3359話
ブルーメタルによって新たな罠を仕掛けたレイは、妖精郷でブルーメタルのインゴットを切断しようと考えて戻ってきたのだが……
「グルゥ?」
妖精郷を守っている霧の空間、その中に入ろうとしたセトが、不意に足を止める。
「セト?」
「グルルルゥ、グルルルルゥ」
レイの言葉に、セトは視線の先……霧の空間を見て喉を鳴らす。
警戒をしているようなその鳴き声に、ようやく妖精郷に戻ってきたと安心していたレイの視線が鋭くなる。
「ニールセン、何かあったみたいだぞ」
「え? 何が?」
ニールセンがレイの言葉に疑問を抱く。
セトの様子が変だとは思ったものの、それが何故そのようになっているのかまでは分からない。
だからこそ、レイに向かってどうしたのかと聞いたのだろう。
だが、レイはそんなニールセンの疑問に首を横に振る。
「俺にも何があったのか分からない。ただ、セトの様子を見る限りでは何かがあったのは間違いないらしい。……ニールセンは長と離れた場所からでも連絡を出来たよな? それで何か分からないのか?」
「あ、ちょっと待って。……っ!?」
レイの言葉にニールセンは長と念話で連絡を取る。
長がトレントの森とその周辺にまで魔力を使ってレーダーのように穢れが現れたらすぐ分かるようにしているので、あくまでも今はトレントの森の中くらいでしか繋がらないが、それでもニールセンと長は念話を使って連絡を取り合うことが出来る。
それを使って長と連絡をしたニールセンは、真剣な、それでいて切羽詰まった表情で口を開く。
「現在、妖精郷の中に空を飛ぶ巨大な蛇がいるそうよ。長は何とか頑張ってその蛇を押さえつけていて、それでこっちに連絡出来なかったみたい」
その言葉に、最初レイは一体何を言ってるのか分からなかった。
妖精郷は周辺を霧の空間によって守られている筈なのだ。
なのにどこから……と、考えたところで、空を飛ぶ蛇という言葉が引っ掛かる。
「もしかして、空から妖精郷に侵入したのか?」
「え? だって、妖精郷の上空は長の力で守られている筈よ?」
妖精郷の周囲は霧の空間で守られているが、上空に霧の空間はない。
だが、それを補うように長の力によって守られている筈だった。
……一応上空にも霧の空間を広げることは出来るのだが、長がそれをしなかったのは、もし上空も霧の空間で覆ってしまえば、太陽が隠れてしまうからだろう。
その為、雨や雪も普通に降るようになって、快適さという点では若干のマイナスではあったが。
それでも妖精達にとっても太陽の光というのは大きな意味を持つのだろう。
妖精郷に生えている木々の為というのが大きいのかもしれないが。
「もしくは、霧の空間を突破したのかもしれないな。……とにかく妖精郷が襲われているなら、いつまでもこうしている訳にはいかない。セト」
「グルゥ!」
レイの言葉に短く鳴いたセトは、即座に走り出す。
その速度はトレントの森の中を走る時と比べても、明らかに速い。
セトが本気になって走っていることの証明だった。
(霧の中の狼達の気配もない、か)
本来なら、この霧の空間の中には多数の狼が棲息している筈だ。
そして許可もなく妖精郷に入ろうとする相手に襲い掛かる。
つまり、妖精郷の門番とでも呼ぶべき存在だった。
狼達は妖精に……より正確には妖精郷を治める長に感謝しており、その忠誠心は高い。
もし何らかの理由でセトが妖精郷に入ることを禁止された場合、狼達はセトであっても死に物狂いで攻撃するだろう。
今はセトが自分達よりも強者であると認識しており、セトが霧の空間の中を移動する時は自分から接触するようなことはないが。
そのような狼達が、自分達の守るべき霧の空間の中からいなくなるということは普通なら考えられない。
考えられるとすれば……
(妖精郷を襲っている、空を飛ぶ蛇を倒す為に全ての狼が向かってるのか)
この場を放り出してもいいのかと少しは思わないでもないものの、それでも狼達にとっては妖精郷を守る必要があるのは間違いない。
「セト」
「グルゥ!」
レイの短い言葉にセトは霧の空間の中を走る速度を増す。
ニールセンはレイのドラゴンローブに掴まっており、置いていかれないように必死になっていた。
そうして霧の空間を抜けると……
「あれか」
妖精郷の中に入ったレイは、空を見て呟く。
既にその手には、デスサイズと黄昏の槍が握られている。
いつ戦いになっても即座に対応出来るレイの視線の先にいるのは、空を飛ぶ蛇。
ニールセンが言っていた表現そのままの存在。
ただし、その蛇はただの蛇ではなく大蛇と呼ぶに相応しい、そんな巨大な蛇だ。
……もっとも、胴体の太さが一m程もあり、頭部から尻尾までが十m以上あるのは間違いない、そんな蛇をただの大蛇という表現をしてもいいのかどうかはレイにとっても微妙なところだったが。
その大蛇は外見だけは巨大だったが、一体どうやって空を飛んでいるのかレイには全く分からない。
あるいは翼や羽根でもあれば、それを使って空を飛んでいるのだろうと納得も出来たが、レイが見たところでは巨大ではあっても特に空を飛ぶような器官の類はどこにもなかった。
だが、レイはすぐにその考えを捨てる。
そもそもグリフォンとはいえ、体長三mを超えるセトが普通に空を飛んでいる時点で、航空力学的には明らかにおかしいのだ。
だが、それを可能とする要素がこのエルジィンという剣と魔法の世界には存在する。
そう、魔力という要素が。
セトやハーピー、ワイバーン……それ以外にも空を飛ぶモンスターは多数いるが、その全てとまではいかないが、明らかに翼や羽根だけでは本来なら空を飛べない者は多い。
しかし、それでも普通に飛んでいるのは、魔力によるものだろう。
そうして魔力によって飛べる存在がいる以上、翼や羽根がなくても空を飛べる蛇がいてもおかしくはない。
ましてや、レイが見たところ明らかに空を飛ぶ蛇は高ランクモンスターだ。
(ランクB……いや、ランクAに届くか?)
そのような高ランクモンスターが出てくることそのものは、そこまで不思議ではない。
元々このトレントの森は辺境に存在し、辺境というのはいつどこに高ランクモンスターが姿を現してもおかしくはないのだから。
それこそ以前レイはトレントの森で、翼を持つ豹……ランクBだろう強さを持つモンスターと遭遇したことがある。
他にも色々と高ランクモンスターと遭遇したことがあるので、レイは敵の大きさに驚きはしても、高ランクモンスターがいることそのものには驚きはしなかった。
「あ!」
ニールセンがレイから離れつつ、悲痛な声を上げる。
……地面に倒れている狼の死体を見てのものだろう。
それは身体の半ばを喰い千切られたかのような、そんな死体。
ニールセンにとっても、霧の空間に住む狼達は顔見知りの相手だった。
そんな狼の死体……それも一匹や二匹ではなく、十匹近い死体があれば、悲痛な声を上げるのは当然だろう。ましてや……
(言わない方がいいか)
ニールセンは気が付いてないようだったが、狼の死体に潰されるようにして、小さな手が……妖精の手が見える。
ピクリともしないことから、その妖精がもう生きていないのは明らかだった。
「グルルゥ!」
レイと同じ光景を見たのだろう。
セトは怒りの鳴き声を上げながら走り出す。
セトにとって、この妖精郷に住む妖精達は自分と一緒に遊んでくれる相手だった。
その妖精が殺されたことが耐えられなかったのだろう。
また、霧の中を通る時はセトの前に現れるようなことはなかったが、それでも妖精郷を守っているということで親しみを覚えていた。
地面を走るとすぐに翼を羽ばたかせて空を駆け上がっていく。
当然だが、狼のような大きさならともかく、体長三mオーバーという、空を飛ぶ大蛇には及ばないものの、それでも十分巨体のセトだ。空を飛ぶ大蛇がそれを見逃す筈がない。
「セト、回避しろ!」
セトに向かって大きく口を開く大蛇を見たレイは、直感に従って叫ぶ。
その声が聞こえたのか、もしくはレイの言葉だからこそ聞こえたのか。
とにかくセトは強引に片方の翼だけを羽ばたかせて無理矢理方向を変え……
「シャアアアアアアア!」
大蛇が周辺一帯に響く雄叫びを上げながら、開いた口から雷のブレスが放つ。
一瞬前までセトのいた場所を、雷のブレス……サンダーブレスが通りすぎていく。
大蛇の放ったサンダーブレスは、セトのいた後ろに生えていた木を貫き、焦がす。
『きゃああああああ!』
そんな悲鳴を上げながら、木の幹から数人の妖精が出てくる。
それを見たレイはなるほどと思う。
狼の死体の下敷きになっている妖精の死体があったが、この妖精郷に住む妖精の死体の数としては驚く程に少ないと思ったのだ。
もっとも、大蛇の大きさを考えると妖精はそれこそ一呑みにされてもおかしくはない。
死体が残ってないのはそのような理由かと思ったのだが……妖精は木の中に入れるという能力を持っている。
それを使えば、蛇から逃げるのも不可能ではなかった。
もっとも、今のように木を攻撃されるとどうにもならないようだったが。
それでも木を攻撃されたからといって、即座にその木の中にいる妖精が死ぬ訳ではないのは、今の光景を見れば明らかだった。
逃げ出した妖精達が他の木の中に入ったり、もしくは少しでも大蛇から逃げるように距離を取る。
もしかしたら普段なら大蛇がそんな妖精を逃がすことはなかったかもしれない。
しかし、今は違う。
大蛇の前にはセトが……怒れるセトがいる。
大蛇もセトが強敵だというのは十分に承知しているらしく、セトをその場に放っておいて妖精を追うようなことはない。
「セト、援護する!」
「グルルルゥ!」
レイはセトに向かって叫ぶと、黄昏の槍をいつでも投擲可能な体勢となる。
「ニールセン、長はどこだ? 長と連絡が取れたということは、死んだりとか、そういうことにはなってないんだろう?」
「えっと、うん。ただ、結界を破られた衝撃でかなりのダメージがあったみたい。それに他の妖精達も出来る限り守ってるみたいで、こっちと話をする暇はないみたいよ。じゃあ、行くわね」
そう説明して飛び去るニールセンに、何故このような状況になっているのに長から連絡が来なかったのかを理解する。
長は、間違いなく強者だ。
それは間違いない。
それこそギルムにいる冒険者の中でも、間違いなく上位に入る程の強さを持ってる。
だが……そう、だが。それでもここは辺境のギルムで、ギルムにいる高ランク冒険者ですら、一人では到底勝てない強力な高ランクモンスターも存在する。
その高ランクモンスターが、現在妖精郷を我が物顔で飛んでいる大蛇だった。
何故近くにあり、現在は上空に結界もなく、住んでいる者が多いギルムではなく妖精郷に来たのかレイには分からない。
分からないが、それでも現在ここにいる以上はレイ達が倒すしかなかった。
(あるいは強者の存在を察知出来るような何らかの能力があって、それでギルムには強者がたくさんいると判断したとか?)
相手の隙を窺っているレイだったが、自分のその考えをすぐに否定する。
何故なら、もしその予想が当たっていた場合、レイやセトは大蛇が自分なら何とかなると思われたことになるからだ。
……もっとも、大蛇が妖精郷を襲撃した時、そこにレイやセトはいなかったのだが。
だが、現在はこうして妖精郷にレイとセトはいる。
にも関わらず、大蛇はこの場から逃げる様子はない。
それはつまり、大蛇がレイやセトを相手にしても自分なら勝てると、そう思っているからこその行動なのだろう。
勿論、セトが空を飛んでいる以上は大蛇が逃げても同じく空を飛んで追ってくる可能性は否定出来ない。
しかし、そもそもレイが見たところでは大蛇が逃げ出す様子は全くない。
最初からセトと戦うつもりなのは明らかだった。
セトは、ただでさえその存在からその気配を察したモンスターの多くは近付いてこない。
それでもこうしてセトの前に堂々と姿を現し、それどころか向かい合っても逃げないのは……ゴブリンのように実際に戦ってみないと分からないようなモンスターであったり、もしくはセトと戦いたいと思っていたり、戦って自分が勝つと思っているような、そんな存在だけだ。
そして大蛇は明らかに後者……それも力試しに戦ってみたいと思っているのではなく、自分なら勝てると思っての行動。
(せめてもの救いは、未知のモンスターだということか)
つい先日クリスタルドラゴンの魔石を含めて、魔の森で倒した高ランクモンスターの魔石を使い、スキルが強化された。
今回もまた、この大蛇は明らかに高ランクモンスターである以上、その魔石を入手出来ると自分に言い聞かせながら、レイはいつでも黄昏の槍を投擲出来るように準備をするのだった。