0337話
「あー……んんっ、ふわぁああ」
ベッドで眠っていたレイが大きく伸びをしながら目を覚ます。
起きて周囲を見渡すと、視界に入ってきたのは3畳程度の狭い部屋。ただでさえ狭いその部屋の大半をベッドで埋められており、1人で過ごすのがやっとといった広さか。
実は少し前に2mを近い体格の男やその相棒の女がこの部屋にやって来たこともあるのだが、その時はまさに息が詰まるといった程に密集率が高かったことを思い出し、レイは視線を窓の外へと向ける。
窓から見える空は昨日レムレースと戦った時と比べると比較にならない程に暗く、雨雲に覆われていた。
「……レムレースと戦うのを昨日にして良かったな」
ドラゴンローブを羽織り、スレイプニルの靴を履き、ミスティリングから出した流水の短剣を使って身支度を調えながら呟く。
炎の魔法を得意としているレイにとって雨が降っているという状況は好ましくないという理由もあるし、何よりもレイ自身が雨が降っている中でレムレースのような巨大なモンスターと戦闘するのはごめんだという至極単純な理由もあった。
「とは言っても、昨日はさすがに騒ぎすぎたか。もう昼近いようだし」
部屋の外や宿の外から聞こえて来るざわめきに耳を澄ませ、今の時間を予想する。
昨夜はギルドに併設されている酒場で飲めや歌えの大騒ぎをして、宿に戻ってきたのは日も変わる頃だったのだから、この街の住人にしても随分と夜遅くまで起きていたことになるだろう。
実際、レイ自身は少し早めに切り上げたのだが、ギルドの酒場にはまだ大勢の冒険者達が残っていた。特にレイがミスティリングから出したレムレースの肉を使った料理を皆が争って取り合っていたのを考えると、レイが帰った後もまだまだ酒場で騒いでいたのだろう。
「ギルドには……行く必要は無いか」
恐らく今ギルドに行ったとしても、そこに残っているのは死屍累々とした酔っぱらい達だけだろう。そう判断したレイは、ロセウスと約束した10日をどうやって過ごすかを考える。
そもそもの目的がレムレースがこれ以上姿を現さないのを確認するということである以上、エモシオンの街から遠く離れるのは却下である。遠くに足を伸ばせないとなると、この街の周辺で時間を潰すしかないのだが……
「この辺に出て来るモンスターの魔石を集めると考えれば、悪いことじゃないか。まずはその為の準備だな」
幾度か海にいるモンスターを倒してはいるのだが、そのモンスターの死体は決まって海中へと沈んでいく。普通なら死体ともなれば海に浮かぶ筈なのだが……
「となると、倒したモンスターの死体を引き上げる為に必要なのは……銛とかか? 港街なんだし、鍛冶屋に行けば作って貰えると思うけど」
呟き、部屋から出て1階の食堂へと向かう。
そこでは昼食を食べている者がそれなりの数存在しており、同時にどこか明るい雰囲気が漂っている。
「あ、レイさん。おはよう……いえ、おそようね。随分ゆっくりだけど……まぁ、今日はしょうがないか。食事はどうする? レムレースの件もあるから、今日くらいはご馳走するわよ」
階段から下りてきたレイを見て、声を掛けて来た宿屋の娘に小さく頷いて食堂へと向かう。
(さすがに港街。レムレースの件も既に広まっているらしいな)
周囲にいる冒険者や船員達の声を聞きながら食事を待っていると、やがて焼き魚の身を解して味付けしたものが挟まったサンドイッチと、魚介類のたっぷりと入ったスープ、冷たい水がテーブルの上に並べられている。更にはこれまでの食事でレイの好みを把握したのか、巨大なエビを縦に半分に割り、チーズとパン粉を乗せて焼いたグラタンのような料理も出て来た。
「随分と豪華だな」
「えへへ。レムレースを倒してくれたお礼だよ。賞金首ってことで冒険者が結構集まってたけど、それでも中々船が入港出来ないから皆困ってたんだ。その原因を取り除いてくれたレイさんに、この街の一員としてね」
照れたように笑う宿屋の看板娘の声を聞きつつ、最初にエビへと手を伸ばす。フォークでエビの身をくりぬいてチーズと一緒に口に運ぶと、エビのプリプリとした歯ごたえとチーズのコクが一体となってレイの舌を楽しませる。
「……美味いな」
「えへへ。でしょ? 大きいエビを半分も使うから値段はちょっと高いけど、この店の名物料理なんだ」
「確かにこの味なら名物料理にもなるだろうな。……港の方はどうなっているか分かるか?」
「あ、うん。今日の朝早くに最初の船が1隻出港したよ。最初は他の船もその船の様子を見てたけど、レムレースが出ていた海域を通り過ぎたのを確認してからは、他の船も一斉に出港している。もう港に船は殆ど残ってないんじゃないかな? 残っているとしても漁船とかだと思う」
「……へぇ」
感心したように呟き、薄らと笑みを浮かべるレイ。
その様子に一瞬見とれた娘だったが、すぐに我に返ると仕事へと戻っていく。
そんな後ろ姿を見送り、レイは貝の出汁がたっぷりと出ているスープを飲みながら考える。
(最初に出港した船は余程度胸がある船長や船主がいたか、あるいは港の使用料を支払えなくなる程に危なかったか。……ま、その辺は俺には関係無いか)
昼食と呼ぶには豪華すぎる食事を味わいながら食べ尽くし、まずは街の様子でも眺めてこようとセトのいる厩舎へと向かうのだった。
「確かに昨日に比べると活気が戻って来ているな。冒険者の数はそれなりに減っているようだけど」
「グルルルゥ」
街中をセトと共に歩きながら、呟くレイ。その手には魚の串焼きや、イカの一夜干し、サンドイッチや南国の果物といったものが大量に抱えられており、セトが鳴くのに併せて赤と青の斑模様をした果物をクチバシの中へと放り込む。
レイが持っている大量の食べ物、これを手に入れるのにレイは銅貨の1枚すらも使っていない。その全てが店の者からの好意によって無料で受け取ったものだ。
レムレースが倒されたという噂は昨夜の内に街中を駆け巡ったらしく、昨日は街にある酒場のいたる場所で飲めや歌えの宴会騒ぎになっていたらしい。同時に、誰がレムレースを倒したのかというのもレイの予想通り冒険者達から話が広まり、その結果が持ちきれない程の食料品の山だった。
元々レイは海産物を目当てにエモシオンの街に来たという一面もあり、料理の材料を大量に買ってはいた。その為にギルムの街と同様、この街の食べ物関係の店からは良客であると目されており、それなりに名前が売れていたというのもあったのだろう。
既に持ちきれない料理や素材に関してはミスティリングの中に収納されており、レイの腕の中にあるのはあくまでも渡された食料品の1部でしかない。
「っと、ここだな」
そんな中、とある屋台で腕のいい鍛冶屋を聞いたレイは目的の店へと到着する。
大通りから少し横道に逸れた場所にあり、普通に探すだけでは見つけにくい。店主のドワーフも頑固な性格をしており、人付き合いもそれ程得意ではないのだが、それでも曲がりなりにもエモシオンの街で鍛冶屋としてやっていけているのは、純粋に腕がいいからだとレイは屋台の店主に聞かされていた。
そんな頑固なドワーフのやっている鍛冶屋の中へと入り……次の瞬間、飛んできた何かを反射的に回避する。
「うわああああああっ!」
その何かは、悲鳴を上げながら横に回避したレイのいた空間を通り過ぎ、向かいの店の壁へとぶつかってベシャリと音を立てながら地面へと崩れ落ちていく。
「……何だ?」
さすがに予想外の出来事に興味を惹かれてそちらへと視線を向けたレイが見たのは、見覚えのある顔だった。2m近い体躯を誇っているその人物は、つい昨日のレムレース討伐で共に組んだ相手だったのだから。
「グルルルゥ?」
セトが地面に転がっているエグレットへと近付いていき、喉を低く鳴らしながら前足でその巨大な身体――セトに比べれば小さいが――をそっと揺らす。
大丈夫? という風に心配するセトに気が付いたエグレットが立ち上がりながらセトの頭を撫でる。
「わ、悪いなセト。……ん? って、セト? 何でセトがこんなところにいるんだ? レイも……」
そこまで言ってようやく気が付いたのだろう。小首を傾げながらレイへと尋ねるエグレットだった。
「腕利きの鍛冶屋がここにあると聞いてな。……そっちは何でここに? お前の外付け良心のミロワールはどうした?」
「いや、確かに俺はミロワールと行動を共にしてるけど、だからっていつも一緒にいる訳じゃねえぜ? 今日は別行動だよ」
吹き飛ばされたとは言っても特にダメージらしきものを受けた様子が無いのは、エグレットが頑丈だからか、防具の性能なのか、はたまた投げ飛ばした人物の腕なのか。
(十中八九、エグレット自身の頑丈さだな)
あっさりとそう判断したレイは、エグレットを一瞥してからセトをその場に待機させて鍛冶屋の中へと入っていく。だが、その瞬間……
「ええいっ、帰れと言っておるだろう! 絶対にお前のような物知らずに武器は打ってやらんぞ!」
鍛冶場の奥の方から、そんな怒声と共に剣を打つ為の金槌が飛んでくる。
「っと、悪いがエグレットとは別口だ」
柄の部分が回転しながら飛んできた金槌を、片手で受け止めて勢いを殺すレイ。
金槌の落ちる音がしなかったのを訝しく思ったのか、鍛冶場の奥から1人のドワーフが顔を現す。
身長130cm程ではあるが身体の筋肉は見事に鍛え上げられており、恐らく純粋な体重で考えればエグレットとそう大して変わらないだろう。あるいはエグレットより重い可能性もある。強面であり、胸元まで届くかのような髭を生やしている辺り、典型的なドワーフと言った様相だ。
「んあ? 何だ、さっきの物知らずじゃねえのか。……悪いが今はあまり機嫌が良くなくてな。それで、用件は?」
盛大に眉を顰め、店の入り口から顔を覗かせているエグレットを睨みつけているドワーフにまずは自分の用事を済ませてしまおうとレイは口を開く。
「海中のモンスターが殺すと沈んでいくのをどうにかしたいんだ。銛か何かないか? 後、使わなくなった鉄屑や屑鉱石、刃の破片なんかのゴミが入った樽があればそれも譲ってくれ」
「……銛はともかく、そんなゴミを何に使うってんだ?」
「一応俺の切り札的な感じだな。レムレースみたいな巨大なモンスターと戦う時には随分と強力な武器になる」
レムレース。その言葉を聞き、ピクリと眉を動かす。
「レムレース、だと? おい、まさか昨日から噂になってるレムレースを倒した冒険者ってのは……」
「ああ。俺の事だ。後ついでに、さっき外に放り投げられたエグレットもレムレースを倒したパーティの1人だな」
「何ぃっ!?」
目を大きく見開くドワーフに、店の入り口から顔を覗かせていたエグレットが苦笑を浮かべる。
「倒したって言っても、その殆どの功績はレイのものだけどな。強制転移させるマジックアイテムを用意したのもレイだし、俺達じゃ殆どダメージを与えられなかったレムレースを仕留めたのもレイだし」
「……お前の槍が突き刺さったおかげでレムレースは片目を失ったんだけどな」
そんな会話を聞いていたドワーフは小さく頷き、店の外から顔を覗かせているエグレットに向けて声を掛けた。
「ちっ、レムレースを倒したって言うんなら無下にもできねえか。入りな」
小さく舌打ちをし、店内にエグレットを招き入れて視線で椅子に座るように指示する。
その様子にレイとエグレットの2人はドワーフと向かい合うようにして椅子へと座り、まず最初に口を開いたのはドワーフだった。
「そこの物知らず。レムレースを倒したってんならお前の話をもう少し我慢して聞いてやる。あの素材を使ってどんな武器を作れって?」
「ポール・アックスだ。レムレースの牙を使ったポール・アックスを作って欲しい」
「……さっきも言ったがな。あの牙はポール・アックスには向かないんだよ。折角あれだけの長い牙なんだ。槍なりハルバードなりにした方がまだ有効活用出来る。ハルバードなら牙の先端部分を槍の先端部分として使えるが、ポール・アックスとなると刃を打つ際に牙を細かく砕いてその中に混ぜるような真似しか出来ないぞ? 純粋に攻撃力という意味で見ればハルバードの6割……どんなに頑張っても7割ってところだ。それでもポール・アックスに拘るのか?」
「ああ、勿論」
一瞬の躊躇いも無く頷くエグレット。そのエグレットとじっと視線を合わせていたドワーフは深く溜息を吐き、頭を掻きながらも頷く。
「しゃーねーな。レムレースを倒した野郎に頼まれたら嫌とは言えねえからな。分かった。ただし、俺が作る以上は生半可な物じゃ済まさねえぞ」
「おう! こっちとしてもあれだけの素材を持ち込んだんだから、相応の物を作って貰わなきゃ困る」
「あー、勿体ねえ。まあ、いい。で、そっちのレイとか言ったな。お前は銛だったか?」
気分を切り替えるように話し掛けてきたドワーフの言葉に頷くレイ。
「そうだ。正確に言えば刃の先に返しが付いていて、突き刺した後に中々抜けないようになっているのがいい。それと投擲用の武器として使うから、銛の柄の部分にはロープなり何なりを付けて、刺した獲物を引き寄せられるようにして欲しい。重さとかはそれ程考えなくてもいいから、出来るだけ頑丈なのを頼む」
「……その体格で大丈夫なのか?」
「ああ。こう見えても鍛えてるんでな。それと、樽の方には出来れば火炎鉱石の欠片とかもあったら入れてくれ。爆発力が違うからな」
そんなレイの言葉に、エグレットから注文を聞いた時と同じように溜息を吐きながらもドワーフは頷くのだった。