3399話
クリスタルドラゴンの肉を食べさせるというレイの言葉に、全員が歓声を上げる。
当然だろう。クリスタルドラゴン……ワイバーンのような偽物ではなく、本当の意味でのドラゴンなのだ。
辺境にあるギルムにいても……そして高ランク冒険者や、ダスカーに仕える騎士の中でも腕利きだとしても、そんな機会は一生に一度あるかないかだろう。
そんな機会に恵まれたのだから、それで喜ばない筈がない。
エレーナ達は以前クリスタルドラゴンの肉を食べたことはあるが、それこそ貴族派を率いるケレベル公爵の娘にして、姫将軍の異名を持つエレーナは多くのパーティに誘われるが、そんなパーティでもドラゴンの肉を食べたことはなかった。
だからこそ、これが二度目でも……いや、二度目だからこそか、クリスタルドラゴンの肉を食べるという行為に喜びの声を上げたのだろう。
そうしてクリスタルドラゴンの肉を食べた面々は、レイの予想通り……いや、予想以上に士気が上がる。
(あれ? これちょっとやりすぎたか? 穢れの関係者の本拠地の攻略を終わったら、またクリスタルドラゴンの肉を食べさせようと思ってたけど、止めておいた方がいいか)
ただでさえ、レイ以外の面々は士気が高い。
高いどころか、限界を超えて士気が上がってるように思えた。
(そう言えば、日本にいた頃にやったゲームで気力が高いと攻撃力が上がるという仕様があって、スキルの中には気力の最大値が普通のよりも高くなるものがあったな)
やる気に満ちている面々を見て、レイはふと日本にいた頃にやったゲームを思い出す。
「大丈夫だ」
「エレーナ?」
士気が上がってやる気に満ちている面々を見ていたレイだったが、そんなレイにエレーナが声を掛ける。
当然ながら、エレーナもまたやる気に満ちていた。
それでもクリスタルドラゴンの肉を食べるのは二度目ということもあり……また、公爵家令嬢として、クリスタルドラゴンの肉程ではないにしろ、今まで色々と美味い料理を食べてきただけあって、我に返るのも早かったらしい。
「今はこうして極端に士気が高いが、夜になってベスティア帝国に入るまではまだそれなりに時間がある。その頃になれば、ある程度は落ち着いているだろう」
「だといいんだけどな」
エレーナの言葉にレイはそう言う。
今のようなやる気に満ちた状態でベスティア帝国の領土に入ることになった場合、それこそ元気すぎてベスティア帝国軍に見つかってもおかしくはない。
レイとしては、そのようなことは絶対に避けたかった。
「ここにいる面々を信じろ。多くの者が精鋭なのだ。そのくらいの自制は出来ると思っていい」
エレーナはそう言うものの、現在のやる気に満ちている面々を見ると、とてもではないがそのようなことが出来るとは思えない。
思えないが……それでも時間が経てば自然とそうなるのだろうと自分に言い聞かせ、時間が流れるのを待つのだった。
「じゃあ、行くぞ。セト籠に入ってくれ」
もう少しで日付が変わるという時間、レイは万全の準備を整えて、他の面々に言う。
レイの言葉に、話を聞いていた全員が真剣な表情で頷く。
そこにはクリスタルドラゴンの肉を食べた直後のような、行きすぎたやる気の類はない。
エレーナの言うように、最初こそやる気に満ちていた……それどころか半ば興奮していた面々だったものの、ある程度の時間が経過するとある程度落ち着いたらしい。
レイはそのことに安堵する。
……クリスタルドラゴンの肉を食べた状態のまま、ベスティア帝国の領土に入るのは絶対に避けたかったからだ。
セト籠に乗っており、夜である以上はそう簡単に見つかることはないだろう。
だがそれでも、あのやる気が半ば暴走している状態であれば、空を飛んでる途中でセト籠から飛び出したりしてもおかしくはないし、見回りの兵士や騎士がいた場合でも、隠れるのは面倒だと戦いを挑んだりしてもおかしくはない。
そんな諸々を考えた場合、レイは絶対にあの状態のままでは連れていけないと思っていた。
それこそ場合によっては、興奮が収まるまで一日や二日、ここで野営をしなければならないかもとすら思っていたのだが、幸いなことに時間が経過すると皆が落ち着いた。
それでいて、ある程度のやる気は漲っており、レイも予定通りベスティア帝国の領土に今夜のうちに侵入することを決意出来たのだ。
「レイ、中に入れてちょうだい」
そう言い、飛んできたニールセンはレイが何かを言うよりも前にドラゴンローブの中に入り込む。
先程まではイエロやセト、ミレイヌと遊んでいたニールセンだったが、これから出発するということでレイのいる場所に戻ってきたのだろう。
もっともドラゴンローブの中に入ったので、レイとしてはそれならセト籠の中に入っていてもいいのではないかと思っていたのだが。
そんな風に思っている間に、全員がセト籠に乗り込む。
「グルゥ!」
セトがそろそろ行こうと喉を鳴らす。
なお、セトもクリスタルドラゴンの肉を食べたのだが、それでも他の面々のように過剰にやる気を抱いている訳ではない。
「そうだな、じゃあ行くか。……この様子なら、見回りがいる可能性は低いだろうけど」
月明かりの中を降る雪は、それだけを見ればかなり幻想的な光景だ。
だが、こうして雪が降ってる中で見回りをするとなると、その大変さはかなりのものだろう。
レイのようにセトに乗って空を飛ぶといったことはまず出来ず、馬に乗って……もしくはそれ以外の動物やモンスターに乗って移動するのが精々なのだから。
それこそ、徒歩で見回りをしている可能性も否定出来ない。
雪が積もり、雪が降ってる中……せめてもの救いは、風がそこまで強くないことか。
これで風が強くなって吹雪となれば、見回りをする者にとっては致命的だろう。
(とはいえ、夜に村や街の外に出るのは……どうだろうな。ギルム程ではないにしろ、危険なのは間違いないと思うけど)
ギルムでは夜に街の外に出るのは、余程自分の腕に自信のある者でなければやらない。
夜になると日中よりもモンスターの活動が活発になり、それこそ高ランクモンスターがギルムの近くに姿を現すのも珍しくはないのだ。
ここは辺境ではないので、そもそもモンスターが多くない。
ベスティア帝国との戦いが頻繁に行われていたセレムース平原なら、夜になればアンデッドがいてもおかしくはないが、ここはセレムース平原ではない。
セトという空を飛べる存在がいるので、セレムース平原を経由しなくてもベスティア帝国に入れるのだ。
そういう意味で、空を飛べるというのはもの凄い利点だろう。
「じゃあ、行くか」
そう言い、レイはセトの背に乗る。
セトもレイが乗ったのを確認すると、そのまま数歩の助走で一気に地面を蹴って翼を羽ばたかせて空を駆け上がる。
月光に雪が照らされる中、空を飛ぶセト。
何も事情を知らない者がこの光景を見れば、一枚の絵画のようだと思ってもおかしくはない。
あるいは、この光景を絵に残したいと思うか。
写真があれば、この光景を写真に撮りたいと思う者もいるだろう。
それ程、セトが夜空を飛んでいる光景は美しいものだった。
その光景を自分の目で見た者が誰もいないのは、幸福なのか不幸なのか。
芸術家泣かせの光景を生み出したレイとセトだったが、まさか客観的に見た場合、自分達がそんな風に見えるとは全く思ってもおらず、今はベスティア帝国に入るのを優先させる。
レイが空を飛ぶセトの背を軽く叩くと、セトはそれを合図に翼を羽ばたかせ、一直線に地上に向かって降下していく。
地面にあるセト籠をあっさりと掴み、そのまま再び上空に向かう。
そんなセトを邪魔する者はなく……レイを乗せ、セト籠を持ったセトは、あっさりとベスティア帝国の領土内に入るのだった。
「分かってはいたけど、特に何も変わりはないな」
ベスティア帝国の領土に入ったものの、空から見える光景に特に違いはない。
レイは以前ベスティア帝国で行われた武道大会に参加をしたし、その流れから内乱にも関わった、
その時、ベスティア帝国の上空を飛ぶのは珍しい話でもない。
当時の経験から、この状況については十分に理解していたものの、それでも久しぶりにベスティア帝国にやって来たということもあり、多少は何か違いがあるのかと思ったのだが、残念ながらそういうことはなかったらしい。
(穢れの関係者の本拠地がある以上、その辺りの理由で何か違っていたら、それはそれで分かりやすいと思ったんだけどな。……それにしても考えすぎか)
雪の降る中を飛ぶセトの背の上で、レイはそんな風に思う。
そうして暫く……一時間程、セトは夜空を飛ぶ。
幸いなことに、空を飛ぶモンスターに襲撃されるということはなかった。
未知のモンスターと遭遇するということを考えれば、魔獣術的には残念だという思いがあったのも事実だが。
「大体この辺りか。……見た感じ、どこにそういうのがあるのか分からないけど」
オーロラがいた洞窟で得た情報を考えると、恐らくこの辺りに穢れの関係者の本拠地があるのだろうと思しき場所に到着する。
本来なら、地上を移動すればベスティア帝国に入ってからも非常に複雑な……それこそ道なき道を進み、ようやくこの辺に到着出来るのだが……空を飛ぶセトにしてみれば、そのような障害はスルーして移動出来るので、全く苦にならない。
その為、こうして今回は普通ではとても考えられない速度で移動することが出来たのだ。
「セト、どこか適当な場所にセト籠を下ろしてくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、任せて! と喉を鳴らすセト。
そうしてセトが向かったのは、林と思しき場所だった。
周囲に生えている木々によって、ある程度の風が遮られている場所。
そこを目指してセトは降下していく。
(あそこは……大丈夫か? うん、多分大丈夫だよな?)
レイが少し心配に思ったのは、見るからに快適そう――冬に野営をする者にしてみればだが――な場所である以上、当然ながら穢れの関係者達もこの辺りを見回っている場合、ここを怪しんだりするのではないかと、そう思った為だ。
とはいえ、積もっている雪には人が移動したような足跡がある訳でもないので、恐らく大丈夫だろうとレイは自分を納得させる。
もし慎重を期すのなら、それこそもっと別の場所にセト籠を下ろす必要がある。
だがそうした場合、今度はどのような場所にセト籠を下ろすのかで悩む。
そうして考えている間にもセトは急降下し……掴んでいたセト籠を地面に下ろすと、再び上空まで上がる。
方向を変え、再び地上に降下していき、雪の上に着地し……ズボという音と共にバランスを崩す。
「グルゥ!?」
「うおっ!」
セトがバランスを崩せば、その背中に乗っているレイも当然のようにそのままではいられず、半ば放り出されるようにセトの背から降りる。
それでも何とか空中で身を捻り、咄嗟にスレイプニルの靴を使って空中を蹴って地面に着地し……
「うおっ!」
再びのレイの口から出る驚きの声。
地面に着地して、しっかりと固い感触があると思っていたところで柔らかな感触……積もっていた雪を踏み、そのまま三十cm程も足が沈んだのだから、予想外の光景に今のような驚きの声を発してもおかしくはなかった。
それでも結局のところ、柔らかな雪の感触に戸惑ったというだけなので、被害らしい被害はなかったのだが。
「ふぅ」
予想していたところで、それとは全く違う予想外の状況に陥るとここまで混乱するとは、レイにとっても少し予想外だった。
とはいえ、戦いの中で今のようなことにならなかったのは、せめてもの救いだろう。
もし戦いの中……特に穢れの関係者との重要な戦いの中で今のようなことになっていたら、それが致命的な隙になったかもしれないのだから。
「まさかここまで雪が積もってるとは思わなかったな。……セト、大丈夫か?」
「グルゥ……」
そうセトに呼び掛けるレイだったが、そのセトは着地の瞬間の衝撃が予想外だった為か、雪の中を転がっていた。
セトの降下速度はかなり速かった筈だが、地面に三十cm程も雪が……それも踏み固められた訳でもない雪が積もっていたので、セトが空から降下してきて転んだ衝撃の大部分を吸収してくれたらしい。
もっとも、普通ならそれでも重傷を負っていてもおかしくはない衝撃だったのだが、それでもこうして無事なのは、セトがグリフォンだというのが大きい。
そう思いながら、レイはセトに近付いていく。
ただし、雪が積もっているのはここも変わらない。
一歩歩くごとに足は雪に沈む。
(これだと、移動するのはちょっと難しいな。いっそ、もっと寒くなって雪が固まってくれれば、もう少しは歩きやすいんだが)
そう思いながら、レイはセトに近付き、セトもレイに近付くのだった。