3334話
何かが走って……それも自分達では出せないような速度で走ってくる誰かを見た数人の冒険者は、即座に武器を構える。
長剣や槍といった武器が、いつでも使えるようにして近付いてくる相手を見張っていたが……
「何だ、レイか」
近付いてくる人物がフードを脱いで顔を露わにすることで、それがレイだと理解した冒険者達は武器を下ろす。
……ただし、万が一にもレイに変装している者という可能性は否定出来ないので、武器を下ろしはしたが、それでも何かあったら即座にそれを振るえるようにと完全に気を抜いている訳ではない。
やって来たレイもそれには気が付いているのだろうが、そんな冒険者達に文句を言うことはない。
寧ろレイの立場としては、そこまで厳重に自分の素材を守ってくれるという点で冒険者達には感謝を抱いてすらいた。
同時に、もしかしてマジックアイテムや魔法を使い、自分に変装してクリスタルドラゴンの素材を奪おうと試した者がいたのかもしれないとも思う。
そのレイは、冒険者達の前までやってくると、ミスティリングからギルドカードを取り出して冒険者達に渡す。
「レイだ」
その言葉と共に渡されたギルドカードを受け取った冒険者は、そのギルドカードも偽物ではないかとじっくり見る。
……とはいえ、あからさまに目立つような偽造でもなければ、冒険者達にはギルドカードが本物かどうか判別するのは不可能だったが。
ただ、こうして見た限りではそのギルドカードは本物のように見えたので、今度こそ警戒を解く。
「よく来たな。……という言い方はちょっとどうかと思うけど。それで今日はどうしたんだ?」
「クリスタルドラゴンの素材やら何やらを受け取りに来た。もう解体は終わってるだろう?」
「どうだろうな。俺はあくまでも護衛だから、倉庫の中がどういう風になってるのかは分からない。ただ、最近は出入りする者も少なくなってるから、恐らくはもう終わったんだと思うけど」
「ならいいんだ。入るぞ」
「ああ、それとギルド職員を呼んでくるけど、いいよな?」
「構わない。そうしてくれると、俺も助かるし。ギルドに報告することもあるからな」
「報告? 何かあったのか?」
ギルドに報告と聞いた冒険者の一人が、興味深そうにレイに尋ねる。
レイのやることである以上、そこには何か大きな意味があるのかもしれないと、そう思っているのだろう。
「ギガントタートルの解体に関してだな。去年もやっただろう?」
「ああ、あれか。……美味かったよな……」
しみじみと呟く冒険者。
どうやら去年はギガントタートルの解体に参加して、報酬は金銭ではなくギガントタートルの肉を貰ったのか、あるいはギガントタートルの肉を貰った者から購入するなり譲って貰うなりしたのか。
レイはその辺については分からなかったが、とにかくギガントタートルの肉を食べたのは間違いないらしいと理解する。
「一応あの解体についてはスラム街の救済とかを目的にしてのものだから、それなりに余裕のある奴はあまり参加して欲しくないんだけどな」
「別に俺が直接参加した訳じゃない。参加した奴から買い取っただけだ」
それなら問題ないだろうとレイは判断し、話はそれで終える。
「とにかくギガントタートルの件は近いうちに行う予定になっているというだけだ。その辺については、正式に決まったらギルドの方で発表があると思う。さっきも言ったように、スラム街にいる者達の救済が主な目的になってるんだけどな。……その為に、今日この倉庫にやって来たんだし」
「そう言えば、スラム街の子供達は去年この倉庫を使っていたな。今年もこの倉庫をそうやって使うのか?」
「その予定らしい。俺はそっちにあまり関わってないから分からないけど」
そうレイが言った瞬間、遠くの方から騎士の声が聞こえてくる。
「おい、いつまで外に出ているんだ! 早く中に入れ!」
叫ぶ騎士の側には、特に誰かがいるようには思えない。
レイの走る速度と、ラルクス家の家紋を持つ馬車がギルドにいるのは珍しくないので、レイの存在に気が付いたのは数人だけだったのだろう。
その為、当初予定していたよりも騎士達が忙しくなるようなことはなかったが、だからといっていつまでも騒動が起きないとは限らない。
こうしてレイが誰かと話しているのを見つければ、それこそ多くの者が集まってきてもおかしくはないだろう。
だからこそ、こうしてレイにいつまでも外でゆっくりしているなと騎士は叫んだのだろう。
レイもその騎士の叫びに気が付くと、冒険者達と短く言葉を交わしてから、すぐに倉庫に入る。
「へぇ……確かにもう解体は終わったみたいだな」
倉庫の中に入ったレイは、そこに誰の姿もないのを確認して呟く。
以前この倉庫に来た時は、クリスタルドラゴンの解体真っ只中といったところで、かなりの人数がこの倉庫の中に集まっていた。
それこそ賑わい、ギルド職員達の興奮した熱気によって暑苦しく感じるといったような、そんな場所。
しかし今は、特に何かがある訳でもない……それこそただクリスタルドラゴンの素材が幾つか分けて置かれてはいるものの、解体をしていたギルド職員の姿はどこにもない。
「そうなると……こうして置かれているということは、これは全部収納してもいいんだよな?」
倉庫に置かれているのは、大量にある素材だ。
鱗であったり、肉であったり、内臓であったり、血であったり。
一応、血はレイがクリスタルドラゴンを倒した時に、ある程度回収してはいるものの、それでももまだ身体の中に残ってはいたものを集めたのだろう。
基本的にドラゴンというのは、その全てが素材となって捨てる場所はない。
それこそ腸の中にある排泄物ですら植物を脅威的なまでに育てる肥料や、モンスターを寄せ付けない一種の忌避剤に加工出来るのだから。
「とはいえ……あまりそういうのは回収したくはないんだけどな」
血が入っていると思しき樽から少し離れた場所にある樽。
レイの常人より鋭い五感のうちの嗅覚は、そこにある樽の中身が何なのかを容易に理解してしまう。
実際には、その樽は本来なら消臭効果といったものもあるマジックアイテムの類なのだろうが、それでも完璧に臭いを消せる訳ではないらしい。
これは樽の効果がそこまで高くないのか、あるいはドラゴンの排泄物がそれだけ圧倒的なのか。
その辺はレイには分からなかったが、ああして用意をしてある以上はレイに持って帰って欲しいと思っているのだろう。
「……まぁ、ミスティリングに入れておけば、別に臭かったりはしないし。ただ、何となく嫌だよな」
ミスティリングの中に入れておけば、問題がないのは分かっている。
分かっているものの、ドラゴンの排泄物と料理が一緒の場所に入っているというのはイメージ的に決してよくはない。
実際には何の問題がなくても、ドラゴンの排泄物と一緒に収納されていた料理を食べたいかと言われれば、普通はそれに対して否と言うだろう。
この世の中には色々な性格や性癖の持ち主がいるので、中には寧ろドラゴンの排泄物と喜ぶ者もいるのかもしれないが……普通に考えれば、そのような者は少ない。
「とはいえ、これも貴重な素材なのは間違いないし。……いっそ、俺に素材を売って欲しいと言ってくる奴には、この排泄物を売るか? それで素材を欲してる連中が喜ぶのなら、それはそれで問題ないが」
ドラゴンの排泄物が貴重な代物……それこそ錬金術師や研究者なら、白金貨どころか光金貨を、もしくはレイの趣味を理解していれば秘蔵のマジックアイテムと交換して欲しいと主張する者すらいるのかもしれない。
そうレイは考え、取りあえず排泄物はそのままにして残りの素材について収納していく。
特にクリスタルドラゴンの骨は、解体したギルド職員のサービス、もしくは茶目っ気とでも言うべきか、骨格標本のようにされて置かれてあった。
「これ、ドラゴンゾンビ……いやドラゴンスケルトン? スケルトンドラゴン? そんなアンデッドになって暴れるとか、そういうことはないよな? ないか。その辺については十分に処理した上でここに置かれている可能性の方が高いだろうし。とはいえ、今更だけどドラゴンの骨とかどうするべきだろうな」
錬金術師や研究者、あるいはそれ以外の者にとってもドラゴンの骨というのは非常に貴重な素材だろう。
あるいは素材ではなくても、それこそ骨格標本として入手すれば、その者……貴族や大商人にとって、子々孫々まで残すべきお宝となる。
もっとも、ドラゴンの骨があると知っていて、それを奪うなり盗むなりしようとする相手に対処出来るのが前提の話だが。
「とはいえ、それはなしだな」
ドラゴンの骨なら、将来的に何らかのマジックアイテムを作って貰う時に使える可能性も高い。
具体的にどのようなマジックアイテムを作るのかというのは何も考えていないものの、それでもこの先のことを思えばいつ必要になるかもしれない以上、クリスタルドラゴンの骨を売るという選択肢はレイにはない。
普通ならこのような巨大なクリスタルドラゴンの骨を貰っても、どこか倉庫にでも収納しておいたりしなければならないが、レイの場合はミスティリングがある。
「そんな訳で……収納、と」
そうして残りの素材も次々と収納していく。
やがて倉庫の中でも結構な量があった素材はそのほぼ全てがミスティリングに収納され、残るのは排泄物の入った樽だけとなる。
「この樽、どうすれば……うん?」
樽をどうするべきか迷っているレイだったが、不意に倉庫の扉が開いた音に視線を向ける。
そこにはてっきり解体を任されたギルド職員……特にそのような連中を纏めていた親方でもいるのかと思ったが、そこにいたのはレノラだった。
ギルドでのレイの担当の受付嬢であるレノラは、その関係性もあってレイからの信頼も厚い。
レノラが真面目な性格をしているのも大きいのだろう。
レイがやっては駄目なことをやろうとすれば、きちんと駄目だと言える気概。
ギルドの受付嬢としては、それは当然のことなのかもしれないが、世の中にはその当然のことが出来ない者も多いのだ。
相手が強面の男の場合、気が弱い受付嬢の場合、あるいはお零れに預かろうとする冒険者の場合、止めるべきところを止められないということもある。
そういう意味では、その真面目な性格からしっかりとレイを止めるレノラはレイにとって信頼すべき受付嬢なのは間違いなかった。
もっとも、これはレイとレノラが会った時、レイがそこまで強そうに見えなかったというのも大きいだろう。
決して口に出したりはしないが、レノラはレイを弟のように思っているのだ。
もっとも、その弟は外見とは裏腹に数え切れない程の騒動に巻き込まれたり、あるいは起こしたりしてるのだが。
「レノラ? どうしたんだ、そんなに息を切らして」
この倉庫はギルドのすぐ側にあるのに、そのギルドからやって来たのだろうレノラは軽く息を切らしてした。
それがこの短い距離をどれだけの勢いで走ってきたのかを如実に表していた。
そのレノラは、数度の呼吸で息を整えてから口を開く。
「最近はレイさんがギルドに来ないから、今日を逃すとまたいつになるか分からないじゃないですか。……その今年もギガントタートルの解体はやるんですよね?」
レノラの様子から何かと思ったのだが、そのことを聞きたかったのだろうと判断したレイは、丁度いいタイミングでやって来たレノラに感謝する。
「素材の受け取りが終わったら、その件でこっそりギルドに顔を出すつもりだったんだけどな。……ああ、勿論今年もやろうと思っている」
そんなレイの言葉に、レノラは安堵する。
それはレノラの優しさから……というだけではなく、ギルド職員としての判断でもあった。
去年ギガントタートルの解体に参加したスラム街の住人のうち、それなりの人数がギルドに就職したのだ。
もっともそれはギルドの表に出てくるようなギルド職員ではなく、下働きや雑用を行う面子だったが。
ギルドの方でも去年この倉庫を貸した時にそれとなく相手の性格や能力を探っており、それで優秀と判断した者達に話を持っていき、それを受けた者はそのままギルドに就職することになる。
スラム街の住人にしてみれば、ギルドに就職出来れば食いっぱぐれることは考えなくてもいいし、きちんと仕事を続ければ本格的にギルド職員になれる可能性もある。
ギルド側にしてみれば、増築工事で少しでも戦力が欲しいところに下働きや雑用とはいえ、やってくれる者がいるのだから、双方共にWin-Winの関係だった。
実際、今年の春から秋に掛けてのギルドの仕事量は多く、スラム街出身の者達がいなければ、もしかしたらパンクしていたかもしれない。
そう思えば、どうにかして今年もギルドに引っ張れる人材を確保したいと思うのは当然だった。