3335話
今年もギガントタートルの解体を行うとレイから聞き、安堵するレノラ。
「そうですか。ありがとうございます。レイさんのお陰で、去年はスラム街で餓死や凍死する人が随分減ったと評判になっていました。今年もそのようにして貰えるのなら、助かります。では、早速依頼の受け付けを……」
「ちょっと待って欲しい。俺も最初はそのつもりだったんだけど、ダスカー様から少し止められていてな」
「ダスカー様からですか? 一体何故でしょう?」
「実は、解体の仕方でダスカー様と話し合ったんだよ」
そう言い、レイは話し合った内容……ギガントタートルの足を大雑把に切断して、それをギルムの中で解体するという方法についての有用性と問題点について説明する。
するとレノラは納得したように頷く。
「まさに一長一短といったところですね。ただ、私としてはギルドの負担が多少増えたところで、街中で解体をした方がいいと思いますが」
「多少って程度じゃなくて、かなり負担は増えると思うぞ?」
何しろ解体をしている場所一つにつき、最低でも一人のギルド職員が必要となるのだ。
その負担は、去年から今年の冬に掛けて行ったギガントタートルの解体の時と比べると圧倒的に増えるだろう。
「そうかもしれませんね。ですが、幾ら冒険者の方々が護衛しているとはいえ、ギルムの外での仕事です。万が一というのを考えると、何があってもおかしくはありません。それに……以前ここで寝泊まりをしていたスラム街の人達がそれなりにギルドに就職しました。その人達に任せれば、それこそ自分達と同じ出身だけに現場でも問題なく仕事が出来るでしょう」
「そういうものか? ……いや、そういうものなんだろうな」
レイも何だかんだとスラム街の住人との付き合いはそれなりにある。
スラム街の住人は仲間意識が高いことは知っているし、レノラがそれによって仕事をしているスラム街の住人が妙なことをしないようにしているのだろうとも予想出来た。
だが同時に、スラム街の住人の仲間意識はあくまでも自分達の仲間……一緒にスラム街で行動している者達だけに対してのものだ。
スラム街の中にも多数の……それこそ数人程度の集団も加えると数え切れない程の集団がおり、そう考えるとスラム街の住人同士での協力というのはそこまで期待出来ないのではないかとレイには思えた。
とはいえ、レノラがこのように言っている以上はその辺についてしっかりと理解をした上での言葉なのだろうと予想出来たが。
「ただ、ギルムの中での仕事となると、護衛の冒険者の数は少なくなって、金に困っている冒険者にとっては辛いかもしれないな」
「その辺は仕方がないかと。それにスラム街出身で雇っている人達が行っても、それだけではどうしようもないこともありますから、相応の人数は必要になると思いますよ。……それでもどうしても以前よりは雇う人数が減るでしょうけど」
「それで不満を抱かないか?」
「抱く人はいると思います。ただ、基本的にギルムの冒険者は雪が降るまでに冬越えの金額を貯めることは常識ですから」
それはレイにも理解出来た。
ただし、冒険者の中には稼いだ金は全て酒や女に使う、いわゆる宵越しの金は持たないといったような者もいる。
そのような者達は稼いだ金をすぐに使ってしまい、冬越えの金も持たないので冬にも依頼をこなす必要がある。
レイにしてみれば、最低限の金は貯めておいた方がいいと思うのだが、その辺は冒険者によって大きく変わる以上、口出しをするようなことではない。
そんな冒険者達にしてみれば、ギルムの外での護衛とはいえ、ギルムのすぐ近くである以上、自分達にどうしようもない敵が現れたら即座に街中に退避出来て、その割に報酬は高めという去年のギガントタートルの解体の護衛は非常に美味しい仕事だった。
しかし、もし今年のギガントタートルの解体が街中で行われるのなら、護衛として雇われる人数も間違いなく減るだろうし、報酬もモンスターとの戦闘がない以上、こちらも安くなる。
冒険者にしてみれば、面白くないのは間違いなかった。
「大丈夫か? 不満を持った冒険者がギルドに来たりするかもしれないけど」
「問題ありません。ギルドにそのような不満を言うような冒険者が今までいなかったと思いますか?」
「……いないということはないだろうな」
冒険者の中には粗暴であったり、自己中心的な性格の者も多い。
そのような者達が依頼の失敗とみなされた場合、それを告げたギルドの受付嬢に不満をぶつけるのはレイにも容易に想像出来る。
……実際、そのような光景を何度か見ているからというのもあるのかもしれないが。
だが、それでもこうしてギルドが問題なく運営されているということは、そのような相手に対する何らかの手段があるからだろう。
そしてレイはその手段が何なのか、想像出来る。
(冒険者からギルド職員になった奴って結構いるらしいしな。戦力としては十分だろう。特にここはギルムだし)
報酬がどうこうといったことで騒ぐ冒険者というのは、大体が低ランク冒険者だ。
中には高ランク冒険者でそのように騒ぐ者もいない訳ではないが、その数は決して多くはない。
そして元冒険者のギルド職員というのは、基本的には高ランク冒険者だ。
ギルド職員として活動している以上、どうしても現役の時のように身体を動かすことは難しいものの、それでも低ランク冒険者をどうにかする程度の実力は有している。
「ふふっ、レイさんも興味があるのならギルド職員になってみますか? ……もっとも、レイさんがギルド職員になったら、マリーナ様がギルドマスターとして復帰するかもしれませんけど」
「いや、さすがにそれはないだろ。ワーカーだって頑張ってるんだし」
マリーナの跡を継いでギルムのギルドマスターとなったワーカー、決して無能ではない。
もしワーカーを無能だとするのなら、それこそ現在のギルドマスターをやっている者のうちの何人が有能という評価になるのか。
それこそ多くの冒険者ギルドが無能という扱いになるだろう。
ワーカーはそれだけ頑張っているのだ。
レイもそれを理解しているので、どうしてもワーカーを庇うような発言になってしまう。
「ふふふ。分かってますよ。ギルドマスターはしっかりと頑張ってますから。それこそギルドマスターとして考えた場合、かなり有能なのは間違いないと思います。ただ……マリーナ様がそれ以上に有能なのがちょっと……」
「それについては、黙秘した方がよさそうだな」
その先の話をすると、色々と不味いことになりそうだ。
そう思ってレイが言うと、レノラもそんなレイの言葉に自分が何を言おうとしたのかを理解し、慌てて周囲を見る。
慌てなくても倉庫の中にはレイとレノラの二人しかいないのだが、それでも今のレノラの言葉の先は、それを誰かに聞かれたらそれだけ不味いのだと、そう理解したのだろう。
「そう言えば、この倉庫によく入ってこられたな」
ワーカーとマリーナについての話題を変えようと、レイは少し気になったことを口にする。
だがそれは、実際にレイが気になったことでもあった。
レイがギルドの倉庫に入っていったというのは、少数の相手にではあっても見られている筈だ。
実際にレイを見て驚きの声を発した者がいるのを、レイも知っている。
それだけに、恐らく現在倉庫の外ではレイに会いたいと思っている者……あるいはその約束を取り付けようとする者が多数いても、おかしくはない筈だった。
一応レイの護衛として騎士が数人一緒に来てはいるものの、それでも全てを完全に押し止めることが出来るとは思えない。
そもそも騎士達も護衛はしているものの、武器を抜いてもいいという許可は出ていないのだ。
あくまでも騎士達に許されているのは、レイの護衛。
それだけに、レイに会いたいと押し寄せてくる者の数が多くなれば多くなる程に、それを防ぐのは大変になってしまう。
数というのは力だ。
騎士達が本気でその力を振るってもいいのならともかく、それが許可されていない以上、少数の騎士達だけでレイに接触しようする全員を防ぐのは難しい。
レイが倉庫の前であった冒険者もいるが、その冒険者達も全員を力で止めるといったことは出来ないだろう。
つまり、倉庫の前にはそれなりに人がいるのではないかとレイは思っていた。
そんな中で、レノラがどうやって倉庫に入ってきたのか疑問に思ったのだ。
だが、レノラはレイの言葉に特に驚いた様子もなく口を開く。
「人はいましたけど、護衛の冒険者の方達がいましたから。レイさんは忘れてるかもしれませんが、倉庫の護衛である以上、倉庫に入ろうとする相手には手荒な手段を使っても問題ないんですよ」
「ああ、そう言えば……俺の護衛として来た騎士達とは違うのか」
レノラが言うように、倉庫の護衛として雇われた冒険者にしてみれば、倉庫に無断で入ろうとする相手がいた場合はそれこそ武器を振るってでも止める必要がある。
騎士が力を振るわなかったので冒険者達も自分達に暴力を振るわないと思い込んでいたのであれば、あるいは口だけで実際には何もしないと思ったのであれば、その者はすぐに後悔することになるだろう。
倉庫の中にはクリスタルドラゴンの素材がある以上、無断で……あるいは許可もなくそこに入ろうとした者は、それこそ持っている武器を使ってでも止める必要がある。
その為に冒険者達は護衛として雇われているのだから。
「はい、そうなります。もっとも……素材の方はもう殆どないようですけど」
そう言いながらレノラは倉庫の中を見回し、幾つかの樽……排泄物が入っている樽を見て首を傾げる。
「レイさん、あの樽はどうしたんです? この倉庫の中にあるということは、あの樽も素材なんですよね?」
「……ああ。素材なのは間違いない。ただ、ちょっとミスティリングに収納するのを躊躇うというか、なんというか……」
レイの言葉にレノラは不思議そうな表情を浮かべる。
一応、樽もマジックアイテムか何かで、中にある排泄物の臭いは基本的に気にしなくてもいい。
ただし、レイのように優れた五感……特に嗅覚があれば、その樽から漂ってくる臭いが気になってしまうのだが。
「その、あの樽の中に入ってるは、クリスタルドラゴンの排泄物なんだよ」
「……え?」
レイの一言に、樽に近付こうとした動きをピタリと止めるレノラ。
レノラにとっても、まさか樽の中にそんな物が入っているとは思わなかったのだろう。
ギギギ、とまるで油の切れた人形か何かのような動きで、レノラはレイの方を振り向く。
「その……排泄物って……つまり、その……」
「糞だな」
「……何でそんな物が……?」
「一応素材なのは間違いないしな」
そう言い、レイはドラゴンの排泄物の使い道について説明する。
その説明を聞いたレノラは、納得はしたくないが納得するしかなく、不承不承といった様子で頷く。
「素材として使えるのは分かりました。けど……何でそれだけ残しておくんですか? 早く収納して下さいよ」
説明が終わると、レノラはレイに早く収納して欲しいと言う。
うら若き乙女であるレノラにしてみれば、例え素材であってもドラゴンの排泄物がすぐ側にあるというのは遠慮したいのだろう。
レイもそんなレノラの気持ちは理解出来たが、だからといって素直に収納する訳にもいかない。
「レノラも知ってると思うが、俺のミスティリングには料理とかが大量に入っている。そんな中に、樽に入れられているとはいえ、ドラゴンの排泄物を入れられると思うか?」
「それは……」
そう言われると、レノラも素直にそうですとは言えない。
自分がもしレイの立場になったら……いや、そこまでいかなくても、クリスタルドラゴンの排泄物が入っていると知った上でレイがミスティリングから取り出した料理を渡されて、素直に喜べるかと言えば否だからだ。
実際にはアイテムボックスの中に入れた時点で時間が停まるし、アイテムボックスの中に一緒に入れても料理とかにクリスタルドラゴンの排泄物の臭いが移るといったことがないのは分かっている。
分かってはいるが、だからといってそれを受け入れられる筈もない。
乙女としてそれは当然のことだった。
だからといって、いつまでも出しておかれても困るのも事実。
排泄物とはいえ、それでもクリスタルドラゴンの素材なのは間違いないのだ。
レノラとしてはあまり好ましくないが、この樽が一つだけでもかなりの……それこそ一般人であれば一生見ることが出来ない金額になるのは間違いない。
それを出しっぱなしにしておかれるのは、ギルド職員として遠慮したい。
そう思うレノラに、レイは口を開く。
「これ、ギルドで買い取ってくれないか?」