3358話
「嘘だろ……」
領主の館の中庭において、兵士が自分の足下に転がっているブルーメタルのインゴット……いや、既にインゴットとは呼べない太さの金属を見てそう呟く。
その金属の太さは指より少し細いくらい。
レイなら、箸くらいの太さと表現するだろう太さになっていた。
インゴットだったブルーメタルが、箸程の太さにまで切断されたのだ。
一体何度ブルーメタルのインゴットをレイに向かって投げたのか、兵士は数え切れない。
レイは自分が多少は鍛える為だと言っていたものの、実際にはブルーメタルのインゴットを投げた兵士や騎士の方がトレーニングになっていた。
せめてもの救いは、レイにブルーメタルのインゴットを投擲すれば、その度に半分の大きさになる……つまり、重量も半分になることだろう。
ただし切断されて重量が半分になるということは、それだけレイに向かって投擲する回数も増えるということになる。
結果として、兵士や騎士達はひたすらにレイに向かってブルーメタルのインゴット――既にインゴットとは呼べなくなっていたが――を投擲し続けるのだった。
明日は間違いなく筋肉痛だろうと思えるくらいの疲労ではあったが、それでも激しく息を切らしている者がいなかったのは、ダスカーの部下として鍛えられているといったところか。
(とはいえ、普段の訓練とかでは使わない筋肉を使った以上、明日は間違いなく筋肉痛だろうけど)
疲れた様子の兵士や騎士達を見ながら、レイは確信する。
レイが日本にいた時、父親が春や冬に車のタイヤ交換をした翌日には軽い筋肉痛になっていたことを知っていたからだ。
レイの家は日本では農家だった。
普段から農作業で身体を使っている父親が、車のタイヤ交換で何故毎回筋肉痛になるのかと疑問を抱いたこともあったのだが、理由は簡単なものだ。
農作業で使う筋肉とタイヤ交換で使う筋肉は違う。
それによって、普段使っていない筋肉を使うタイヤ交換で筋肉痛になったのだ。
「ともあれ、お陰でいい細さまで切断できた。このくらいあれば問題はないと思う。後は俺の方でやっておくから、帰ってもいいぞ。このブルーメタルを拾ったら、セトに乗ってトレントの森に向かうから」
「いいのか? じゃあ、頼む。……行くぞ」
騎士がレイに確認すると、兵士達が声を掛けてから領主の館に戻っていく。
それを見送ると、レイはミスティリングの中から木箱を取り出す。
ブルーメタルのインゴットは現在箸くらいの太さになってその辺に散らばっている。
それを一つずつミスティリングに収納していくのは面倒なので、木箱に入れてから纏めてミスティリングに収納しようと考えたのだ。
そうして木箱の中に周囲のブルーメタルを入れていくと、それを見たセトはまだ背中で眠っているニールセンを起こさないようにしながら立ち上がり、レイの方に近付く。
「グルルルルゥ?」
手伝った方がいい?
そう喉を鳴らすセトに、レイは頷く。
「そうだな。手伝ってくれると嬉しい。ただ、ニールセンは……まぁ、もう激しく動く予定もないし、ドラゴンローブの中に入れておくか」
セトの背中でぐっすりと眠っているニールセンに手を伸ばし……
「ん? あれ? レイ? どうしたの?」
ニールセンに手が届くかどうかといったところで、ニールセンは目を覚まし、そう尋ねる。
「色々とあったんだよ。……取りあえず起きたのなら適当に遊んでいてくれ。俺はその間にやるべきことをすませるから」
レイの言葉を聞いたニールセンは興味を抱いたのか、セトの背中から飛び上がる。
空中から中庭を……正確には地面を見て、多数のブルーメタルの金属の棒を見つけた。
「何、これ? 何だかもの凄い量があるけど」
「これはブルーメタルだ。青いから分かるだろう?」
「え? そう言えば……これ、どうしたの?」
「斬った。後はこれを使ってトレントの森でボブのいた場所にこのインゴットを並べればブルーメタルのインゴットの節約になるだろう?」
「ふーん……重いわね」
地上に降りたニールセンがブルーメタルを持とうとするが、かなり重い。
とてもではないが、自分だけで持つことは出来ないと思えるようなものだった。
「ブルーメタルだしな。……そんな訳で、地面に落ちている奴を全部この木箱の中に入れていくから、ニールセンは少し待っていてくれ」
「じゃあ、私は適当に遊んでいるわね」
そう言い、空を飛ぶニールセン。
その姿を見送り、レイはセトと共にブルーメタルの棒を木箱に入れていく。
セトもレイと共にブルーメタルの棒をクチバシで咥えて木箱に入れていく。
結構な量があったので少し時間が掛かったが、それでもレイとセトが一緒に行動をしたことによって、次々と地面に落ちていたブルーメタルは消えていく。
最終的には十分程度で全てを木箱に入れ終わる。
「よし、これで終わりだな。……ニールセン、そろそろ行くぞ!」
木箱をミスティリングに収納すると、レイはニールセンに向かって叫ぶ。
ニールセンの名前をここで叫んでもいいのか? と思わないでもなかったが、幸いなことに中庭に自分達以外に誰もいないのは確認している。
もしかしたら、レイや……そしてセトにすら気配を察知させないように気配を消している者がいないとも限らないが、恐らくそれはないだろうと判断しての行動。
……小声で呼んでも、ニールセンが聞き逃す可能性があったから、というのも大きいが。
事実、レイがニールセンの名前を大きく呼んだことで、腹ごなしなのか、空を飛んでいたニールセンはレイに向かって降りてくる。
「何?」
「見ての通りこっちの用事は終わったから、トレントの森に戻るぞ」
「うーん……もう少しここにいたかったけど、しょうがないわね。サンドイッチも美味しかったし」
サンドイッチで判断するのはどうなんだ?
一瞬そう思ったレイだったが、実際に客室で出されたサンドイッチは昨日と同様……いや、レイの気のせいでなければ、昨日のサンドイッチよりも美味かった。
だからこそニールセンもしっかりと食べて、それで腹一杯になって眠ってしまったのだろう。
それだけに、ニールセンが帰るのを少し不満に思ってもおかしくはない。
「けど、明日もここには来るんだぞ?」
今日はレイがブルーメタルのインゴットを切断して箸くらいの太さにしたものの、他のブルーメタルのインゴットはそれを作った者達に指示をして、今日中に鋼線状にするという話になっていた。
それを明日には取りに来るのだから、明日もまたサンドイッチを食べられるのだろう。
……もしかしたらサンドイッチではなく、もっと別の料理かもしれないが。
ただ、領主の館の料理人の技量を考えれば、どんな料理でも美味いのは間違いない。
ならサンドイッチ以外でも十分に美味く食べられるのは間違いない。
「しょうがないわね。じゃあ、行きましょうか。また明日来る為に」
レイの説明を聞き、ニールセンは即座に態度を変える。
呆れつつも、指摘すればニールセンを拗ねさせるだけだろうと判断したレイは、その件については何も言わず、セトに乗る。
ニールセンもすぐにレイの右肩に掴まり、それを理解したのかセトは数歩の助走で翼を羽ばたかせて空を駆け上がっていく。
ギルムの上空で、セトはトレントの森の方を一瞥してから、レイに視線を向ける。
このままトレントの森に向かってもいいの? と尋ねる視線。
あるいはマリーナの家に行けば、イエロと遊べるからという思いもあったのだろう。
レイはそんなセト様子を理解しつつも、口を開く。
「まずはブルーメタルのインゴットの罠に対処する必要があるから、そっちに向かってくれ。それにトレントの森にあるインゴットも、そのままって訳にもいかないだろうから切断する必要があるしな」
「グルゥ……グルルゥ!」
少し残念そうな様子のセトだったが、レイの言葉を聞けば納得したのかトレントの森に向かって飛び始めた。
(相変わらず地上には結構見張りがいたみたいだな)
上空からは、地上の様子がよく見える。
いつものようにセトが飛ぶのは百m程の高度なのだが、レイの身体は人間よりも鋭い五感を持っている。
視力を測ればどれくらいなのかとレイも何となく思うくらいには。
それだけに、高度百mからでも地上の様子はしっかりと確認出来る。
そんなレイの目には、地上で領主の館の周囲に結構な人数がいるのを確認出来ていた。
もっとも、あまり領主の館に近付いて見張れば、怪しい人物として捕らえられる危険があるからか、それなりに離れた場所だったが。
(昨日も結構いたけど、俺がギルドに行って素材とか魔石とかを受け取ったってのは、もう既に知ってる筈だよな? それでもまだこうして俺を捜してるのか?)
しつこいなと思ったレイだったが、すぐにその考えを否定する。
レイがギルドから素材や魔石を受け取ったことは、情報として知っているだろう。
だが……だからこそレイを捜している者達はクリスタルドラゴンの魔石や素材を欲して、レイと接触しようとしているのだろうと。
(あれ? 俺もしかしてミスった?)
素材や魔石を手に入れたことにより、余計に自分と接触しようとする者を増やしてしまったのではないかと、そうレイは思う。
だが同時に、それでも結局のところ以前と変わらない生活なのだから問題ないかと思い直す。
セトに乗って領主の館とマリーナの家、トレントの森を行き来していれば、レイと接触することはまず出来ない。
ギガントタートルの件の時に接触してくるかもしれないが、関係ない話は無視すればいいし、ギルド職員に言ってもいい。
そしてどうしてもしつこいようなら、最終的には力を使ってもいいだろう。
そんなことを考えている間に、セトはトレントの森に……それもブルーメタルのインゴットで罠を仕掛けた場所に到着する。
「グルゥ」
「よし」
セトの鳴き声で地面を見たレイは、そう呟きながら拳を握る。
その理由は地上……具体的にはブルーメタルのインゴットを置いた場所に穢れが一匹もいなかったからだ。
今朝は数百匹という穢れが集まっていたのを考えると、まだ数時間しか経っていないものの、それでも穢れが集まっていても不思議ではないと思っていたのだ。
もしそうなった時は、再びブルーメタルのインゴット諸共に集まっている穢れを殺して、それから再度罠を仕掛ける必要があった。
しかし、そのような事になれば当然だが今朝と同じくブルーメタルのインゴットは穢れ諸共に焼滅してしまう。
領主の館の中庭で行ったように、ブルーメタルをデスサイズで切断すればそれだけ数を増す。
そうなれば、罠を仕掛けるのに使うブルーメタルのインゴットの数も大分少なくなる筈だった。
もっとも、明日には鋼線状のブルーメタルを渡してくれるとダスカーが言っていたので、レイが頑張る必要があるのはあくまでも今日だけなのだが。
「じゃあ、あそこに降りてくれ。穢れが出て来ないうちに、まずはあのブルーメタルのインゴットを回収して、新しく罠を作る。そうしたら妖精郷に戻って、あのブルーメタルのインゴットを切断するから」
「あれ、わざわざ妖精郷で? あそこで切断するんじゃないの?」
「最初はそのつもりだったが、作業をしている最中に穢れが……もしくはセトがいても襲ってくるようなモンスターが現れたら、面倒だしな」
領主の館の中庭では簡単にブルーメタルを切断していたように見えたレイだったが、実際にはそれなりに気を遣っている。
勿論適当に切断するのなら、そこまで面倒ではないのだが。
しかし、同じ大きさに切断するというのは相応の技量が必要なのは間違いなかった。
そうレイが説明すると、ニールセンは不思議そうな表情を浮かべて口を開く。
「妖精郷でそんなことをしたら、それこそ他の妖精達が邪魔をしにくるじゃない? もしくは悪戯とか」
「邪魔を悪戯と言い換えても、意味はないと思うけどな。それにそうなったらその妖精は恐らく長にお仕置きされることになる。それを知った上で悪戯をしてくるのなら、俺もそれに対処をするけどな」
「うげ……それは……多分いないわね」
ニールセンがしみじみと言うのは、長のお仕置きを何度も体験しているからこそだろう。
それでも悪戯を止めない辺り、ニールセンは根性があるのかもしれないが。
「だろう? だから妖精郷の中の方がいいんだよ。じゃあセト、降りてくれ」
その言葉に、セトは即座に地上に向かって降下する。
地上でセトの背から降りたレイは素早く半畳程の広さを囲っているブルーメタルのインゴットをミスティリングに収納すると、領主の館の中庭で必死に切断したブルーメタルを取り出すのだった。