけた者達は慎重に……それこそ、もしレイ達が何か迂闊な行動をしたらすぐにでも攻撃出来るようにしながら、雪の中を進む。
(かんじき、か?)
かんじきというのは、日本で雪の上を歩くのに使う道具だ。
靴の上から履く靴、あるいはスキーのようにかんじきの上に靴を設置する……そのような物だ。
レイが住んでいた東北の山の近くでは、雪が積もった時にかんじきを使う者もいる。
近付いてくる者達の靴の周囲には、そのかんじきと似ている何かがあった。
実際には、この地方独自で発展した雪の上を歩く器具が自然とかんじきと同じ形になってしまったのだろう。
そんな様子に驚いているレイだったが、その間に急速にベスティア帝国軍の兵士と思しき者達は近付いてきて……
「え? レイ隊長?」
「……何?」
近付いて来た者達の中で先頭にいた人物が、レイの姿を……そしてレイの側にいるセトを見て、そう呟く。
まさか自分が隊長と呼ばれるとは思わなかったレイの口からは、若干間の抜けた声が上がる。
そして他の面々……特にガーシュタイナーは、レイに疑問の視線を向けた。
当然だろう。ガーシュタイナーにしてみれば、レイはダスカーの懐刀と呼ばれる人物なのだ。
その人物が、恐らくベスティア帝国軍の兵士だろう相手に隊長と呼ばれたのだ。
一体どういうことなのかと疑問に思ってもおかしくはない。
レイはガーシュタイナーからそのような視線を向けられているのにも気が付かず、自分を隊長と呼んだ相手の顔を見て……
「ああ、遊撃隊の時の」
記憶にある顔に、そう言う。
そもそもレイが隊長と呼ばれるようなことは、ベスティア帝国で行った内乱において遊撃隊を率いた時だけだ。
そう分かれば、自分にそのように声を掛けてくる相手の顔から、その素性を思い出すのは難しい話ではない。
「覚えていてくれましたか。……まさか、隊長とこんな場所で会えるとは思えませんでした。向こうに行った連中は元気ですか?」
「いや、そういう話をするよりも前に、事情を聞くのが先じゃないか?」
「何があっても、レイ隊長を俺達がどうにか出来るとは思えませんし、何よりレイ隊長が犯罪に手を出したりはしないでしょうし」
「……そこまで信頼されるのもどうかと思うんだが」
レイも別に今まで後ろ暗いことに手を染めたことがない訳ではない。
普通に人は殺しているし、それこそ盗賊狩りを半ば趣味としている部分もある。
とてもではないが、普通に考えて清廉潔白と呼ぶべき存在ではないのだ。
「レイ隊長なら大丈夫ですよ」
そう言ってくる男に、レイはそこまで信頼が厚いことに微妙な思いを抱く。
とはいえ、そのお陰で余計な騒動にならなかったのは事実なのだが。
「ああ、ヨハンナ達ならギルムで冒険者として暮らしてるぞ」
内乱の時、レイは遊撃隊を率いた。
その時、遊撃隊の面々はレイの実力を間近で見た。
その結果として、レイと絶対に敵対したくないと思う者達は、レイと一緒の場所にいれば戦争が起きても敵対することはないと判断し、ギルムに移住してきたのだ。
だからといって、ベスティア帝国に残ったのはレイと敵対しても問題ない者かといえば、そうではない。
家族や恋人、友人、仕事の人間関係。
その辺の様々な事情から、本人がギルムに移住したくても出来ない者も相応にいた。
……いや、寧ろそのような中でギルムに移住した者が多いのが、そもそも異常なのだが。
孤児であったり、親しい者達も移住に賛成してくれたり、とにかくレイと敵対する可能性を少しでも減らしたいので家族や恋人、友人に理解されなくても移住してきた者もいる。
そんな風に遊撃隊の面々は内乱終了後に自分の道を選び、こうして現在レイの前に姿を現した男は、諸々の事情からベスティア帝国に残るという選択肢を選んだ者だった。
「そうですか。元気でやってるならいいんですが……」
「隊長、知り合いですか?」
レイと話していた男の部下が、そっと尋ねる。
本人は小声で聞いたつもりだったのだろうが、五感の鋭いレイの耳にはしっかりとその言葉は聞こえていた。
(隊長か。俺を隊長と呼ぶ奴が隊長になったってのは……そんなに不思議な話でもないだろうな)
ベスティア帝国の内乱を終わらせるのに、レイ率いる遊撃隊は大きな活躍をした。
ましてや、遊撃隊の面々は腕利きが多く揃っており、その上でレイやセトに訓練を施された……それこそ精鋭の中でも上位に位置する者達となる。
ましてや、そんな精鋭が揃った遊撃隊の面々のうち、かなりの者達がギルムに移住を決めた。
そうなると、ベスティア帝国としては残った者達を重用し、ミレアーナ王国に流れる戦力を少しでも少なくしたいと思うのは当然だった。
ましてや、噂と違って実は弱いのなら扱いにも困るが、正真正銘の精鋭だ。
レイの手の内を多少なりとも知っている者達は、ベスティア帝国としても手放したくない。
結果として、それなりに出世するのはおかしな話ではなかった。
「一目見ただけだと分からないか。……ほら、向こうを見てみろ」
「え? ……え?」
示された方向を見た男は、一体自分が何を見ているのか理解出来ないといった声を上げる。
当然だろう。ここはベスティア帝国の中でもそこまで人の多い場所ではないものの、それでもベスティア帝国の辺境として知られる魔の山ではない。
だというのに、そのような場所にグリフォンがいたのだから。
雪の中に立つグリフォンの姿に、この時初めて気が付いたのだ。
それはレイを隊長と呼ぶ男以外の他の面子も同様だった。
「グリフォンを従魔にしている冒険者……そして大鎌を持つ冒険者。……何で槍も一緒に持ってるのかは分からないが、とにかくそういう情報を聞けばあの人が誰なのか分かるんじゃないか?」
最初こそ穢れの関係者かと思って武器を構えたレイだったが、既にデスサイズも黄昏の槍もその刃先を下ろしている。
それでもレイを見れば、夜であっても何か長柄の武器を持ってるのが理解出来た。
グリフォンを従魔にし、大鎌を武器にしている冒険者。
ベスティア帝国に住む者で、その相手を知らない者は余程の世間知らずと見なされるだろう。
ましてや、兵士達を率いる隊長は内乱においてその人物の下で戦っただけに、部下達はその話を聞いている。
「深紅」
部下の兵士の一人がそう呟き、その声はそれなりに風が吹いているにも関わらず、不思議とその場にいる全員の耳に入るのだった。