3349話
霧の空間を抜け、妖精郷の中に入ったレイとセトだったが……
「えっと……?」
妖精郷の中に入ってすぐの場所に、他の妖精よりも一回り程大きな妖精……長がいた。
いつもはレイと友好的に接する長だったが、今はレイに向けて咎めるような視線を向けている。
そんな長の隣では、ニールセンが隣から漂ってくる気配によって緊張した様子で飛んでいた。
「レイ殿。……先程の周辺一帯に響き渡った雄叫びは一体なんでしょう? この妖精郷にまで響き渡って、妖精達が何人も地面に落ちたのですが」
「あー……」
なるほど、と。
長が自分に咎めるような視線を向けてきたのを理解する。
だが、理解すると同時に疑問にも思う。
(セトの王の威圧は、あくまでも敵に効果があって、味方には……あ、いや違うな。多分、セトから離れすぎていたから、妖精郷にいた妖精達を敵とまでは認識していなくても、味方とも認識していなかった、つまりトレントの森にいた動物やモンスターと同じように認識されたのか?)
王の威圧の効果が予想以上に広がっていたことに驚きながらも、レイは納得する。
レベル五になってスキルが別物と呼べる程に強化されたのだから、そういう意味では効果範囲が大きく広がっていてもおかしくはないのだろうと。
「悪い。ちょっとセトのスキルの確認をしていたんだけど、ここまで効果範囲になってるとは思わなかった」
「グルゥ」
レイがセトから降りて頭を下げると、そんなレイに合わせるようにセトもまた頭を下げる。
セトにとっても、この妖精郷は多くの妖精がいて、ピクシーウルフがいて、自分と一緒に遊ぶ相手が多数いる場所だ。
そんな場所に自分のスキルによって被害を出したと思えば、セトにとっても謝るのは当然のことだったのだろう。
「それで、妖精が地面に落ちたって話だったけど、怪我をしたりとか、そういうのはいるのか?」
「放っておいても数日程度で治る軽い怪我をした妖精は何人かいましたが、重傷や死んだ妖精はいません」
「そうか」
長の口から出た言葉に、レイは安堵する。
セトの王の威圧で大きく被害を受けたといったことになれば、レイにとっても非常に申し訳ないと思えたからだ。
そんなレイとセトの様子に、しっかり反省していると思ったのだろう。
長は小さく息を吐いてから口を開く。
「幸い、今回は被害が大きくなかったので、これでいいです。ただ、次からは気を付けて下さい」
「ああ、分かった」
取りあえず王の威圧は強化されて効果範囲が大分広がったので、使う時には注意する必要があるだろう。
そんな風に思いつつ、頷く。
レイの言葉に長は少し考えてから口を開く。
「それにしても、セトにはあのようなスキルがあったのですね。けど、何故いきなりそのスキルを使おうと考えたのです?」
「何となくだ」
実際にはクリスタルドラゴンの魔石を使って強化された王の威圧を試してみたいと思ったからというのが正しいのだが、長に対してもレイにとって重要な秘密……魔獣術については教える訳にはいかない。
そうである以上、レイはこのように誤魔化すしか出来なかった。
そんなレイの様子に長は何か思うところがあるのは間違いなかったものの、実際にそれを表に出すようなことはせず、頷く。
「そうですか。分かりました。……レイ殿がギルムで話した件についてはニールセンから概ねは聞いています。ですが、一応レイ殿から聞きたいとは思うので構いませんか?」
「ああ、それは構わない。とはいえ、ニールセンから話を聞いたのなら俺から特に何か追加する必要はないと思うけど」
「それでも一応話を聞いておかないと、何か報告を忘れている可能性はありますから」
そう言い、長はニールセンに視線を向ける。
長に向けられた視線は、ニールセンをビクリとさせるには十分なものだった。
とはいえ、ここで慌てて否定すれば、何かを言い忘れているというのを証明してしまうような気がしたのか、ニールセンは黙り込む。
「ともあれ、今日は先程の一件で妖精郷も色々と騒がしいでしょう」
「……そうだな」
「グルゥ」
追加で言われた長の言葉に、レイとセトは同意するしかない。
「次からは気を付けて下さいね。……では行きましょうか」
「えっと、長。私は……」
「ニールセンは好きにして構いません。私と一緒に来てもいいし、どこか他の場所に行っても構いません」
「……一緒に行きます」
普段のニールセンなら、このような状況で長と一緒に行動したりはしないだろう。
だが、自分がいない場所でレイと長が話し、その時にニールセンが何か言い忘れていたこと……そして言って欲しくないことを言われたら、どうなるか。
特にサンドイッチをニールセンが大量に食べたという件が知られると、最悪お仕置きされるかもしれない。
そう思い、ニールセンは長とレイと一緒に行動することにしたのだ。
「グルルゥ?」
自分はどうすればいいの? と喉を鳴らすセト。
セトを連れていっても、今回の場合は話に入ってこられない。
そもそも領主の館でレイ達が話していた時、セトは料理長が作ってくれた料理を食べていたし、マリーナの家ではレイ達が話している時にイエロと遊んでいたのだから。
「そうだな。俺は長と話してるから、セトは適当に遊んできてくれ。ピクシーウルフと遊んでもいいし、妖精は……どうか分からないけど。いや、そうなるとピクシーウルフと遊ぶのもちょっと難しいか?」
セトの王の威圧が妖精郷まで届いていたとなると、ピクシーウルフもその影響を受けた可能性が高い。
いつものようにセトと遊べるかどうか……それは実際に接してみないと分からなかった。
(まぁ、長はともかくニールセンの様子を見る限りだと、セトもそこまで怖がられていないのか? いや、ニールセンはこう見えても……こう見えても、こう見えても、こう見えても、長の後継者だったな)
何度もこう見えてと心の中で繰り返したのは、レイから見たニールセンがとてもそのように見えないからだろう。
あるいはニールセンと一緒に行動する時間が長いからこそ、そのように思うのかもしれないが。
「……何よ?」
自分を見ているレイの視線に何かを感じたのか、ニールセンは不服そうな様子でレイに言う。
レイはそんなニールセンに何でもないと首を横に振る。
まさか、今自分が何を考えていたのかを馬鹿正直に言える筈もない。
もしそんなことを言えば、間違いなくニールセンはレイに不満を抱く。
あるいはその報復として、ニールセンの悪戯の対象がレイになる可能性もあった。
もしニールセンに悪戯をされても、レイはそれを見抜いたり、対処することは出来る。
出来るのだが、だからといってわざわざ自分から悪戯の標的になりたい訳でもない。
「ニールセン、行きますよ。……レイ殿も、よろしいですか?」
微妙な雰囲気のレイとニールセンに割って入るように声を掛けたのは、長。
長がそのように言うのなら、ニールセンはそれに反対することは出来ない。
レイも特に異論はないので、素直に頷く。
「分かった。さっきも言ったが、話す事は特にないと思うけど、それでもよければ」
「それで構いません」
そう言い、長はレイとニールセンを引き連れるように妖精郷の奥……長が普段からいる場所に向かう。
「なぁ、長が言ってたけどセトの雄叫びは本当にそんなに凄かったのか?」
ピクシーウルフと遊ぼうと、早速レイ達の側から離れていったセトの後ろ姿を見ながら、レイは隣を飛ぶニールセンに尋ねる。
ニールセンはレイの問いに、呆れたような表情を浮かべた。
「ええ、本当に凄かったわよ。最初は一体何があったのかと思ったもの。……ただ、私はあれがセトの鳴き声だとすぐに分かったけど」
自慢げに言うニールセンだったが、レイやセトと共に一緒に活動している時間が長かったのを思えば、セトの鳴き声を理解出来てもおかしくはない。
もっとも、そのおかげで妖精郷ではセトの王の威圧を使って放たれた雄叫びを聞いても、そこまで騒動になることもなかったのだが。
レイとセトはこの妖精郷との付き合いも長い……訳ではないが、それなりに深い。
この妖精郷で寝泊まりをしていることもありレイやセトと親しい者は多かった。
それだけに、聞こえてきた雄叫びがセトのものだと知れば、妖精達もすぐに落ち着いたのだ。
……もっとも、最初に雄叫びを聞き、飛んでいる状況で地面に落ちるといったことになった妖精達の何人かは軽い怪我をすることになったが。
「そういう意味では、ニールセンがここにいてくれてよかったんだろうな」
レイの言葉に、ニールセンは大きく胸を反らせる。
飛びながらそのようなことが出来るのは器用だとレイも思ったが……
「きゃあっ!」
大きく胸を反らせすぎた結果、その場で一回転することになり、悲鳴を上げる。
幸いにも地面に落ちることはなかったが、それでも一度バランスを崩すとすぐに立ち直るようなことは出来ず、空中で何回転もし……
「大丈夫か?」
レイの手によってその動きは止まる。
「あー……うん。大丈夫、大丈夫」
レイの手の中でニールセンは少し目を回しながらもそう言う。
「全く」
ビクリ。
前から聞こえてきた声に、ニールセンは動きを止めた。
それが一体誰の声だったのか、それを十分に理解しているからだろう。
実際、レイが声の聞こえてきた方に視線を向けると、そこでは長が腰に手を当てたまま呆れたようにレイを……正確にはレイの手の中にいるニールセンを見ていた。
「えっと、長……その……」
「まぁ、少しくらいはいいでしょう。実際、ニールセンのお陰で妖精郷が混乱しないですんだのですから」
「え?」
まさか長の口からそのような言葉が出るとは思わなかったのか、ニールセンは完全に意表を突かれる。
そんなニールセンに対し、長は念を押すように言う。
「行きますよ」
だが、繰り返し褒めるということはなく、長はそのまま妖精郷を進む。
レイもまた、ニールセンを持ちながらその後を追う。
ニールセンはまさか自分が長から褒められるとは思っていなかったのか、レイが歩きだしてからも数秒、ぼうっとしていたが。
それでもすぐに我に返ると、落ち着かない様子で周囲を見る。
「どうした? そこまで落ち着かない様子なのはどうかと思うぞ」
「だって……」
何かを言おうとしたニールセンだったが、言葉を止めて自分達を先導するように移動する長を見る。
もしここで長について何か言おうものなら、後でお仕置きされるかもしれないと考えたのだろう。
実際にそのようなことが起きるかどうかは別として、その可能性がある以上はニールセンも迂闊に何かを言ったりは出来ない。
「あ」
そうしてニールセンを運んでいたレイだったが、離れた場所で飛んでいる複数の妖精の姿に気が付く。
その妖精達はレイを見るとすぐに近付こうとしたものの、レイの前方に長がいると知ると動きを止める。
そんないつも通りの妖精達の様子を見て、レイは安堵する。
(どうやら王の威圧の影響でセトを怖がるとか、そういうことはないみたいだな。まぁ、セトはここにいないけど)
もしここにセトがいた場合、妖精達がどう反応したのか。
あるいは王の威圧の影響でセトを怖がる妖精もいるかもしれない。
(ピクシーウルフと遊びにいったセトだったけど、その途中で妖精に怖がられるとかないといいんだけどな。……いや、妖精どころかピクシーウルフに怖がられる可能性もあるのか)
セトがピクシーウルフや妖精達に怖がられたら可哀想だ。
そう思うレイだったが、同時にセトなら最初は怖がられていても、すぐにまた以前のように友好的な関係に戻れるだろうと予想する。
それはギルムで証明されていることだった。
ギルムでも最初はグリフォンのセトを怖がる者は多かったが、今ではギルムのマスコットキャラとでも呼ぶべきような存在となっている。
勿論、ギルムに住む大半の者達はセトがグリフォンであることは知っていても、実際にどれだけの力を持っているのかは分からない。
せいぜいが、子供達を乱暴に扱う相手を止めたり、自分に襲い掛かってきた相手を止めたりといったことくらいか。
それでも冒険者の中でセトの強さを知った上でも、セトを可愛がる者は多い。
セト愛好家の筆頭として出てくるミレイヌや、そのミレイヌに並ぶ存在として知られているヨハンナなどはその筆頭だろう。
他にもセトの本当の実力を自分の目で見て、あるいは知り合いから聞いて、それを知ってる者も多いが、そのような者達にとってもセトは愛らしい存在なのは間違いない。
そのようなギルムでの実績もある以上、レイとしてはこの妖精郷でも問題はないと判断するのだった。