3351話
長やニールセンとの話を終えたレイは、いつもマジックテントを設置している場所に向かう。
レイの側にニールセンの姿はない。
長から少し残るように言われ、レイと別行動をすることになってしまったのだ。
ニールセンは必死になってレイに視線で助けを求めたものの、レイが助けられる筈もない。
……いや、もし本当にレイが助ける気になったら何とかなったかもしれないが。
だが、今の状況でどうしてもニールセンを連れていく必要はない以上、わざわざここでどうこうする必要はなかった。
そんな訳で、ニールセンは長と何らかの話をしている。
セトはピクシーウルフと遊ぼうと、レイが長と話をする前に別行動をしていたので、現在レイは一人だ。
(何だかんだと、こうして一人で行動するのは久しぶりなような気がするな。……あ、でもそうでもないか?)
ここ数日は毎日のように色々なことが起きていたので、レイにとっては一日であろうともかなり長い時間に感じられる。
同時に充実しているという意味で、非常に短く感じられることもあるという、少し矛盾した状況になっていた。
とにかく、現在のレイは時間の感覚がおかしくなっているのかも? と疑問に思ってしまう。
もっともここまで忙しい日はそう続いたりはしない。
レイも今日はゆっくりとして、明日ブルーメタルのあった場所を見に行くくらいしかやるべきことはなかった。
穢れがトレントの森に転移してくれば、その対処の為に動く必要があったが。
「ん?」
マジックテントを設置している場所に近付くと、そこには何故か十人……いや、二十人近い妖精がいた。
まるでレイが来るのを待っているかのように。……いや、実際にまっているのだろう。
(何かあったか? 別に妖精達に対して、特に何かこれといった用事はなかったと思うけど。……直接聞くのが手っ取り早いか)
足を止めて妖精達を見ていても何も始まらない。
寧ろこの場に立っていれば、妖精達がレイのことを見つけてやってくる可能性は十分にあった。
そうなったらそうなったで、何故妖精達があそこで待っているのかを知ることが出来るのだが、それでどうせなら自分から近付いて話を聞いた方がいいだろうと判断し、妖精達のいる方に向かって再び歩み始める。
すると数歩も歩かないうちに、妖精達はレイの存在に気が付く。
「あ、レイだ! 皆、レイが来たわよ!」
レイの存在に気が付いた妖精の一人がそう言うと、他の妖精達もレイを見る。
そして……一気にレイのいる方に飛んできた。
「って、ちょっ、おい!? 一体何だ!?」
「何って、それは私達が聞きたいわよ。さっき妖精郷まで聞こえてきた雄叫びって、セトでしょう? そしてセトが自分からああいうことをするとは思えない以上、それをやらせたのはレイだってことになるじゃない!」
真っ先にレイに近付いて来た妖精が、不満そうにレイに言う。
その言葉で、一体何故妖精達が自分のいる場所にやって来たのかを理解した。
また同時に、その妖精の言ってることは決して間違っていないとも。
クリスタルドラゴンの魔石を使い、セトの持つ王の威圧はレベル五になった。
レベル五になったことによって、一気に強化された王の威圧。
それがどのように強化されたのか知りたくて、レイがセトに王の威圧を使うように頼んだのは事実だ。
……間近で聞いたレイは、王の威圧の効果が増しているというのは本能的に理解したものの、それが具体的にどのような効果を持つのかまでは分からなかったが。
その結果として、レベル五に達した王の威圧は効果範囲が以前よりも大分広がっており、それによって妖精郷にまで効果が及ぶことになってしまった。
「悪いとは思うが、長からはそこまで大きな被害はなかったと聞いてるぞ?」
「ぐ……そ、それは……」
レイの言葉に、最初に声を掛けてきた妖精が言葉に詰まる。
今の状況について何かを言おうとしたものの、レイの言葉に何も言えなくなったのだろう。
「それは……そうかもしれないけど、でも、飛んでる途中で落ちたのよ? そのことを不満に思っても仕方がないじゃない」
「そうだな。悪かったよ。……でもセトじゃなくて俺に言いにきたんだな」
「だって……セトに言ったら可哀想じゃない」
それは確かに。
妖精の言葉に、思わずそう言いたくなる。
セトは妖精郷でも人気が高い。
王の威圧の雄叫びで被害を受けたが、それでもセトには文句を言いたくないと思う者は、それなりに多かったのだろう。
だからといって自分に言っても……と、そう思わないでもなかったが。
「話は分かった。じゃあ……そうだな。取りあえずこれは謝罪の品として受け取ってくれ」
そう言い、レイはミスティリングの中から新鮮な果実を取り出す。
既に冬になった今、新鮮な果実を食べる機会はない。
貴族や大商人のように金や権力を持っている者であれば、その辺をどうにか出来たかもしれなかったが。
わぁっ、と。
レイが取りだした果実に、多くの妖精が歓声を上げる。
先程までの不満は完全に消え、少しでも早く果実を食べたいとレイの側に集まってくる。
そんな様子に若干の呆れを見せつつ、妖精らしいとレイは納得し、果実を次々に取り出して妖精達に渡す。
そうして数分が経過すると、全ての妖精が果実……ちょうどミカンくらいの大きさの梨といった春の果実を手に、レイの前から飛び去っていく。
「結局あれが目的だったのか? いやまぁ、悪いことをしたとは思ってるから、果実程度で納得してくれるのなら、それはそれでいいけど」
そういうレイだったが、冬の現在、レイが妖精に渡した果実は売ればかなりの値段となる。
旬の春であればそこまで高くはないのだが、それが冬ともなればそう簡単に手に入るものではないのだから。
もっとも、レイはミスティリングを使ってそこまで露骨に金を稼ごうとは思っていない。
時には軽い小遣い稼ぎをすることはあるかもしれないが。
「さて……」
妖精達がいなくなったところで、レイは改めて周囲を見る。
レイがいつもマジックテントを設置している場所だが、現在そこには何もない。
せいぜいが、焚き火の痕跡が残っているくらいか。
マジックテントはミスティリングに収納されているので、何もないのは当然なのだが。
「セトは……待ってればそのうちピクシーウルフと一緒に来るか」
現在セトはピクシーウルフと一緒に遊んでいる筈だから、ここに来る時は二匹のピクシーウルフも一緒に来る可能性が高い。
もしくはピクシーウルフは疲れて、セトだけがここにくるかもしれなかったが。
ともあれ、レイは現状では特に何かやるべきこともないので、ミスティリングからマジックテントを取り出し、ついでにサンドイッチを取り出すと、それを口に運ぶ。
「美味い……けど、やっぱり……」
レイが言いたかったのは、領主の館で食べたサンドイッチには劣るということだ。
ミスティリングにストックしてあるサンドイッチだけに、そのサンドイッチは美味いと評判の店で購入したサンドイッチだ。
そして実際に美味いのは間違いない。
だがそれでも、やはり領主の館で雇われている料理人が作ったサンドイッチと比べると、どうしても劣ってしまう。
領主の館の料理人は、場合によっては他の貴族の当主に料理を出すこともある。
そのようなことをする以上、料理の腕は非常に高い。
ましてや、ダスカーはミレアーナ王国の三大派閥である中立派を率いる立場にあり、ギルムというミレアーナ王国に唯一存在する辺境の領主だ。
それだけに、貴族の使者ではなく貴族と……それも当主と面会するのは珍しくもない。
そのような凄腕の料理人が作るサンドイッチだ。
美味いと評判のパン屋で売っているサンドイッチよりも味が上であっても、おかしくはない。
「ん? でもこれ……美味いな」
食べ終わったサンドイッチに不満を抱きつつも満足しながら、次のサンドイッチに手を伸ばし、そのサンドイッチを一口食べて満足そうに言う。
鹿の肉を焼き、辛みのある野菜がアクセントとなってパンとの調和が増している。
普通、鹿の肉というのはかなり硬い肉質なのだが、このサンドイッチの肉は一体どういう風に下処理をしたのか、肉が驚く程に柔らかい。
脂身がないが、肉からは肉汁が流れ出る。
このサンドイッチに限っては、領主の館で食べたサンドイッチに負けていないと思えた。
そうしてサンドイッチを食べていると……
「ん? 戻ってきたか」
サンドイッチの匂いに惹かれた訳ではないだろうが、遠くからセトが自分のいる方にやって来るのがレイの目には見えた。
ただし、ピクシーウルフの姿は見えない。
セトはピクシーウルフと遊ぶ為に、レイと別行動を取っていた筈だったのだが。
「もう遊び終わったのか?」
単純にサンドイッチに匂いに惹かれてやって来たのなら、セト以外にピクシーウルフがいてもおかしくはない。
だが、今レイの方にやって来るのはセトだけだ。
それはつまり、セトがサンドイッチの匂いに気が付いた時にもうピクシーウルフは二匹ともセトの側にいなかったということを意味している。
セトとピクシーウルフはかなり良好な仲なのは、レイも知っていた。
そうなると、もしかしたら何かあったのではないかとすら思ってしまう。
(王の威圧の影響とか? 妖精達も地面に落ちた奴が多かったって話だったし)
そう思うレイだったが、自分の方に向かって走ってくるセトに残念そうだったり、悲しそうだったりする様子がないのを見れば、それは恐らく違うだろうと判断する。
だとすれば、ピクシーウルフ達に何らかの用事があり、ずっとセトと一緒に遊ぶことが出来なくなったのだと思う。
(まぁ、その件については俺がこれ以上考えたりする必要はないか)
セトの様子を見る限りでは特に何か問題があったようには思えなかったので、ピクシーウルフのことは特に気にする必要はないだろうと判断し、近付いてくるセトを見る。
サンドイッチの匂いに惹かれたからか、それともレイと甘えたいと思ったのか。
それはレイにも分からなかったが、セトは十分にレイに近付いたところで速度を緩める。
そのまま全速力で走ったら、レイのサンドイッチに砂埃が掛かってしまうと思ったのだろう。
セトの走る速度は馬以上だ。
それでいながら森の中でも全く問題なく走れる俊敏さを持っている。
そして体長三mオーバーの巨体だけに、そのようなセトが走れば周囲に埃が舞うのは仕方がない。
セトもそれについては十分に理解しているからこそ、走る速度を落としたのだろう。
「グルルルゥ!」
「どうやらピクシーウルフ達と遊ぶのは楽しかったらしいな。……ほら、これでも食べてくれ」
そう言い、サンドイッチをセトに渡す。
「グルゥ!」
レイの手からハムとチーズと野菜のサンドイッチを貰ったセトは、クチバシで咥えてすぐに食べる。
「グルルルルゥ!」
そして美味いと喉を鳴らすセト。
レイは領主の館の料理人が作ったサンドイッチを食べていたので、鹿の肉のサンドイッチ以外は美味いけどそれなりといった認識だった。
だが、セトは料理人の作ったサンドイッチは食べていない。
……代わりに、それ以外で料理人が作った料理を食べることが出来たのだが。
だからこそ、サンドイッチを食べても十分に美味いと思えたのだろう。
そんなセトの様子に、少しだけ悪いと思うレイ。
その小さな罪悪感を誤魔化す為に、先程妖精達に渡したのと同じ果実を数個ミスティリングから取り出す。
「ほら、セト。こっちも食ってくれ」
「グルゥ?」
いいの? とレイはセトの差し出した果実を見る。
だが、レイが果実を差し出したままなのを見ると、本当にこの果実は自分が食べてもいいものだと判断したのだろう。
嬉しそうな様子で、クチバシで果実を咥えて食べる。
元々果実の大きさはそこまでではない。
その為に、セトにとっては果実が一個でも小さい……小さすぎたものの、それでも十分に美味いと思えたのだろう。
嬉しそうな様子を見せるセトに、レイは笑みを浮かべる。
「さて、それでセトも戻ってきたし……取りあえず今日は特に何かやることもないし、後はゆっくりとしているか」
「グルルルゥ」
果実を食べ終わったセトも、レイの言葉に異論はないと喉を鳴らす。
今日はそこまで忙しかった訳ではないものの、それでもそれなりに疲れたのは事実だ。
特に大きかったのは、魔獣術の件だろう。
魔の森の高ランクモンスターの魔石により、今日だけでセトもデスサイズも複数のスキルが強化された。
レイとしては新たなスキルを習得出来なかったのは残念だったが……ともあれ、それなりに疲れているのは事実である以上、セトと一緒にゆっくりするのだった。