3337話
レイがレノラと話していた頃、マリーナの家ではセトがニールセンと共にとっくに戻ってきており、庭でイエロと共に遊んでいた。
「ふむ、そうか。ダスカー殿は私が出るのは好まない、と」
「レイとの話ではそう言ってたわよ」
レイとダスカーが……そしてダグラスの間で行われた会話は、当然ながら部屋の中に隠れていたニールセンもそれをしっかりと聞いていた。
その結果として、ダスカーが出来ればエレーナを冬に行われる穢れの関係者の本拠地の奇襲に参加させたくないという情報も、自然と伝わることになる。
「魔剣の性能が穢れに対する特攻というのが間違いないのだとすれば、私が使うのは一番いいと思うのだがな」
「エレーナ様以外にも、ギルムの冒険者が何人か行くと考えれば、その中に長剣を使う者がいてもおかしくはないと思いますよ」
アーラの言葉に、エレーナは微妙な表情を浮かべる。
エレーナにしてみれば、アーラからそのようなことを言われるとは思わなかったのだろう。
「それに、エレーナが使うのは同じ魔剣でも連接剣でしょう? だとすれば、普通の長剣型の魔剣を使いこなすのは難しいんじゃないかしら?」
「マリーナも私が行くのは反対なのか?」
「いえ、そんな風には思っていないわ。それに、もし魔剣がなくてもエレーナは穢れを倒すことが出来る方法を持っている以上、エレーナが一緒に行けば大きな戦力になるのは間違いないわ。それに私が言うのもなんだけど、姫将軍の異名は穢れの関係者を相手にしても十分に効果があるでしょうし」
そのマリーナの言葉に、エレーナは疑わしい表情を浮かべる。
「私の異名が、穢れの関係者に効果があると思うか?」
エレーナの姫将軍という異名が周辺諸国に知られているのは事実だ。
レイの深紅という異名も近年急激に広まったものの、そんなレイの異名の深紅よりも姫将軍という異名の方が広まっているのは間違いない。
だが同時に、それはあくまでも一般的な常識を持つ者であればの話だ。
世界の破滅を望んでいる穢れの関係者達が、一般的な常識を持つとは到底思えない。
勿論、姫将軍について知っているかどうかは、また別の話だが。
「どうかしらね。私はそれなりに効果があるとは思うけど」
そう言ったのは、ヴィヘラ。
ヴィヘラにしてみれば、穢れの関係者の本拠地に行くのは既に決まっているので、エレーナが行くかどうかというのはそこまで興味がない。
マリーナとは友人なので、一緒に行けるのならその方がいいとは思っているが。
ただ、行けないなら行けないで、自分が戦える相手が増えるだけだという思いもそこにはある。
オーロラの洞窟では、そこまでの強者はいなかった。
穢れという厄介な存在はいたが、今のヴィヘラはその穢れに対しても対処可能となっている。
それだけに、穢れに頼り切った訳ではない……本当の意味での強者がいれば、それはヴィヘラにとって非常に嬉しい。
そのような相手との戦いの機会が増えるのも、またヴィヘラにとっては大歓迎だった。
「ヴィヘラは気楽で羨ましいな」
「そうかしら。でもまぁ……ベスティア帝国に穢れの関係者の本拠地があるという時点で、私が向かうのは決まってるようなものだし。だからかしらね」
そう言うヴィヘラに、エレーナは羨ましそうな視線を向ける。
だからといって、ケレベル公爵領に穢れの関係者の本拠地があって欲しいとは思わないが。
穢れの危険性を考えると、そのような者達の本拠地が自分の家の領地にあるというのは絶対に拒否したい。
「私が奇襲に参加出来るように、ダスカー殿には念押しをしておくべきか。もしくは……」
そこで言葉を切ったエレーナの視線が向けられたのは、マリーナ。
ダークエルフとして長い時を生きているだけに、ダスカーの子供の頃の黒歴史についても詳しく知っている。
それを使ってダスカーにエレーナが奇襲に参加出来るように説得して欲しいと、そう言いたいのだろうと視線を向けられたマリーナは理解したが、そのマリーナはエレーナに視線を向けられても難しい表情を浮かべて口を開く。
「私がダスカーの恥ずかしい話とかを知ってるのは間違いないし、それを使ってからかったりすることがあるのも間違いないわ。けど……それでもダスカーは自分の仕事には強い責任を持ってるから、もしそれがダスカーにとって……ギルムの領主として受け入れられないようなことの場合、どんなに私が脅してもこちらの要望を聞いたりはしないと思うわ」
それはダスカーとの付き合いが長いマリーナだからこそ分かることだ。
マリーナの言葉に、聞いていた者達は不思議な……本当に自然と納得してしまう。
「それに魔剣については、一応ビューネも候補者なのよ? エレーナは魔剣がなくても穢れを倒せるけど、ビューネは自力では穢れを倒せないもの」
そう言いつつ、マリーナはセトやイエロ、ニールセンと共に遊んでいるビューネを見る。
先程までは領主の館であったことを報告していたニールセンだったが、遊んでいるセト達を見て羨ましく思ったのか、いつの間にかテーブルの上からその姿は消えていた。
ビューネはいつものように表情は変わっておらず、客観的に見た場合はそれが嬉しそうかどうかというのは分からないだろう。
だが、ビューネと一番付き合いが長いヴィヘラはビューネが喜んでいるのだと分かるし、マリーナを含めたそれ以外の面々もビューネが喜んでいるのは何となく理解出来た。
「分かっている。だが、ビューネは基本的にセト籠から離れないのだろう? いざという時のことを思えば魔剣はあってもいいだろうが……それでもいざという時の為だけに、穢れを殺せる魔剣を持たせるのは少し勿体ないと思うのだが。どう思う?」
エレーナにそう尋ねられた面々は、すぐに返事が出来ない。
エレーナの言ってることは、そう間違っていない。
確実に穢れを殺すことが出来るのなら、そのような魔剣を主力となる者達が使うのが最善だというのは明らかなのだから。
だが同時に、いざという時……穢れの関係者達が自分達の本拠地が陥落寸前になった時、脱出した者達が自分達を追ってこられないようにセト籠を破壊しようとしてもおかしくはない。
その時、セト籠を守っているビューネが穢れに対抗出来る手段を持っていなければ、それこそセト籠を置いてその場から逃げなければならない。
「うーん、少し悩むわね。出来ればあの魔剣がもう一本あればよかったんだけど。もう少し色々と探せばよかったかしら」
そう言うのは、実際に魔剣を見つけたマリーナだ。
オーロラのベッドの下に魔剣があったが、もっと他の場所……それこそ隠し扉とか隠し棚とかそういうのがないのかを調べていれば、もしかしたら他にも同じ効果を持つ魔剣があったかもしれない。
もっとも、穢れに対処する為の魔剣などというものを、一体何故オーロラが持っていたのか。
また、どうやってあのような魔剣を作ったのか、マリーナには全く分からなかったが。
(その魔剣、錬金術師に見せれば同じのを作ってくれるのかしら。……難しいでしょうね。それにただでさえ、今は穢れに対抗する為のミスリルの釘や、穢れが侵入不可能な魔法金属を作ったりしてる筈で、他のことに回せる錬金術師はいないでしょうし。それに穢れが相手となると……)
穢れは普通のモンスターではない。
そういう意味では、完全に未知の存在と表現しても決して間違っている訳ではないのだ。
そんな穢れに特攻を持つマジックアイテムを作ろうとしても……将来的に作れない訳ではないかもしれないが、だからといってすぐに同じマジックアイテムを作るのは難しい。いや、不可能と言ってもいいだろう。
そしてこの魔剣が必要なのはこの冬に穢れの関係者の本拠地を襲撃するからだ。
幾ら穢れに特攻のある魔剣であっても、その魔剣が完成するのがずっと先では意味がない。
「やっぱり無理ね」
「……マリーナ?」
何かを考え込んでいたマリーナの口から出た言葉に、エレーナがそう疑問を口にする。
そんなエレーナの言葉でマリーナは自分が考え込んでいたことに気が付いたのか、何でもないと首を横に振る。
「穢れに特攻を持つ魔剣が一本しかないのが問題なんでしょう? なら錬金術師に頼んで量産……とまではいかないかもしれないけど、もう一本くらいは同じ性能の魔剣を作れないかと思ったんだけど、今はそんなことはちょっと出来る状態じゃないと思ってね」
「投擲用の短剣として、同じような能力を持つ魔剣が多数あれば助かるんだけど。私の場合は遠距離用の攻撃手段が乏しいし」
ヴィヘラにしてみれば、自分の浸魔掌でも穢れを倒すことが出来るようになったのは間違いなく、だからこそ、浸魔掌以外の方法で穢れを倒せるようになってもいいのではないかと、そんな風に思っていた。
これで穢れが倒すのに苦戦するような相手なら、強敵だということでヴィヘラもそれなりにやる気に満ちていたのだろうが、生憎と穢れは能力こそ厄介だったが、純粋に倒すだけならそこまで苦戦する相手ではない。
だからこそ、一度倒せると判断したヴィヘラにしてみれば、簡単に倒せる方法があるのならそれを使えばいいと思ったのだろう。
もっともそんなヴィヘラの希望はあっさりとマリーナによって絶たれてしまったが。
「魔剣の件もあるが、とにかくレイがギルドから戻ってきたらしっかりと私も奇襲には参加出来るように頼んでおく必要があるな」
「……程々にしておいた方がいいわよ? まぁ、レイならエレーナが行きたいと言うのなら、連れていくでしょうけど」
マリーナから見ても、レイはエレーナを公爵令嬢ではなく、エレーナという一人の人間として見ている。
それだけに、もしエレーナが奇襲に参加したいと言えば、エレーナの実力からレイが断るとは思わなかった。
「穢れの件は、ギルムだけの問題ではない。実際、国王派もブロカーズ殿を出してきている。なら、そこに貴族派の私が加わることに何の問題がある?」
「いや、それなりに問題はあると思うんだけど」
ブロカーズは国王派の中でも相応の地位にいる人物なのは間違いない。
そんな人物がギルムに来ているのだから、国王派が穢れの件にしっかりと関わっているのは間違いない。
しかし、エレーナが参加したいと言ってるのは穢れの関係者の本拠地に対する奇襲だ。
普通に考えて、ギルムにやってきたブロカーズと触れただけで相手を黒い塵にして吸収する穢れが、そして穢れを使う者達が大量にいるだろう本拠地に対する奇襲では、その意味は大きく違う。
勿論、ブロカーズにも危険が全くない訳ではない。
今もまだ、トレントの森には不定期に穢れが送り込まれているのだから。
だが敵の本拠地の奇襲とどちらが危険なのかは、言うまでもない。
また、ブロカーズは国王派の中でも相応の地位にあるかもしれないが、そういう意味ではエレーナも貴族派の中ではかなり重要な位置にいる。
姫将軍の異名を持つエレーナは、ある意味で貴族派の象徴とも呼ぶべき人物なのだから。
周辺諸国にまで……あるいはもっと遠くの国にまで異名が知られているエレーナの重要さは、それこそブロカーズとは比べものにならない。
もっとも、エレーナはその全てを知った上で自分も奇襲に参加したいと言ってるのだが。
実際にもしここでエレーナが奇襲に参加して穢れの関係者の本拠地を攻略した場合、貴族派の手柄……それも大きな手柄となるのは事実。
奇襲を主導した中立派には劣るが、それでも世界の崩壊を求める者達を倒すというのは、非常に大きな意味を持つ。
エレーナが狙っているのは、実際には貴族派の手柄云々ということではなく、あくまでもレイと一緒に奇襲に参加したいという思いなのだが。
「エレーナの件は取りあえずレイに任せるとして……そう言えば、レイはいつくらいに来るのかしら?」
「さぁ? ニールセンが言うには、ギルドで預けておいた素材を受け取ってから来るという話だったし。……魔の森のモンスターの、それもかなりランクAモンスターを含めて高ランクだったり、クリスタルドラゴンの素材だったりするのを思えば、結構な時間が掛かるでしょうね」
そう言いながらも、ヴィヘラの表情は心の底から羨ましそうなものだ。
ヴィヘラにしてみれば、魔の森という場所にいる高ランクモンスターとの戦いは是非自分も参加したかったと思うのだろう。
戦いを好むヴィヘラだけに、レイと一緒に魔の森で高ランクモンスターと戦い続けるデートをしたいと、そうしみじみと思ってもおかしくはない。
レイがそれを楽しむかどうかは、また別の話だが。