3345話
「じゃあ、俺はそろそろ妖精郷に行くことにするよ。ブルーメタルの件で色々とやっておくこともあるし。それに……魔石の件もあるし」
魔石について詳細は語らなかったレイだったが、それでもレイが何を言ってるのか分かっている者達はそれだけで全てを承知し、特に何かを言うようなことはない。
「えー……もう行くの? もう少しここで遊んでいたかったんだけど」
不満の声を上げたのは、ニールセン。
ニールセンにしてみれば、レイのドラゴンローブの中に隠れたりしなくてもよく、更には美味い料理や菓子を食べられるマリーナの家は非常に好みの場所だったのだろう。
「長が早く帰って来いと思ってるかもしれないぞ?」
「……戻るわ」
ここでこれ以上戻りたくないと我が儘を言って、それが長に知られるようなことがあれば、どうなるか。
それが長に知られれば、そこに待っているのは間違いなくお仕置きだろう。
そうである以上、ニールセンにはここで帰らないと口にする勇気はなかった。
「ん……」
そんなニールセンの様子を見て、ビューネが残念そうに小さく呟く。
ビューネにとって、セトやニールセンと遊ぶのは非常に嬉しいことなのだろう。
……それが表情に出ることは滅多にないが。
「じゃあ、そういう訳で俺達は行くよ。ギガントタートルの件があるから、また近いうちに来ると思うけど」
そう言いつつ、レイはセトの背に乗る。
ニールセンはいつものようにレイの右肩に立つ。
「では、残念だが……」
エレーナがレイと別れるのを残念そうに言うが、それでもお互いのやるべきことについては十分に理解している為か、それ以上不満を言う様子はない。
他の者達も短く別れの言葉を言う。
もっとも、レイとエレーナには対のオーブがあるので、連絡を取ろうと思えばいつでも取れる。
それでもこうしてレイと別れるのに寂しそうな様子を見せるのは、恋する乙女だからだろう。
「ああ、そうそう。マリーナには言うまでもないと思うけど、今日はマリーナの家の周囲にいつもより見張りが多いから、一応気を付けておいた方がいい」
貴族街にあるマリーナの家を見張ることが出来るのは、同じ貴族街に住む者が大半だ。
そのような者達は、マリーナの家に妙なちょっかいを出せば精霊によってそれが防がれることを知っている。
それだけではなく、それをマリーナにも察知されれば、その件でマリーナに不快感を持たれるのも間違いない。
このギルムにおいて、マリーナと敵対するというのは愚策でしかない。
ギルドマスターをワーカーに譲って冒険者になったマリーナだが、それでも長年ギルドマスターとして活動してきただけに、その影響力は強い。
また、ダスカーとも近しい存在である以上、そのような相手を敵に回した時にどのようなことになるのか……それは考えるまでもなく明らかだろう。
だからこそマリーナの家を見張ってはいても、直接手を出すような者は少ない。
……いないのではなく少ない辺り、貴族の傲慢さを現してもいるのだが。
「分かったわ。まぁ、今の私達に手を出すような者はそういない……と思いたいけど、必ずしも安全という訳ではないのよね」
「そうなる。もっとも、この戦力を相手に何かちょっかいを出してきても、まず失敗するだろうが」
姫将軍のエレーナ、天才的な精霊魔法の使い手のマリーナ、戦闘狂のヴィヘラ、剛力のアーラ。
他にもビューネは他の面子に比べれば戦闘力は劣るものの、その辺の兵士を相手にした場合は勝利出来るだけの実力を持つ。
とち狂った者が攻め込んできても、それを防ぐのはそう難しくはない。
「ふふっ、でもそうなったら出来ればレイに助けに来て欲しいわね」
「俺が来るまでに敵は鎮圧されてるような気がするけど」
そう言うレイに、その場にいた全員がその可能性は十分にあると、笑みを浮かべる。
「次にレイが来たら、もう少し魔剣を貸して欲しいところだ。あの魔剣を使いこなすには、もっと身体に馴染ませる必要があるのでな」
「分かった。次に来たらもう少し長い間、貸すよ。……じゃあ、行くか。セト」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉にセトが鳴き声を上げ、数歩の助走で翼を羽ばたかせながら空に向かって駆け上がっていく。
(やっぱりマリーナの家の周辺には結構人が集まってるな)
馬車で移動している時もマリーナの家の近くにいる者達は十分に認識していたが、空から見るとより正確にその姿を確認することが出来る。
「レイ? どうしたの?」
地上を見ているレイに疑問を抱いたのか、ニールセンがそう尋ねる。
「マリーナの家の周囲に結構な人数が集まっていると思ってな。……それよりさっさとトレントの森に戻るぞ。昨日ボブが襲撃された近くにブルーメタルで隠れられるような場所だと穢れの関係者が認識するような場所を作らないといけないし」
「分かったけど、レイだけでやるの? ボブは?」
何をするにしても、一人より二人の方が早く終わる。
それはレイも分かっているが、だからといって安易にボブを妖精郷の外に連れ出すのには問題があった、
そもそも、今回の件でボブがどの辺にいるのかを穢れの関係者に知られた可能性もある。
そんな中で罠を仕掛ける場所にボブを連れていくのは、自殺行為ではないかとレイには思えた。
「ボブが手伝ってくれれば助かるけど、今回は止めておいた方がいいだろうな」
「そうなの? じゃあ、私が手伝おうか? そうね、レイだけに力仕事をさせるのは悪いし、そうした方がいいかもしれないわね」
ニールセンが手伝うのが決定したかのような言葉を聞きながら、レイは呆れ混じりに口を開く。
「手伝ってくれるのは嬉しいけど、長に色々と事情を説明してからにしろよ。領主の館でニールセンが聞いた諸々は、お前が長に報告する必要があるんだし」
「えー……」
やっぱり。
不満そうな様子を見て、レイは何故ニールセンが自分を手伝おうとしたのかを理解する。
レイの手伝いをすることで、長に報告するのを先送りに……出来れば有耶無耶にしたかったのだろうと。
とはいえ、ことは穢れの一件が関わっている。
一時的に報告を先延ばしに出来ても、それが有耶無耶になるようなことはない。
最終的にはニールセンが報告をしなければならず、そして報告が遅れた分だけ長はニールセンに不満を持つだろう。
そうである以上、やはり最善の選択なのはレイ達が妖精郷に戻ってからすぐにでもニールセンが長に報告をしに行くことだ。
それでもし長がレイに別途何か聞きたいことがあるのなら、ニールセンを通して改めてレイを呼び出すか……あるいは、長が直接レイに会いにくるかもしれない。
長がレイに会いに来るのは、穢れに関しての用事だけではなく、個人的な感情からということもあったりするのだが、生憎とレイはそのことに気が付いてはいなかった。
「長に報告した後で、俺がまだブルーメタルの設置が終わっていなかったら手伝ってくれ」
「いいわよ、もう。長に報告したらゆっくりしてるから」
「手伝うって話はどこにいったんだろうな」
そんな会話をしている間もセトは飛び続け、あっという間に妖精郷の側に到着する。
(トレントの森の上空に入っても長からニールセンに連絡がないってことは、穢れが転移してきたとかそういうのはなかったみたいだな。あるいは出て来てもミスリルの釘でどうにかしたか)
もしレイ達がいない間に穢れが現れていれば、トレントの森の上空に入った瞬間には長からニールセンに連絡がある筈だった。
それがなかったということで安堵しつつ、レイは地上に着地したセトの背から降りる。
「じゃあ、俺はブルーメタルを置いてくる」
「あ、ちょっと待って。レイも長に色々と報告しておいた方がいいんじゃない?」
「そうしたいところだけど、まずはブルーメタルを最初に設置しておいた方がいいだろ。いつ穢れが転移してくるか分からないんだし」
そう言われると、ニールセンも反論出来ない。
その為、渋々と、本当に渋々とだがレイの言葉に頷く。
ここで無理にレイを妖精郷に連れていった場合、レイの邪魔をしたということで長からお仕置きされる可能性が高かったからだ。
そうである以上、ここで自分が無理はしない方がいいと判断したのだ。
「じゃあ、私は長に報告をしてるから、レイもそっちの用事が終わったらすぐに来なさいよ」
そう言い、ニールセンは妖精郷の中に……より正確には妖精郷を守っている霧の空間の中に入っていく。
そんなニールセンを見送ったレイは、セトと共に昨日ボブが穢れと遭遇したという場所に行く。
普段ならセトの背に乗って移動するのだが、今日は違う。
もしかしたら、ボブの痕跡を見つけた穢れの関係者によって、大量に穢れが転移してきているかもしれないと危惧した為だ。
穢れが転移していたら長が気が付いてニールセンに連絡をしている筈だったが、それでも万が一ということがある。
最近では研究も進んで即座に倒すとまではいかずとも、容易に捕獲することが出来るようになったし、捕獲してしまえば翌日には餓死してしまう。
そういう意味では容易な相手となってしまった穢れだったが、それでも触れただけで致命傷になってしまうという危険度は変わらない。
敵意も殺気もなく、プログラム通りに動く存在だからこそ、レイにとってはそれらで敵の行動を察知出来ないのは痛かった。
敵意も殺気もないが、直接その姿を見れば本能的な嫌悪感を抱くような存在なのだが。
「セトがいるから大丈夫だとは思うけど……一応、気を付けるのに越したことはないしな」
穢れは色々な意味で理解出来ない存在ではある。
今までは大丈夫であっても、将来的に長でも察知出来ないようなことになってもおかしくはない。
「まぁ、その可能性はないとは思うけど」
「グルゥ」
レイの言葉に同意するように喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、それなりに穢れと戦っている以上、何となくレイの言うことも分かるのだろう。
レイはそんなセトに笑みを浮かべ、その身体を撫でる。
そうしながら一人と一匹はトレントの森の中を進み……やがて目的の場所に到着する。
レイが見たボブは、既に他の妖精と共に逃げていた。
その為、正確にどの辺でボブが穢れと遭遇したのかはレイにも分からない。
分からないが、それでもボブから話を聞いた限りでは現在レイのいる場所付近で穢れと遭遇した筈だった。
「うん、ボブから聞いた話だとこの辺りか。……セト、俺はこれからブルーメタルを設置していくから、一応周囲の様子を見ておいてくれ」
「グルルゥ」
レイの言葉にセトは任せてと喉を鳴らすと、周囲に敵がいないかどうかを確認する為に移動を開始する。
セトがいなくなったのを確認すると、レイは早速自分のやるべき仕事をやる為にミスティリングからブルーメタルを取り出す。
ブルーメタルの名の通り、青みがかった金属。
その青に数秒の間だけ目を奪われるが、レイはすぐにそのブルーメタルを並べ出す。
とはいえ、あくまでも大人が数人入れる程度の場所を覆うだけだ。
ブルーメタルは外見よりも若干重かったが、それでも持てないという程ではない。
そのブルーメタルを長方形の範囲……レイの感覚だと畳一畳分くらいの大きさに置いていく。
それだけなので、やるべきことはすぐに終わる。
「分かっていたけど、予想以上に簡単に終わってしまったな。……問題なのは、これからどうするか、か。……いや、やるべきことは決まってるんだが」
わざわざニールセンを長に報告に行かせ、セトと共にボブが穢れと遭遇した場所までやって来た。
それは、穢れの関係者をもしかしたら誘き寄せる罠になるかもしれないという思いがあったものの、同時にもう一つ目的がある。
……寧ろレイにしてみれば、こちらの方が今回は主目的だったと言っても過言ではない。
それはつまり、魔石を使用すること。
魔獣術によって魔石を使い、新たなスキルを習得、あるいは現状で覚えているスキルを強化するという行為を行う為だった。
ましてや、今回は魔の森で倒した高ランクモンスター……巨狼、闇の世界樹、ヴァンパイア、キメラ……そしてクリスタルドラゴンという、五匹の高ランクモンスターの魔石が存在するのだ。
基本的に魔獣術で魔石を使う時は、高ランクモンスター程、新しいスキルを習得したりスキルが強化されたりしやすい。
勿論それはあくまでもそういう傾向があるということで、実際には低ランクモンスターの魔石でもスキルを習得したり強化したりといったこともあるし、逆に高ランクモンスターの魔石でもスキルを習得出来たり強化出来たりしない場合がある。
だが、それでも魔の森に棲息していた高ランクモンスターの魔石なら。
そう思いながら、レイは見張りをしているセトを呼ぶのだった。