3391話
「どうやら、問題はなかったみたいだな」
領主の館でのやり取りを終えると、レイはセトに乗って妖精郷に戻ってきた。
なお、妖精郷に戻る前にアリアス達の為の補充物資を運んで欲しいと頼まれたのだが……ミスティリングを持っているレイにしてみれば、それは全く負担ではなかったのであっさりと引き受けている。
いつものように霧の空間を抜けて妖精郷に入ると、そこでは特に何か騒動があったようには思えない。
そのことに安堵しながらも、レイは少し心配しすぎか? とも思う。
(元々雷蛇のようにランクAモンスターが妖精郷を襲撃するといったことは、滅多にないんだ。ただ……実際に一度襲撃されているだけに、どうしても心配してしまうんだよな)
アリアス達がいる以上、大丈夫だとは思う。
思うのだが、それでもやはり色々と思うところがあるのは事実。
こうして妖精郷に戻ってきて、特に何も問題がないというのを確認すると、安堵する。
「グルルゥ?」
これからどうするの? とセトがレイに尋ねる。
レイはそんなセトを撫でながら口を開く。
「取りあえず戻ってきたんだし、アリアス達に補給物資を……いや、その前に長のところに顔を出しておかないとな」
「グルゥ……グルゥ!」
レイの言葉に頷いたセトだったが、不意にとある方向を見て喉を鳴らす。
そこには素早く地面を走ってくる、二匹のピクシーウルフの姿があった。
何を目指して走っているのかは、考えるまでもないだろう。
元々二匹のピクシーウルフは、モンスターとなる前からセトと親しかった。
そんな二匹がセトの存在を察知したのだから、一緒に遊びたいと思って走るのは当然だった。
「グルルルゥ、グルゥ、グルルルルルルゥ」
セトがレイに向かい、ピクシーウルフ達と遊んできてもいい? と尋ねる。
特にセトに何かをして貰う必要もなかったので、レイは特に考えるでもなく素直に頷く。
「分かった。遊んできてもいいぞ。多分特に何もないだろうけど、何かあったら呼ぶから」
「グルゥ!」
レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らすと、セトはピクシーウルフ達の方に向かって走り出す。
そんなセトを見送ったレイは、長のいる場所に向かう。
途中で何気なく妖精郷を見て歩いていたのだが、何人かの騎士達が妖精達と一緒に遊んでいたり、話していたりする光景がそこにはあった。
以前にもそれなりに仲が良かったものの、レイ達がいない間にもその友好は深まっているらしい。
元々妖精は好奇心が強い性格をしているものの、人懐っこい一面もある。
それだけに極端に波長が合わないような場合でもない限り、友好的に接することが出来るのだろう。
……中には性格的にどうしても妖精と合わないという者もいるかもしれないが、幸いなことにアリアス達の中にそのような者はいなかった。
「あれ? ねぇ、レイだけ? ニールセンは?」
妖精郷を歩くレイの存在に気が付いた一人の妖精が、レイの側に近づいてそう尋ねる。
いつもレイの側にはニールセンやセトがいるという認識なのだろう。
もっとも、セトは今のようにピクシーウルフと遊ぶ為に、レイの側にいないことも多かったのだが。
「ニールセンは……」
そこまで口にしたレイだったが、ここで素直に色々な屋台で食べ物を買う為にギルムに残ったと言えば、それを聞いたこの妖精は羨ましがり……最悪の場合、他の妖精にもそのことを話して、面倒臭いことになるだろうと判断する。
「ちょっとギルムで用事が残っていてな。そっちの用事を片付けてから妖精郷に戻ってくる筈だ」
屋台の料理を食べるというのも、一応用事という表現で間違っていない筈だ。
自分に半ばそう言い聞かせるようにレイはニールセンの説明をする。
「ふーん、大変なのね。私は妖精郷に残っていてよかったわ」
妖精はレイの言い分を素直に信じたのか、それ以上は特に何を言うでもなく飛び去っていく。
助かったと思いつつ、レイは再び歩き出し……
(長、ニールセンをどうするだろうな。一応フォローしておいた方がいいのか? いいよな? でないとまたニールセンがお仕置きされるようなことになるかもしれないし)
長のお仕置きによって、ニールセンがどういうことになるのかはレイにも何となく理解出来る。
何しろ何度かお仕置きの光景をレイは見ているのだから。
そのようにならないように、一応フォローをしておいた方がいいだろうと判断するのだった。
「なるほど、ニールセンはそんなことに」
「ニールセンを擁護する訳じゃないが、最近はニールセンも色々と忙しかったんだ。たまには羽目を外して気楽に楽しませた方がいいと思うぞ」
「レイ殿がそう言うのであれば、納得した方がいいのでしょうね」
セーフ。ギリギリ、セーフ。
長の言葉に、レイは内心でそう思う。
ニールセンにはこの件でしっかり恩を売っておいた方がいいだろうと思っておく。
「そうしてくれると助かるよ」
「それで、今日は奇襲に参加する人達との顔合わせとのことでしたが、どうでしたか?」
期待を込めた視線をレイに向ける長。
長にしてみれば、穢れというのは非常に厄介な存在だ。
そうである以上、奇襲は出来るだけ成功して欲しい。
それに参加する者達なのだから、長がその強さを気にするのは当然だろう。
「そうだな。模擬戦を何度かやったけど、全員それなりの実力者なのは間違いない。何人かは少し未熟な奴もいるが……それでもある程度は何とかなる戦力が増えたとは思う。出来ればもっと数を増やして欲しいとは思うけど、セト籠の大きさの問題もあるしな」
人数が多くなれば、それだけでレイ達にとっても有利になる。
だが同時に、数だけが増えても意味はない。
それこそ最低でもミレイヌくらいの力は必要だと思う。
そんな諸々を考えると、恐らくあのメンバーがダスカーやワーカーの集められる最善だったのだろう。
(冒険者の中にはもっと強い奴もいるだろうけど、今回はチームワークとかも必要になるだろうし、ソロで強い奴はあまり意味がないんだよな。……俺が言うべきことではないだろうけど)
今でこそマリーナ、ヴィヘラ、ビューネとパーティを組んでいるが、以前はかなり長い間ソロの冒険者として活動してきた。
「そうですか。レイ殿の目から見て安心出来るのなら、問題はなさそうですね」
「いや、そこまで俺の言葉だけで安心されると、それはそれでちょっと困るんだけどな」
長が自分を信頼してくれているのは、レイも理解している。
だが、だからといって自分の言葉を全てそのまま信じるのはどうかと思う。
しかし、長はレイのその言葉を聞いても首を横に振る。
「別にそのようなことは考えていませんよ。安易に相手を完全に信頼するというのは、害悪にもなりかねませんので。ですが、レイ殿が今まで妖精郷の為にしてきてくれたことを考えると、信頼に足ると私は思います。そのレイ殿が問題ないと判断する以上、私はそれを信用するだけです」
「……まぁ、長がそれでいいのなら、俺もこれ以上は何も言わないけど」
そう言うレイだったが、本当にそれでいいのか? という思いはまだその胸中にある。
だが、すぐにその考えを頭の中から消す。
今はとにかく、穢れの関係者の本拠地の奇襲を成功させることを最優先にするべきなのだ。
(そして、穢れの関係者の件が終われば、国外の迷宮都市に行ける。……教師だけど)
レイにとって、ダンジョンでの探索は決して嫌なことではない。
マジックアイテムが、そして何より未知のモンスターの魔石が手に入るということを考えれば、寧ろ望んでいきたいとすら思ってしまう。
……問題なのは、純粋に冒険者として行くのではなく、冒険者育成校の教師として行くということだろう。
教師であっても、戦いの教師である以上は具体的にレイが何か小難しいことを教える必要はない。
単純に模擬戦を行い、相手の悪いところを言えばいい。
あるいはダンジョンでいきなり高ランクモンスターと遭遇した時、動揺したり焦ったりしないように、レイが圧倒的な力を見せつけて、強者と向かい合うという実感を教えておくといったようなことだろう。
「あ、そうだ。そう言えば……」
「レイ殿?」
「いや、この穢れの件が終わったら、国外にある迷宮都市に行くことになってるんだが、ニールセンがそれに一緒に来たいと言っていたのを思い出してな」
そう言った瞬間、長の頬がヒクリと動く。
とはいえ、不機嫌になったりといったことはなく、普通に言葉を続ける。
「迷宮都市にですか。以前却下した筈ですが、本当にニールセンがそのようなことを?」
「本人は本気のように見えたけどな。もっとも、迷宮都市に行くのはあくまでも穢れの件が片付いてからだ。ニールセンもその件について改めて頼むのは、これが終わってからと思っていたんじゃないか?」
「……ニールセンの性格を考えると、レイ殿と一緒に行ってなし崩し的に私に認めさせるようにするようにしようと思っていてもおかしくはないと思いますが」
「それは……」
長の言葉をレイは即座に否定出来ない。
ニールセンの性格を知っているからこそ、余計にそのように思ってしまうのだろう。
「そうなるかもしれないってのはあるな」
結局レイの口から出たのは、長の言葉が正しいかもしれないと思わせるものだった。
ニールセンの外見は、妖精という種族に相応しく愛らしいものがあるのだが、同時に非常に悪戯好きで好奇心が強いのをレイは自分で体験して知っている。
そんなニールセンだけに、迷宮都市やダンジョンという言葉に興味を惹かれないということはまずない筈だった。
実際にその話を聞いた時のニールセンの様子を思い浮かべれば、レイは長の言葉を決して否定出来ない。
「レイ殿にも分かって貰えたようで何よりです。では、ニールセンは帰ってきたらしっかりと話を聞かせて貰うとしましょうか」
「あー……うん。多少は手加減をしてやってくれ」
レイに出来るのは、結局そう言うことだけだった。
「すまん、助かった。食料とかは余裕があるが、万が一のことを考えると多い方がいいからな」
長との話が終わると、レイは野営地に戻ってきた。
アリアスに対し、領主の館で預かってきた補給物資を渡す為だ。
アリアスが言うように、食料も含めて補給物資はまだかなり残っている。
だが、いつ何があるか分からない以上、不測の事態に備えて準備をしておくのはおかしな話ではない。
(アイテムボックスの中に入れておけば、妖精達につまみ食いされたりしないしな)
アリアス達が持ってるのは量産型のアイテムボックスなので、入る量も限定されるし、収納しておいた食材も普通に時間が流れているので腐ってしまう。
それでもアイテムボックスの中に入っているというだけで場所を取らないし、何よりレイが考えたように妖精達に食材をつまみ食いされたりしないというのは大きい。
「そうだな。俺達が奇襲をする為に出掛けるのも、そう遠くないし。上手くいけば、本当に上手くいけばだが、そんなに時間が掛からずに戻ってこられると思うから、そうなれば食料とかの心配はいらないと思うけど」
移動するのに、セトに乗ったりセト籠を使えるというのは大きい。
その為に、本来なら一番時間が必要な移動時間を極限まで――というのは少し大袈裟かもしれないが――短縮出来るのだ。
移動さえしてしまえば、後は穢れの関係者の本拠地を攻略するだけだ。
もっとも、今もレイ達は本拠地のある場所を正確には分からない。
あくまでもその辺りといった大体の位置だけしか認識していないし、何よりも大きいのはオーロラが持っていた指輪だろう。
何らかの証明、もしくは鍵になってるだろうとレイが予想しているマジックアイテム。
それを示すかのように、罪人で実験をしてみたところ、罪人は壮絶な最期を遂げている。
つまり、穢れの関係者の本拠地を見つけても、どうにかして中に入る必要があるのだが……
(まぁ、それは何とかなるだろ)
レイは意外に気楽だった。
本拠地というのが具体的にどのような場所かは分からないものの、地面にあるのは間違いない。
場合によっては地中に存在する可能性もあるが。
そのような場所にあるのなら、レイの……正確にはデスサイズの地形操作のスキルを使えば容易に中に入れるだろう。
それどころか、何もせずとも地形操作で本拠地を破壊出来る可能性もあった。
もっとも、それは本当に最後の手段だが。
もしそのような方法で穢れの関係者の本拠地を破壊した場合、本拠地の中にある各種資料や、それ以外にも色々な貴重品を入手出来なくなってしまうのだから。
そんな風に考えながら、レイはアリアスと話を続けるのだった。