3400話
レイがセトの身体についている雪を払ってやっていると……
「痛っ!」
不意に脇腹に鋭い痛みを感じる。
もしかしたら、さっきの行動で身体を痛めたか?
一瞬そう思ったが、そんなレイの心配は次の瞬間には消える。
「ちょっとレイ、一体何をしてるのよ! いきなり激しく動かないでよね!」
ドラゴンローブの中から聞こえてくる声。
それは外に出ていると寒いからと、ドラゴンローブの中に入っていたニールセンの声だ。
「あ……悪い、大丈夫だったか?」
予想外のことが起こったので、ニールセンのことをすっかりと忘れていたレイ。
それだけに、ニールセンがこうして怒ってもそれには理解出来てしまう。
「大丈夫だけど、一体何があったのよ?」
自分が着ているドラゴンローブの中にいるニールセンとそのまま会話をするということを少し不思議に思いながらも、レイは口を開く。
「ちょっと雪が予想していた以上に積もっていたらしくてな。セトが着地に失敗して、俺が空中に投げ出された。それでも無事に着地したんだが、俺も雪の深さに驚いて転びそうになった」
「ふーん……それでああいう感じに。セトは大丈夫なの?」
「いや、この場合はセトよりも俺の心配を先にしないか? お前がいるのはどこだと思ってるんだよ?」
「レイがそのくらいのことでどうにかなる訳がないでしょ」
「……それを言うなら、それこそセトも十分に頑丈だと思うんだが」
そう言いつつも、ニールセンの言葉に説得力を感じてしまったのも事実。
レイの身体はゼパイル一門によって生み出されており、その身体能力は普通の人間とは比べものにならない程に高い。
そうである以上、この程度のトラブルでどうにかなる筈もなかった。
「レイよりもセトの方が繊細でしょ」
「それは……」
そう言われると、レイも反論することは出来ない。
実際、ニールセンの言葉は決して間違いではないと、そう思えたからだ。
「うん? 何かあったのか?」
そんな中、聞こえてくる声。
声のした方に視線を向けたレイは、セト籠から出ていたエレーナの……そして他の面々の姿を見つける。
(エレーナが真っ先に外に出るというのは、どうなんだ?)
エレーナは立場としてはこの中でも恐らく一番上だろう。
出奔したヴィヘラと違い、今もまだケレベル公爵家に所属している。
そして姫将軍の異名を持ち、貴族派の象徴と呼ぶべき存在でもあった。
エレーナがそのような存在である以上、このような場合に最初に出るのはどうかとレイには思えた。
それこそ冒険者達がいる以上、そのような者達が先に出てもいいのではないか。
もしくは、何者かと接触して戦いになるかもしれない以上、戦闘狂のヴィヘラが真っ先に出てくるか。
そんな風に思いつつも、結局最初に出て来たのがエレーナなのは間違いなかった。
「雪が思った以上に積もってるから、気を付けてくれ」
レイは一応ということで、エレーナ達にそう声を掛ける。
セト籠は地面に着地したところで、勢いのまま少し雪で滑った。
そのお陰で、丁度セト籠の扉のすぐ前の部分は積もった雪が圧縮された状態となっている。
エレーナが……そして続いて出て来た者達が雪に足をとられなかったのは、それが理由だろう。
「うわ、これは凄いわね。……マリーナ、お願い出来る?」
ヴィヘラが積もった雪を興味深そうに見て、自分の隣にいるマリーナに言う。
マリーナはヴィヘラの言葉に頷くと、すぐに精霊魔法を発動する。
するとセト籠を中心にして、積もっていた雪が移動を始める。
それは、見ている者にとって不思議な光景だ。
積もっていた雪が自然に動き、そうして周囲を歩きやすい状態にしているのだから。
普通に考えれば、一体何がどうなってるのか分からず混乱するだろう。
レイ達の場合は、それがマリーナの精霊魔法であると理解出来ているので、驚きはするものの、混乱はしなかったが。
最終的にはセト籠の周囲……どころか、レイやセトがいる場所も含めて雪が除去される。
お陰で歩きやすくなってレイは助かったが、同時にこのままだと不味いかもとも思う。
(穢れの関係者の見回りがあるかどうかは分からない。けど、もしあった場合、ここは明らかに不自然だ)
マリーナの精霊魔法によって、セト籠を中心にした一帯は綺麗に雪がなくなっている。
こうして明確に一部分だけがこのようになっているのは、見るからに不自然だった。
ここで何かがあったと思うのは当然だろう。
そうして異常に気が付いたのが穢れの関係者であった場合、本拠地の防備は固くなる。
(いやまぁ、この状況で行動出来なくなるよりはマシだけど。それに最終的にはマリーナの精霊魔法で元通りに戻せるかもしれないし)
半ば自分を納得させるようにしながら、レイはセトと共にセト籠に近付いていく。
先程までレイと言い争っていたニールセンは、一通りレイを攻撃して、不満を口にしたことで落ち着いたのか、今はもう騒いでいない。
ここでレイが転んだりして、また大きな衝撃を与えたりすれば、話は別だったかもしれないが。
ただ、幸いにもそのようなことはないまま、足を進め……セト籠に到着する。
その頃には既にセト籠から全員が出ており、何人もが寒さに震えながらもレイを見ていた。
「マリーナ、また使うようで悪いけど、寒さの方をどうにか出来ないか? 俺は問題ないけど、他の面子がちょっと問題だ」
ドラゴンローブを着ているレイ、真冬の夜中でも普通に外で眠れるグリフォンのセト、エンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナ、精霊魔法によって寒さや強風を遮断出来るマリーナ、耐寒の効果を持つ薄衣を身に纏っているヴィヘラ、ドラゴンの子供のイエロ。
この面々は積もった雪はともかく、寒さに関しては全く何の問題もない。
だが、それ以外の面々は寒いのは間違いない。
だからこそ、レイはマリーナに精霊魔法で寒さや風もどうにかするように頼む。
「分かったわ。ちょっと待っててね」
あっさりとそう言うマリーナは、素早く精霊魔法を使う。
その瞬間、降っていた雪はレイ達に降り注ぐことはなく、冷たい風もレイ達には感じられなくなる。
『おおおお』
寒さに震えていた者達が、いきなり周辺の環境が変わったことに驚きの声を漏らす。
実際には冷たい風の影響がなくなっただけで、周辺の気温そのものが上がった訳ではない。
だが、かまくらの中に入ったことがある者なら、冬に雪や風がないだけで十分に暖かく感じるのを理解出来るだろう。
そういう意味では、マリーナの精霊魔法によって風や雪の影響を遮断したこの空間は、擬似的なかまくらの中と表現してもいいのかもしれない。
「ともあれ、これで寒さは何とかなったな。それでこれからのことだ。知っての通り、この周辺に穢れの関係者の本拠地があるのは分かっているが、あくまでもこの辺というだけで、正確な場所は分からない」
「一応確認するけど、本当にこの辺でいいのよね?」
セトと一緒に遊びたいという様子を我慢しながらも、ミレイヌがそうレイに尋ねる。
ミレイヌもセトと一緒に遊ぶのが大事なのは間違いないが、今は真面目に仕事の話をする必要があると考えての発言だろう。
……なお、その言葉はレイやセトが微妙に方向音痴気味であるというのを前提にしたものだったが、その辺は恐らくセト籠の中でエレーナ達のうちの誰かから聞いたらしい。
レイが微妙に方向音痴気味だというのは、別に隠している訳でもないので、知っている者は知っているのだが。
そしてレイの様子を見る限り、ニールセンはずっとドラゴンローブの中にいたと思われる。
つまり、レイが自信満々で用意したこの場所だったが、もしかしたら……本当にもしかしたらの話だが、実は当初の予定とは全く違う場所であるという可能性も否定は出来なかった。
「多分間違いないと思う。とにかく今はどうにかして穢れの関係者の本拠地を探す必要があるんだが……問題なのは、どうやって探すかだよな。ここまで雪が積もってなければ、セトに臭いで追って貰えたんだが」
セトはグリフォンだけあって、鋭い五感を持っている。
その上、嗅覚上昇というスキルを持っており、臭いで穢れの関係者の本拠地を見つけられる可能性は非常に高かった。
だが……今はこうして雪が降っており、結構な量が積もっている。
このような状況では幾らセトであっても臭いで穢れの関係者の本拠地を見つけることは難しい。
「グルゥ」
ごめんなさい、と申し訳なさそうに喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトに対し、気にするなと首を横に振って身体を撫でてやる。
「むぅ」
そんなレイを羨ましそうに見つめるミレイヌ。
ミレイヌにしてみれば、セトを撫でるのは自分もやっているものの、レイのようにあそこまでセトが嬉しそうにする様子がないことに羨ましく思い、そして若干ながら嫉妬してしまう。
ミレイヌも、セトが誰に一番心を許しているのかは理解している。
それでも、やはりセト好きを自認する身として羨ましいと思うのを止めることは出来ない。
「そうなると、どうする? 全員で散らばって探す?」
「ヴィヘラにとってはその方はいいのかもしれないけど、ここには何があるのか分からない。何より……俺達が気を付けるのは、穢れの関係者だけじゃない」
全員で散らばって探すと口にしたヴィヘラだったが、当然のようにレイの言いたいことは理解出来ていた。
ここがベスティア帝国である以上、いつベスティア帝国軍……そこまではいかずとも、警備兵や自警団といった者達が来ないとも限らない。
そうなった場合、ベスティア帝国の皇帝から友好の証とでも呼ぶべきカードを貰っているレイや、出奔したとはいえ、元皇族のヴィヘラはともかくとして、それ以外の面々が見つかると厄介な事になる。
特にエレーナは姫将軍としてベスティア帝国でも広くその名を知られている。
現在のベスティア帝国はミレアーナ王国と友好的な関係を築いているものの、それでも今までの戦いの歴史が失われた訳ではない。
エレーナによって殺された者、エレーナの率いる軍によって殺された者、エレーナと協力して動く軍に殺された者……ベスティア帝国には、エレーナと敵対したばかりに殺された者はかなり多い。
戦争である以上、殺されたのはベスティア帝国の者達だけではない。
ミレアーナ王国側にも、死んだ者は多い。
だが……それでも、現在レイ達がいるのがベスティア帝国である以上、その辺の話が通じるかどうかは微妙なところだろう。
だからこそ、エレーナを含めて他の者達……具体的にはレイとヴィヘラ以外はここで活動しているのを見つかるのは不味かった。
「じゃあ、レイと私がそれぞれに行動して、他の人達も二手に分かれて行動するということでどう?」
「ちょっと待ってくれ、何でヴィヘラさんはベスティア帝国に見つかっても大丈夫なんだ?」
グライナーが不思議そうに言う。
しまった、と。
グライナーの言葉を聞いたレイは、そう思う。
そう思いながら周囲の様子を確認してみると、ミレイヌとレリューはグライナーの言葉に頷いている。
冒険者組と違い、ガーシュタイナーとオクタビアの二人は驚きというよりも、不味いことを聞かれたといった表情を浮かべていた
そんな騎士二人の様子を見たレイは、元皇女であるかどうかはともかく、ベスティア帝国の出身であるということは聞かされているのだろうと判断する。
「ヴィヘラはベスティア帝国のとある高貴な一族の出だけど、そこでの生活が合わなくて出奔したのよ」
どうするべきかレイが迷っていると、マリーナがそう言う。
(上手いな)
レイはマリーナの言葉を聞いて、素直にそう思う。
何故なら、マリーナが言ったのは高貴な一族の出というものだ。
普通に考えれば、皇族が出奔するといったことは考えられない。
だが、高貴な一族……つまり、貴族ならどうか。
皇族と違って貴族の数は多い。
その中には出奔する者がいてもおかしくはなかった。
ガーシュタイナーとオクタビアの二人も、マリーナの説明に頷いている。
皇族ということを知らずに貴族だと思っているのか、それとも元皇族だと知ってるのか。
その辺りはレイにも分からなかったものの、それでも今の状況を思えば迂闊に騒がないのは助かる。
「なるほど、それでベスティア帝国の兵士とかに見つかっても大丈夫なのか。……それにしても、貴族の身分を捨てるなんて勿体ないことをしたな」
レリューのその言葉は、普通なら多くの者が同意するだろう。
命の危険がなく、毎日食べる物にも困らない。
……実際には貴族の中には食べるのにも困る貧乏貴族もいるのだが。
それでも大半の貴族が餓えと関係がないのも事実。
そのような境遇を捨てるのは勿体ないというレリューの言葉に同意する者は多いだろう。
だが、ヴィヘラは笑みを浮かべ、口を開く。
「貴族では戦いの中に生きられないでしょう?」
そう言うヴィヘラの美貌に、レリューは目を奪われるのだった。