0336話
「こ、これは……」
いきなり目の前に現れた巨大な魔石に、ロセウスは驚愕の声を上げる。
勿論何も無い場所から突然現れた魔石にもだが、何よりも驚いたのはやはり魔石の大きさにだった。
基本的には身体の大きいモンスター程、魔石もそれに比例して大きくなる。あるいはそのモンスターのランクによっても魔石の質や大きさは変わってくるが、今目の前に現れた魔石は低ランクモンスターの魔石とは存在感そのものが違っていた。
「ご覧の通り、レムレースの魔石だ。他にもこういうのもある。これはエグレットの分け前だが……」
そう言い、次に取り出したのは1m以上の長さを誇る牙。レムレースの口から生えていた牙で、エグレットが自分の分け前として要求していたものだ。
「牙、ですか?」
「ああ。レムレースのな」
「……確かにこの街からでも見えた巨体です。これだけの牙を持っていてもおかしくはないでしょうが……ただ、申し訳ありませんが、これだけではレムレースを討伐したとは判断出来ません。そもそも、何故これまでずっと沖にいて港に近寄ってこなかったレムレースが地上に姿を現したのでしょうか?」
「それに関しては、マジックアイテムを使ったとしか言えないな」
自分が使ったとしているマジックアイテムの効果について説明するレイ。
勿論その効果に関しては全くの出鱈目ではあるのだが、まさかここでリッチの……それも数千年を生きたグリムのことを説明する訳にもいかない以上はマジックアイテムで押し通すしかない。
「そう、ですか。マジックアイテムを……確かに海の沖にいたレムレースを地上に強制転移させるとなれば、マジックアイテムを使うくらいでしか出来ないでしょう。もしよろしければ、後学の為にも是非1度そのマジックアイテムを見せて貰えますか?」
言葉は柔らかく、口元に笑みを浮かべ、視線も穏やかな光を宿している。だが、マジックアイテムを見せて欲しいとレイに要請してきたロセウスの瞳の奥には、鋭い光が宿っていた。
ギルドの職員として……否、ミレアーナ王国の国民として、対象を強制的に転移させるようなマジックアイテムの存在を見逃す訳にはいかなかった。犯罪に使おうと思えば、それこそ王族なり貴族なりもあっさりと誘拐可能なのだから。
だが、レイはそんなロセウスの言葉に小さく肩を竦める。
「残念だが、そのマジックアイテムについては使い捨てでな。効果が強力な分、複数回使えるような物じゃない。既に塵と化して海に散っていったよ」
「……」
レイの言葉を聞き、じっとその目を見るロセウス。まるでレイの心の奥底まで見抜くかのような視線であり、自然と会議室の中には緊張した空気が漂い始めていた。
そんな2人のやり取りをエグレットとミロワールの2人は平然として見守っていたが、ヘンデカは緊張した面持ちで石像にでもなったかのように身動きを取れずに固まっている。
数秒程の静寂の後、再びロセウスが口を開く。
「取りあえずマジックアイテムに関しては、これ以上詮索しません。ですが、1つ忠告を。優れた力、あるいは技術、道具。そういった何かを持っている人は、多かれ少なかれ目立ちます。そうなれば当然その何かを狙って来る者もいるでしょう」
「だろうな。それに関しては十分以上に承知しているよ」
呟きつつ、右手に嵌っているミスティリングへと視線を向けるレイ。
アイテムボックスでもあるミスティリングは非常に便利極まりないが、それだけに狙って来る者は数多い。希少性も相まって、既にマジックアイテム狙いの相手には慣れてもいた。だが……
「襲ってくるのなら、返り討ちにすればいいだけだ」
「それが、貴方よりも強い相手であってもですか?」
「ま、確かに。俺より強い奴がいるというのは知ってるよ」
その時にレイの脳裏を過ぎったのは、今日の午前中に会ったばかりでもある王冠を被った髑髏の顔だった。
「けど、もしそんな奴が相手に現れたとしても、俺には相棒のセトがいる。2対1で戦っても勝てないような相手だったら、最後には逃げるという手段もあるしな」
リッチであるグリムは何でも無いかのように空を飛んでいたが、この世界で空を飛べる存在というのはそれ程多くはない。更にそこに人の身で、と来れば尚更だろう。
「……そうですか。レイさんが承知の上での行動でしたら私もこれ以上は何も言いません。っと、失礼しました。話がずれてしまいましたね。それで肝心のレムレースについてですが……すいませんが、このままだとちょっと討伐の認定が出来かねます」
「それは、やっぱり海中にいる筈のレムレースを地上で倒したというのが原因?」
ロセウスの言葉に口を挟んだのはミロワールだった。
ただしその表情に不満の色が無いところを見ると、半ば予想していた出来事だったのだろう。
「はい。先程私がお願いしたように、強制転移可能だというマジックアイテムの現物があって、その効果を実際に目の前で見れば問題は無かったのでしょうが……今のままだと、どこからともなく現れたモンスターをレイさん達が協力して倒したという形になってしまいます」
「だろうな。だが、明日以降出港した船が襲われなければ……そして、そんな状態が10日程も続けばレムレースは既に沖にいないと判断出来るんじゃないか? そもそもレムレースを見た者がいない以上は明確な証拠を出すのは難しいしな」
レイの言葉を聞いたロセウスが数秒程考え込み、やがて頷く。
「そう、ですね。この件に関する判断は一応私に任されているので、それで行くとしましょう。ただし、懸賞金に関してはレムレースがいなくなったと確認出来た10日後以降に支払われることになりますが?」
「俺は問題無い。そっちは?」
レイに視線を向けられ、他の3人もまた同様に問題は無いと頷きを返す。
「では明日から10日間、レムレースが一切姿を現さなかった場合のみレムレースを倒したと判断させて貰います。それで、その……」
そこまで言い切ったロセウスが、机の上に置かれている魔石へと視線を向ける。
「この魔石に関してもそうですが、レムレースと思われるモンスターを倒した素材に関してはどうする予定でしょうか? もしかしてそちらも4人で山分けという形に?」
「いや、素材に関しては俺が貰った牙以外は全部レイに譲ったぞ。何しろ、使い捨てとはいっても国宝級と言っても過言では無い程のマジックアイテムを使わせてしまったからな」
「……レイさん、この魔石と素材について譲って頂く訳にはいきませんか? 当然未知のモンスターですので、買い取り金額には相応の色を付けさせて貰いますが」
「そう、だな……」
ロセウスの熱意の籠もった視線を受けるレイだったが、数秒程考え込んでから口を開く。
「一応シーサーペント系のモンスターということで、取れる素材は取ってきているが、骨、皮、血、肝臓のうち、血に関してはこっちの不手際で大部分がモンスターを解体した時の草原にこぼれてしまったから少ししか無い」
呟き、ミスティリングから血の入ったガラス瓶を数本取り出す。
「この血と骨、肝臓に関しては俺が持っておきたい僅かな量以外は売ってもいい。だが、皮は売れたとしても少量だな」
「それはまた、何故でしょう?」
「俺が使うからな」
敢えて使用目的を言わずに、自分が使うとだけ告げるレイ。
その言葉に、防具や錬金術の素材にでもするのだろうとロセウスは残念そうな表情を浮かべながらも頷く。そして次に最大の本命でもある魔石へと視線を向けた。
「この魔石に関しては……駄目ですか」
最後まで言葉にすることなく、レイの表情を見てロセウスの口から諦めの言葉が紡がれる。
そんなロセウスに向けて、レイは小さく笑みを浮かべて頷く。
「悪いが、俺は魔石の収集を趣味にしている。欲を言えば保存用と観賞用の2つが欲しいところなんだが、さすがにレムレース程のモンスターがもう1匹現れるってのは無いと思うから、これだけは絶対に譲れないんだよ」
「魔石の収集、ですか。また随分とお金の掛かる趣味をお持ちで」
「そうでもない。普通なら大金持ちとかじゃなきゃ出来ない趣味だろうが、幸い俺は冒険者だからな。自分でモンスターを倒して魔石を集めることを考えれば、コスト的にはそれ程負担じゃないさ」
「……それはレイさんだからこそ出来ることだと思いますが。普通なら魔石は素材の中で最も高額で売れるのですから、余程の酔狂でも無い限り手元に残そうとは思いませんよ」
「なら、きっと俺がその酔狂なんだろうな」
「……」
レイの言葉をどこか呆れた様に聞いていたロセウスだったが、不意に表情を厳しくしてレイへと声を掛ける。
「レイさん、この魔石を売る気がないのは分かりました。では……せめて、数日程ギルドの方にお貸し願えませんか? もちろん魔石を調べただけでレムレースのことが全て分かるとは言いませんが、それでもある程度の情報は調べられると思います。……どうでしょう?」
「レムレースの魔石をギルドに預けて、俺にどんな利益がある? 言っては悪いが、誰かに盗まれる可能性もある。俺が持っていればアイテムボックスに入れておけて、安全だというのに」
「それは……魔石を調べることで得られた情報をお渡しする、というのでは駄目でしょうか? もちろん魔石に関してはエモシオン支部の名誉に懸けて他者に渡すような真似はしません」
ロセウスから向けられる視線に込められた熱気に、小さく眉を動かすレイ。
(確かにレムレース程のモンスターについての情報はありがたい。特に1個しか魔石が無い今の状況だと、セトかデスサイズのどちらかにしか魔石を吸収させられないしな。その情報がどの程度のものかは知らないが、生息していそうな場所の情報が得られるなら……)
一瞬で考えを纏め、小さく頷く。
「いいだろう。そこまで言うのなら魔石を預ける。だが注意しろよ? 傷を付けたり、あるいは誰か他の者に盗まれるようなことがあれば……俺もセトも容赦をする気は無い。例え賞金首にされようともこのギルドにいる者をただで済ませるような真似はしない。ベスティア帝国との戦争で俺が異名を与えられた理由を、その身でもって味わうことになるだろうからな」
「……はい。警備に関しては必ず」
レイの本気を悟ったのだろう。下手な真似をすれば、このエモシオンの街が業火に蹂躙されると。それ故に、ロセウスは厳しい表情を浮かべつつも真っ直ぐにレイを見ながら頷く。
そしてそっと魔石へと手を伸ばし、その行為に対してレイが何も言わないのを確認してからそっと表面を撫でる。
大きさ30cm以上と魔石としてはかなり大物であり、長年ギルドで働いてきたロセウスにしてもこれ程の大きさの魔石はこれまで数回程しか見たことが無い。更に魔石その物の質も高純度であり、魔石の中でも最下級に近いゴブリンの魔石と比べると路傍の石と宝石どころの差では無かった。
「これは、凄い……ランクB、いや下手をしたらランクAに近いような、それ程の魔石かと。レムレースであろうが無かろうが、十分以上に強力なモンスターの魔石であるのは間違い無いかと」
「だろうな。実際、これまで戦ってきたモンスターの中でも強力極まりなかったからな。レムレースに匹敵するモンスターは……」
そう呟いたレイの脳裏に、エレーナと共に向かったダンジョンの最下層に存在していたボスでもあるランクSモンスターの銀獅子を思い出す。
レイ自身は銀獅子を直接見た訳では無いのだが、それでもどれ程に強力なモンスターなのかというのは感じられた。
レムレースがそんなモンスターに匹敵するかと言われれば明確に否と答えるのだが、それでもギルドの職員の言葉だけに納得するしかないというのも事実だった。
ランクAとSというのでは、それ程の差があるのだと半ば本能的に理解して言葉を紡ぐ。
「1度だけなら見たことがあるな」
「……ランクCモンスターですら、この辺だと見るのは珍しいんですがね。いえまぁ、海にならいるんでしょうが」
溜息を吐くロセウスを一瞥したレイは、エグレット達3人へと視線を向ける。
「さて、取りあえず用事も済んだ。後はあいつらに約束した通り酒場で宴会でもするとするか。……ロセウス、今日の酒場は俺の奢りで貸し切りだ。レムレース討伐の意味も込めて盛大にやってくれ」
「分かりました。ただ、色々と料金が高くなりますが……大丈夫でしょうか?」
「問題無い、レムレースの素材を売却した分から天引きしてくれ」
その言葉に頷き、魔石を他の者達に見つからないように隠し持ったロセウスと共に会議室を出て、1階へと戻る。
「早速集まってんなぁ」
エグレットが1階の酒場へと視線を向けると、確かにそこには大量の冒険者達が集まってきていた。
それを見ながら、人付き合いの苦手なレイはエグレットに声を掛けるのを頼む。
「おーい、お前等! 約束通り今日はレイの奢りだ! 好きなだけ飲んで、騒いで、食ってくれ! 今日はお疲れさん!」
その声と共に、酒場にいた冒険者達は歓声を上げて各々注文をするのだった。
……尚、何だかんだ言いつつ、レイのミスティリングに入っていたレムレースの肉も調理されて大盤振る舞いされることになり、高ランクモンスターの肉の味に皆が酔いしれることになる。